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巨獣黙示録 G  作者: はくたく
第20章 フラグメント
165/184

20-4 賛美歌


「べつに、ついてきてくれなくても良かったんだけど?」


「ご……ごめん。でも、女の子一人で、夜中にそんなとこ行かせるわけにはいかないから……」


 その日の深夜。

 こっそり家を抜け出したゆりは、クラスメイトの笠椎と共に、町外れにある小さな山の麓へ来ていた。


「あんたまさか……ウソついて、人気の無い場所で、私を襲おうッてんじゃないでしょうね?」


「そんな勇気、僕には無いよ」


 前を歩く笠椎は、こちらを振り向かずに答えた。小さく、しかしハッキリとした声である。

 ゆりは、ほっとしていた。べつに、本気で襲われると思っていたわけではない。だが、夜中の外出など初めての経験、しかも、赴く場所は死を願う人々の集う場所だという。友を救うため、勇ましく飛び出してきたはいいが、正直なところ不安で仕方なかったのだ。


「ふ……ふうん。笠椎君って、案外頼もしいんだね」


「僕が?」


 ようやく振り向いた笠椎の顔は、月光の影になって表情は見えない。


“あまり気を許すな。ソイツも、この世界の人間なんだからな”


 話しかけてきたのは、襟元に隠れたスズメバチのジーランである。原理はよく分からないが、どうやらその声は、ゆりにしか聞こえていないらしい。ゆりも声には出さず、思考でジーランに返事をした。


(分かってるって)


 月明かりの照らすコンクリート舗装の道は、蛇行しながら頂上へと続いている。

 市街地に囲まれたその山は、標高百メートル程度。週末には家族連れが訪れる公園もあるのどかな山だ。桜やアジサイが数千本も植えられていて、花の季節には県外からの観光客も来る。

 だが、それは繁華街に面した北東側の面だけのこと。放置状態の雑木林に覆われた南西のエリアは、大きな霊園になっていて、歴史上の人物の墓や古墳もある暗い森だ。霊園の入り口には、古い石切場の跡と言われる洞窟まであった。

 先頭に立って歩く笠椎が向かっているのは、その洞窟のある方向であった。


「ちょ……ちょっと笠椎君? そっちってアレでしょ? 石切場の跡。そんでたしか、二年くらい前に……」


「うん。大きな崩落があったとこだよ。深夜だったから誰もケガはしなかったけど、上にあった墓地が、丸ごと呑み込まれて消えたんだ」


「じゃあ、危ないんじゃないの? 立ち入り禁止だったはずじゃ……」


「そういうことになってるよね。でも、流れている噂は違う。人間は死ななくなった……死ねなくなったけど、ここに行けば、死ねる……いや、存在を消してもらうことができるって……」


 話しているうちに、二人は洞窟の入り口にたどり着いていた。

 そこには、聞いていた通り、立ち入り禁止の看板が立っている。工事現場に置かれているような、赤いプラスチックで出来た三角形が置かれ、黒と黄色で編まれたロープも張り巡らされていた。


(あれ?)


 ゆりは、違和感を感じて立ち止まった。

 命に関わるような危険な場所であるはずなのに、妙におざなりな気がしたのだ。これでは、誰でも普通にまたいで越えられる。興味本位でやって来る者も、いるかもしれない場所なのだ。もっとしっかりとバリケードを組むなり、監視カメラを設置するなり、すべきではないのだろうか。

 ロープの手前で凝固したゆりの隣で、笠椎も立ち止まっている。

 ふと、表情が気になったゆりは、笠椎の方を、そっと横目で盗み見た。


(笠椎君……泣いてる?)


 暗がりで、はっきりとは分からない。だが、うつむいて僅かに肩を震わせている笠椎は、たしかに泣いているように見えた。


(どうしよう……ずっとここにこうしているわけにもいかないし……)


 そう思って立ち尽くしていると、笠椎が唐突に口を開いた。


「僕には……好きな人がいたんだ……」


「好きな人が……いた?……ってまさか……」


「うん。沖夜さんの覚えているっていう……安宅さんだと思う」


「思い出せないの?」


「ああ。思い出せない。でも、どうしてか『好き』って気持ちだけは残っているんだ。ある日突然、心に空洞ができたみたいになった。最初は理由が全く分からなかったんだけど、君と神波さんの言い争いを聞いていて、思い出したんだ。そうだ。僕には好きな人がいたんだってね……」


