3-3 飛行巨獣
「つまり……復活したGは十五年前とは違う。巨獣であるだけでなく、シュラインという一人の人間の意思を持っている可能性があるのです」
二人はモニター越しの会話に限界を感じ、場所を移して会談している。
簡単な応接セットがしつらえられたその場所は、どうやら樋潟の執務室のようであった。
科学者マーク=シュラインの五十年にわたる妄執と、そのために仕掛けられた罠。
伏見伊成、明親子の壮絶な死。
そして巨大深海生物と激闘を繰り広げた巨獣王。
事件に否応なく巻き込まれ、九死に一生を得た研究者達……。
死線をくぐる戦いを生き延びた、というだけではない。救助されてからも気が気ではなかったのだろう。八幡は、かなり憔悴しているように見える。
長い説明を終えた八幡は、目をつぶり、ソファに沈み込んだ。
「ひとつ…………疑問があります。アルキテウティス……でしたか。あなたがそう呼ばれた巨大イカを、何故Gが倒さねばならなかったのでしょうか?」
樋潟は素朴な疑問を口にした。
Gとアルキテウティス、仮にこの二体の巨獣がシュラインに操られており、一つの意思を持っているならば、争う理由など無いはずだ。また、そうでなくともシュラインの目的が全生物の融合であるならば、アルキテウティスを乗っ取ればいい。
放射熱線を放ってまで、殺し合う理由はないように思えた。
「おそらく、アルキテウティスは偶然そこに居合わせた、いわば野生の巨獣であり、シュラインの細胞には汚染されていなかったのでしょう。そして、Gとして蘇ったシュラインの試運転の生け贄になったのではないか、と私は考えます」
だがその説明には、今ひとつ説得力が欠けているように樋潟は感じた。
全生物を取り込むなら、どんどん取り込めばいいのだ。Gの戦闘能力など二の次であるはずではないのか?
考え込む素振りを見せた樋潟の様子を、八幡は事態の深刻さを噛み締めていると誤解した。
「深海であのような事件が起きるとは、誰も想像だにしなかったのです。だからといって、私は責任逃れをしようなどと言うつもりは毛頭無い。ただ、この事態の収拾を願うばかりです」
八幡はまたため息をついた。
海底ラボでの事件から一週間ほどしか経っていないというのに、頬はこけ、髪も乱れている。
ここ数日は当局による事情聴取から記者会見まで、責任者と目された八幡には厳しい追及がされた。しかし今語られた様な内容は、どこにも漏れていない。八幡はもちろんのこと、研究室のメンバーもまた固く口を閉ざし、一定の情報しか流されていないのだ。
公的には今回の事件は、先進的な実験の失敗でGが蘇ったということになっている。
「しかし、今聞いたお話だと、八幡教授が貧乏くじを引く必要はなかったはずです。あくまでシュラインが元凶であり、しかもルール違反を犯したのは亡くなった伏見準教授だったのでしょう?」
「もし……なんの対処も出来ない現状でシュラインのことを公にすれば、どれだけのパニックが起きるか想像できますか?」
「む……う」
樋潟は唸った。
たしかに八幡の言う通りだ。細胞で他生物を侵略し、生体電磁波で操る怪物が不死身の巨獣王に乗り移っているなどということになれば、日本は、いや世界はパニックに陥る。
現状ですら、Gが上陸した東京に核攻撃も辞さないと公言してはばからない国もあるのだ。
「それに私は……『死人に口なし』といった解決の仕方が気に入らなかっただけですよ。必死に生きようとした、伏見君達親子の……魂の尊厳だけは、守りたかった」
それを聞いた樋潟は、急に腕組みをして上を向いた。
彼は生来、涙もろい。それがコンプレックスであるため、感動して涙がこぼれそうになるといつもそうする。八幡は自分の職もプライドも捨てて、人類と伏見親子の魂の尊厳を守ろうとしているのだ。これ以上この件について追求することはできない。樋潟はそう思った。
「……ところで、シートピア事件の後にGが観測されたのは事件から三日後、ミクロネシア群島のある島でした。その時は甲殻類をベースとしたと思われる巨獣と戦い、これを葬っているようです。ただ、その戦いに巻き込まれて人口数百人のその島は壊滅したため、そこで何があったかは戦いの跡から推測するしかないのですが……」
