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巨獣黙示録 G  作者: はくたく
第20章 フラグメント
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20-2 イノセンス



 私鉄の駅から学校までの道は、登校中の学生や、勤務先へ急ぐスーツ姿であふれていた。

 本来は交通量の多い路地だが、朝のこの時間は歩行者優先で、車は通れないのだ。

 人の波に混じってフラフラと歩いていたゆりは、クラスメイト達に声をかけられて振り向いた。


「おはよーゆり……って、なにその顔? もしかして、寝てないとか?」


「う゛……うん……」


 言われなくても、自分の顔がひどい状態なのは知っていた。

 勉強を中断してベッドに潜り込んだものの、あの黒い影が窓から忍び込んできたりしないかと、朝までまんじりともせず過ごしてしまったのだ。

 何事もなかったのは良かったが、こうなるとあの影まで気のせいだったように思えて、家族にも相談出来ずに家を出てきたのである。


「ゆりは医学部志望だっけ? 一年から進路決めてるなんて凄いよ。ホント頑張るよね~。あたしにはマネ出来ないなあ」


「どーせ死んだりしないからって、何日も徹夜したりしちゃダメだよぉ?」


「何言ってんの。いくらあたしだって、何日も徹夜したら死んじゃうよ……って、みんな、どしたの?」


 何気なく言い返したゆりは、周囲の友人達の驚いたような顔に気づき、きょとんとした顔で問い返した。


「ゆり、まさか知らないの? 人間って、もう死なないんだよ?」


「ネタよネタ。ネタに決まってんじゃん。でも、ゆり、それあんま面白くない」


「ね……ネタって? 何言ってんの? 生きてんだから、死ぬこともあるでしょ??」


「それガチで言ってる? 知らない人ってマジ?」


「ま、別にいーんじゃん? 知ってても知らなくても、死なないことには変わりないわけだし」


「それもそっか。そういえばさ、今日の数学、二時間連続ってダルくない?」


 クラスメイト達は興味を失ったように、もう違う話題に突入してしまっていた。


(え?……死なないって……どういうこと??)


 何となくその場に立ち尽くしたゆりは、歩き去る友人達の後ろ姿をぼんやりと見送った。



***    ***   ***   ***



「きゃあっ!? 何この虫ッ!!」


「やだキモッ!!」


 昼休み。

 中庭でお弁当を広げていたゆりは、芝生の向こう側で聞こえた叫び声の方へ、思わず視線を向けた。


「あっぶねえ!! コイツ、毒あんじゃね?」


「さわるな!! 俺がツブしてやっから」


 悲鳴を上げた女子たちに、いいところでも見せようというのだろうか。

 数人の男子が、内履きを手にして、芝生の上を逃げる何かを追ってくる。しかし、結構な速さで逃げている様子のその『何か』は、男子であっても近寄りがたい生き物なのだろう。

 後を追う男子達の腰はかなり引けていて、あれではとても仕留められそうにない、と誰の目にも分かる。そんなことを思いながら、ぼうっと様子を見ていたゆりに、内履きを手にした男子の一人が声をかけた。


「おいお前!! 危ねえって!!」


 いつの間にか、その『逃げる何か』は、ゆりのすぐそばにまで近づいてきていたのだ。

 丈の伸びた芝の隙間から見えたその生物は、数え切れない脚をうねるように波打たせ、赤褐色の頭部に生えた触覚をピラピラと震わせながら、芝生の中を右に左に逃げ惑っている。


「あ、うん。これ……アレだね。トビズムカデだ」


 自然に、その生き物の名前が口を突いた。

 全長十五センチはあるだろうか。見たこともない大きさの個体ではあるが、ムカデは初めて見たわけでもない。そのせいか、ゆりは不思議と恐怖を感じなかった。ムカデどころか、いわゆる虫と呼ばれるもの全般は、苦手な方であったはずなのに、である。


「ゆり? あ、あああ……あんた、平気なの!?」


 振り向くと、クラスメイトが自分達の弁当箱を持って、数メートルも後退ってこちらを見ている。


「あ……うん。割と平気みたい……ねえあんたたち、この子殺すの、やめときなよ」


 ゆりは、内履きを持ったまま、遠巻きにしている男子達にそう言うと、自分の弁当を包んでいた風呂敷を広げ、その上にムカデを誘った。

 ムカデはピンク色の風呂敷に乗ると、不思議なことに走るのをやめて、そこに落ち着いたように見えた。ゆりは風呂敷を持ち上げると、渡り廊下の下をくぐり、外に面したツツジの植え込みに風呂敷を置いた。

 もう逃げられることに、まだ気づいていないのか、ムカデは触覚を震わせながらこちらを向いた。


「そういうの、ガチでやめてよゆりッ!! キモすぎるよ!!」


 そう言いながらも、友人達はゆりの後を恐る恐るついてくる。その他の生徒達も、二十人以上が遠巻きにしてついて来た。

 その中の一人の男子生徒が、たまりかねた様子で言った。


「なあ、毒持ってんだろ? それ。殺さなくちゃダメだろ」


 先ほど、芝生を追ってきていた男子のうちの一人なのだろう。手にはまだ、内履きを握りしめたままである。


「なんで? 誰かが噛まれたとかってんじゃないし、昔からこの辺に住んでた、普通の生き物だよ?」


 つい、口調がキツくなった。何故かは分からないが、彼らの態度に頭にきている自分がいるのが分かる。

 毒を持っているから殺す?

