17-5 抵抗なき戦い
ニューヨーク。
国連の緊急特別会は、開始前から騒然としていた。
「つまり天使は、すべての国の代表者の下へ現れた、というのだな?」
「素晴らしい。我々人類は選ばれたのだ。ついに、すべての確執を越え、すべての人類が手を取り合って次の段階へ進化する時を迎えたのだ」
「まさにジブリールと預言者ムハンマドの再現であろう」
「いや、ミカエルと父なるイエスの導きに違いない」
陶然とした表情で口々に言い合う各国代表。これほど平和的で、活気に満ちた緊急特別会は、過去に例が無かった。
様々な宗教において、『神』の在り方や存在理由には違いがあっても、その使徒たる天使の概念については、何故か共通点があるものが多い。天使という存在は、その心理を突いて送り込まれたものといえるだろう。
明確な天使の概念が無いヒンドゥー教においても、最高神との仲立ちをする神の存在が描かれており、ご丁寧なことに『天使』はヒンドゥー教徒には、その神……アグニの名をかたって現れていた。
天使の顕現は、ほとんどの宗教の教義に反しない形で行われていたのである。
むろん、それだけでは天使を疑う者もいたかも知れない。だが、すでに天使によって数万人の人間が巨獣災害から救い出されているのだ。彼らの証言や主張が流布されることによって、天使は世界的な世論として肯定されつつある。
その場で、天使を疑う者は一人としていなかった。
開始予定時間は過ぎようとしていたが、総会議長はざわめきが収まるのを辛抱強く待ってから、厳かに口を開いた。
「天使の存在と、その意向はすでに皆さんご承知であると認識しました。つまり、今回の議題の一号、二号については、議論を省略してもよいかと思います。異論のある国の代表は挙手願いたい」
万雷の拍手。
全会一致と判断された。
一号議案は天使の存在の有無について、二号議案は天使が存在するとした場合の、彼らの考えについてであったのだ。
「では三号議案に移ります……天使は我々人類に次の段階への進化を促しています。そのことについて、アメリカ合衆国大統領が意見をお持ちとのことで、異例ながらまず彼に発言を許したいと思うが、異議のある方はおられるか?」
議案が議論されないまま採決されたのも異例なら、このような形で単独国家の首脳の意見が述べられるのも極めて異例だ。
総会議長の言葉に、各国代表からかすかなどよめきが上がったが、反対の挙手をする者はいなかった。
すると、アメリカの席からがっしりとした白人男性が立ち上がり、すり鉢状の会議場の中央へと歩み出てきた。
『各国代表の皆様には、この場で私の発言をお許しいただいて感謝する』
米国第五十代大統領ロナルド=タロットは、晴れやかな笑みを浮かべて会場を見渡した。
『私は、天使の祝福で不滅の肉体を与えられた。まずはその報告と、この場でそれを証明したい』
「……本当に、よろしいのですか?」
自動小銃を構えた警備員達は、戸惑いを隠せない。
自身からの要請とはいえ、アメリカ大統領に向かって引き金を引く、などという行為は生半可な覚悟で出来ることではない。
しかしタロット大統領は、あの『天使』にも似た不思議な笑みを浮かべたまま、怯える様子もなく両手を広げた。
『もちろんかまわんよ。私を撃ち殺してみたまえ。だが、すぐにそれが不可能だと君たちは知ることになる。私は、神の力で不死を与えられたのだ』
大統領は、さらに警備員達へ手招きをした。
「……では、君、一発だけ撃ってみたまえ。だが……万が一を考え、手の先を狙うんだ」
国連事務総長の指示で、警備員の一人が進み出た。
「も……申し訳ございません!!」
乾いた銃声が響いた。
だが、大統領は表情を変えずに立ち続けている。まるで何事も無かったかのようだ。
「な……何!?」
『遠慮は要らない。どんどん撃ってみたまえ』
今度は数人が一度に発射した。
連続音が響き大統領の体に無数の銃弾が吸い込まれていく。だが、その体からは一滴の血も流れず、周囲に金属音が響くだけだ。
「こ……これは……銃弾が……」
事務官の一人が駆け寄り、大統領の足元に散らばった金属片を拾い上げる。
彼の体にヒットしたはずの銃弾は、すべてひしゃげ、変形して周囲に散らばっていた。
「閣下……なんともないのですか?」
『もちろんだ……ご理解いただけたようだな?』
「申し訳ございません。跡を……見せていただきたい」
駆け寄った事務官は大統領の体に触れると、銃弾が当たったであろう手足や腹の皮膚を確認していく。
