17-7 救われし者たち
羽田と接見した翌朝、樋潟は専用機でニューヨークへと向かっていた。
タロット大統領が将来の地球環境に関する国際演説会を開く、という旨の緊急連絡を受け取ったからだ。
だが、余りにも急であった。各国首脳や各国際団体の代表に声を掛けていながら、開催が二十四時間後というのは異常だ。
行くつもりがあっても、間に合う者は半数もいないであろう。
実際、樋潟は極東支部の雑務に追われてなかなか出発できなかった。どうやら演説会は、この専用機の中で中継を見ることになりそうであった。
(しかし……呆れたものだ。自国第一主義かなにか知らないが、様々な環境条約の枠組みを反故にしておいて、『将来の地球環境について』とはよく言う)
そうはいっても、現在アメリカが世界第一の大国であることに変わりは無い。
緊急であっても『招待』という形で、友好的な会議を開くとなれば、多くの国々や団体が参加を表明せざるを得ないのが現実であった。
(それにしても……羽田君の言っていたあれは、どういう意味だったんだ……?)
一晩じっくり考えてみたものの、羽田の言葉の意味について、正直まだよく理解できていない。
羽田は反乱を起こしていない、と言っていた。
だが、あからさまな反抗の意志を見せつけたのは、何だったのか。つまりあの時、映像通信で樋潟と話していたのは羽田ではなかったのか。
(分からん……俺には、羽田君本人にしか見えなかったが……そういえば……)
気になる言葉はもう一つ。
『あらゆる通信可能な電子機器に気をつけろ』。つまりそれは、ウイルスのようなものが機器に……もしくはネット上に潜み、なんらかの企みを持って人類を陥れようとしているということなのか?
だが、いまや人間の生活環境で電子通信機器が存在しない場所などほとんど無い。
アフリカや南米、オセアニアの一部に残るいまだに狩猟採集生活をしているような民族ですら、もう個人用携帯端末を持ち歩いている時代なのだ。
いや、むしろそういった場所に暮らす人々の方が娯楽に飢え、天候や季節情報を必要としている分、情報端末への依存度が高いかも知れないくらいだ。
(そういえば……この専用機には、シートにも端末がついている。気をつけろと言われても、な)
樋潟は苦笑して室内を見渡した。
実際、あらゆる部分に情報端末がついているのだ。座席にはネット兼用の受像器もあるし、世界中のホットラインと接続できる。
普通の旅客機よりも、そういった設備は多いのだ。
たしかに、ニューヨークのMCMO本部には、奇妙な記録が残っていた。羽田が反乱を起こす前日に、樋潟が専用機で日本へ発ったという記録だ。だが、自分はどこへも行っていないし、その間の記憶もちゃんと残っている。
しかし、羽田の反乱を治めて後、着陸記録も残っていない専用機がいつの間にか格納庫に戻っていた、と整備部から問い合わせもあった。
その時は、単なる現場のミスとしか考えなかったが、どうしても黒い不安が心の奥で頭をもたげてきてしまう。
(もしかして……俺は、羽田君の言う通り、天使どもの作り出したニセモノなんじゃないだろうか?)
そんなことはあり得ない、と否定してしまいたい。だが、あの米大統領の不死身の姿が、それをさせてくれないのだ。
もしかすると、あのタロットも不死化されたわけでも何でもなく、天使が別の素材で創ったニセモノだと考えれば、あの不死身にも説明がつくからだ。
(まさか……俺の体も……?)