「そうか。だから……」


「ここなら……僕がどんな人を好きだったのか、思い出せるかもしれない……そう思って来たんだけど……」


 笠椎が案内を買って出てくれた理由に気づいて、ゆりは言葉を失った。立ち入り禁止の真っ暗な穴に向かい、笠椎は肩を震わせている。何と声をかけていいかわからなかったのだ。

 その時。笠椎が突然振り向いた。


「沖夜さん? 何か聞こえないか? ほら、歌っているような声……教会の讃美歌みたいな……」


「そう……言われてみれば……」


 その歌は、地面にぽっかり空いた黒い穴の奥から聞こえてくるようであった。

 何度も反響しているせいか、言葉としては判然としない。讃美歌のように聞こえるのは、伴奏音楽がないことと、重なり合った声が不思議なハーモニーとなっているせいと思われた。

 二人が穴の奥の声に耳を澄ませていると、ふいに後ろから声が掛かった。


「おい、何してる。お前らも死にに来たんじゃねえのか? だったらさっさと先に進めよ。ただのデートだってんなら、こんなとこ来るんじゃねえ。帰れ」


 ゆりが慌てて振り向くと、そこにはよれっとした襟の白いシャツを着た、四十代くらいと思える男が一人、立っていた。


「お前らも……ってことは、おじさん、ここに死にに来たんですか?」


 笠椎が、おずおずと口を開いた。


「ああ。嫁さんに逃げられてから、何一つ上手くいかねえからよ……いやいや、こんなことお前らに言う義理はねえな。先に行かせてもらうぜ?」


 男はそう言うと、仕切りのロープをひょいっとまたいだ。


「あれ!?」


 ゆりと笠椎は、自分の目を疑った。男の姿は、ロープをまたぐと同時に、その場でかき消えてしまったのである。


「笠椎君……見た??」


「ああ。たしかに人が消えた……でも……沖夜さん、今の人、思い出せる?」


「え!? 思い出せないの?」


「うん……服装も、年齢も、男か女かも……こうして話しているうちに、いたのかどうかも曖昧になっていく……」


 ゆりは愕然とした。

 笠椎は男が消えた瞬間から、彼のことをどんどん忘れつつあるらしい。だが、ゆりははっきりと覚えている。服装や物腰だけではない。無気力な目も、ぷんと漂ってきた汗とアルコールの入り混じった臭いまでも。

 ここで人が消えても騒ぎにならない理由が、ようやく分かってきた。たとえ目撃者がいても、すぐに忘れてしまうのだ。

 そして何故か、その法則はゆりにだけは当てはまらないらしい。


「沖夜さん、やっぱり危険だ。早くここを離れた方が――」


 そう言ってゆりの方を見た笠椎は、いきなりゆりの腕をつかんで引っ張った。


「危ないッ!!」


 寸時考え込んでいたゆりは、不意を突かれて足を滑らせ、前のめりに倒れ込んだ。

 次の瞬間。ゆりの耳元を、何かが風を切って通り過ぎる。笠椎は、腕をたぐってゆりを抱きかかえると、そのまま後方へ倒れ込んだ。


「あ……」


 二人が倒れ込むその先には、黒と黄色のロープ。

 先ほど、自棄気味の男が消えていった境界線である。ロープを越える寸前、ゆりは無理矢理首をひねって、後方を見た。


「ええええッ!?」


 思わず叫んでいた。目に入ったのが、暗がりの中で白く輝く刀身だったからだ。

 その剣を握っていたのは、黒ずくめの人物だった。

 顔はよく分からないが、寒い時期でもないのにぴっちり着込んだ丈の長いコートは、あの時、部屋の窓から見えた黒い人影と同じだ。いや、同じ人物に違いない、そうゆりは直感した。

 その人物が持つ細身の剣は真っ直ぐで、時代劇などで見る日本刀のような反りはない。西洋の両刃剣、いわゆるサーベルのようであった。

 さっき耳元で風を切ったのは、この剣に違いない。


(どうして……)