だが、どこにも傷一つ無い。
しかし、それ以上に事務官を驚愕させたのは、銃弾を跳ね返しておきながらその皮膚は、質感、柔らかさ、暖かみなどすべてが通常の人類とまったく同じであったことだ。
その報告を聞いた各国の席からは、先ほど以上のどよめきが湧き起こった。
そして、いつまで経っても一向に収まろうとはしない。事務総長も何度か声を上げたが、誰も聞き入れる様子はなかった。
しかし、タロット大統領がすっと前に進み出た途端、水を打ったように静まりかえる。
『天使は私にこう告げた。『あなたは人類の指導者的立場だから、不滅の肉体を与える。全人類にこのことを知らせて欲しい』と。物理的衝撃への耐性だけではない。いわゆる、病気に罹ることもなく、老化も死もないのだという。私はこの身をもって証明したい。何も心配は要らないことを!! 我々人類は今の姿、今の意識、今のままで不滅となることができるということを!!』
ふたたび議場は騒然となった。
総会議長は、静粛にと何度も繰り返してから、質問をぶつけた。
「大統領……いったいこれは、どういう仕組みなのですか?」
『人間の体は、有機体だ。だが、それでは脆弱で時間の経過に耐えられない。老化し、あるいは病気によって死を迎え、必ず腐る。大いなる主はそれを憂い、すべての生命を不滅の無機体へと替えることを天使に命じられたのだ』
「あなたの体は、今や無機物……なのですか? つまりまさか……機械?」
『違う。私の体は、不滅にして完全なる無機物質体となったが、体内のシステムや構造は、元の有機生命体と何ら変わるところはない。生命構造はそのままに構成物質のみを置換された結果だ』
「……天使は、地球人類すべての体を、そのような無機物に変換する、と仰るのか?」
『いや。人類すべてではない。選ばれた者、その資格があると天使が認めた者だけだといわれた』
「なんですと!? では、そうでない者は……?」
『私も一国の大統領だ。そのことは最初に聞いたよ。我が親愛なるアメリカ国民は、すべて不滅となるのかと。答えはイエスだ。資格無き者達もまた、不滅になる。だが、この不滅の肉体を得られるのは、一握りの優秀な人間だけなのだ。あとの人間は、意識のみの存在となって、月の裏側に顕現している大天使・メヴィエルの中で生きることとなる。だが、そのままというわけではない。メヴィエルの中で修行を積み、資格を得た者から不滅の肉体を得て生まれ変われる……』
「バカな。いったい何の基準でそれを決める!? そもそもあんたは……」
フランス代表が言いかけた言葉を飲み込んだ。
今のアメリカ大統領は女たらしの差別主義者であり、有名な嘘つきでもある。
経済復興と雇用拡大を掲げて当選したものの、キリスト教の教えに照らして素晴らしい人間とはとてもいえなかったのだ。
だが、大国の指導者にそれを面と向かって言える者はこの場に誰もいない。
『基準? 私を見ていただければ分かるのではないかね? 人格、教養、人望、そして地位……これらを兼ね備えて、かつ主の御心にかなう者のみが、不滅の肉体を得られるのだよ』
その言葉に、会場からは大きなどよめきが上がる。
彼が不老不死となれるならば、各国の代表としてそこにいる人々は、まず大丈夫だろう。そうした安堵のため息が大半だった。しかしその中に、いくらかの嘆息と嘲笑が混じっていることに、タロットが気づいた様子はない。
総会議長が大統領に問いかけた。
「ちょっと待ってください。それでは、この地球上から人類はいなくなってしまう……ということですか?」
『その通り。だが地球人類という存在は消えない。次の段階へ進化するのだ。しかし、人類以外の地上のすべての生命は消滅する。彼らは役目を終えたのだ。そもそも生命とは、我々人類を産み出し、精神的な成熟と進化を促すために、全能なる主が用意したものなのだから。地球生命のすべては、エネルギーに変換され昇華することとなる』
「昇華だと? エネルギー? まさか……天使の目的は……それでは?」
『議長。言葉を慎みたまえ。主の目的は、人類を次のステージへ導くこと。それ以外にはない。地球生命の消滅は結果に過ぎないのだよ』
「何にせよ、我々は重大な決断を迫られたことになる。各国代表は、自国へ持ち帰って検討しなくてはならない。大統領、その時間はどのくらいいただけると天使は言っているのか?」
