20-5 メモリア
翌朝。
ゆり達は、もう一度イルワド王に謁見した。そして、武器や食料などの旅支度を拝領すると、竜の棲むというミワイ山へ向けて出発したのであった。
かなりの距離があるということで馬を勧められたが、笠椎もゆりも馬になど乗ったことがない。徒歩で行くと決め、荷物の吟味や着替えなどで結構時間を食い、城を出た時には、すでに日は高く昇っていた。
白い雲の漂う空の彼方には、相変わらず黒い鎧を身に着けた咲良が、剣を振りかざしているのが見える。
「ケッ。勇者一行の出発が裏口からかよ。やっぱあの王様、胡散臭いぜ」
吐き捨てるように言い放ったジーランに、笠椎が聞いた。
「どういうことです?」
「勇者とか言っておだててる割には、コソコソし過ぎだろ? 国民に知られたくないのさ。何度も勇者を召喚しちゃあ失敗してるってことをな」
ジーランは、銀のパイロットスーツの上から肩当や膝当て、ガントレットなどを付けている。それが妙にしっくりと似合っているのが不思議であった。
武器は、背中に両刃の長剣。それと、腰にも短い剣を二本差している。
ゆりはというと、自分の身長よりも長い槍を携え、やはり腰には二本の剣。布の服の上からジーランと同じように簡単な防具を身に着けていた。
笠椎は、二人とは対照的に装備が少ない。動きやすそうな布の服に着替えてはいたものの、武器らしいものは、腰に差した短剣くらいであった。戦闘の役に立てそうもないからと、自分から荷物持ちを買って出たため、背中には三人分の荷物を背負っている。
「で? あたしたち、これからどうすんのよ? ナントカって竜を倒しに行くの?」
「それを決めるのはリーダーだろ?」
すまし顔で答えたジーランに、ついにキレたゆりは目を三角にして食って掛かった。
「またそれ⁉ 決めてあげたっていいけど、判断するには情報が少なすぎんのよ!! リーダーに祭り上げるなら、あんたの持ってる情報、全部寄越しなさいよ!!」
「分かった分かった。たしかにそれも一理あるな。ここなら城のやつらに話を聞かれる恐れもねえし、じゃあ、今のこの状況から整理するか」
「整理?」
ジーランは二人を促すと、道沿いに生えていた大木の根元に腰を下ろした。
まだ、町から一キロと離れていない。こんなところでのんびりしていて大丈夫なのか、とゆりは少し心配になったが、ジーランの真剣な表情を見て、質問するのをやめた。
「いいか? まず、この世界は、前の世界よりも入り組んだ場所にある」
「入り組んだ……場所?」
笠椎が眉根を寄せて聞き返す。場所、と言われてもその感覚がよくわからないのは、ゆりも同じだった。
「場所で悪けりゃ、位置、座標、空間、なんでもいい。簡単に言えば、この世界をぶち壊さない限り、前の世界には戻れないし前の世界をぶち壊すこともできないってことだ」
「だから、それ何よ⁉ 世界を壊すって言ったって……よく分かんないよ」
「僕もよく分かりません。例えば……そう、ゲームの登場人物がゲーム世界を壊して現実に出て来たりは出来ないでしょう? だって、ゲームのキャラはゲームの一部なんですから」
そう問いかけた笠椎に、ジーランはほんの一瞬、驚いたような視線を投げてから、ゆりの方を向いて口を開いた。
「まあ、なんにせよ、だ。まずはこの世界をぶち壊すために、必要なことをやらなきゃならねえわけだ。だが、そのために必要なお前の六人の仲間は、前の世界に置いてけぼりだ。万が一、そいつらが自発的にあの世界を脱出しようとしても、どこへ行くかわかったもんじゃない」
「あの石切り場が、この世界とつながってたんじゃないの? じゃあ、まさか先に消えた男の人も沙紀も……ここに来てないってこと⁉」
目を丸くしたゆりに、ジーランはこともなげに言った。
「この世界に来ている可能性は、かなり低いだろうな」
「ど……どうして?」
「簡単さ。こんな世界は一つや二つじゃないのさ。連中が取り込んだ数だけある」
「へ? 連中? 取り込んだ?」
「いいか? まず理解しろ。俺たちがいるこの世界は、無数に存在する世界のひとつに過ぎない。前の世界も含めてな」
「よ……よくわかんないけど、沙紀も、あの男の人も、そのたくさんある世界の一つへ行ったってことなの?」
「たぶんな。それがどこかなんてのは分からねえけど、あの、死の無い世界から、死のある世界へ転移しさえすれば、どこでもいいわけだ。ま、死の無い世界なんてあそこくらいさ。そんなもん、地獄以外の何ものでもないからな」
