21-9 Dragon Knights
名は、シュラインには分からない。
だが飛来したその鳥は、首と足の長い、水田でたまに見かけるあの鳥であった。珍しいものではない。だが、この激しい戦場に、どうして恐れもせずに飛んで来たのか。
鳥は、思わず動きを止めたシュラインと天使の前をひらひらと舞い、ティギエルのすぐ脇に降り立った。
(……タイムアップ……)
時間は過ぎた。
だが、何も起きる様子はなかった。やはり、笠椎のはったりか、見込み違いであったのだろう、そうシュラインは思った。
ティギエルが両刃剣をシュライン=ビノドゥロサスの体から引き抜いた。
傷口から白っぽい体液が、噴水のように噴き出す。振り上げられた剣を見上げながら、急速に力が抜けていくのをシュラインは感じた。
(ここまでか……)
死の覚悟を決めたその時。シュラインの目の前が、白で覆われた。
“何だ? 何が起きた?”
いきなりであったことと、近すぎたことで、何が視界を塞いだのか、シュラインにはわからなかった。数瞬の後、ようやく焦点が合った時、シュラインは言葉を失った。それは、すべて鳥だったのだ。
数千、数万、いや数百万とも思える鳥が、信じられない密度でこの戦場を舞っている。
“この星の原住生物か……これはどういうことだ……?”
ティギエルも、攻撃を忘れて鳥を見ている。
笠椎の言ったのはこれだったのかもしれない。何かのシグナルで、鳥が集結してくることを知ったのだとしたら。だが、たかが鳥に何ができるわけもない。一瞬の隙を作った、というだけならあまり役には立たない……そう思い、軽く苦笑してティギエルの方を見たシュラインは、息をのんだ。
“…………なぜ?”
ティギエルの真横に、一体の巨獣が顕現していた。
真っ白な体。
強力な脚。
真っ赤な鶏冠。
それは二十年前。戦艦オルキヌスに特攻して死亡した、ニワトリの巨獣・ガルスガルスに違いない。
(……幻覚……か?)
シュラインがそう思った次の瞬間。ガルスガルスは動いていた。
その場で身をひるがえすと、上段後ろ回し蹴りの要領で、ティギエルの頭部に蹴りを叩きこんだのだ。いや、蹴りではない。正確には頭部を脚でつかんで引き倒し、地面に叩きつけている。
ティギエルは黄金の飛沫を上げてバウンドし、数百メートルも吹き飛ばされた。
“あ……危な――”
ガルスガルスの背後に、コスモエルが一瞬で回り込んでいる。
シュラインがそう思った次の瞬間には、コスモエルの腹部にガルスガルスの後ろ蹴りが突き刺さっていた。
だが、さすが超高速の天使である。コスモエルは、吹き飛ばされた方にはもういなかった。
そして、ガルスガルスの右前方に現れると、頭部を狙って短剣を投げた。
至近距離からの攻撃。短剣がガルスガルスの眼に刺さる、と思った瞬間には、もうガルスガルスは姿勢を低くして、コスモエルに足払いをかけていた。
バランスを崩したコスモエルが地面に倒れ伏すより早く、その顔面をガルスガルスの脚がとらえる。
そのまま踏み潰すように叩きつけ、踏み足を残したままガルスガルスは前方宙返りした。
顔面をつかまれたままのコスモエルは、ガルスガルスの回転で大地から引きはがされ、宙を舞った。
大きく弧を描いたコスモエルは、今度は垂直に大地に叩きつけられる。逆さに突き立ったコスモエルに、後ろ回し蹴りが炸裂した。
コスモエルはまるで人形のように海面を転がり、先に飛ばされ、立ち上がろうとしていたティギエルに激突してようやく止まった。
“……何故……おまえが……”
傲然と胸を逸らし、倒れ伏す二体の天使を見下ろすガルスガルスに、シュラインは恐る恐る話しかけた。
“クキェーーーーーーーーーッ!!”
