17-8 帰宅
TV画面では、恐ろしい光景が展開されていた。
次々と人間が塵となって消えていくのだ。それだけではない。虫が、犬が、猫が、鳥が、家畜が、魚が、あらゆる生物が次々に黒い塵となって虚空へ散っていく。
植物はどういう理由からか時間が掛かるようで、動物が消えてから半日以上も経過してから塵となっていったが、どちらにせよ消え失せる運命に変わりはなかった。
アメリカの大地に残っていくのは、完全な無機質と化した都市と乾いた大地だけだったのだ。タロット大統領が消えてから、数十キロ離れた位置から送り込まれた無人撮影機からの映像は、全世界に配信され続けていた。
ワシントンに突如発生した、この生き物の全く存在しないエリアは、国外の有識者達によって『恐怖領域』と名付けられた。恐怖領域は、何ものにも遮られることなく、地形や風、天候にも一切左右されることなく、全く同じ速度でその版図を拡大しつつあったのだ。
フランスのある物理学者は、このまま進めば、三日後には北アメリカ大陸全土をこの領域が覆うであろうと予測した。
塵と化して消え失せていくのは、人間だけではなかったが、ネット上に再生されて喜びの声を上げるのは人間だけであった。ネット上に姿を現した人々は、口々に神を讃え、天使を讃えた。各地の空港や港では、国外への脱出を図る人々が溢れた。しかし、自ら進んで塵になるためにワシントンを目指す者も同じくらいの数存在し、アメリカ国内は混乱を極めていた。
それを見越したかのように、現実の世界から消滅したタロット大統領は、ネット上からいくつもの大統領令を発し始めた。
それは、この消滅現象を神による救済であるとし、天使の力を支持していた。国民の移動を禁じ、国外に逃げ出そうという人々を抑止するものであり、またネット上に『転生』した人格を、生きている個人と認めるものでもあった。
パスワードと個体認証システムを用いて、大統領令の発布に肉筆のサインを必要なしにしたのは、このタロットである。それがまさか、人間としての肉体を持たなくなっても大統領であり続ける道具になるなどとは、誰も想像もつかなかったに違いない。
そしてタロットが予告した十二時間……中国、ドイツ、日本に対する『天罰』の刻限は、あと一時間後に迫っていたのである。
玄関のチャイムが鳴った。
TVをつけたままキッチンのテーブルに突っ伏していた紀久子は、バネ仕掛けの人形のように跳ね上がり、素早くインターホンをとった。
「も……もしもし……? どちらさまですか?」
『あ……あの…………おかあさん?』
「咲良!? 咲良なんだね!?」
流れてきた娘の声に、紀久子は受話器を置くのももどかしく、玄関へと走った。
そして、思い切りドアを開け、目の前の愛しい顔を思い切り抱きしめる。
「何やってたの!? どこ行ってたの!? なんで黙っていなくなったのよ!? デバイスは!? なんで電話してこなかったのよ!?」
矢継ぎ早に質問を投げ続ける紀久子を、聞き覚えのある声が遮った。
「あ……いやあ、所長。そのことでちょっとお話がありまして……」
「広藤君!? あなたが一緒だったの!?……っていうか、あなたたち……何よその格好……」
紀久子は絶句した。
広藤の声を出したのは、派手な緑色のカエルのキャラクターだった。
よく見ると、目の前に立っている数人の男女は、どれも遊園地か何かのイベント用と見える、ぬいぐるみを着込んでいる。腕の中の自分の娘も、ピンク色のぬいぐるみを着込み、頭の後ろにウサギの頭部とおぼしきものをぶら下げていた。
「説明はあと。おかあさん、とにかく中へ入れて!!」
「それはいいけど……えっ!? 咲良!?」
いかにも特撮ヒーローといったヘルメット状の頭部を押し上げて顔を見せたのは、咲良だった。
腕の中のピンク色の咲良と、ヒーローの格好をした咲良を交互に見比べた後、紀久子はゆっくりと膝から崩れ落ちた。
「……だからダメだって言ったでしょ? おかあさん、こういうの免疫無いんだから。理解するのに時間かかると思うよ。SFとか全然読まない人だし」