ふと、思いついて手元にあった安全ピンの針を、自分の手にそっと突き刺してみた。
銃弾すら跳ね返したタロットの体。ならば、ピンの針など通るはずもない。
「うっ!? 痛!!」
針は易々と手の皮膚を貫いた。小さな穴から赤い血玉が現れ、みるみる大きくなっていく。
樋潟は、ほっと胸をなで下ろした。
自分がニセモノかどうか、これで判明したとは言えないかも知れない。だが、少なくとも、タロットのような異常な不死体にはなっていなかったようだ。
(人類の次の進化か何か知らないが……あれはもはや、人間どころか生物ですらないからな……)
宗教観の違いだろうか。タロット自身はえらくその不死体がご自慢のようだったし、各国首脳の中には、明らかな羨望の眼差しで彼を見つめる者もいた。
だが、樋潟はあんな不死は願い下げだった。
(痛みも病気もケガもない……それはつまりその逆、快楽も健康も感じることが出来ない、ということだろうからな……)
そう思いながら窓の外の雲海を眺めていると、秘書官の一人が樋潟のシートへ小走りでやってきた。
「総司令。もうタロット大統領の演説が始まります。中継画像を出しますか?」
「ん? ああ、そうしてくれ」
樋潟がそう答えると、それまで何も映していなかった前方の大型のモニター画面に光が入った。
画面上には、ちょうどホワイトハウス前の中継が入ったところだ。
割れるような拍手の中、スポットライトを浴びて登壇したのは、あのアメリカ合衆国第五十代大統領ロナルド=タロットであった。
薄い金髪をなびかせたタロットは、一息もつかずに口を開いた。
『アメリカ国民の皆さん、そして、世界中の皆さん、ありがとうございます。この演説会には、とても特別な意味があります。なぜなら、人類がひとつの生物種から別の存在へ、または、ひとつの物質体からそれを超えた存在へと変わる姿を、現に皆さんにお示しすることが出来るからです』
そこまで一息にしゃべったタロットは、少し間を開けて笑みを浮かべると、聴衆をゆっくりと見渡した。
『あまりにも長い間、地上では科学という悪がはびこってきました。人類のためという大義を振りかざしながら、科学は生命を軽視してきました。生命を改変し、巨獣という悪魔を生み出し、多くの人の生命財産を危ぶめてきました。しかも、さらにそれに対抗すべく軍事力という悪を増大させてきたのも科学です』
かすかに聴衆のどよめきが伝わる。科学を悪と断じた米大統領など、歴代、誰一人としていなかったに違いない。
『それによって一部の人たちは利益や恩恵を受けましたが、代償を払い続けてきたのは地球市民でした。一部の支配階級は繁栄しましたが、市民はその富を共有できず、国家群のすべては今も疲弊しきっています。科学の名のもとに行われた対巨獣政策によって、都市はその姿を変え、多くの工場は閉鎖されました。権力層は自分たちを守りましたが、一般市民を守りませんでした。二十年前の第二次巨獣大戦。これに勝利したのが人類でなかったことは、先日世界各地に現れた巨獣どもを見れば明らかです。しかし、恐怖に怯える人々の前に現れた天使たちは、こうした人類の過ちのすべてを払拭し、苦しんでいる人々に福音をもたらすと約束されたのです』
「ふうむ……」
樋潟は画面を眺めつつ、口元に手をやった。彼が考え込む時のクセだ。
よく分からない。というのが本音だ。何故、このような演説を世界に流す必要があったのだろうか。
様々な言葉で飾り立ててはいるが、ここまでは国連の臨時総会での発言と大差ない。
もし、必要があったのだとするならば、その重要な部分はここから先となる。そして、それはおそらく天使たちが実力行使に出る、という意思表明となるはずだ。樋潟は体を硬くした。
『すべての変革は、今、この場所から始まります。すでに始まっているのです。なぜなら、この世界は皆さんの世界だからです。地球は、今日ここに集まっている皆さん、世界中でこれを見ている皆さんのものです。さあ、ともに進化の時を迎えようではありませんか。
そう。私たち人類は今、進化の岐路に立っています。もし、人類が素晴らしい永遠不滅の世界を望むなら、主の御心として顕現された天使の指導に従うべきなのです。その証として、まずはG細胞を利用した悪魔の兵器を撤廃せよと、私は国連の臨時総会でそう申し上げた。それにも関わらず、MCMO、ドイツ、中国は、まったく応じる気配がない』
「……当然だろう」
低くつぶやいた後、やはりそうくるか、と裡で続けた樋潟は、皮肉な笑みを浮かべた。
天使たちがこの世界の政治状況をどう考えているかは不明だが、そもそも会議の席上で、一国の大統領から一方的に言い出されただけのことである。
決議どころか審議すらされていない事項を、守る義理などどこにも無い。
そもそも、機動兵器には核兵器と違って今のところ拡散防止条約もないのだ。たとえ正式に可決されたとしても、ごねる余地も残っている。
『主はお怒りです。そしてG細胞兵器を廃絶しなかった罪に対する罰として、兵器の存在する場所……ドイツ、中国、日本に対して、審判を下すことを決定されました。今より十二時間以内にG細胞兵器を無効化しない場合、これら三ヶ国において審判は下されます。しかし、誰も恐れることはありません。すでに人類は救われるという決定も下されているのです。審判を受ける国々の皆さんも、我々と同じように永遠不滅の命を得るのですから』