『あなたは何か勘違いをしておられるようだ。天使……いや主は提案しているのではない。これは単なる通告であり、人類に拒否権はない』
「な……なんだって!?」
総会議長は息を呑んだ。動揺が各国代表の間に広がってゆく。
しかし、タロットは平然と言葉を続けた。
『この場で私が話しているのは、全人類に対して主の行おうとしていることが、宇宙的に善であり、また苦痛も伴わず、何も恐れることはないと国民に伝えていただくためだ。そうでなければ、パニックを起こしたり、無駄な反抗を画策したりして、大切な命を散らせてしまう者がいるかも知れないだろう? それは主の望むところではないのだよ』
「つまり……反抗者には命の危険がある……そう考えてよろしいのですな?」
タロット大統領は、議長の言葉を肯定も否定もせず、困ったような表情で微笑むと、ふいに何かを思い出したように人差し指を立てた。
『もう一つ忘れていた。天使たちからの要請がある。我々人類は悪魔の力を造り出してしまったようだ。その存在は主の御心に反するゆえに、早急に破壊していただきたい、とのことだ』
「悪魔の力……ですと? 核兵器……もしくは生物兵器かなにかですかな?」
『いや、そうではない。有機体と無機体を合成して造り出された、戦うためだけの生命……と言えば、お分かりではないかな?』
「それはまさか、G……ドラゴニック……」
国連関連機関MCMOの代表オブザーバーとして、その場にいた樋潟総司令は、思わず口にした。
ほんの小さなその呟きを、大統領は聞き逃さずに振り向いた。
『そう。その『Gドラゴニック』だ。その他に同じようなものがあと二体存在することを、我が国はつかんでいる。心当たりのある国はあるな?』
タロットは中国代表を、そして次にドイツ代表を強い目で睨み付けた。
議場のざわめきが増す。公式発表されているサイバネティクスとG細胞の融合体は、日本にあるGドラゴニック一体のみのはずなのだ。
『意外ですな……なんと、どの国も把握しておられなかったとは……中国、ドイツ、そしてMCMO極東本部。全部で三体。これらすべてを破壊すべし、というのが主の御意思だ』
「それは我が国の主権の侵害である。G鳳凰は、核防衛戦略の要と位置づけているのだ。何故、そうしなくてはならないのか?」
真っ赤な顔で立ち上がった中国代表に、タロットは涼しい顔で答えた。
『人類が次の段階へ進む以上、もう国家など何の意味も持たない。すべては神の御前で平等であり、一切の対立はなくなるのだ。そして地上の生命すべてがいなくなるのだから、巨獣も消滅する。戦う力はまったくの無意味。核防衛など必要ないことが分からないかね?』
「他の兵器……戦闘機や戦車、戦艦……機動兵器や核ミサイルなどは、放棄しなくてもよいというのですか?」
おずおずと挙手して質問したのは、韓国代表だ。
『もちろん、そういったものも不要なことには変わりない。だが見ての通り、私に銃は通じない。それらは銃と同程度の機能でしか……ん?』
突然、もじもじとし始めた大統領は、皆の視線が集まる中、懐からスマートデバイスを取り出し、画面を眺めて顔をしかめた。
『失礼。これ以上の説明は不要だ。Gサイバネティクスは主の御心に反する兵器なのだ。即時撤廃を。そうでなくては、人類は救済のチャンスを永遠に失うこととなるだろう』
慌てたようにそう言うと、タロットは一段と胸を張り、声高く宣言した。
『ここに集った方々は、幸福である!! 最初に主の栄誉に服する機会を得ることが出来るのだから!! 何度でも言おう。決して恐れることなどないのだ。我々人類は神に選ばれた。全人類とともに千年王国を……いや、神の国で永遠を生きようではないか!!』
タロットは万雷の拍手を予感したのか、目をつぶり両手を挙げた。
しかし、拍手は起こらなかった。それどころか、誰一人として声を上げない。議場は静寂に包まれていた。
誰もが判断できずにいたのだ。
人類の進化と引き替えに、地上のすべての生命を消し去る。
それは、殺戮宣言ではないのか。選ばれなかった人間はどうなるのか。データとなって存在し続けることが、果たして生きることなのだろうか。
しかも、それを行うと言っているのは、つい先ほどまで皆が口々に讃えていた天使なのだ。
だが、これ以上の議論に意味はなかった。
天使がそれを実行するとして、それを阻止する手段は人類にはないのだから。
「議事を……閉会する……」
開式時とは打って変わった暗い声で、総会議長は国連緊急特別会の閉会を告げた。