 しかし、そう思った次の瞬間には、ゆりの視界から人物はかき消えていた。

 いや、消えたのは人物だけではない。周囲の景色、すべてが変わっていたのだ。消えたのは自分の方だと気づいた直後、ゆりの意識は遠くなっていった



***     ***    ***    ***



「こ……ここは……」


 頬を撫でていく冷たい風を感じて、ゆりは意識を取り戻した。

 ゆっくりと目を開けると、暗い空が目に映った。どのくらい気を失っていたのかはわからないが、まだ夜は明けていないらしい。周囲を見渡すと、薄暗い視界の中、オレンジ色の光が物の輪郭を浮かび上がらせている。

 どうやら、先ほどの石切り場とは全く違う場所に来てしまったらしいことだけはわかった。そこは、一見して学校のグラウンドのように見えた。地面も校庭と同じく、乾いた固い土である。だが、校庭と決定的に違っていたのは、その周囲が石造りの大きな壁で囲まれていたことである。

 石壁だと分かったのは、壁に沿ってかがり火が等間隔に並んでいたからだ。


「う……いててて」


 ぼうっと周囲を見ているゆりの体の下で、呻き声が聞こえた。


「あ……ごめん、笠椎君。無事?」


「うん……なんとか……って、カサジっての、俺の名前か? あ、そうか。そういやそうか」


 ゆりの下から這い出した笠椎は、体のほこりを払いながら、奇妙な表現で言った。

 気のせいか、口調もざっくばらんなものに変わっている。 


「おい、立てるか?」


 何者かがそう言うと、背後からゆりの腕を優しくつかんで持ち上げる。

 その手に支えられ、ようやく立ち上がったゆりは、あらためて周囲を見渡した。

 今まで気づかなかったが、自分たちのいる場所は、周囲から一段高くなっている。振り返ると、見たこともない異教の祭壇のようなものが、大きな炎でひときわ明るく照らし出されていた。


「何だコレ……いったい……」


 ゆりと同じく立ち上がった笠椎も、そう言ったまま絶句している。


「誰か!! 王をお呼びしろ。此度の勇者様は、なんと三人だぞ!!」


「素晴らしい。これで、王もご安心召されよう」


 見ると、頭から大きな薄い布をかぶったような服装の人々が、いそいそと近づいてくる。

 どうやら布の色で階級分けされているらしく、黄色の布をかぶった年老いた男が、他の色の男に何かと命令しているようだ。

 それ以外の、遠巻きにこちらを見ている人々は、長い槍を持ち、等間隔に整列している所を見ると、兵士、ということのようだ。彼らは、鈍く輝く金属製の鎧を身につけている。


「勇者たちよ‼ よくぞこの地へ参られた!!」


 突然。低く、朗々とした声が響いた。

 途端に、布を纏った人々が、全員同じ方向を向いた。そして、膝を折って頭を垂れ、沈黙する。気づくと、遠巻きの兵士達も同じ方向を向いて、膝を折っている。


「沖夜さん……見て。城の上……」


 笠椎が目配せをした方を見ると、そこには煌びやかな衣装を纏った人物が、バルコニー状になった部分に立ってこちらを見ていた。


「私は、この国の王・イルワドである。さぞ、驚かれていることだろう。勝手に召還したことはお詫びしたい。だが、この世界はどうしてもあなたたちの力が必要なのだ」


 その時。ゆり達の背後から、よく通る若い男の声が王に答えた。


「ほう……俺たちの? どういう事か説明してもらおうか」


 振り向くと、そこには宇宙服のような、銀色のぴったりしたスーツを身にまとった男が立っていた。二十代半ばと見えるその男は、黒髪を肩まで垂らし、瞳を鋭く光らせている。

 初めて見る顔ではあったが、ゆりはその声の響きに、あのスズメバチの思念波と同じものを感じて、思わず口にした。


「あっ……あなた……まさか、ジーラン……?」


「へえ? わかるのか? ま、その話はあとだ」


 銀のスーツの男・ジーランは、にやりとゆりに笑いかけ、すぐに王に向き直った。


「さあ、答えろ。おまえら、俺たちに何をさせようってんだ?」


「う……うむ。実は、ここよりはるか北に位置する魔の巣窟・ミワイ山に、黄金の竜クランケン・シュヴェステルが現れたのだ。ヤツは、命を吸い取って力を得る魔物だ。ミワイ山周辺は魔物すら死に絶え、死の世界と化してしまった。我が国の騎士団もクランケン・シュヴェステルに挑んだが、すべて命を吸い取られ、誰も帰ってはこなかった……」