もしかすると誰かの意思が宿っているかも知れない、そうシュラインは思ったが、返って来たのは、東天紅を思わせる長い雄叫びだけであった。
*** *** *** *** ***
「あいつ……生きていたのか……」
呆然とした表情で呟いたのは、羽田慎也であった。
天使とシュライン達が激戦を繰り広げ、ナノマシンと微生物、昆虫が入り乱れるこの戦場で、どうしたものかと途方に暮れていたのだ。
完全に機能停止したバリオニクス・カーカス。そのコクピットから何とか脱出し、アスカのコクピットのハッチをこじ開けたところであった。
その視線の先には、純白の巨獣・ガルスガルスが、打ち倒した天使二体を睥睨している。
「隊長、でも、あの巨獣は、あの時たしかに死にました。戦艦オルキヌスに特攻して。だって……その時にまどかは……」
アスカは声を詰まらせた。
「これから……どうする?」
羽田は、敢えてそうアスカに問いかけた。
本来であれば、上級職である羽田が方針を決め、指示すべきことだ。いや、羽田が反乱者扱いされていたことを考えると、主導権を握るべきはアスカなのかもしれない。
だが、もはやMCMOは組織として機能してはいない。規則に則る理由もなかった。
顔を見合わせ、寸時、考え込んだ二人に、懐かしい声が呼び掛けた。
「あら? 戦わないんですか? せっかく手伝おうと思って来たのに」
アスカは心臓を鷲掴みにされたかと思った。
その声は、いるはずのない人間の声だったからだ。その声の主は、バリオニクスの足元に立ち、二人を見上げていた。消えた時と同じ銀色の戦闘服を身にまとい、同じ銀色のヘルメットをかぶっている。
「あんた……まさか……」
絶句したアスカの目の前で、彼女はヘルメットを脱いだ。
栗色の豊かな髪がこぼれだし、風になびく。
現れた笑顔は、まぎれもなく五代まどかであった。
アスカは、自分の眼が信じられなかった。もしかすると、自分はすでに死んでいるのではないか、死んでいて、死ぬ間際に妄想しているだけなのではないか、そうまで思った。
だが、自分の頬を思い切り叩いてみても、まどかはそこにいた。
アスカは無言でバリオニクスから飛び降りた。
その高さ五メートル。いくらバリオニクスが姿勢を低くしていたといっても、本当なら、タラップを使わなくてはならない高さだったが、そんなまどろっこしいことはしていられなかった。
駆け寄ったアスカは、思い切りまどかを抱きしめた。
「なんで……なんで……生きてたのなら……なんで……っ」
これは幻覚ではない。たしかな感触とぬくもりがあった。
「ごめんなさい。でも、話は後で。あるんでしょう? 私のコクピット」
「ああ、ある。バリオニクスは三人乗りだからな。だが……この戦場では金属が使えない……」
悔し気に言った羽田に、まどかは首を振った。
「いいえ隊長。バリオニクスは戦えます。見てください」
まどかが指す方からは、黒雲のような虫の大群がこちらへ向かってきていた。
昆虫群はあっという間にバリオニクスに取り付き、表面を覆い始める。
「昆虫……まさかこれは、インセクトアーマー……」
二十年前、すさまじく手を焼かされたシュラインの手先。
装甲巨獣コルディラスの防御力を究極まで高め、ヴァラヌスの機動力を数倍にした、昆虫群体による強化形態。
だが、アレが味方になるというのなら、これほど心強いことはない。
「行きましょう。操縦法は変わらない筈です。あと、昆虫が生きている限り、エネルギーは無限です」
まどかが、羽田を見つめて言った。その眼には、わずかの躊躇いも後ろめたさもない。
「……わかった」
そう言うと羽田は、手にしたヘルメットをかぶり直した。
*** *** *** *** ***
「珠夢!! 珠夢!! しっかりしろ!!」
「あ……弥美也さん? ここは?」
珠夢が目を覚ましたのは、白いベッドの上だった。
頭を巡らせると、隣には干田と石瀬も横たわっている。
「ブルー・バンガードの医務室だ。君たちは、天使恐竜群にやられて海に沈んでいたんだ」
ほっとした表情で広藤が言う。
言われてようやく珠夢は、ナノマシンによって機動兵器が戦闘不能となり、天使恐竜群へと特攻をかけたことを思い出した。
「私……の『日輪』は? 何で……この艦はナノマシンにやられないの?」
「機動兵器は、三機とも使用不能だよ。ナノマシンは金属をすべて劣化させるようだ。ブルー・バンガードはずっと潜水していたから、その影響をあまり受けていないだけだ」
二十年前に活躍したブルー・バンガードは、すでに退役していたはずだが、獲猿隊の支援要請を受けて再稼働していたのであった。
まだぼんやりした様子の珠夢の顔を、見知った女性士官がのぞき込む。
「珠夢ちゃん。あなた、危なかったんだよ? 操縦室まで浸水してたんだから」
「いずもさん? どうしてここに?」