こともなげに言い放ったジーランに、笠椎が突然食って掛かった。
「な……何を言うんです!! 死が必要みたいな言い方って変ですよ!! 生きてるってことは、それだけで素晴らしいことです!! 命の大切さを……生きる喜びを知っていれば……誰も死にたいなんて思わないんじゃないですか⁉」
顔を真っ赤にして言い募る笠椎に、ジーランは乾いた一瞥を投げつけると、あっさり前言を翻した。
「まあ、それもそうかも知れねえな。べつに否定はしねえよ……」
「…………」
わずかに流れた沈黙に耐えかねたように、ゆりが口を開いた。
「でも……本当に悪夢みたい。無数の世界があるとか、死がない世界とか……いったい、あたしたち、どうなっちゃったの?」
「……その答えは、アイツがよく知ってるんじゃねえかな?」
そう言うと、ジーランはゆり達の後ろを指さした。
「へ?」
間抜けな反応を返して振り向いたゆりは、数十メートル離れた場所に、見覚えのある黒い人影を発見して声を失う。
「あいつ……まさか石切り場で襲ってきた……」
笠椎もそう言って身構えた。
片手に抜身の剣をぶら下げ、ゆらゆらと歩み寄ってくる黒い人影。それは、不思議と重力を感じさせない動きで、この世のものとは思えない。黒い布のフードに隠れ、表情すらよく見えないが、鋭い眼光がすさまじい殺気を放っているのだけは、ゆりにも感じとれた。
ごくりと唾を飲み込んだゆりは、ようやく声を絞り出した。
「同じ世界には来れないんじゃないの? それに……話し合おうって雰囲気には……見えないんだけど?」
「来れねえわけじゃねえよ。確率が低いだけでさ。んー……ちょっとヤバいのかな?」
そう言って立ち上がったジーランも、背中の剣を抜いて構える。
黒い影は、それに応じたかのように、わずかに姿勢を低くすると、ふいにこちらへ向かって駆け出した。
「く……来るよッ⁉」
ゆりもそう叫んで槍を構える。
しかし、黒い影が数歩も駆けないうちに、突然、その足元の大地が吹き飛び、影を空中に舞い上がらせた。
「ななな……何何何⁉ 何なの⁉」
状況に対応できず、おろおろするゆりの手を、笠椎がつかんで走り出す。
「モンスターだ!! こんなところで出るなんてっ!!」
よく見ると、土煙の中にうごめく巨大な影がある。
「何アレ⁉ まさかアレがクランケンなんとかって竜⁉」
「どうかな!? 違うと思うぜ!! あんな竜はねえだろ!!」
二人と並んで走り出したジーランの言う通り、土煙から見え隠れする怪物は、半球状で艶のある青灰色をしている。いくつかの節に分かれているように見えるその体は、竜というよりも、どうも巨大なダンゴムシのように見えた。
巨大ダンゴムシは、すぐにこちらに向かってくる様子はなく、その場でのたうっている。
土煙の中から激しい金属音が聞こえてくるのは、どうやら剣で怪物と渡り合っている者がいるということらしい。それが先ほど宙に飛ばされた黒い影であろうことは、容易に想像がついた。
ゆり達は必死で駆け、黒い影と怪物、どちらも追って来ないうちに、距離をとることに成功した。
「な……何だったのよ? アレ……」
ゆりは、肩で息をしながら振り向いたが、怪物のいた場所は、すでに丘を越えた向こうになっていて、様子を確認することはできなかった。
「すごい怪物でした。どんな奴だったか、よく見えませんでしたが……」
そう言う笠椎は、三人分の荷物を抱えて走って来たにも拘らず、意外にも息一つ切らせていない。
「……まあ、見た感じ哺乳類系でも爬虫類系でもなかったな……」
「あの黒い影も、モンスターの一種なんでしょうか?」
「……さあな」
笠椎の質問に、何故か曖昧に返したジーランは、長剣を器用に背中の鞘に収めて歩き出した。そして道もはっきりしない山を、すたすたと登っていく。
「え? え? どうすんの?」
「取り敢えず、クランケン・シュヴェステルを斃しに行く……あ、そうか。リーダーはお前だったな。それでいいか?」
「い……いいけど……他にどうしようもないし……」
もごもごと答えながら、ゆりは釈然としないものを感じていた。
どうも、先ほどまでジーランは竜退治など眼中になかったように思える。なのに、今は不思議と積極的に竜のもとへ行こうとしているのだ。
釈然としない、といえば笠椎に対する態度もそうだ。なぜか急に冷淡になったように見えた。
