16-7 樋潟幸四郎
薄暗い部屋。
MCMO総司令、樋潟は一人ベッドに腰掛け、組み合わせた両手に額を押し当てていた。
あの天使事件から一週間。
事態の収拾に忙殺され、ほとんど睡眠をとっていない。総司令の座についてから、このようなことは初めてであった。
巨獣が出現しなくなり、MCMOはその存在理由を変えた。今や彼らは、機動兵器の力を各国に自由にさせないための抑止力なのだ。
そういえば聞こえは良いが、事実上の戦闘力や組織の統制といった現場の力は、二十年前よりも大きく後退している。図らずもその事実を、この天使事件が、露呈させてしまった形だ。
大きくため息をついて、ベッドに仰向けになる。そのまま寝入ってしまいたい欲望に駆られるが、届いている山のようなメールには、まだ半分も目を通していなかった。
数カ国同時に起きた、巨獣の復活と天使の出現。その現象の検証と追跡だけで、数日は瞬く間に過ぎてしまった。
だが、最新の機器と優秀なスタッフを総動員した調査の結果は、ほぼ何の成果も得られていない。
世界各地の現場に残っていたのは、天使の発したエネルギーの痕跡と、始末された巨獣の骸だけ。その骸もほとんどが炭化、焼失している。建造物のガラスやアスファルトまでも変質させるすさまじい熱量のせいで、それが何ものであったかも分からないほどだった。
つまり、巨獣の出現状況や行動形跡を示す痕跡も消えていたのである。
不可解すぎる事件であった。
何故、巨獣が世界各国の主要都市で、ほぼ同時に現れたのか?
何故、巨獣を研究し尽くして建造されたはずの機動兵器があっさり敗北したのか?
そして何故、天使が都合よく現れて巨獣を撃退してくれたのか?
「天使が……いや、天使を操るモノがすべて仕組んだ、とそう考えるのが……当然の思考なんだろうがな……」
樋潟は眉を寄せて、つぶやいた。
だが、そのようなことは誰も口に出来なくなっているのが現状だ。
被害者のすべてが『天使に助けられて』無傷で発見されたことが、天使への批判を封殺している。そうさせた大きな理由は、救出された彼らの証言にこそあった。
体を引きずるように立ち上がり、デスクに向かう。メールの大半は、各地の被害者の証言をまとめたものであった。
天使の啓示は、個人的な悩みの解消から始まったらしい。被害者はその幻夢の中で肉体的、精神的な悩みをすべて解消される。晴れ晴れとした心に安らぎを得た人々へ、そのメッセージは次のヴィジョンを見せる。
生命の進化と人類の発展の歴史へと意識を誘うのだ。それはまるで、実際に進化の過程を体験したかのようだったという。
飢餓、虐殺、戦乱、そしてつかの間の平和を繰り返し、長い時間を経て人類が繁栄を手にしていく。それを一瞬で踏みにじる戦乱、自然災害、伝染病、そして巨獣。
科学や社会の発展で、試練を乗り越えていく人類。
ついに現代へと至ったヴィジョンは、さらに未来へと時間軸を移していく。
そして、そこで天使は二つの可能性を提示する。
「……人類の進化……それも次の段階への飛躍的進化だと……? それが出来なければ……全地球を巻き込んでの滅亡。か」
どうあれ、そのカギとなるのは天使であるに違いない。だが、進化の具体的な方策やヴィジョンは示されなかったという。
しかし、滅亡の原因となるものは恐怖のイメージとともに明確かつ具体的に示された。それは、よく言われているような、核兵器や機動兵器の暴走、暴発ではない。他天体の衝突や異常気象などという自然災害でもない。
それは簡単に言えば、生物災害である。
ウイルスやメタボルバキアのような細胞内寄生生物による、遺伝子変異が引き起こす人類そのものの変質。さらには、巨獣に代表される極めてイレギュラーな存在が頻出して、地球の生態系そのものが大きく変貌していく。
生き残った人類は、激変した生態系に科学の力で対応しようとするが通用しない。
しかも、複雑さの限界を迎えてしまっている人間の体は、その環境の変化に適応することもできないというのだ。
つまりそれは、人類が生命体としての限界を迎えたがために、滅ぶということを示していた。
その滅びに対抗する手段はただひとつ。
天使の啓示を受けた者たちが教えを広め、人類が『生命の力によらない進化の時』を得るしかない。
しかし、それさえできれば、人類は永遠の繁栄を約束されるのだという。