「まさか、その物騒な魔物を、俺たちに退治しろってんじゃないだろうな?」


「いや、ぜひとも斃してほしいのだ。あなたたち異界の人間の命を、クランケン・シュヴェステルは異物と認識して吸い込めない。だから、必ず勝機はあるはず……」


「……お前らさっき、『今度の勇者は三人』とか言ってやがったな? 俺たちは何人目……いや、何組目だ?」


「ぐ……それは……」


 イルワド王は、言葉を詰まらせた。

 クランケン・シュヴェステルなる竜の魔力は、たしかに異世界人には通用しないのかも知れない。しかし、その能力を抜きにしても、相当強力な敵であるに違いなかった。これまでに召喚された『勇者』たちは、竜に敵わなかったのであろう。


「ふん……そういうことか。まあいい。飯と寝床くらいは用意してあるんだろうな? それと、武器は最上級のヤツを寄越せよ」


「おおお‼ 引き受けてくださるのか⁉ 」


「まだ決めたわけじゃねえ。俺たちのリーダー……この、沖夜ゆり次第だ。こう見えてかなり強えぜ? せいぜい、いい部屋を用意しな!!」


「ええっ⁉ ちょっ……ちが……」


「かしこまってござる‼」


 いきなり妙な紹介をされ、慌てて否定しようとしたゆりを無視して、急に周囲があわただしく動き出した。

 三人は、ローブを纏った男たちに恭しく案内されて、巨大な石造りの塔に到着した。塔の中は広々とした空間になっており、敷き詰められた赤い絨毯の上にはイスとテーブルが並べられ、食事の用意もされている。ベランダのある大きな窓際には、吊り天蓋のついた豪華なベッドも三つ揃っていた。


「へえ。ケチくさそうな王だったが、客間はなかなか豪華じゃねえか……うお、酸っぱいなコレ」


 ジーランは、テーブルの上から見たこともない真っ赤な果物をとると、一口かじり、豪華な革張りの長椅子に寝転んだ。


「あの……沖夜さん……知ってる人?」


 笠椎がおずおずと聞く。

 異世界の住人達からどう見えたかはわからないが、宇宙SFモノの登場人物のような出で立ちのジーランに対し、ジャージ姿の笠椎、トレーナーにジーパン姿のゆりは、ファッションも年齢もあまりにかけ離れて異質だ。


「う……うん。ていうか……人じゃないかも、だけど」


「え? まさか……宇宙人?」


 真顔で問い返した笠椎に、ジーランが吹き出した。


「ぶわっはっは。そんな変わったもんじゃねえよ。俺は人間だ。一応な」


「だだ……だってあなた、スズメバチだったじゃん……」


 そう言い出したゆりをからかうように、ジーランは手をひらひらと振った。


「ま、あの世界では、な。もともとは人間なんだよ。どういうことか、分かれっつっても無理だろうけどな」


「待って。てことは、まさかあのムカデも……」


「隊長か? もちろん人間だ。まあ、そんなことより方針を決めようぜ。どうするリーダー? あの王様の言う通り、ナントカって竜と戦うか? それともバックレるか?」


「かか……勝手にリーダーにしないで!! ていうか、あんたの方が年上っぽいし、あんたが決めなさいよ!!」


 真っ赤になって叫んだゆりを見て、ジーランはまた吹き出した。


「ははは。そうムキになるなよ。だけど、俺たちには、実はそんなに選択肢はねえんだ。なあ、空を見てみな」


「空?」


「うわわわ!! 何だよアレ⁉ 巨人⁉」


 窓際に一番近かった笠椎が、驚きの声をあげた。

 しかし、ゆりにとってはもはや見慣れた風景の一部と化した空である。驚くというよりは、少し意外そうな表情でジーランに言った。


「あれって、咲良じゃない。この世界の空にも見えるもんなの?」


「そうだ。あれが見えるってことはつまり、この世界も、さっきまでの世界も、同じ性質のものってことだ」


「え……? てことはつまり……」


「ああ。前にも言ったろう? 七人の仲間を集めて、世界をぶち壊す……このミッションは変わらねえんだ」


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