17-4 額のコード
バサラの砲撃による巨大な爆風と閃光が、古いコンクリートの壁を押し崩した。
地面に這いつくばるようにして、衝撃をやり過ごした豊川たちは、ゆっくりと頭を上げた。
そこはシェルターではない。彼らは山の裏手にあった旧施設に逃げ込んでいたのだ。
あれほどの振動と衝撃波で、建造物自体が倒壊しなかったのは、僥倖としか言えない。
「ふう……うまくいったみたいだな」
豊川が胸をなで下ろしながら、大きくため息をついた。
着弾音は既に遠ざかっている。集中して降ってきていた砲弾の雨は、どうやら別の地域へ移動したようだ。今は、ここから十数キロは離れた場所が標的となっていた。
いったんは飛び込んだ地下シェルター施設。しかし、豊川が危険を叫び、全員がまたそこを飛び出すことになったのだ。
そしてその時、豊川の強い主張で広藤のスマートデバイスを、シェルター内に置いて来ていた。
「…………なんで、こうした方がいいと分かった?」
広藤は、何か不気味なものを見るように豊川を見た。その本人は相変わらず飄々として見える。
「だってよ。東宮さんのおでこのQRコードを、広藤さんのデバイスが何度も読み取ってたからさ。そんで、そのたんびに短くて濃い通信波出してるんだもん。そりゃ怪しいと思うっしょ?」
見下ろした遺伝子実験センターは、機動兵器・バサラの主砲の直撃を受けて跡形も無い。
シェルターのあった辺りは特にひどく、地下十数メートルまで抉れたクレーター状になっていた。
恐るべき破壊力だ。もし、あのままシェルター内にいたら、誰も助からなかったに違いない。
「濃い……通信波って……?」
「情報量が多いってことっスよ。ホラ、メールとかだと薄いでしょ?…………見たことありません?」
きょとんとした顔で言う豊川に、広藤は脱力とため息で応えた。
「ないよそんなもん。っていうか、電波情報を目で見るって、君はいったい何者なんだ」
「え……普通の人間ッスけど……」
「普通なわけあるか。だいたい君はだなあ――――」
思わず説教モードに入りそうになった広藤を、咲良の甲高い声が遮る。
「見て!! 天使!!」
指さす先。西の天の一角から、まるで滑るように黄金の天使がやって来るのが見えた。
速い。
小さな切り絵のように夜空に浮かんだ金色の影は、あっという間に大きくなると、バサラのすぐ傍に舞い降りた。
「見つかるぞ。伏せろ」
広藤が、潜めた声で全員を促す。
黄金の天使=ティギエルは、閉じた目のまま周囲を見渡すようにすると、遺伝子実験センターのあったクレーターに向いて軽く頷いた。
「なるほど。僕たちをちゃんと始末したかどうか、確認しに来たみたいだな」
クレーターに生命反応が無いのを確認したのか、ティギエルはバサラに向き直ると、掌から光を発射した。
Gへの攻撃時とはまるで違う柔らかな光。その光が到達すると同時に、バサラは急に力が抜けたように倒れた。駆動音も完全に止まったところを見ると、その場に擱座したらしい。
「これで、また『人々を救った天使』……って寸法か…………」
豊川がつぶやく。
「おい。消えるぞあの天使……」
広藤の言うとおり、ティギエルは以前出現した時と同じように、その場で輝きを増し始めた。
次の瞬間。ティギエルの体は、無数の光の粒となって四方に散った。
前回はすぐその辺で消えたように見えたが、今回の光の粒はそれぞれ違う方角に飛んでいく。
その光に向かって、ふいにキングとシーザーが吠えた。
『アゥオーーーーーーンンンン!!』
『オオオオオーーーーーン!!』
「うわっ!?」
「なんかこっちに来る!?」
四肢を地面にべったりと付け、天を睨む姿勢で発したその声に、何故か光の粒が反応したのだ。光のうちのいくつかが、間違いなく自分たちの方へ向かってくるのを見て、あわてて全員が伏せた。
「き……消えた?」
粒といっても、近づいてくると大きかった。
