16-9 隠れ家
「おい、いい加減に仕事に出てこい。君の言うような君のニセモノなんて、いつまで経っても現れないじゃないか。君は、無断欠勤ってことになってる。あと二日で有給が切れたら、問答無用の懲戒免職だ」
のんきにTVを見て寝転がっている豊川に、帰ってきた広藤は苦々しげな口調で言った。
「ええッ!? そこんとこは広藤さんが、なんとか誤魔化してくれてないんスか!? 親戚の不幸でとかなんとか言って、特別休暇にしてくださいよ?」
ソファから飛び起きた豊川は、情けない顔になって懇願する。
「バカ言え。もし君の言うようにニセモノが出てきたら、僕の言うことと食い違いが出るだろう? そんな危険を冒すわけにいかないだろ?」
「う゛……」
広藤の言うことももっともだ。豊川は、がっくりと首を落とした。
その時。キッチンの方から高千穂咲良が鍋を持って出てきた。その後ろには、食器を持ったヨッコの顔も見える。
「あ、広藤さん、お帰りなさい。お夕食、つくっておいたよ」
咲良のその声に反応して、ベランダ側から鼻を鳴らす声が聞こえた。
「キング、シーザー、あんたたちのごはんはあと」
豊川たちは、広藤の寮に転がり込んでいたのだ。
もともと広藤の自宅は藤沢である。妻の珠夢と二人の子供もそこに住んでいるのだが、生命科学研究所の出先期間である遺伝子実験センターでの仕事も多いため、近くの社宅も借りていた。
それを知っていた豊川はあの日、まっすぐつくば市に向かった。
スタジアムで発見された東宮のことで出張してきた広藤が、寮のドア前で寝袋にくるまった三人と二匹を見つけたのは、翌朝のことだったのだ。
「まったく君は無計画すぎるぞ。もしあの日、僕にこっちに出るよう指示が無かったら、下手をすると一週間は部屋の前で野宿だ」
「あはは。そん時はそん時。管理人に注意されるまで、ここの共用フロアで生活しちゃおうって考えてましたんでね」
寮にはキッチンやトイレの無い部屋もある。
だから、誰でも出入りできる共用スペースがあった。部屋を出る時の大荷物は、そこで過ごすためのものだったようだ。だが、そんな場所で女子中学生二人と犬二匹を連れて生活するなど、正気の沙汰とは思えない。
「それを無計画だって言うんだ」
憮然とした表情でため息をついた広藤に、咲良が問いかけた。
「広藤さん。今日もお母さんに会ったんでしょ? 様子、どうだった?」
「今のところ、何も変わった様子は無い。東宮さんのことで手一杯って感じだ。君のニセモノも、普段の君と何の違いも無いらしい。しつこく聞き過ぎて変な目で見られたよ」
「ご……ごめんなさい」
「いいさ。あ、そうえば、君たちのバンド……って言っていいのかどうか分からないが、来月、武道館コンサートやるらしいぞ? 天使事件のこともあって、あの夜のライブ、かなり注目されたらしい」
「えええッ!? って、まさかコンサートはニセモノのあたしたちがやるってコト!?」
「そりゃあそうなるだろうな」
「ずるいよそんなの……」
咲良は、ぐったりとソファに沈み込んだ。
隣に座ったヨッコが、慰めるように咲良の肩に手を置く。
だが、豊川にはどうでもいいことなのだろう。TVから視線を戻そうともせずに言い放つ。
「まあ、そいつは仕方ないんじゃねえの? そういや君ら、なんてバンド名だったっけ?」
「ん……セブンエンジェルズ……」
「何だそれ、メンバー七人だからか? どストレートだな」
「仕方ないでしょ!! 投票で決めたんだから!!」
「それにしても『エンジェルズ』ねえ……それが「エンジェルパーティ」やってて、天使に助けられて啓示受けたってんじゃあ、注目されない方がどうかしてるぜ」
豊川はその状況の何がツボにハマったのか、無責任ににやにや笑っている。
だが、咲良とヨッコにしてみれば、夢をつかむ千載一遇のチャンスを、ニセ者に横取りされたのでは心中穏やかであろうはずがない。
しかも、彼女たち以外のメンバー五人はニセモノしかいない。死体も残さず消されてしまったのである。
二人の気持ちを逸らそうと、広藤は慌てて付け加えた。
「そ……そうそう。松尾所長、キングとシーザーについては心配しているようだな。保健所に問い合わせもしているらしい。でも、ニセの咲良ちゃんにも会場について来たって記憶はあったらしいからな。天使事件に巻き込まれて死んだと思われている」
「……そういえば、なんかあの天使、人間以外には興味なかったみたいですね」
暗い表情のまま、咲良が答えた。
たしかに、天使に救出?されたのはすべて人間ばかりであった。破壊エリア内には、少なからずペットの犬猫や野生の鳥などもいたはずだが、それらが見つかったという報告は無い。
そのままテーブルに突っ伏した咲良に代わって、ヨッコが質問する。
「ところで樋潟総司令って人……どうしてその東宮さんのところへ?」
「彼の言っていることに興味を持ったみたいだな。天使は情報化された無機質な存在だとか、その背後に巨大な光を見た、とか、奴らを信用するな、とか……」
