18-6 君の昔を
突然、紀久子の体が強く左に押された。
もし、Gブレイナーのコクピット内が緩衝液で満たされていなければ、体ごと壁に叩きつけられていただろう。
続けて襲ってきた衝撃音とともに、今度は逆向きの慣性力が紀久子を襲う。
何ものかの攻撃を受けているのだ。
警報は一切働かなかった。相手は、Gドラゴニックのセンサーの感度を超える超高速で接近してきたか、その場に突然現れたかのどちらかに違いない。
そう思ってGドラゴニックを相手のいる方向へ向けた紀久子は、思わず呻いていた。
「ティギエル……っ!!」
そこには、黄金の戦女神の姿があった。
光が波打つような翼を大きく広げ、黄金に輝く西洋風の鎧の下には、白く透き通るような布状の衣類が見える。さらにその隙間から垣間見える滑らかな素肌は、銀と肌色を混ぜたような不思議な色合いであった。
鳥の羽を模したような兜の下からは、緩やかなウェーブの掛かった髪が長く伸び、眠るように閉じた目が、Gドラゴニックを正面に捉えている。
その姿は、最初に現れた時とまったく同じようであった。
「咲良…………その中にいるの?」
予想していた。そして予告されていたこととはいえ、いざ目の当たりにすると声が震える。
その声に、モニター上の天使が勝ち誇ったように言葉をかぶせてきた。
『その通りだ。さっきも言っただろう?』
傲慢な響きを帯びたその声を無視して、紀久子はGドラゴニックに指令を出した。
「重粒子砲、AAM、その他全兵装ロック解除。Gドラゴニック、飛行モードから戦闘モードに移行」
紀久子の声を受けて、Gドラゴニックのメカニック部分が展開した。四肢からは、小型ミサイルランチャーが、肩や腹部からはいくつもの砲門が顔を出し、照準をティギエルにセットする。
『貴様……自分の娘を殺すというのか?』
驚いたような声を発したモニター上の天使に、ちらと目をやって紀久子は言った
「相手が誰でも関係ない。私はGドラゴニックで、北米のグレイ・グーを止める。邪魔をする相手に手こずっている時間も、容赦している余裕もないから」
『ふむ……地球人が、血族への情愛がこれほど薄いとはな。我々のリサーチが足りなかったようだ。それとも、お前という個体の情愛が薄いだけかな?』
皮肉を言ったつもりなのだろうか。天使の美貌が、モニター内で醜く歪む。
どうやら、ティギエルを前にして手も足も出せないGドラゴニックの姿を想像していたらしい。
「私は、咲良に恥ずかしくない自分でありたいだけ。どのみち、この天使の体は二万人の人間でできてるんでしょ? 赤の他人となら戦えて、自分の娘が混じってると戦えないなんて、卑怯じゃない。それこそ、咲良に笑われちゃうからね」
そう言い放つと、紀久子は通信機のスイッチをあっさり切った。
画面から憮然とした表情の天使が消えると、正面モニターに映し出されたティギエルをきっと見据える。
雑音を気にして戦える相手ではない。相手は、ニセモノとはいえあのGを一蹴した怪物なのだ。
見回すと、Gドラゴニックが墜落した場所は砂浜の広がる海岸であった。
湘南である。基地からいくらも飛ばないうちに落とされたのは分かっていたが、あの一瞬で、逆方向に数キロもはじき飛ばされていたとは思わなかった。
巨大なGドラゴニックは、膝下くらいまで海水に浸かって海に立ち、それより一回り小さく華奢なティギエルは、重力を無視して水面に降り立った。
一見すれば、巨大な竜に立ち向かう女騎士に見えるだろう。
「嫌な構図ね。こっちが悪役みたいじゃない」
つぶやいて、紀久子はざっと制御機器に目を走らせた。
衝撃は大きかったが、Gドラゴニックのバイタル情報にも、機械系コンディションにも、異常値は見当たらない。向こうにしても小手調べといったところなのだろう。
Gドラゴニックはわずかに姿勢を低くし、脇を締めて、両腕で喉と心臓を守る姿勢を取った。背に生えた骨翼が、蒼白く輝きを増す。
対する戦女神は、周囲に二体の戦闘機様のオプション兵器を漂わせ、その手にはすでに、黄金の両刃剣が握られていた。