数十センチから一メートルはありそうなその光の塊たちは、向かってくる途中で光を失い、豊川たちの数十メートル手前、斜面の下あたりで消滅したように見えた。
全員がしばらく伏せていたが、それ以上何も起こりそうもない。最初にゆっくりと頭を上げたのは豊川だった。
「なんか、あの辺に落ちたみたいっスよ? 見てきませんか?」
だが、広藤はその提案には難色を示した。
「しかし、アレが天使の欠片だっていうなら、危険なんじゃないのか?」
「この近さッスよ? 向こうがその気になれば、すぐ見つかっちゃいますよ。なんだか分かんないッスけど、先に見つけ出して捕まえた方がいいッスよ」
そう言い様、豊川は立ち上がると、いきなり光の消えたあたり、斜面下の茂みに向かって身を投げた。
キングとシーザーもふわりとそれに続いて飛ぶ。
広藤も慌てて豊川の後を追おうとしたが、さすがに足下も見えない闇へ飛び込むことには恐怖を感じた。斜面を張り付くようにして下りながら、下へ向かって声を掛けた。
「おーい待てよ!! 捕まえるって!?……そいつは生き物なのか!?」
「……ええ!! 思った通りでしたよ!!」
「思った通り……って……おい豊川君、これは……」
息を切らしてたどり着いた斜面下に横たわっていたのは、二人の見知った少女だったのだ。
「咲良ちゃんとヨッコちゃん……の複製人間……なのか? まさか、殺したのか?」
「そんなことしませんよ。まだ意識が戻ってないだけです」
「さっき、思った通りだって言ったな? どういう意味だ!?」
「あの天使、何で出来てるか気になりませんでした?」
「何で……ってい……いや、考えてもみなかった。報道でも、あれだけの質量がどこに消えたかって不思議がって騒いでいたじゃないか」
「光になって消えた天使と、その後に現れた救助者……これが同じモノじゃないかって、誰も思わないのが逆に俺には不思議だったッス……」
「あの天使は、複製人間の集合体だっていうのか? だけど、救助者は二万人程度だったはずだ。ざっと計算したって一千トンくらいにしかならない。天使の推定重量は、その十倍以上だぞ?」
「この周りに落ちている物、見てくださいよ」
豊川の指す方を見ると、そこには山中に相応しくない品物が散乱している。楽器や学習机、車の部品やバイクらしきものもあった。
「たぶんそれぞれの複製人間は、周囲の質量を巻き込んで集合するんでしょ。だから質量はそれで充分なんス」
そう言いながら、豊川は二人を助け起こす。そしてポケットから、彼女たちのスマートデバイスを取り出してへし折った。
軽く火花が散り、デバイスがその動作を止める。
「悪ぃ。こうしないと、俺たちの場所、天使にバレちまうし」
「そんなんで大丈夫なの?」
そう声を掛けてきたのは、大回りして追いついてきた咲良だ。
咲良とヨッコは、横たわる自分自身の複製を、それぞれ気味悪そうに遠巻きに見ている。
「ま、保証の限りじゃないッスね。なにしろこの子ら、天使の部品なんスから。でも、デバイスを持ってない東宮さんは集合させられなかった。大丈夫でしょ」
「あ、そうか。でも、他の二万人の複製人間はたぶん、元の場所に戻ったんだろ? なんでこの子たちはこの場所へ?」
聞かれた豊川は、キングとシーザーを指し示した。
「光が散る時、コイツらが吠えたでしょ? アレに反応したんスよ。ていうより、コイツらがこの子たちを引っ張ったように見えましたけど……」
「まあ、そのことは考えても仕方ないな。で、これからどうする?」
「とにかく、この私たちの複製人間を縛り上げて、広藤さんのアパートへ戻りましょう?」
咲良の案に、東宮が反対した。
「この子たちを縛っても意味ない。怯えさせ、敵対されるだけだ。任せてくれないか。同じ境遇の俺から事情を話してみる」
広藤も頷いた。
