17-2 襲撃
豊川たちは、広藤の部下とその知り合いという名目で、拍子抜けするほどあっさりセキュリティを通過できた。
東宮の居場所についての情報は何重にもプロテクトされていたが、遺伝子実験センターそのもののセキュリティレベルは、そう高くなかったのだ。
樋潟が、物々しい警備はかえって警備対象の重要性を周囲に知らせる効果しか生まないと判断したことが、その大きな理由だった。
「……ここだ」
広藤は、ある部屋の前で立ち止まり、全員に目配せした。
遺伝子実験センターには、遺伝子治療を目的とした医療部門もある。そのために、いくつか病室も用意されていた。しかし、その部屋だけは、他の病室と違って見るからに大仰なカギが二重に取り付けられている。
「そのひと、監禁……されてんの?」
咲良が、不機嫌そうな顔で広藤をにらんだ。
「これは仕方ないだろう? 彼がどう動くか、何を考えているのか、何も分からないんだ。まさかホテルの部屋を取って、自由に出入りさせろとでも?」
「そうは言わないけど……」
咲良は、ふくれっ面のままそっぽを向く。
こうしなくてはならない理由もよく分かっている。だが、まるで囚人のような扱いに、どうしても納得のいかない様子であった。
「東宮さん、ちょっといいですか?」
広藤がノックすると、内側から優しげな声で応えがあった。
「ああ。どうしたんですか?」
「実は、ちょっと会って欲しい人……いや人じゃないか。犬が居るんです」
「い……犬?」
「入ります」
ロックを解除してドアをくぐると、ベッドに腰掛けた若い男が目を丸くしていた。突然入ってきた大人数と二頭の雑種犬に、明らかに戸惑っているようだ。
だが、見知った広藤の顔で安心したのか、表情は柔らかい。
「すみません、東宮さん。どうしても、確認しておきたいことがあって……」
「俺は構いませんよ。どういうお話です?」
東宮は気さくに言うと、広藤たちにイスを勧めようと立ち上がって苦笑した。
この病室には、イスらしいイスは一つしかなかったのだ。
「せっかくのお客様なのに、掛けてもらうことも出来ませんが……」
言いながら、一人一人の顔に注がれていた東宮の目が、ある人物の顔にたどり着いた瞬間、大きく見開かれた。
「君……はっ!? 何故、ここに来たんだ!?」
「え? 俺?」
目を白黒させて自分の顔を指さしたのは、豊川だった。
「生きていたんだな? それは素直に嬉しいが、ここに来たのはまずかった。もしかすると、君たちもあの現場に居た人たちってことか?」
そう言って、順々に咲良とヨッコの顔を見る。その視線は、キングとシーザーの上に来ると止まった。
「なるほど。広藤さんの言ったこと、分かりましたよ。会わせたいというのはこの犬たちですね? でも、彼らはもう、俺の命令……いや、俺のオリジナルの命令で動いているわけじゃない」
「東宮さん……もしかして思い出した……記憶が戻ったのですか?」
「俺の記憶はもうどこにも無いんです。だから、思い出すとか記憶が戻るということはない。でも、覚えていることと、分かることについては、お話しできる。ただ、昼間にもお話ししたとおり、俺の思考は奴らにモニターされているんです。ここへ、生き残ったオリジナルである彼らを、連れてくるべきじゃなかった」
広藤は目を白黒させながら、ようやく声を絞り出した。
「生き残ったオリジナル……そこまで分かるのですか?」
「はい。彼がいなければ分からなかったかも知れませんが……そう思って見れば、その子たちの生命波長にも、スキャンされた跡が見える」
「スキャン……そうか。奴ら、一人一人のデータをスキャンしてニセモノを作りだしたって訳か……」
得心したように言った広藤に、東宮が鋭い目を向けた。
「いえ。ニセモノというのとは、少し違います。記憶、人格、遺伝形質はもちろん、細胞構造、後天的な身体的、精神的ダメージまで、ほぼ完全に複製したコピーですよ」
「そんな……じゃあ、もう一人の私たちも本物だって言うの?」