「咲良。ごめんね。手加減はしないけど、信じてる。あなたの心を。あなたを守るその力を」
そう呟くと紀久子は、Gドラゴニックをティギエルに向かって真っ直ぐ突進させた。
*** *** *** ***
一時間ほど前。
バイクで生命科学研究所に向かっていた際に、紀久子は東宮から意外な事実を聞かされていた。
「豊川ってやつの正体……言いそびれていたよな。結論から言えば、アイツは俺のオリジナルだ」
言いにくそうに伝えた東宮の背中は、バイクの振動を差し引いても、かすかに震えているように思った。
「え……!? 彼が東宮先輩って……だって、少しも似てないよ? 年齢だって……」
紀久子は驚いて言った。
たしかに、豊川の能力は常人のそれではない。しかし、咲良やヨッコの例でも分かるとおり、オリジナルとコピーは、見た目だけでなく遺伝的特徴や後天的なケガまでそっくり同じなのだ。それどころか服装や髪型までも再現されている。
東宮と豊川の顔つきはまるで違うし、中肉中背の東宮に比べて、手足の長い豊川はすらりとした印象がある。天使によるコピーが物理的な複製であるとすれば、このような差が生じる理由は無いはずだった。
「……二十年前。俺はクェルクスにダイブした際に、自分自身を構成する情報の多くを失い、個体としての自我を保てなくなった。だけどもう、やるべきことは終えたと思ったからな。クェルクスの中で永遠に眠ろうとしたんだ」
東宮は、ゆっくりとした口調で話し始めた。
紀久子は言葉を失っている。
シュラインと東宮の最後の会話を聞いていた者はいなかったが、彼らが巨大植物・クェルクスに融合して消えた痕跡はしっかりと残っており、その状況から二人はクェルクスと同化したものとされていた。ゆえに、そこから先のことは誰も知るはずのない出来事だった。
「意識を閉ざし、完全に眠ろうとする寸前、シュライン……様が、瓦礫に埋もれた一人の少年を見つけたんだ。東京はあんな有様だったから、どこも死体だらけだったけれど、その子だけはかろうじて生きていた。ただ、損傷がひどくてね。なんとか助けようとしたんだが、その子の持っていたバイオマスと生命力だけでは足りなかったのさ」
「……まさか」
「そうだ。シュライン様がその力で、俺に残されていたバイオマスと生命力を使ってその子を補完した。俺の記憶や自我を同時に移植したのは、シュライン様なりの気遣いだったんだと思う。人間の姿を保てなくなっていた俺を、哀れんでくれていたからな」
「つまり……それが、豊川さんがあなたのオリジナルだっていう意味……」
「ああ。天使が豊川を複製しにかかった時、たぶんそれが理由でバグった。そして、アイツの複製は出来上がらず、俺が出来ちまった。こんなおかしな成り立ちの人間は他にいないからな」
「パニックになった時、豊川さんは自分のスマートデバイスを破壊したらしいけど、もしかすると、それもあるかも」
つまり、複製の途中でデバイスが破壊されて止められたということになる。そのために、その時点の情報で復活させられた結果かも知れなかった。
「なるほど。そうかも知れないな」
「でも、なんで今、このことを、それも私にだけ?」
「あいつは……豊川は、君の娘、咲良ちゃんのことが好きみたいだ。申し訳ないとは思っているが、自分のこととはいえ今は別の人間だ。俺に止められるもんでもないんだ。謝らなくちゃと思っていた」
「なんだ……そんなこと」
紀久子のホッとしたような声を聞いて、東宮は驚いたようだった。
「そんなこと……って、心配じゃないのか? 今は封じられているとはいえ、俺の記憶と自我を受け継いだヤツだぞ? 君の娘を悲しませるかも……」
「でも、豊川君の元の姿は、その瀕死だった男の子なんでしょ? あなた自身っていうより、彼はあなたの息子みたいなものだと思う。それに、誰を選ぶか、どんな生き方をするか、すべて自分の責任。私は咲良をそういうふうに育てたつもりだし、それは守里さんも同じ。たぶん、もう彼らのことを認めてると思う」
「守里も? でも、アイツは……」
高千穂守里が、すでにこの世にいないことは、東宮も知っていた。