「どうしてそんなところへ現れたのか……あの時、Gは……Gが最後に観察されたのは、海底に倒れる姿でした。おそらく酸欠だったと思われます」
「酸欠? Gは海生動物ではないのですか?」
「もちろん海生生物です。でも、ウミガメもクジラも長時間潜れるというだけで我々と同じ肺呼吸ですよ。仮死状態だったとはいえ、もしGが肺呼吸だけならば十五年も海中で生きてはいられなかったでしょうから、補助的にエラの役割を果たす器官もあるのでしょう。酸素の豊富な浅場でなく、水中の溶存酸素量が極端に低い深海で戦闘したせいで、酸欠に至ったのだと推測できます」
「なるほど……しかし、事件後に捜索した時にはGは消えていた。何故復活できたのです?」
「自力で復活した可能性は低いでしょう。ただ、海底流の流れが持ち去った可能性はある…………溶存酸素の豊富な海域に運ばれ、息を吹き返したかも知れません」
「海流が持ち去った? あんな巨大な生物を?」
「水は生物と比重がほぼ同じです。つまり、水中では、ほとんど重力の影響を受けない。どれほど大きかろうと問題ではありませんよ」
そうだとすれば事件後にすぐに取り押さえていれば、酸欠状態のままGを捕獲できた可能性もある。樋潟は悔しそうに眉根を寄せた。
「ふむ……で、今後のG対策はどうすべきだと?」
「リケッチアを感染させて人間を取り込み、その意識を乗っ取り別のものに変化させてしまう……そんな化け物が野放しになっているかも知れないのです…………。しかも、Gは予想通り巨獣の遺体を狙ってきている。多数の巨獣を復活させて生体電磁波の中継器にすれば、最終的にヤツの目的である全生物との融合も不可能ではないでしょう。即刻…………どんな犠牲を払ってでもGを抹殺すべきです」
「良いのですか? Gはあなたの研究対象なのでしょう?」
「断腸の思いですよ……しかしこれが、ここまでの事態を引き起こした私の責任のとり方です。なにより人類の安全のためです」
八幡には覚悟が出来ているようだ。自分を殺して世を守る覚悟。普通の覚悟ではない。
八幡にそれを覚悟させたのは、伏見親子の死に様であったであろうことは口にするまでもなかった。
樋潟は深く頷いた。
「それと、感染者の問題です。シュラインのリケッチアは、いったんは重篤な症状を引き起こすようですが、その状態から復活してしまいキャリアになると、抗生物質がほとんど効きません。幸い海底ラボでの感染者は、全員完治していますが、キャリア化した者を一人でも逃がせば、感染者が感染者を生み多数の犠牲者が出る可能性も否定できません」
「いわゆるパンデミックですね?」
「ええ……そうならないよう、少なくとも海底ラボの関係者は、完全にシロだと分かるまでは、隔離状態の続行をお願いします」
「ええ、了解しました。すぐに手配を……しかし、そういえば、Gの状況に関する報告が来ないな。状況変化があれば、すぐに報告するように指示しておいたのですが…………」
その時、音もなくドアが開き、濃紺の制服をきちっと着こなした女性が音もなく部屋に入ってきた。
椅子の横に膝をつき、耳打ちされた樋潟は驚いたような表情になった。
女性の顔を数度見直し、報告の内容が間違いでないことを目で確かめた。首を傾げて怪訝そうな表情のまま口を開く。
「八幡教授、Gが一次防衛線に設定した国道14号線を今突破したそうです」
「なんですって? それは……妙に遅すぎはしませんか?」
「ええ。先生の話があまりにも興味深かったのと中間報告が無かったので、つい話し込んでしまったが……バリオニクスでさえものの十分で倒されたというのに、旧型の一三式戦車の武装がGに通用したとは考えにくいのですが…………」
「すでに……四十分か。Gの歩行速度なら、とっくに遺伝子工学研究所に到着していてもおかしくない時間ですね」
するとGは立ち止まってでもいたのだろうか? それともその侵攻を遅らせる要素が何か別にあったのか?