「だよね~。昔っから、そういうとこあった」
紀久子を寝かせたソファの近くで、咲良たちはヒソヒソと話し合っていた。
「おい咲良、少しあっち行ってろよ。所長が起きたらますます厄介になるだろ」
そう言ってたしなめたのは、有名な悪の組織の大幹部、ナントカ大使の扮装をした豊川だ。豊川はサーバーをいじっている。通信をただ封じるのではなく、偽の信号を発信するようにしているのだ。そうでなくては、天使側に気取られる可能性があると踏んでのことだった。
東宮、広藤の二人も、着ぐるみのまま、協力して高千穂家のネット環境を封鎖しつつあった。
「咲良ってどっちの咲良に言ってんのよ!? いい加減あたしたちに区別付けてよ。分かりにくいでしょ!!」
「この場合は両方だ!! とにかく松尾所長には、お前らがいない状況で説明しないと、またパニック起こすだろうが!!」
「だって、どっちも咲良だもん。お母さんにもそう言うしかないでしょ!! あたしたちがいてもいなくても、説明すんのに違いがあるわけ!?」
「だよねー。やっぱ、自分同士って気が合う」
「あーもうワケわかんないぞお前ら」
豊川は頭を抱えて座り込んだ。
咲良がもう一人の自分と出会ってから、意外にも明るくなったのに反比例して、ますます豊川はくそ真面目になっていくようだ。
「はあああ。だから、いきなりこの家に来るのはまずいって言ったのに……」
そう言って肩をすくめているのは、オリジナルの方のヨッコである。
「それはそうだけど、他にどこにも行きようがないのも、わかるけどね」
そう言って肩をすくめた複製のヨッコと目を合わせ、二人のヨッコは苦笑いした。
「…………で? もしかして、だけど……複製の咲良も、オリジナルの咲良も……無事だったってことでいいの?」
全員が驚いて声のした方に目を向けた。紀久子は、いつの間にかソファの上で目を開けていたのだ。
オリジナルの咲良が目を丸くして問いかけた。
「お……おかあさん、気がついたの? それに、複製って……知ってた?」
紀久子は寝かされていたソファから、ゆっくりと起き上がった。
「スタジアムにいた東宮先輩が複製だっていうなら、あの時、スタジアムに現れた人たちは全部そうなんじゃないか、って考えるのが普通でしょ? そもそも、あんな戦闘があったのに、全員無傷で助かってるなんてことよりは、有り得そうに思う」
「あ、そうか……」
「そうなんだ……」
二人の咲良は一瞬顔を見合わせてから、少し困ったような顔で紀久子を見た。
「あの時……死んじゃったかと思ったよ」
そう言って、正確にオリジナルの咲良を見つめた紀久子に、そこにいた誰もが目を丸くした。
「こっちの咲良もごめんね。お母さんがバカだった。あなたが複製でもオリジナルでも、私の大事な娘であることに、変わりは無いのにね」
そう言って、今度はコピーの咲良に向き直った紀久子に、オリジナルの咲良が問いかけた。
「分かるの? 私たちの違い……」
「うん。分かるよ。ほんの少し、違うもの。たぶん、この一週間、あなたたち二人は違う経験をしたからだと思う。だから、あなたたちは一人の咲良とコピーじゃない。もう、違う二人の人間なんだよ。きっと」
そう言って両手を広げた紀久子は、二人の咲良を同時に引き寄せ、抱きしめた。
「ちぇ。ずりぃな、お前ら」
そう言ってそっぽを向いたのは豊川だ。
豊川はツタンカーメン王のマスクを模したような、悪の大幹部のかぶり物を脱いで、鬱陶しそうに髪をかき上げた。しばらくぶりに見せたその素顔には、何故か憂いの表情が浮かんでいる。
「俺は天涯孤独だからよ……生きてたからって喜んでくれる家族なんていやしねえ」
口をとがらせ、怒ったような口調である。
二人の咲良と紀久子の再会を心から喜んでいることは間違いないようだが、自分の境遇と照らして拗ねているようでもあった。
「豊川君……君はもしかして、第二次巨獣戦争時、東京にいたのか?」
そう問いかけたのは、その横顔をまじまじと見ていた広藤だった。