少し口をとがらせて横を見ると、やはり怪訝そうな表情の笠椎と目が合う。
「行く?」
「う……うん……」
前を見ると、もうジーランの姿は見えない。ゆり達は、あわてて目の前の茂みをかき分け、山を登り始めた。
*** *** *** ***
「あれが……黄金竜……?」
そう言ったきり、ゆりは言葉を失った。
黄金の竜・クランケン・シュヴェステルは、岩山の頂上付近、小さな盆地のようになった場所でくつろいでいた。不思議なことに、荒涼とした岩山に囲まれているにもかかわらず、彼のいる盆地だけは、緑の草原が広がっていた。
結局、野宿しながら二日かかってたどり着いたミワイ山は、最初に聞いていた通りの峻険な岩山であった。だが、奇妙なことに、あれからモンスターには一体も出くわしていない。
ほとんど消耗することなくたどり着けたのはありがたかったが、拍子抜けした気分でもあった。
クランケン=シュヴェステルは、いわゆる東洋の竜に近い細長い生物のようであった。
体を丸めているため、全長はよく分からないが、三十メートル以上はあるだろう。どうやら今は、ゆるくとぐろを巻いて眠っているようであった。
その様子からは、あの王様に聞いていたような、凶暴な性質は微塵も感じられない。
しかも巨大な竜が寝そべるすぐ傍には、シカやイノシシといった動物たちや鳥までもが集まっていた。彼らは竜を警戒する様子はまったくなく、草を食んだり、水を飲んだり、穏やかにくつろいでいるように見える。
「……どういうこと?」
「ん……まあ、見たとおりだな。喧嘩さえ売らなきゃ、おとなしい生物なんじゃねえか?」
ゆりが眉根を寄せて問いかけたが、ジーランも少々拍子抜けした様子である。
「でも……魂を吸い取られて、魔物すらいなくなったって言ってませんでしたっけ? アイツを斃さなきゃ、大変なことになるって……」
「『魔物すら』じゃねえ。あの感じ……『魔物だけを駆逐』してんじゃねえか?」
不思議そうに問う笠椎に、ジーランは視線も向けないで答えた。
「しかしあの竜……まさか……」
ジーランが何か言いかけた時、突然、地鳴りが襲ってきた。
「じ……地震⁉」
「違う!! コイツは……魔物だ!!」
ジーランが、剣を抜き放って構えると同時に、黄金竜の周囲の地面が爆発した。
「あれって……前のヤツが追ってきたの?」
出現の仕方は、最初に襲ってきた巨大ダンゴムシと全く同じである。しかし、地面から飛び出してきたのはドーム状の体ではなく、黒く鋭い二本の突起であった。
土煙の量に比してその突起は意外と小さく見えたが、その下からうねるように飛び出した筒状の巨大な体を見て、ゆりは認識を改めた。
二本の突起に挟み込まれた一頭のシカが、胴体を両断され、血飛沫が周囲を染めた。
「酷い……」
二本の突起と見えたのは、胴体の先端に付いた巨大なハサミだったのだ。ゆりは思わず目を背けた。
「キロロロロロロッ!!」
シカの死を見た黄金竜が、細長い体の前半分を持ち上げ、金属音と小鳥のさえずりを合わせたような叫びをあげた。
魚のそれに似た背中のヒレが扇状に広がり、短い前足の爪を振りかざしている。竜は、自分以外の生物の理不尽な死に、明らかに激しい怒りを示していた。
周囲の湿原から、一斉に鳥が飛び立つ。どこにこれほどの数がいたのか、黒雲のように沸き起こった鳥の群れは、渦を巻いて周囲を旋回し始めた。
動物たちも慌てて森へと駆け出し、次々と茂みへ姿を消していく。しかし、たくさんの子を連れたイノシシの一家が、とり残された子イノシシを待って、他の群れよりも遅れた。
一家がようやく森へ達しようとしたその時。
ふいに森の木々がなぎ倒され、またも黒光りするハサミが地を割って現れた。それも、今度は二つである。巨大なハサミの持主は、その身を地中に隠したままハサミを大きく振り上げ、地面に叩きつけた。
一瞬であった。逃げようとしていたイノシシの親子の姿は消え失せ、残ったのは一頭だけ遅れていた子イノシシのみであった。わずかに赤く染まった泥を纏ったハサミが、次の獲物を探すかのように周囲の木々をなぎ倒し始める。
「野郎ッ!!」
叫んだ時にはもう、ジーランは跳んでいた。そして、空中で背中の剣を抜き放ち、黒いハサミの根元へと突き刺す。
一瞬で五十メートル以上の距離を跳んだことになる。明らかに人間離れした身体能力だが、何故かゆりは、それを不思議とは思わなかった。