「住民の避難が完了した様子なのはありがたいが……腑に落ちない現象が起きるのは、あまり面白くありませんね……南君、一次防衛線の責任者と話せるか?」
「もちろんです」
制服姿の女性が手元のリモコンを操作すると、八幡教授の背後の壁のカーペット模様が消えた。
液晶モニターをカーペット模様に偽装していただけらしく、通信画面が立ち上がる。数回の呼び出し音の後、自衛官の迷彩戦闘服を着た人物が映し出された。
口ひげを生やした自衛官は通信が繋がったと知るや、頭の横にピンと伸ばした手をかざし、背筋を伸ばして敬礼した。
『一次防衛線の責任者。陸上自衛隊、習志野方面隊所属の嘉村一尉であります』
「嘉村一尉。まずはGを長時間食い止めてくれたことに感謝する。隊の被害状況は?」
『それが……死者ゼロ。負傷ゼロ。一三式戦車の小破が三。以上です』
「なんだと?」
樋潟はあらためて驚愕した。バリオニクスをあっさり屠ったGとの戦闘結果とはとても思えない。
『Gが……我々を踏みつぶすのを嫌がる様子を見せたため、足元を撹乱することで侵攻を遅らせることに成功したのです。また、Gは住宅街へ迂回することもせず、江戸川河川敷のみを移動しているため民間への被害もほとんど出ておりません』
直立不動で報告しながらも、嘉村一尉も拍子抜けしたような表情を隠せない。
それはそうだろう。出ていた命令は付近住民の避難終了まで巨獣王・Gに対する防衛線死守だ。戦闘の被害を最小限に抑えるためとはいえ、本来は戦車小隊規模で行う作戦ではない。隊員の誰もが死を覚悟したはずだ。
「嘉村一尉、ご苦労だった。住民の避難が完了したならば、追撃の必要はない。引き続きGの監視に当たっていただきたい」
『はっ!!』
通信が切れると、モニター画面には江戸川沿いに北上していくGのライブ映像が映し出された。
たしかに建物を避けるように、川の中を歩いていく。見ているうちに橋が一つ破壊されたが、被害らしい被害はその程度だ。これはどう判断すべきなのか?
「Gは何を考えているんだ!? まさか人間愛に目覚めたわけでもあるまいに……」
「いや、樋潟司令。これでなおのこと、Gの意思を操っているのがシュラインである可能性が高まったのではないでしょうか?」
「うむ? それはどういうことですか?」
「理由は不明ですが、Gの行動は、人間を強く意識しているようです。だが以前のGは、人間の存在など認識していないかのように振る舞っていた。つまり、今は人間の意思が介在していると言えるのではないでしょうか?」
「そうか。他の生物の意思を操る事が出来るのは…………シュラインだけ……か」
人間を殺さないのは、自分と同化させ操るためと解釈すれば不思議でもないかも知れない。
だとすればこれは、シュラインによる侵略戦争だ。今後の作戦展開は、単なる巨獣の駆逐とは違う認識で行わねばならないのだ。
樋潟は苦い表情でモニターを眺めた。
*** *** *** ***
水元公園は、首都圏有数の水郷公園である。
都会に近い割に比較的自然が残され、釣りや散策の人々に親しまれている場所だ。だがその反面、熱帯魚や水生生物など、飼育放棄されたペットや定着した外来生物もよく見られる場所でもあった。
その水元公園に隣接して、国立遺伝子工学研究所が建てられている。
レンガ造りを模した赤茶色の外壁の建物の中には、深夜だというのに白衣姿の二人の研究者が残っていた。
「ったく……こんな簡単な対照実験のために、徹夜はねぇよな……」
眼鏡をかけた、天然パーマの若い男が言った。
眼鏡は指の脂で真っ白に曇っているが気にしている様子はない。何本かにまとまって額に張り付いた髪の毛は、数日は風呂に入ってないように見えた。
「そう言うなよ小林。オレらだけに徹夜させるのも悪いからって、所長は別に仕事もないのに残ってらっしゃるんだぜ?」
答えたのは色黒のこちらも若い男だ。体はかなりがっしりしているが、顔だけはほっそりして見えるため、肥満体という印象はあまりない。
「どうだかな。所長は家に帰りたくないだけなんじゃね?
