17-10 ナノマシン
「あれは……天使……ッ!?」
広藤の言う通りだった。
豊かな巻き毛の金髪。柔和な笑みをたたえたその顔は、鼻筋が通り、黒目がちの大きな目は慈愛に満ちていた。そして均整のとれたプロポーション。女性とも男性とも付かない美しさを持つその存在は、巨獣を撃退した六大天使とは違って、奇妙に生物的な存在に見えた。そこにいる誰も知らなかったが、それは以前、羽田の前に現れた、そして各国首脳の前に現れたのと同じ天使の姿をしていた。
画面上の出演者達は、お互いのケンカも忘れて凍り付き、神々しさに打たれたように輝く等身大の天使を見つめている。
「何しに出てきやがったんだ? あいつ? アレが黒幕ってワケか?」
豊川が大した感動もなさげに言う。
その目は鋭く細められ、天使の神々しさにも、慈愛に満ちた表情にも、まったく惑わされていない。
「たぶん、降伏勧告。どうしても、Gドラゴニックが邪魔なんだよ」
紀久子の表情も険しい。
愛娘を殺されそうになり、複製人間を作られたことも信用出来ない理由の一つだが、伏見明ではないGを創り出して街を襲わせたことに、彼女は何よりも憤っていたのだ。
TV画面の天使は、スタジオで神の代理人を名乗ると、Gドラゴニックを引き渡すよう再度勧告した。
その口調は柔らかく、言葉も丁寧であった。しかし、内容は有無を言わせぬほど厳しい。
いわく、Gドラゴニックは生体と機械を融合するという、神に背く所行によって生み出された存在であり、それを庇護しようとする日本という国もまた、神に背く行為をしているというのだ。そして、恐竜の顕現は序の口で、これからもっと悲惨な災厄が日本を襲うと告げた。
天使が恐竜を用いた理由については、すでにあらゆる生命のデータを取り終え、すでに亡くなった人々を含め、いつでも再生が可能だということを理解させるためだと説明もした。
「ワケわかんねえな。それでなんでテレビ局なんだ? 目立ちてえのか?」
そう言って口を尖らせた豊川に、広藤が苦笑いを返した。
「世論誘導のためだろうな。たぶん天使は、この局だけじゃなく、全てのマスコミに姿を現してるんじゃないか? 首相官邸や国会なんかにも、当然出てきてる……だろうな」
あきらめにも似た表情で呟いた広藤は、頭の中でこれまでのことを整理していた。
天使は、確実に手を進めてきている。最初は、機動兵器も手に負えない巨獣を斃すことで、圧倒的な力を見せつけた。そしてその際に多くの人間を消し去り、代わりに記憶を植え付けた複製人間を送り込むことで、世論を巧みに誘導した。次に羽田司令を陥れ、機動兵器を暴走させることで、MCMOへの不安と不満を煽り、その機動兵器を鎮圧することで、天使を人類の救済者のように演出したのだ。
さらには謎の黒塵で死への恐怖を煽り、ネット上にタロットたちを再生することで救いの手をさしのべて見せ、恐竜の再生で天使の力が万能であると意識づけた。
「世論誘導、か。たしかに連中、人間社会の仕組みを徹底的に利用しようってスタンスだ。少々あざとすぎるくらいにな……」
広藤の言葉に豊川が頷いた。
それが正解である証拠に、さほど間を置かず、小さな画面上にSNS上の意見が表示され始めた。その内容は、政府判断に対する批判と、Gドラゴニックを天使に引き渡すようMCMOに迫るべきとするものがほとんどである。
そして、その数はどんどん増え続けていくようだった。
「そう。そしてヤツらが次にやるのは、今回の恐竜による犠牲者の復活をにおわせることだろう」
そう付け加えた広藤に、咲良たちは不安そうな目を向けた。
「広藤さん。もし、天使の思惑通りGドラゴニックの無力化が成功したら、日本もあの黒い塵に覆われるの? ねえ、お母さん? 私は大丈夫なのかな? 私も複製人間なんでしょう? もしかして私も、タロット大統領みたいに塵になっちゃうんじゃないかな……」
怯えた表情でしゃがみ込んだコピーの咲良の肩を、そっと抱いて立ち上がらせた紀久子は、優しく微笑んで首を振った。
「咲良、気休めを言うつもりはないよ。絶対安心して、なんて無責任なことも言えない。でも、あの黒い塵の正体がお母さんの予測通りのモノだとしたら、たぶんあなたは塵になったりしない。そして、天使が恐れているのは、Gドラゴニックの戦闘力なんかじゃなくて、G幹細胞を使った能力の方だと思う」
「G幹細胞の能力?」
「うん。今、アメリカ大陸を襲っているあの黒い塵……たぶん、グレイ・グーなんだよ」
「ぐれいぐー?? それ何?」
聞き慣れない言葉に、コピーの咲良は泣くことも忘れて目を白黒させた。
「それ、知ってます」
そう言ったのは広藤だ。
「『グレイ・グー』。自己増殖機能が暴走した、ナノマシン群集のことですね?」