「ええっ!? じゃじゃじゃじゃあ、天使を疑ってるわけ? もしかして樋潟総司令にだったら、あたしたちのこと、信用してくれるかも!!」
がばっと顔を上げて叫び出した咲良に、豊川がにべもなく言い放つ。
「ダメだ」
「何でよう!?」
そう言って口を尖らせた咲良の方を、豊川は見ようともしないで答えた。
「その人が、はっきりと味方と決まったわけじゃない。天使に対して楯突くようなことを言う東宮って人を、なんかするために来たのかも知れないだろ」
「なんかするって?」
「つまり口封じ……消す、とかだな」
「う゛」
「まあ、その可能性がある以上、俺たちはうかつにカミングアウトできないって話さ……俺のニセモノが現れてくれりゃあ、そいつの行動を広藤さんに監視してもらって、なんとか尻尾をつかむつもりだったんだが……当てが外れたな」
「いっそ、あたしたちが東宮さんて人に会ってみたら?」
「……状況から考えて、そいつも天使が創った『ニセモノ』だぞ? つまり敵かも知れない」
「でも、天使には批判的なこと言ってるわけで。しかも、本物は二十年前に消えてるんでしょ? どうしてあの場所にいたか、とか思い出させれば……」
「んなことは、ここの施設でやってるだろ。俺たちが会ったって意味ない」
「そんなの、やってみてないかも知れないでしょ!?」
「やるやるって、どうやってやるんだ!? バカ正直に質問すんのか!?」
「あの……」
マシンガンのように言い合う二人の間に、おずおずと口を挟んだのはヨッコであった。
「何?」
「その東宮って人、あたし達に会っても、意味ないかも知れないけど……この子達だったら、違うんじゃありませんか?」
そう言って、指さしたのはベランダの方角だった。
「キングとシーザーか……なるほど」
豊川は手を打った。
あの夜、超常の力を発揮した二頭の犬たちが、普通の生い立ちでないことは、すでに彼らは知っている。二頭が行方不明と知った紀久子が、広藤に話したからだ。
咲良は少なからず驚いたが、彼らがもともと小型巨獣であったとするならば、咲良たちを救った超常の力の説明もつく。
そして彼らを創ったのはシュラインだが、命令を与えたのは東宮であるらしい。
今の東宮が複製だとしても、東宮自身の記憶を持つ以上は、何か違う反応が引き出せる可能性はある。
「あたし、一週間この子たちと暮らして感じたんです……今、この子たちは犬の体と心を持ってここにいるけれど、それはこの子たちの意志っていうよりも、なんていうか……誰かの『願い』なんだって」
「……願い?」
咲良の問いに、ヨッコは強く頷いた。
「うん。優しくて強い願い。その願いを叶えるために生き物の姿をとったのが、この子たちなんだって、思う」
「うーん。あたしには分かんないなあ……」
「それはね。たぶん、咲良が生まれる前からずっとそうだったからだよ。咲良は、普通の犬がどんなだか知らないでしょ?」
「そりゃあ……知らないけど……」
咲良は顔を曇らせた。
その表情を見て、広藤は少し理解できたような気がした。
どうして紀久子が、咲良にこの二頭の出自を教えていなかったかが、だ。それどころか、咲良は、自分の両親が第二次巨獣大戦でどれほど重要な役割を果たしたかも知らないのだ。
(咲良ちゃんには、普通に生きて欲しい……できれば、巨獣なんかと関わらせたくなかったんだな……)
それが親心というものなのだろう。
「で? その願いを掛けたのが、東宮って人かも知れないってわけか?……広藤さん、コイツら連れてその人のところへなんて行けます?」
ふいに振られて、考え込んでいた広藤は我に返った。
「ま……まあ、あそこには実験用の動物もいくらかいるからな。犬を連れていたって怪しまれはしないだろうけれど……」
「ん。じゃあ話は決まった。行こっか」
ひょいと立ち上がった咲良を見て、広藤は目を丸くした。
呆れるほどの行動力だ。こういったところは、父親の守里ゆずりなのかも知れない。
「おいおい。まさか今からか? しかも君たちまで来るつもりか!?」
「問題ないでしょ? 豊川先輩はもともと生命科学研究所の所員だし、あたしは所長の娘。ヨッコ一人くらいだったら誤魔化せるでしょ? なにより、善は急げよ。ここに閉じこもってたって埒があかないし」
「まあ、そりゃそうだが……」
たしかに、バレる危険は少ないだろう。それに今日の様子を見ていれば、少なくとも東宮は敵ではないと思える。
また、おそらく樋潟総司令も羽田司令も、天使には疑念を持っている。最悪、MCMOの関係者に見つかってしまっても、大した危険はなさそうに思えた。
そんなことより、彼らの言うことが正しければ、天使はニセの人間たちを使って、世論を操作していることになる。それをこのまま放置する方が、よほど危険だ。
「仕方ない。やってみるか。だけど、出発はメシを食ってからだ」
「あ、そうか」
今にも駆け出しそうだった咲良が、自分の頭を小突いて舌を出す。
どうやら、バンドの件で落ち込んだことは、もう忘れてしまったようであった。