加賀谷、おまえちょっと所長室のぞいて来いよ。案外、エロ動画でも見てるかも知れないぜ?」
「いやあ。さっきのぞいたら、なんか、水元公園に放されていた外国産のトカゲを持ち込んだヤツがいたらしくて、それを楽しそうにいじくってたよ」
「トカゲぇ? なんだ、所長先生は爬虫類マニアかよ」
「エロ動画の方がナンボかマシだな」
二人は顔を見合わせるとケタケタと笑った。
その時、突然廊下の明かりが付き、固い靴音が近づいてきた。
「やべぇ。声、でかくなかったか? 所長に聞かれたんじゃね?」
焦った二人は身を固くしたが、ドアを強めに開けて入ってきたのは所長ではなかった。よく見知った初老の警備員である。そういえば消灯時間を過ぎている。
「あれ? 斉藤さん? どうしたんです? 今日は俺達徹夜だって、報告あげといたでしょ?」
天然パーマの男、小林が不思議そうに警備員に聞いた。
「それどころじゃありません。お二人ともすぐに避難してください。Gがここへ来るかも知れないんです」
「は? Gって、あの巨獣の? 死んだんじゃなかったの?」
色黒の男、加賀谷が間抜けな声を出す。
「バッカ。ネットニュース見てないのかよ? 実験の失敗か何かで蘇っちまったって、先週から大騒ぎだったじゃん」
「そうです。行方は分からないという話だったんですが、先ほど江戸川の河口に上陸し、川を遡ってほぼまっすぐ進路をこちらに向けて進行しているようなんです」
それを聞いた二人はさすがに青ざめた。
小林が室内のソファの前にある小型TVのスイッチを入れた。よく聞く民放の男性アナウンサーの声が大音量で流れる。報道ヘリからのものらしい映像にはGの姿が大きく捉えられていた。
かなり離れた位置から超望遠で撮っているのだろう。微妙に揺れる暗い画面の中を歩くGは、江戸川河川敷をかなりの速度で上流へ移動している。
自衛隊の戦車を振り切ると同時に、いくつかの橋が破壊されたようで、ヘリに同乗しているらしい女性リポーターがヒステリックに喚いている。流域の住民にはすべて避難指示が出ているとのことだった。
「うっそだろ……Gってあんなでっかいのかよ…………で、どこに逃げりゃいいんだよ」
「とにかく、所長を連れて外へ逃げようぜ。おまえ、車あんだろ?」
三人はバタバタと所長室へ走った。
「所長! 所長!! 大変です。Gがこっちへ来るってTVでやってます。逃げましょう!!」
しかし、部屋の中からは何の返事もない。
「寝てんのか? それとも、もう逃げた?」
「なんにしても放ってはおけません。ドアを壊します」
警備員の斉藤は、いきなりドアに体当たりをした。軽いパネル製の扉は、簡単に内側に吹き飛ぶ。
室内には、白衣を着た人物が向こうを向いて立っていた。
「所長! いるんじゃないですか。何で返事……わあああっ!!」
加賀谷は悲鳴を上げて飛び退った。
加賀谷がその肩に手をかけた途端、急に振り向いて手に噛みついてきたのだ。
あわてて手を引っ込め、足をもつれさせて尻餅をついた加賀谷の目の前の空中で、牙がかつんと固い音を立てた。
「な……な……な……」
三人とも、驚愕のあまり声も出せない。
そこに立っていたのは人間ではなかった。鮮やかな緑色の鱗を持つ、まるでトカゲのような生き物だったのだ。
「りりりり……リザードマン?」
小林の言う通りの姿のモノがそこにいた。
直立した姿、トカゲの顔立ち、見た目はたしかにファンタジー物によく出てくるトカゲ人間・リザードマンとそっくりだ。
「キシャアッッ」
ノコギリのような歯を見せて威嚇すると、リザードマンは前屈みになって三人の方へ突っ込んできた。
「うひゃあっ!」
「た、助けてっ!!」
しかし、リザードマンは立ちつくす三人の隙間を縫うようにしてすり抜けた。
逃げるヒマもなく立ちすくんだ三人を放ったらかし、そのまま廊下へ駆けだしていったのだ。
「な………何だったんだアレ……」
「う…………」
その時、事務机の影から微かな呻き声が聞こえた。
「しょ………所長?」
恐る恐る小林が声をかける。
「そ……そうだ。早く助けんか、お前たち」