それは、サンとともに参戦した雨野いずもであった。
「君を助けてくれたのは、雨野少佐なんだ。サン、カイと一緒にね」
サンとカイは、天使恐竜を蹴散らして珠夢達を助け出したのだ。今はブルー・バンガードの格納庫に収容されている。
「ええ。でも、残念なことに外部状況がほとんど分からないの。大気中に充満したナノマシンの影響でね」
その時、一人の兵士が息を切らせて医務室へと駆け込んできた。
「雨野少佐!! 連絡します!!」
「バカ者!! 何故持ち場を離れた⁉ 連絡は生体電磁波で行えと命じておいたはずだぞ!!」
急に士官らしい口調に戻ったいずもに一喝され、兵士は目を白黒させた。
「あああ……すみません。まだ慣れませんで……」
「もういい。で、何があった?」
「それが……海中に無数の反応が、生物群と……巨獣のようです!!」
「巨獣? 天使の操る海生爬虫類ではないのか?」
「いえ、違います。反応は、外骨格生物で……どうやら、擬巨獣だと思われます!!」
「擬巨獣だと? 今更、どういうことだ?」
いずもは状況確認のため、医務室を飛び出し、ブリッジへと向かった。
*** *** *** ***
「うわっ⁉ うわーっ⁉ な……なんだこれは⁉ 信じられない!!」
フォートレス・バンガードのオペレータ席。
そこに着いていた士官が、ふいに素っ頓狂な声を上げて、立ち上がった。
「何をしている⁉ 退艦命令が聞こえなかったのか!!」
ウィリアム艦長が、声を荒げた。
すでに、十数名いた職員のうち半数くらいが、ブリッジから離れようとしていたのだ。
「は……発進シークエンスが開始されました!! 本艦は……動けます!!」
「バカな!! 金属部分が崩壊した本艦が発進出来るはずが……」
その時。かなり大きな振動が、フォートレス・バンガードを包んだ。
振動は地震に似ていたが、ここは洋上のはず。なにより、地震ならこれほど長い間振動が続くはずがなかった。
「モニターを見てください!! 回復してます!! みんな席に戻れ!!」
たしかに、一度消えたはずのモニター群に光が戻ってきている。コンディションを示すLEDもグリーンの輝きを取り戻し始めていた。
それどころか、折れ曲がり、傾いでいた船体までも、軋みながらゆっくりと元に戻っていく。この振動はそのせいだったのだ。
しかし、艦内の誰にもその理由は分からなかった。
「艦長、海中だ。これは、海生生物が群体となって艦を補修しているんだ」
樋潟が唸るような声で言った。
船体下部を捉えたモニター映像が復活している。その画面には、海中から次々に浮上してくる生物群が映し出されていた。様々な魚類、カニ、エビ、イカ、アザラシやイルカなども哺乳類まで、その他名前もわからない無数の生物が、一度は崩壊した船底に取り付き、同化して船体を形作っていく。
「海底から、さらに大きな生物反応!! でかい!!」
「あれは……バシノームス……」
生物群を押し分けるようにして浮かび上がってくる巨大な影。
それは、二十年前の大戦でバシノームスの登録名称で呼ばれた、巨大グソクムシであった。バシノームスがフォートレス・バンガードの船底に取り付くと、その大きな影で船体下部のモニター視界は塞がれた。
それと同時に、樋潟たちの脳に、聞き覚えのある思念波が響き渡る。
“樋潟司令!! ウィリアム艦長!! こちらブルー・バンガード!! 今、我々はバシノームスと融合して、貴艦とドッキングしました!!”
“この思念波……雨野少佐か⁉”
“はい。ブルー・バンガードは、ほぼ無傷です!!”
オペレータ席からも声が上がる。
「そ……操艦が回復!! 信じられないことですが、バシノームスの動きはこちらで制御できます!!」
振り向いて叫んだのは総舵手であった。
「これは、インセクトアーマー……シュラインの差し金、ということなのでしょうか……?」
一人、考え込んでいるウィリアム艦長に、樋潟が言った。
「わかりません。だが、疑って何もしなければ、このまま死ぬしかないのも事実です……」
脱出が遅れていたのは、脱出したところで避難先もなかったからだ。
「そうですな……わかった。全艦に告ぐ!! 総員!! 持ち場に戻れ!! これより、本艦は最後の反抗作戦に移る!!」
号令に、ブリッジの全てが沸き立った。
その時、さらに生体電磁波で話しかけてきたものがいた。
“こちらは獲猿隊隊長、ファロ=フォユェン。樋潟総司令、現在起きている現象をご説明いただきたい”
獲猿族は声帯の構造上、人間の言葉を話せない。だが、生体電磁波での通信であれば、こうしてスムーズに話が出来るのだ。
“ファロ隊長。これは、二十年前にシュラインが引き起こした現象と同じだ。生物群が群体化してとりつき、対象を全く別の存在へと変化させてしまう”
“では……今、獲猿隊の目の前で機動兵器がパワードスーツ化しているのも、そういうことなのですか?”