 それは、彼らに生まれついての、単なる要素に過ぎないのではないか。じゃあ、飛べるからチョウを殺すのか? ウロコがあるから魚を殺すのか?

 人間が死ななくなっている、というのが本当なのか、クラスメイト達の冗談なのかは、分からない。だが、仮に人間が死なないからといって、他の生き物の命を、意味なく奪っていいわけはない。

 このムカデのような毒虫でなくとも、目についた虫を理由無くたたきつぶすような人間には、これまでにも会ったことがある。何度かそういう場面にも出くわしたし、そこまでしなくとも、と思っていたのは事実だが、その時は、ここまで腹は立たなかった様に思う。

 だが、今はどうしてか、学校での今後の人間関係よりも、この一匹のムカデの命の方が大事に思えるのだ。


「あんたのせいでハブられるようになったら……これからの高校生活、地獄かもね。ちゃんと責任とりなさいよ」


 誰にも聞こえないように、息だけでそう呟いて風呂敷を振ると、ツツジの茂みに落ちたムカデは、枝の上に乗ってこちらを向いた。


“了解した。感謝する”


 突然、頭の中にそういう声が聞こえ、ゆりは思わず声を上げた。


「へっ!?」


「どど……どしたのゆり? まさか、どっか刺された?」


 心配そうに声を上げたのは、先ほどまで一緒に弁当を食べていた友人である。


「ううん。大丈夫」


 ゆりは頭を振って微笑んだ。

 友人達の視線には、わずかに恐怖が残っているものの、ゆりを蔑んだり、嫌ったりする様子はまるでない。少し、心配性に過ぎたようだ。


(人間が死なないって……ホントなのかな?)


 ふと、そう思う。いつそうなったのかは、本当に分からない。だがもし、いつの間にか人が死を超越してしまったのだとしたら、毒虫を恐れる理由など無いように思ったからだ。

 だが、それをここで口にすると、余計に周囲に不審がられるだろうと思うと、ゆりは何も言えなかった。


(そうか。新聞……)


 その時、ようやくゆりは思いついた。

 新聞の地方欄には、亡くなった人へのおくやみコーナーがあった。それ以外にも、死亡事故や有名人の訃報も載っているはず。それを見れば、人が死なないなどというのが友人達の冗談だと、すぐに分かるはずであった。



 放課後、ゆりは家に帰るまで我慢しきれず、帰路にある一軒のコンビニに飛び込んだ。そして新聞を一部買い、公園のベンチでそれを広げたのだ。


(……ない。おくやみ欄も、死亡事故の記事も……)


 それどころか、内戦や爆弾テロなど物騒な事件の記事にも、負傷者数は書かれていても、死者数は報じられていない。

 ゆりの背筋に、冷たいものが走った。

 人が死なない、ということは、悲しむ人がいないということだ。それはつまり、喜ぶべきことのはずではないのか。

 しかし、この違和感……いや恐怖感は何だろう。『死なない』ということは、何をやってもいい、ということになるのではないか。そんな風に思ったのだ。

 そして、それを証明するかのように、TV欄や地方欄の見出しには、一線を越えたとしか思えない見出しが躍っていた。


『危険運転が原因で口論。相手の顔面を傘で滅多刺し』


『母親が二ヶ月放置。ミイラ状態になった乳児が保護。なんと体重は十分の一』


『日本海を泳いで渡ろうとした高校生、二週間後に救出』


 どれも、まるで笑えない冗談のようだ。だが、命の危険が無いとなると、これより程度の軽い事件は記事にする価値もないのかも知れない。

 であれば、これらの事件の影に隠れている、事件にもなっていない現実の中で、どれほどの苦痛と恐怖が生み出されているのだろうか。

 そういえば、ゆりが目指している医師の仕事はどうなるのか? 誰も死なない世界で、病を治す職業に、何か意味があるのだろうか?


「こんなのおかしいよ……まるで、別の世界に来ちゃったみたいじゃん……」


 わけが分からなくなって頭を抱え込んだゆりに、突然、何者かが話しかけた。


“たしかに、この社会は普通じゃあないみたいだな。ただお前も、何で新聞なんか買う前に、スマートデバイスで検索しないのか、不思議だけどな”


「へひっ!?」


 思わず漏れた奇妙な声。

 ムカデに話しかけられた時よりも、更に間抜けな声を発した自分自身に、さらに驚いたゆりは、あやうくベンチからずり落ちそうになった。


“おっと。驚かせてすまん。つっても、なかなかあんたが一人になってくれなかったんだから、仕方ねえよ”


「だ……誰? どこから話しかけてるの?」


“俺はここだよ”


 その瞬間。ブゥンと鈍く空気を叩く音がした。

 近い。その羽音に聞き覚えのあったゆりは、また声を上げた。


「きゃっ!! ハハ……ハチ!?」


“まあ、そうだ”


 ベンチ横のプラタナス。

 その太い幹に、逆さまにとまって、こちらを見ていたのは五センチ以上はあると思われるハチだった。カチカチと鳴らす大顎。黒と黄色の縞模様。凶悪な形の複眼。


「お……オオスズメバチ……が、しゃべった?」


“沖夜ゆり……だな? あんたに、このおかしな世界をぶっ壊してもらいたい”



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