頭から血を流して倒れていたのは、頭の禿げ上がった中年男性である。今度は所長に間違いなさそうだった。
「所長!? 何があったんです? あいつはいったい、何なんです?」
斉藤警備員が訊く。
「私にも分からん。昼間のうちはたしかに普通のグリーンバシリスクだったんだ。だが、エサを与えてみたら、ガツガツ食って急に大きくなって……そして、ケージを破壊して脱けだし、冷凍ドームの鍵をよこせと……」
見るとたしかに金属製のケージが壊され、ひしゃげた扉がぶら下がっている。
「こんなでかいケージを破ったんですか? 人間業じゃない」
加賀谷が大きくため息をついた。
「いやいやいや、何言ってんの。見た目、どう見ても人間じゃなかっただろ」
「じゃあ、人間じゃないヤツが、ドームの鍵をよこせとかしゃべるってのかよ?」
激しく首を振って否定する小林だったが、加賀谷の言うのももっともだ。
「かなり……狭い。普通の人間ではこのケージには入れません……つまり、人間がかぶり物をしていた、とかではなさそうですね」
斉藤警備員がケージに開いた四角い出入り口に手をかけ、のぞき込むようにしながら言った。
その時、かすかに部屋全体が揺れた。低い震動がそれに続き、しばらくするともう一回。一定の間隔を置いて規則正しく響き続ける。
「え? 地震?」
しかし、加賀谷と目を合わせた小林は首を振った。一定間隔で少しずつ大きくなって来る地震などあるわけがない。
「…………Gだ……来ちまったんだ」
「わ……忘れてた……」
「とにかく、逃げるぞ」
四人はバタバタと廊下へ出た。
さっきのリザードマンに出会いたくはなかったが、このままここにいてはGに建物ごと潰されてしまうかも知れない。
息を切らせて走り、やっと階段にたどり着いたその瞬間、館内の主照明がすべて落ちた。非常照明だけが周囲を照らし、加賀谷がたまらず悲鳴を上げた。
「ひえっ!? も……もう、Gが来たのか?」
「いや待て。主幹電源は落ちていない。これはドームの冷凍設備を誰かが切ったんだ」
所長の言う通り、照明以外のエレベーターや空調機器は稼働している。絶対に電源を落としてはいけないため、どんな事があっても誰かが気づくよう冷凍設備は主照明と連動しているのだ。
「それって……まさか、さっきのリザードマン?」
「ヤツがカギを持って逃げ、ここに我々しかいない以上、他に考えられんだろうな」
憮然とした表情で所長が答えた。
「まずいぞ。冷凍を切った直後から恒温装置のスイッチも稼働する。数分で低温域を脱してしまう。放っておけば、せっかくの巨獣遺体が腐敗してしまうぞ」
「化け物が、化け物の死体をどうしようってんだよ?」
泣きそうな声で小林が言う。
「そんなことより、とにかく、逃げましょう」
しかし、暗い階段を駆け下りて正面玄関を出た四人は、その場に立ちすくんだ。
「う……うわ!!」
次の声が出せず、全員がその場にへたりこんだ。
目の前に巨大な爪を生やした、岩のような足があったからだ。その爪はアスファルトの駐車場にめり込んでいる。もう一方の足は駐車場の外にあり、植え込みの木々をなぎ倒してやはり地面にめり込んでいる。
腰が抜けて立てない四人を、はるか上から鈍く光る目が見下ろしていた。
「もう……だめだ」
小林が呟いた。死を覚悟するしかない状況だ。
その時、立ちすくむ四人の後ろの建物内から聞き覚えのある叫び声が聞こえてきた。
「キシャアッッ!!」
「さっきの……リザードマンの声?」
しかし今度の声は、先ほどの比ではないくらい大きい。
声が聞こえたのか、Gも四人を見つめるのをやめてドームに顔を向けた。
次の瞬間、ドームの銀色の屋根を突き破って何かがGに襲いかかった。その何かは研究棟をかすめて飛び、Gの頭部に爪を突き立てたのだ。
「うわ……わわわ」
そいつの通り過ぎた衝撃で研究棟の外壁は崩れ落ちた。
頭を抱えてうずくまる四人の周囲に、最大一メートル以上はあろうかというコンクリ片が、雨のように降り注ぐ。誰にも大型の破片が直撃しなかったのは、ほとんど奇跡といえた。
「ににに……逃げろっっ!!」
コンクリ片の雨が止むと同時に、誰からともなく表通りへ向けて駆けだした。