「キングとシーザーには、守里さんの意思が受け継がれているみたいなの。もし、豊川君がいい加減な気持ちだって判断してたら、あんなに彼の言うことは聞かないんじゃないかな」
「豊川を……俺を信じてくれるってのか?」
それを聞いた紀久子は、小さく笑った。
「友人を信じるのは当たり前でしょ」
「すまない。そしてありがとう。これで、俺は心置きなく戦える」
「東宮先輩…………何をする気?」
「君がGドラゴニックを出せば、おそらくヤツらは天使を顕現させるだろう。それも人質として、複製の咲良ちゃん達を取り込んで。だが、その時は俺も天使の中にいる。そして君の娘を守る」
「あ……そうか」
紀久子は、はっとした。
ティギエルが機動兵器を沈黙させた時、東宮はティギエルに融合しなかった。通信機器を持たずに、研究所の独居施設に収容されていた東宮は、ティギエルに呼ばれなかったのだ。だが、通信機器さえあれば、東宮は否応なしに天使と融合することになる。
「だから、心配せずに思い切り戦え。俺の中にシュライン細胞があることを、おそらくヤツらは知らない。Gドラゴニックとの戦闘ダメージは、逆にチャンスだ。生体電磁波能力と細胞侵食の力をフルに使って、俺はティギエルを乗っ取る」
「出来るの?」
「やるさ。そして、それがたぶん、人類と天使との戦いのゴングになる……」
「わかった……でも、約束して。二十年前みたいに、自分を犠牲にしてまで戦わないで。必ず生きて、咲良たちと一緒に帰ってきて……って、何笑ってんの?」
紀久子は、怪訝そうに聞いた。バイクのハンドルを握る東宮の背中が揺れ始めたからだ。
「……思わず勘違いしそうだったからさ。そういうセリフは、好きな男に言うもんだ」
「あ……」
ヘルメットからわずかにのぞく紀久子の頬が、さっと赤く染まる。
「伏見明…………な。アイツは必ず帰ってくる。信じてやれ」
*** *** *** ***
骨状の翼が光の粒を後方へ噴き出し、Gドラゴニックは海面を滑るように移動してティギエルの正面に立った。
これみよがしに遠距離砲撃の準備をしておいての接近戦である。
黄金の戦女神は、目に見えてたじろいだ。
ほとんど一瞬で距離を詰められたティギエルは、振りかざした剣を振るう暇も無く、防御の姿勢を取った。腕か何かによる打撃が来ると判断したのであろう。
だが、紀久子が選んだ兵器はなんと両腕の大型ミサイルであった。
二発のミサイルがティギエルの頭部をとらえ、爆炎が黄金の上半身を包み込む。
轟音と黒煙が渦を巻いて広がり、Gドラゴニックの姿までも覆い隠していった。その黒煙の中から先に飛び出してきたのは、黄金の天使であった。
いや、飛び出したというより衝撃ではじき飛ばされたと言った方が良いだろう。両腕をクロスさせて防御の姿勢をとり、バランスを崩したまま宙を滑っていく。そのティギエルを追って、銀の竜が黒煙の塊から飛び出した。
一瞬で上方に回り込み、至近距離から、粒子熱線をフルパワーで叩き込む。天使は海面に叩きつけられ、白煙を上げて海中に没した。
この一瞬の攻防はどうやら、Gドラゴニックの勝利のようだった。
「咲良……東宮先輩……死なないでね」
紀久子は思わず呟いていた。むろん、止めを刺すつもりなど最初から無い。
圧倒的な火力で制圧し、ティギエル本体を破壊せずに行動不能にしたかったのだ。
泡立つ海底からティギエルが浮かんでこないのを確認し、紀久子はGドラゴニックを飛行モードへと変化させた。
目的地を北アメリカにセットする。東宮や咲良のことは心配だが、生命を侵食するグレイ・グーを、一刻も早く止めねばならない。その視線を西へ向けた紀久子は息を呑んで凝固した。
「……よっぽど、グレイ・グーを止められたくないみたいね……」
そう呟いて、下唇を噛む。
薄く雲のかかったおぼろな水平線に、いくつかの人影が立っていたのだ。
水平線に立てるほどの巨大な人影である。
そのどれもが、若い女性のシルエットを持っていた。
中国、ドイツ、フランス、アメリカ、ロシアに現れた、ティギエル以外の五体の天使であった。