倒しに来たはずの、黄金竜への恐怖感もない。あったのは、理不尽に生命を奪っていく、モンスターへの怒りだけだった。
「……どうする?」
振り向いてそう言ったが、笠椎は恐怖に目を見開いたまま、戦おうとする様子は見せない。
それどころか、姿勢を低くして後退り、弱々しい声を出した。
「ど……どうって、こんな戦い……僕たちにはとても……」
「何言ってんの⁉ 見てよ、あのモンスター!! ジーラン一人じゃ勝てない!! やられちゃうよ!!」
たしかにそうであった。地中から生えたハサミと戦うジーランは、スピードで相手を撹乱しているが、その攻撃はほとんど通じていないようで、ハサミには傷一つついてはいない。
そのうち、地中からもう一つハサミが現れ、ちょうど剣を振りかぶっていたジーランを、横殴りにした。
ジーランは声も上げずに弾き飛ばされた。そして、そのまま十数メートルは空中を飛び、泥沼の水面に大きな水しぶきを上げる。巨大なハサミはそのまま泥の中をまさぐり、泥まみれのジーランを掴み出した。
「ジーランッ!!」
ゆりは思わず叫んだ。
ジーランの強さと丈夫さは規格外のようだが、あれほどの巨大なハサミに挟まれて、反撃できるとは思えない。
見れば黄金竜も、地中から全身を現した巨大なハサミの主を相手に、苦戦を強いられている。それは、艶のある焦げ茶色の体をした昆虫……ハサミムシの姿をしたモンスターであった。
黄金竜と同等のサイズとみえる巨大ハサミムシは、太い体を弧を描くように曲げ、信じられない速度で鋭いハサミをふるい、何度も突き刺しにきている。
そして、黄金竜がその足元に抱えるようにして守っているのは……先ほど逃げ遅れていた子イノシシであった。
「もう……許せないッ!!」
ゆりの怒りが頂点に達した。
その手に携えた槍を振りかざし、全身を震わせたゆりは、自分の髪の色が急激に変化し始めたことに気づいていなかった。
根元からまるで波打つように、栗色だった髪が深緑に変わっていく。色の変化は一度では終わらず、緑が何度も塗り重ねられ、ゆりの髪は次第に透き通るような璧緑色へと変わっていった。
色の変化につれて、長さも変化していた。肩くらいまでだった髪は、色の波が押し寄せるたびにじわじわと伸び、背中まで達するほどになった。
緑の長い髪をなびかせ、いつの間にか白い薄布を身にまとったゆりは、直立したまま空中を滑るように、ジーランを挟み込んでいる黒いハサミの前に達した。
「ゆり……おまえ……」
ジーランが、目を丸くして絶句する。
変身したその姿は、オリジナルのゼリエルにそっくりであった。ただ、顔だけはゆりのままであり、本来は素手であるはずの手には、槍が握られていた。
「はあっ!!」
気合一閃。
目の前の地面が、まるで包丁ででも切ったかのように裂け、そこから白いねばねばした液体が噴き出した。
ゆりのふるった槍が大地を割り、地中にいた何ものかを真っ二つにしたのだ。
ジーランを挟んでいた黒いハサミは急に力を無くし、地響きを立てて落下した。空中で威嚇していたもう一本のハサミも同じように倒れたところを見ると、どうやら黄金竜を襲っているハサミムシとは違い、二つのハサミを持つ一体のモンスターであったらしい。
「こっちも覚悟なさい!!」
ゆり=ゼリエルは空中で優雅に一回転し、黄金竜と対峙している巨大ハサミムシに槍を投げつけた。槍はまっすぐ飛んで、ハサミムシの尾部を大地に射止める。
剣呑な武器をふるえなくなった、と見るや、黄金竜はその隙を逃さず、口から蒼白い炎を放った。
炎は瞬く間に燃え移り、動けないままもがいているハサミムシを焼き尽くしていく。
高熱で膨れ上がり、奇妙に体をくねらせて、周囲に体液を噴き出しながら絶命していくハサミムシは、何か奇怪なオブジェのように見えた。
「ふう……」
戦いが終わった瞬間、ゆりの変身は一瞬で解け、元の軽鎧姿となって、ふわりと地面に降り立った。
「無茶しやがって……だけど、助かったぜ……」
ジーランは泥まみれの姿で歩み寄ってくると、唯一泥のついていない右拳を前に出した。
「いいってことよ」
ゆりも右拳を出して、ジーランのそれに軽くぶつけた。
黄金竜は、まるで二人を歓迎するかのように頭を低くし、背中のヒレを折りたたんでいる。どうやら、本当にゆりたちと敵対する気はなさそうであった。
「す……すごい……やっぱり沖夜さんは……」
隠れた場所から一歩も動かないまま、笠椎は圧倒された様子でつぶやいていた。