とにかく、この場から離れるのが先決である。肥満体の所長はぜいぜいと息を切らせ、小林も加賀谷も足をもつれさせては何度も転んだ。警備員の責任感からか、斉藤だけが落ち着いた足取りで他の三人を誘導していく。
「表通りに出たら、とにかく車を探してここから離れましょう」
もう一歩で表通りに達するところまで来た時、突然目の前に緑色の壁が出来た。
「うひゃあっ!!」
地響きを立てて、巨大な緑色のトカゲが降り立ったのだ。一瞬遅れて大きな震動が四人の足下をすくい、起きた風圧で全員がごろごろと転がった。
「う……痛てて」
四人が呻きながら立ち上がると、トカゲの形状をした巨獣がこちらを向いて、四つんばいで立っていた。
あらためて至近距離でまみえたその姿は、夜目にも鮮やかな緑色であった。細かな鱗で全身が覆われ、濃い緑色の背中から、腹の方へ行くに従って黄緑色に変化している。
後頭部にはテントでも張ったかのように盛り上がったトサカが見え、そのトサカから連続した鰭状の隆起が尻尾の方まで続いている。また、顎の下にはヒダ状にたるんだ皮膚があって、それを呼吸のたびに膨らませているのが見えた。
「バ……バシリスク……」
所長が呟いた。
その姿は巨大ではあったが、たしかに先程のリザードマン=バシリスクによく似ていた。
バシリスクはこちらの背後を睨みつけながら、まるで腕立て伏せでもするかのように頭部を上下させ、喉袋を膨らませて、長い尻尾を左右に打ち振っている。
「ボビング行動……Gを威嚇しているんだ」
つまり、彼等四人の背後にGが迫っていることになる。バシリスクは、まったく四人を認識していないかのようだった。
四人はお互いに抱き合うようにして座り込んだ。すぐにもGがバシリスクへ歩み寄るであろう。そうすれば、四人とも踏みつぶされて一巻の終わりである。
「助けてっ!!」
「かあちゃん!!」
しかし、Gは一向に歩を進める気配がない。
「どう……なったんだ?」
所長が恐る恐る後ろを振り向いた。もしかすると、別方向へ行ったのかも知れないと思ったのだ。
しかしやはりGはそこにいた。赤く光る目をこちらに向け、バシリスクを睨んでいる。
二体の巨獣のにらみ合いが続いた。ほんの数秒であったが、死を覚悟した四人には長すぎる数秒だ。
「ひ……ひいっ!!」
「キシャ!!」
加賀谷が耐えきれずに発した声に反応したのは、バシリスクである。
そこに初めて獲物を発見したかのように、首を傾げて四人を見つめると、口元からわずかに舌をのぞかせながら捕食の体勢をとった。
「キュゴオオオンンンンンンンンンン!!」
その時、前触れなく周囲を震わせたのは、Gの咆哮であった。
大型の弦楽器に当てた金属の棒を、高音から低音まで一気に引き下ろしたかのような、独特の叫びが響き渡った。強烈な音の波が地面までも揺らしているのが、四人にもハッキリと知覚できる。
「キシャアアッッ!!」
Gの咆哮の圧力でわずかに怯んだ様子を見せたバシリスクは、一瞬姿勢を低くするとそのまま飛び上がった。
「に……逃げた?」
てっきりGに襲いかかるものと思って見ていた小林は、拍子抜けした声を上げた。
ほぼ真上に飛び上がったバシリスクは、なんと、四肢の間にあったらしい膜を広げて夜空を滑空していく。尻尾を除いても数十メートルはあるはずのバシリスクの体が、大人の拳くらいにしか見えないところを見ると、一跳びで相当の距離を飛んだのだろう。
「あれじゃまるで、忍者じゃねえか……」
「いや、あの特徴は冷凍保存していた巨獣遺体と同じだ」
所長が呆然と夜空を振り仰ぎながら言った。その目は、次第に小さくなるバシリスクの姿を追っている。
「おい、なんだか明るくないか?」
その時加賀谷が、周囲が青白い光に包まれ始めたことに気づいた。
「なんだこの光?」
「上です!! 上っ!!」
警備員の斉藤が、また頭を抱えてしゃがみ込みながら、Gを指さした。
「マジか」
「粒子熱線!?」
青白く輝くGの背びれが、一瞬周囲を昼間のように照らし出した。次の瞬間。その光と同じ色の光の束が、夜空へ向かって放たれた。