「はい……たぶん」
悲しげに答えた豊川に、怪訝そうな顔でオリジナルのヨッコが聞いた。
「たぶん……って……?」
「瓦礫の街を一人で彷徨っているところを、養父母に拾われたんだ。行方不明になった孫を探している時だったらしくてな……それ以前の記憶は無い」
第二次巨獣大戦で行方不明になった人のほとんどは、死体すら見つかっていない。
建造物の倒壊に巻き込まれ、あるいは機動兵器やGの粒子熱線に焼かれ、小型巨獣に食われ……帰らぬ家族や友人の姿を探して瓦礫の街を彷徨う人々は、数万人もいたのだ。
「……もしかして似てた? その孫に……」
おずおずと言うヨッコに、豊川は無理に作った笑顔を向けた。
「いやあ。全然。そもそも行方不明の孫ってのは、女の子だったらしいしな」
「で……でも、家族、いるんじゃない。寂しいのは、実の家族じゃないから?」
「いや。二人ともあの時もう八十歳近かったからな、もう五年以上前に死んじまってる。だから今は本当に天涯孤独なんだ」
「そ……そうなんだ」
ヨッコは、ばつが悪そうにうつむき、周りの人間も口を閉ざした。
ややあって、紀久子が口を開く。
「で……あなたたち、これからどうするつもりなの? 何か考えがあってここに来たんでしょ?」
「うん……複製人間のみんなに……連絡を取りたいの」
そう言ったのは、コピーの方の咲良だった。
その後を引き継いで、広藤が説明する。
「ティギエルをはじめとした、六大天使の体は、複製された人間の肉体をベースにしていたんです。でも、複製人間といっても構成物質や体内構造は、普通人と全く同じだということは、この東宮さんの体を調べたデータから判明しています。そして、身の回りにデバイスやインターネットなどの通信機器が無い限りは、天使の顕現に巻き込まれないことも……だから、もし天使に気取られずに全員が通信機器から離れれば、奴らの行動を制限できるはずなんです。でも……」
複製人間、すなわち複製の咲良までもがティギエルの体を構成していたと知って、紀久子は一瞬、顔を強ばらせたが、続けて普通人と同じという説明を聞いて、ホッとしたように表情を和らげた。
「分かった。通信機器はすべて、天使に見張られているのね? でも、通信機器を用いないと他の複製人間の人々と連絡を取ることは不可能……」
「そ……そうなんスよ。この格好だって、別にふざけてるわけじゃなくて、路上監視カメラやなんかに見つからないための苦肉の策なんス」
そう言って、背中のマントを翼のようにバタバタさせる豊川の表情から憂いは消えていた。少し元の調子を取り戻したようだ。
「つまり、私が……生命科学研究所所長の権限を使って情報を流し、天使たちに怪しまれないように、複製人間全員に電子機器を放棄し、近づかないようにさせるしか無いってこと?」
そう口にしながら、紀久子は懸命に頭を働かせていた。
たしかに自分の名前を使えば、どのようなメディアでも使うことは可能だろう。騙すようだが、最新技術の発表をやるとでも言えばいいのだ。
だが、一切ネットを使わずに情報発信するとなると難しい。
もし、すべての複製人間に伝えようとするならば、数カ国語を用いて十万人以上の人間に、ピンポイントでということになる。MCMOとも繋がりのある紀久子にとって、彼らの個人情報を手に入れることは不可能ではないし、公的な一斉メール送信も可能だろうが、それは同時に、天使側にも情報を流すことになる。
公共放送を使うことはもっと危険だ。新聞にせよTVにせよ、ネットとリンクしていないメディアなど、地上に存在しないのだ。
つまり、ネットを使えば出来ない相談ではないが、それ以外の手段でとなると、不可能に近い。
難しい顔をして考え込んだ紀久子に、皆が不安そうな顔を向けた時、複製の咲良が口を開いた。
「でも……ホントにそんなこと、出来るのかな? もし失敗したら、お母さんまで危なくなるんじゃない?」
「バカ正直にやればそうなるな。だけど、うまく騙してやればいいのさ。複製人間達も、天使どもも……」