マスコミは今回の奇跡を我先に報道し、連日のように書き立てている。
当然、助けられた人々の証言は中心的に取り上げられている。また人々の中には、自身のホームページやSNSで、その内容を詳しく書いている者もいる。
つまり、報告書にある『啓示』の内容は、すでに世界中の人々の多くが知るところとなっている。そしてそれは今や、世論を動かすまでになっていた。
これほどの重大な内容だ。
各国首脳部は秘密にしたいところであったが、秘密を知る人数の桁が違う。とても秘密になどしきれるものではなかった。
仕方なく世論に押し切られる形で、国々は天使の与える進化の時を待ち望む、という表明すらしていたのだ。
だが、樋潟は漠然とした不安を感じていた。
この不安感は、二十年前……Gが文字通り姿を消した時から、まるで黒い靄のように樋潟の心にかかっているものだ。
それが、この事件をきっかけに、急にはっきりとした形になってきているように感じている。
何よりも、滅亡の原因として提示されたその内容が、樋潟にはまったく実感できなかった。
「……あの時Gと……いや、巨獣達と人類とはわかり合えると、共感できると我々は感じた……いや、たしかに共感した。たぶん、巨獣だけじゃない。人間は、地球上のすべての生命と同じ共感を得られるはずなんだ。命には限界なんか無い。もっと、可能性に満ちているはずだ」
それは多かれ少なかれ、あの戦場にいたすべての人間が感じたことだと樋潟は思っている。
風になった巨獣王。
植物と一つになった、シュラインという少年の魂。
戦いで散ったたくさんの命も、決して消滅したわけではなく、この地球とひとつになって、身近に存在してくれている。
それは比喩ではない。
だが、霊魂や転生などというものを信じているわけでもない。科学的に証明できることは何も無くとも、命は不滅であるということは、疑いのない事実。そう樋潟は思っていた。
だからこそ。
「そうだ。だから、俺は彼らに恥ずかしくない世の中を創ろうと……いつか自分も行く、命の世界に安らぎをもたらそうと、尽くしてきたんじゃないか……」
そのための手段が『Gドラゴニック』であったことも、自分は間違ったとは思っていない。いつかは捨てるべき力ではあるかも知れない。しかし、今は間違いなく必要な力のはずだった。
だが、果たしてこれで良かったのであろうか?
かつて地上最強の力を誇ったGは、戦いを終えた後、自ら消滅することを望んだ。
どれほど強い力であっても、何も産み出しはしない。それを知っていたから、巨獣王はその力で君臨することなく、命の紡ぎ出す生態系の環の中へ消えていったのではなかったか。
そんなGのレプリカ細胞を使い、造り出した最強のサイボーグ兵器で、果たして平和が保てるのか。
しかし、では手をこまねいていれば良かったというのか。巨獣という共通の敵を失った人類は、互いに相争う道を歩もうとしている。機動兵器という新たな軍事力によって、核兵器がほぼ無力となった今、それを抑える圧倒的な力が必要だったはずだ。
「人類は……どうしたらいい……どうしたら良かったんだ……」
大きくため息をついた樋潟は、そのぐるぐる回る思考を、頭を振って無理矢理止めた。
そして疲れ切った表情で、パソコンの画面を機械的にスクロールさせる。
「ん? なんだこれは?」
樋潟は、一つの報告書に目を止めた。
その内容が、他のものとだいぶ違っていたからだ。
「存在しないはずの人物が、救助者の中に混じっていた……? 東宮照晃だと!? 報告者は松尾紀久子!! これは……いったい!?」
その二つの名前には覚えがあった。
どちらも二十年前の戦いで出会った人間だ。だが、東宮はシュライン細胞の能力を使って巨大群体植物『クェルクス』の増殖中枢を止めるため、単身クェルクスと融合してこの世から消えたはずだ。
その時、銀色の巨獣・王龍姫と融合して戦い、その後救出されたのが松尾紀久子だ。
奇妙な符合。
しかも、発見された東宮は二十年前と同じ見かけで年をとっていないらしい。そしてその記憶の大半を失っているだけでなく、自身も見せられたはずの天使の幻視に疑問を呈しているというのだ。
画面を見つめたまま、しばらく考え込んでいた樋潟は部屋の電話機を取り上げて、秘書を呼び出した。
「明日の予定はキャンセルだ。私は日本へ飛ぶ。もしかすると、今回の事件の真相を握る人物に会えるかもしれん」