「本物とは言っていない。でも、ニセモノとも言えない。少なくとも、コピー本人は自分が本物だと信じて疑わないだろうね」
東宮の言葉に咲良は絶句した。少なくとも、ニセモノを直接問い詰めれば尻尾を出すと思っていたのだ。
その時、ふいに豊川が口を挟んできた。
「ねえ、この人……なんでおでこにQRコード入ってんスか?」
場の深刻な空気などまったくお構いなしの、いつも通りのヘラヘラした調子である。
「QRコード? 何言ってんの?」
「だってホラ、咲良には見えないのかよ?」
そう言って指さしたのは、東宮の額の中心である。だが、そこには何も書いてあるようには見えない。広藤は、納得いかない様子の豊川を制した。
「今は、ふざけている場合じゃない。東宮さん、まずいっていうのは、僕たちの動きが天使側に知れたということですか?」
「ええ。先ほど樋潟総司令たちにも言ったでしょう? 僕だけじゃない。すべての複製人間の思考はトレースされています。その情報を吸い上げ、統合、集積、分析している存在があるんです。理由は状況に応じた手を打つためとしか思えない。そしてその存在は今、非常に戸惑っています」
「戸惑う? 天使たちが? それだけ、彼らの存在がイレギュラーだということですか?」
「そうです。しかし、単なるイレギュラーというだけじゃない。どういう理由からか、恐怖してさえいる。君たちと複製を会わせてはいけないと……いけない!! すぐに抹殺にかかるつもり――――」
東宮が言葉を終えないうちに、激しい振動が建物を揺らした。
「くそッ!! もう来やがったのかよ!? 早すぎるぜ!!」
豊川が、天井の一角を見上げるようにして言う。前にもあった行動だ。まるで、壁の向こうが透けて見えているかのようなその態度に、目を丸くするだけの広藤に代わって、咲良が叫んだ。
「豊川先輩!! 何が来てるっての!? 逃げ方を指示してよ!!」
「うわ!! こいつぁとんでもねえぜ!! 広藤さん!! シェルター、こっちッスね!?」
豊川は、壁の向こうを透かすように見て叫ぶなり、皆を促して部屋を飛び出した。
訳も分からないまま、全員がその後に続く。豊川は、長い廊下を走り抜け、窓から中庭の向こうに見えるオレンジ色の建物を指さした。
「あっちの棟の地下ッスね?」
「なんでそいつが分かるんだ!? 君には何も教えていないはずだぞ?」
「分かんねッスよ!! なんか俺、スイッチ入ると何でも見えちゃうみたいなんス!! シェルターは他と違って真っ黒に見えるから、すぐ分かるんスよ!!」
「真っ黒!? 意味が分からん!! それに、場所は分かっても入り口までは僕は知らないぞ!?」
「それもだいたい分かりますよッ!! ついてきてください!!」
「手を放せ!! 俺を置いてってくれ!! 俺がいると、君たちの居場所が筒抜けになってしまう!!」
叫び合う広藤と豊川の間に手を引かれている東宮が、悲痛な声を上げた。
「まだあんたには、教えて欲しいことがあるんスよ!! ここで死んでもらっちゃ困るんス!! それに、イチかバチか。あのシェルターの中なら奴らの監視も届かないかも知れないっしょ!? っとととッ!?」
説得しながら走っていた豊川は、前を行く咲良たちが立ち止まったことに気づかず、ぶつかりそうになってたたらを踏んだ。
「あっぶねえ!! 何やってんだよ!?」
「豊川先輩……あれ……ホントにあれがあたしたちを殺しに来たの!?」
すでに夜空は赤く燃えていた。
建物の隙間から遠く見下ろすと、つくばから土浦市にかけて広がっていた街から、無数の火が噴き上がっている。阿鼻叫喚の地獄と化した街を睥睨するかのように佇む巨大な影。
数キロ以上離れていても、その冷徹な視線はこちらを向いているのが、肌で感じられる。
「バカな…………」
そう言ったきり、広藤も絶句した。
電磁誘導式五十ミリ質量弾の黒い砲口が見える。襲ってきたのは巨獣ではなかった。ましてや天使でもない。
襲ってきたのは機動兵器。
それは十二タイプある最新鋭機動兵器のひとつ、遠距離重砲撃型のバサラであった。