「ふん……何だコレは。まるで茶番だな」
樋潟の口から、思わず嘲りの言葉が漏れた。
これでは何の保証にも脅しにもなりはしない。どうせ、日本、ドイツ、中国には、あの天使たちが現れて攻撃を開始するのだろうが、そんなことをして人々を殺したとすれば、大きな反感を買うことになるだけだ。
そうなれば連中の恐れているG細胞兵器を出撃させることにもなるだろうし、それが天使に兵器として有効であろうことは、バカでも想像がつく。
本当に人類を震撼させたいなら、この中継の中で『奇跡』のひとつも起こして見せなくてはならないだろうが、タロットの不死身程度では今更の感もあった。
『今こそ、神はすべての人のために約束を果たします。そして私たちは共に、世界の歩む道を決めるのです。本当に大切なことは、生物的、物質的進化を否定するということではなく、精神的、エネルギー的進化が天使によりもたらされることです。今日、この日は、神がこの地球を治める日として、永遠に人類の記憶に刻まれるでしょう。この世界の誰一人として、もう忘れ去られることはありません。今、私がこの体をもってそれを証明しましょう』
パチン。と、指を鳴らした大統領の輪郭がぼやけたのを、樋潟は通信機器の故障だと思った。だが、ぼやけているのはタロットの姿だけで、背後の星条旗も、補佐官の姿も鮮明なままだ。
『大統領?』
タロットの様子に気づいた女性補佐官が、その体に触れようとして悲鳴を上げた。
補佐官の手は、彼の体を素通りしてしまったのだ。
それは、立体映像だとか幻覚のようなものではなさそうであった。何故なら、女性補佐官の手を滑るように流れ落ちたタロットの体は、まるで砂のように見えたのだ。
その砂のような流れは、空中にキラキラと残像を残して消え去っていく。
『これが、今の私の状態だ』
タロットの声が響き、周囲の人間達は右往左往して彼の姿を探している。
『いくら探しても無駄だよ。私は今、物質世界に肉体を持っていないのだからね』
『ひっ!?』
悲鳴を上げてへたり込んだのは、副大統領であった。
その声は、副大統領の持つスマートデバイスから発されていたからだ。最新式のデバイスには、ホログラム装置がついている。投げ出されたデバイス上には、立体映像の小さな大統領が、満面の笑みを浮かべて立っていた。
『私の不死の肉体は、一時的に使徒となって散ったのだ。ほんの数日でアメリカ国民はすべて救われるだろう――――』
『えひ……あえええええ?』
タロットの演説を、奇妙な叫びが遮った。
副大統領が頭を押さえて呻きだしたのだ。そして体をくねらせながら、ふらふらと歩き出す。まるでゴム人形のように、あり得ない方向に体が傾き、捻れていく。にも関わらず、不思議とバランスがとれているのか倒れない。
そしてその顔は、妙に悦楽に満ちて見えた。
『おおお……神よ……』
かすかにそうつぶやいた次の瞬間。副大統領の体の輪郭がぼやけた。
『うわっ!?』
『きゃあっ!!』
周囲の人々からまたも悲鳴が上がる。副大統領もまた、タロットと同じように空中へ崩れ去ってしまったのだ。
彼の立っていた場所には何の痕跡も残っていない。砂のように崩れ、霧のように消えた。そう表現するしかない状況であった。
そして、呆然とする人々の耳に、副大統領の歓喜に満ちた声が聞こえてきた。
『おお!! これは!! 大統領!! 私はどうなったのですか!?』
その声は、地面に落ちたスマートデバイスから響いていた。
ホログラムの大統領の隣に、やはりホログラムの副大統領が立ち、満面の笑顔で話しかけているのが見えた。
『言っただろう? 恐れることなど何もない、と。副大統領、君もまた不滅の存在となったのだよ』
『素晴らしい。身も心も軽い。すべての苦痛から解き放たれたとは、このことだ!!』
ホログラムの副大統領は、両手を広げ、大きく深呼吸をしているようだった。
『皆、心配は要らない!! 神は、すぐに無条件に我々を不滅の存在へと変えてくれるだろう!!』
副大統領が言い終わらないうちに、更に複数の悲鳴が人混みから上がった。
悲鳴の主はすべて先ほどの副大統領と同じように体をくねらせ、身悶えている。そして、顔に張り付いているのは快楽に満ちた笑顔。
『うわ……うわあああああ!!』
それまで絶句していたTVリポーターが、悲鳴を上げて駆けだした。どうやら、肉体が消え去る恐怖に耐えられなくなったようだ。
同じような悲鳴がいくつも続き、唐突に画面が斜めに傾いたまま止まった。どうやら、カメラマンも器材を放り出して逃げたらしい。
わずかに引き気味のその画面の中で、大統領と副大統領の立体映像が冷静に話し続けるのがかえって不気味であった。しかも、その隣には、画面外で霧散したであろう人々が、次々と現れ、増えていく。
『アメリカ国民の皆さん。見ての通り何の心配も要りません。皆さんも神の祝福を、冷静に受け入れてください』
満面の笑顔でそう告げるタロットのホログラムを最後に、TV中継は完全にブラックアウトした。