“何だと⁉”
復活した外部カメラが、艦の周りで擱座していた機動兵器、十二神将を捉えた。
なんと、それらにも、無数の生物群が取り付き始めていたのである。
しかも、機動兵器は修復されるだけではなく、大きく変形していた。どの機体にも十五メートルクラスの獲猿達が収まれる程度の空間がぽっかり空いていたのだ。
それは、まるでそのようにデザインされた、強化スーツのように見えた。
*** *** *** ***
“この……下等生物がッ!!”
怒りの声を発して、ティギエルが立ち上がる。その体には傷一つなく、まるでダメージを受けたようには見えないが、もはや、あの超然とした穏やかさはどこにもなかった。
不意打ちでは分があったものの、本気を出した天使に、ただの巨獣が敵うとは思えない。ガルスガルスに加勢しようと、思わず一歩踏み出したシュラインは、胸部を押さえてうずくまった。
“う……ぐ……”
両刃剣に、体を貫かれたことを忘れていたのだ。さすがのシュラインも、とうとう力尽きた。
急速に遠のいていく意識。だが、すぐに少女の思念波で現実に呼び戻された。
“シュラインさん!! 見て!! 空が割れる!!”
ぼんやりと目を開けると、ダイナスティスの中の咲良が叫んでいた。
朦朧としたまま見上げると、たしかに後方の空が真っ二つに割れて見える。上空に集まっている、黒雲のような昆虫群が道を開けたようだ。だが、シュラインが命令もしていないのに、何故そうなったのかは分からなかった。
“どういう……ことだ?”
そうつぶやいた時には、既に地上でも変化が起き始めていた。
GファブニールだったものとG鳳凰だったもの、意識のない細胞塊と化した二体が、空へ向けて手を伸ばしたのだ。いや。それを「手」と言って良いかどうかは分からない。
もはや触手のように蠢く肉塊にしか見えないそれを伸ばし、何かの合図のようにゆらゆらと動かした。
すると、割れた空の隙間にキラキラとした粉状のものが現れ、ゆっくりと降ってきたのである。
“……クラゲ?”
豊川がつぶやく。
たしかにそれは、無数のクラゲ状の生物であった。まるで水中を漂うかのように、空からフワフワと舞い降りてくる。それに西日の残光が反射して、金粉のようにきらめいて見えるのだ。
そのクラゲが、二体のG細胞塊に取り付き、表面を覆っていく。それにつれて細胞塊そのものにも変化が現れた。
二体が一つになり、その上面から長く、細く、数本の槍状のものが伸びていく。V字型に広がったその突起の間に、金色の膜が張られ、二枚の巨大な翼となった。
さらに、上空から影のように半透明の塊が降りてくる。それは、三本の長い首。その先端には西洋のドラゴンと東洋の竜を足して二で割ったような、竜の顔がそれぞれついていた。
“王……龍……ッ”
突然。天からその色の光が差したかのように、王龍に色がついていった。
白銀ではない。
黄金でもない。
深紅に近い、しかしメタリックな輝きが、巨大な竜を染め上げた。
ゆっくりと羽ばたくごとに、翼は大きく広がり、首も伸びていく。あきらかに、以前の王龍よりも、白銀の王龍姫よりも、大きい。
目を離せずにいたシュラインに、また咲良が呼び掛けた。
“シュラインさん!! あっち見て!! あれは……”
舞い降りた竜の背後に、ゆっくりと立ち上がる影。
王龍とは違う色、違うフォルム。
だが、見覚えのあるそのシルエットに、シュラインは時が止まったような感覚を覚えた。
伏せていた顔が、正面を向く。
その額には、碧く輝く透明な石。
サンゴ状の巨大な背びれは、コバルトブルーにシルバーのグラデーション。
蒼黒い溶岩のような体に、稲妻が走る。
“……G……”
それは、Gドラゴニックだったものであった。
空から降りてきたあのクラゲが変えたのか、それとも、ガルスガルスのように鳥が集まったのか、『何かの微生物』が作り上げたのか、あるいはそのすべてか。
わからない。
どうしてか、その場にいた誰にもわからないが、Gはいつのまにかそこにいた。
Gは胸を張り、吠えた。
大型の弦楽器を、高音から低音まで、一気に弾き下ろすイメージ。
その声の圧力が、周囲に衝撃となって放たれる。
巨獣王・G、復活の雄叫びであった。