「そう。グレイ・グーは、自己増殖機能を持たせた医療用ナノマシンが、システムエラーを起こした場合、人間も生物もすべて取り込んで増殖し続け、地球を埋め尽くす、とされているもの。どんな隙間からでも入り込み、病原体のようにあらゆるものに感染して、地上のすべての有機体をナノマシン自身に変換していってしまう……」
「……怖い……もうナノマシンはいろんなとこで使われているのに、そんな話、聞いたことなかった……」
オリジナルのヨッコが怯えた表情で自分の肩を抱いた。
防ぎようがないナノマシンの暴走。その恐怖が、もしかすると現実となっているかも知れないのだ。
「でも……あの塵は、本当の意味でのグレイ・グーとは性質が違う。グレイ・グーなら計算上、地球を埋め尽くすのに数時間って言われてるけど、今、北アメリカを襲っている塵の侵食速度は、それに比べるとかなり遅い……暴走っていうよりも、天使がコントロールしている可能性が高いと思う」
「コントロール? つまり、制御下にあるナノマシン兵器ってことなのか?」
兵器にしては、あまりにも無差別すぎる。そう思ったのか、東宮は怪訝そうな顔をしている。
「コントロール下にあるとしても、最大の能力を発揮していると考えていいと思う。そしてその制御方法は、社会性昆虫を模した疑似カースト制なんじゃないかな」
それを聞いて、思わず手を打ったのは広藤だった。
「なるほどすごい。女王、ワーカー、ソルジャ-というふうに、役割分担させるわけですか。少数のターミナル個体である女王が、働きアリタイプや兵隊アリタイプの自己増殖能力の無いナノマシンを造り出して働かせる。女王にも自己複製さえさせなければ、暴走の危険はなくなるし、増殖速度も抑えられる……そうか。最初の個体……異常な不死の体を持つ、タロット大統領を構成していたナノマシンだけが女王になると考えれば、その他の複製人間……咲良ちゃんや東宮さんが塵になることは無い。でも、松尾所長。それがどうして、天使がGドラゴニックを恐れることに繋がるんですか?」
「私は、Gドラゴニックを悪用されないために、三つの対策を立てた。一つ目は、DNA認証式の搭乗型操縦システムを極秘に作ったこと、二つ目が、生体由来のアンチナノマシン器官による、ナノマシン制御能力の付加なの」
「……アンチナノマシン器官……それって?」
「サイボーグ細胞……とでも言えばいいのかな。タンパク質や核酸で作ったシステムを組み込んだ、細胞で出来た顕微鏡レベルの工場みたいなもの。生体由来の疑似ナノマシンや、アンチナノマシン物質を作り出して、ナノマシンに機能不全を起こさせることがその機能。これも、不死のG幹細胞あってこその技術だけどね」
たしかに、不死でかつ可塑性の高いG幹細胞であるからこそ、ナノレベルの無茶な改造に耐えて機能するのであろう。
「松尾所長……対策の三つ目ってのは? まさか……」
広藤が右手を自分の口に当てた。その目は何か思い当たったように見開かれている。
「G幹細胞と二つの対策技術の、中国とドイツへの技術漏洩です」
「えええっ!? まさか!? 所長が……スパイ行為を!?」
こともなげに言い放った紀久子に、驚きの声を上げたのは豊川だった。
「Gドラゴニックは、使い方を誤れば人類を滅ぼしかねない。どうしても、同等クラス以上の抑止力が、まったく別の組織に必要だったの……それよりも、天使も考えたってことね」
「何がです?」
「恐竜を使ったこと。もし、襲ってきたのが巨獣や小型巨獣なら、天使は巨獣とつるんでいたことになる。この前の戦いは茶番だってバレてしまうよ。機動兵器も同じ。暴走が天使によるものだって言ってるようなもの。でもだからといって、天使そのものが襲ってきたら、なおさら信用を無くす……だから、そのどれでもないものを送り込むしかなかったんだよ。きっと」
「それで、どうして恐竜なんです? 別に病原体でも、核爆発でもいいじゃないですか」
豊川が呆れたような表情で言う。
「恐怖が形になって見えるから、じゃないかな。これは脅迫なんだよ。Gドラゴニックを破壊しろっていう……」
その時。
流しっぱなしだった小さなTV画像から、甲高い電子音が鳴った。緊急ニュースの信号である。
「やっぱり……そうなったか」
広藤が、悔しげに顔をゆがめた。
緊急ニュースは、日本政府とMCMO極東本部が、Gドラゴニックの即時廃棄を決定したとの内容だった。天使側には既に正式にそのことを伝え、二時間後にはGドラゴニックの生体部分への毒物の注入を開始、その後、高出力レーザーによって完全に焼殺する、と伝えていた。
「松尾所長、行きましょう」
「行くって、どこへ?」
ニュースを見るなりすっくと立ち上がり、手をさしのべた豊川に、紀久子は目を丸くして聞き返した。
「その、Gドラゴニックのある場所ッスよ。破壊される前に、Gドラゴニックを起動させて、恐竜の群ごとナノマシン群集をぶっつぶすんス!!」