そう胸を張って言い切った豊川に、オリジナルの咲良がバカにしたような表情で言った。
「どうやってやるっての?」
「今の状況を利用して警告するんだよ。『天使アプリだけを選択的に滅殺するウイルスプログラムをネット上に放った。ネットにつなげば、必ず感染するようにした。周囲に連携できるパソコンや家電があった場合も感染する』って。そうすれば、天使を崇拝する連中は電源を切って静かになる」
「崇拝してない人たちは?」
「そいつらには普通に、『天使の声に耳を傾けるな。電源を切れ』って言えばいい。崇拝者達が電源を切った後にな」
「あ、そうか。その時にはもう、天使崇拝者はその声を聞けないんだ」
つまり、時間差で指示することで、二種類の違う意見を持つ人々に、同じ行動を起こさせる、というわけだ。
意外にもまともな作戦に、咲良からバカにしたような表情は消えている。
「でも、彼らが電源を切っても、ずっとそのままって訳にはいかないよ? ウイルスなんか無いってバレたら……」
「そんなもん、実際に作りゃいい。べつにウソである必要はないぜ?」
「豊川先輩、ウイルスなんて作れるの!?」
「そりゃ、実際に『天使アプリだけを滅殺するウイルス』なんてのは作れないけどな。それっぽく見えるモノなら簡単だぜ」
またも胸を張る豊川を見つめた広藤が、言いにくそうに聞いた。
「なあ、豊川。おまえ、いい加減正体を教えてくれないか?」
「正体ぃ??」
豊川は目を白黒させた。
それは演技には見えなかった。二十年前、記憶を無くして瓦礫の街にいたというのも、ウソではないのだろう。だが考えてみれば、それ以前に豊川が何者かであった可能性は残るということだ。
広藤の知る豊川は、女と金とファッションしか頭に無い、いい加減な男であり、お世辞にも有能な研究員ではなかった。パソコンを使いこなしはしたが、それはあくまで一般人レベルであって、ウイルスをプログラムできるような技術など持っていなかったはずなのだ。
しかし豊川は、Gの攻撃を引きつけて戦い、人々を守ったらしい。広藤の目の前でもティギエルの攻撃を察知したり、複雑なQRコードを手書きしたりしている。これはもう『らしくない』どころか『人間離れ』しているとしか表現のしようがない。
「そいつは無理だ。広藤君」
豊川に詰め寄る広藤の背中に声を掛けたのは、東宮照晃だった。
「おそらく彼は、記憶を封印されてるんだ。だから彼自身がどう頑張っても、記憶を取り戻したりは出来ないだろう……」
「記憶? 記憶って……何のことスか? 東宮さん?」
東宮の言葉を聞いて、豊川の顔色が変わった。立ち上がり、広藤を押しのけると、詰問するような口調で東宮に迫る。
「俺……昔っから不思議だったんスよ。なんかたまに、自分が分からなくなっちまう時があって、自分じゃない自分が、自分の中にいるような気がして……東宮さん、何か知ってるんスね?」
広藤は、豊川を制止しようと伸ばした手を引いた。
ここは口を出す場面ではない、そう思ったからだ。これは豊川自身の問題であって、他人が口を挟むべきではないだろう。
何よりこの状況で、有力な味方である豊川が正体不明のままというのは心許ない。東宮にしゃべってもらって、本人も周囲も、ある程度納得できるのであれば、そうしたかった。
「……二十年前、第二次巨獣大戦――――」
目を落とし、観念した様子でしゃべりかけた東宮の台詞を、何ものかの叫び声が遮った。
「ギケェエッ!!」
声質は金属音と、猛禽の声の中間くらいであろうか。だが、音量は桁違いだ。
そして、その声にけたたましい犬の吠え声が重なる。その何ものかと、犬たちが争っているのだ。
「外だ!!」
広藤が真っ先に反応した。
窓際へと駆け寄ると、ベランダ側のカーテンを開け放つ。すると、そこに展開されていたのは、誰も予想もしなかった光景であった。
紀久子が呆然と呟く。
「何あれ……まさか小型巨獣??」
そこにはキングとシーザー、二頭の雑種犬とにらみ合う、全長五メートル程度の奇怪な生物がいたのだ。