「僕の寮へ戻るのもダメだ。デバイスが盗聴されてたなら、ネット環境はすべて奴らに押さえられてるんだろう? あそこには防犯カメラがある。カメラはネット接続されていることが多いから、天使にばれる恐れがある」
「でも……寮に限らず、防犯カメラってどこにでもあるじゃないですか。最新のヤツって、変装したって人物特定できちゃうんでしょ? ましてや天使だったら……」
それを聞いてヨッコが青い顔になった。
「じゃあ、このままずっと山の中で暮らさなきゃいけないってコトですか?」
「いや。所詮カメラは視覚情報だけだから、例えば原型も分からないほどの変装には対応できないはずだ……そうだな。着ぐるみとか……」
広藤の言葉に、豊川が目を剥く。
「ええッ!? 俺、この年で着ぐるみなんかヤですよ!?」
「バカか君は。もののたとえだ。体型や動きのクセが分からなくなるものなら何でもいい。箱に入ってたっていいし、車のコンテナだって……」
「でも、ここにはそんなもんないっスよ? どうやって持ってくるんです?」
「あの……私たちだったら、街を歩いてても大丈夫なんじゃないですか?」
そう言って自分と咲良を指さしたのはヨッコだった。
「そうか。君たちの複製はここにいる。もし、カメラに捉えられてもバレない可能性はある……な」
「待ってくれ。豊川君の話では、俺の額にはQRコード……のようなものがあるんだろう? それが複製人間とオリジナルの違いだとすれば、すぐにバレるんじゃないのか?」
東宮にそう言われて広藤は詰まった。
たしかに、ネットを見張っている天使にも、そのくらいの解析能力はあるに違いない。
「…………じゃ、描きましょう」
「ハァ?」
いきなり言いだした豊川の顔を、全員がのぞき込んだ。
「QRコード、俺が描くっつってんです。咲良とヨッコのおでこに」
「ど……どうやって!? 何で描く?」
「わかんないッスけど……バーコードと同じで何で描いてもいいと思うんスよ。この紋様が読み取れればいいわけで。本物は皮膚の細胞構造に少し変化を与えて描いてあるみたいッスけど」
「君には、そんなことまで分かるのか?」
驚いたように言ったのは、東宮だ。
「分かります。何で分かるのかは分かりませんけど」
「で……その赤マジックで?」
ヨッコが恐る恐る豊川の手にしているペンを指さす。
「偶然、ポケットに入ってたんで……ダメ?」
深くため息をついたのは咲良だ。
「……ていうか、それ以外に方法無いんでしょ?」
「うう……監視カメラより、人に見られたくない…………」
ヨッコもがっくりと肩を落とした。
しかし命がかかって、いやもしかすると世界の命運がかかっているのだ。二人の意思はあっさり無視され、数分後、咲良とヨッコの額には赤いマークが描かれていた。
豊川の言った通り、たしかにその四角い紋様はQRコードに似てはいたが、より複雑で細かいパターンになっている。
それにしても、色も形も一見してよく目立つ。咲良はフードを深くかぶり、ヨッコはバンダナを巻いてそれを隠した。
豊川によれば、そんなもので隠していても、デバイスは極超短波を発して読み取っているらしいので問題はないらしい。
「じゃあ、街でみんなが目立たなくなるような衣装とかを、探してくればいいのね?」
「ああ、コンテナ付きトラックとかがあれば楽なんだけど、盗めば却って足がつくし、そもそも君たち運転できないだろ?」
そう言いながら広藤は、二十年前のことを思い出していた。明のために、小林たちと八百屋のトラックを盗み、アルテミス、ステュクスを載せて出撃した時のことだ。
あの時、ともに戦った者たちは、今はもうほとんどいない。今また、危機が迫っているこの場に、彼らのうち一人でも居てくれれば、どんなに心強いだろう。
ふと見せたその切ない顔をどう受け取ったのか、咲良もまた寂しげに微笑み返すと、右手を軽く挙げて歩き出す。
その後ろにヨッコと、キング、シーザーが続いた。
「気をつけろよ」
豊川が声を掛けた時には、もう二人と二匹の姿は闇に溶けていた。