16-5 マクスェル
「Gは!?」
「あの天使の攻撃を受け海へ逃げ込みました!! 現在地は不明!!戦闘の余波でソノブイが損傷。電波状態も天候も悪く、GPSでも追跡できていません!!」
「無人探査艇をすべて出せ!! 何が何でも居場所を突き止めるんだ!! 湾岸に戦車隊で警備網構築!! 二度とGの上陸を許してはいかん!!」
羽田司令はイラついていた。
まさに悪夢であった。二十年前とは格段にレベルアップしたはずの機動兵器。それが、粒子熱線の一撃で葬り去られたのだ。さらに、突然現れた黄金の天使とGの戦闘によって、クェルクスに覆われていない湾岸都市部は壊滅状態である。
緊急出動した自衛隊の巨獣災害対策部隊からは、被害状況が刻々と伝わってくる。まだ死傷者数などは出ていないが、避難指示を出すヒマもなかったのだ。あの地区はおそらく全滅と考えていいだろう。
「あの天使は!? 」
「出現時と同様の光を発して消滅しました!! 磁場、電場、放射線、力場……あらゆるスキャンをかけていますが、何の痕跡も残っていません!!」
現れた時と同じように忽然と消え失せた黄金の天使。
いや、その姿は天使というよりも『戦女神』と表現した方が合っているかも知れない。その戦女神=ティギエルが幻でないことは、あらゆる計測装置や記録装置から明らかだ。それどころか、Gと敵対し、これを撃退してくれた。
たしかにそこには、質量と意思を持った存在がいたのだ。
「どういうことです!? アレは何なのですか!? 加賀谷科学顧問!! ご説明いただきたい!!」
思わず口をついた叫び。だがこれに答えられる者など誰もいないことは、羽田本人にも分かっていた。
戦女神の存在を予見できた者など誰もいないのだ。しかも、情報を分析しようにも、そこには「何かがいた」ということと「いなくなった」という情報くらいしかない。
だが、こうした異常事態のための科学顧問である。務める以上、何も分からないでは済まされない。加賀谷は、画像解析結果からすぐにいくつかの推論をはじき出した。
「出現時に戦女神の腕や足が、瓦礫や地面を破壊しています。ここから推定される質量は二万トン程度でしょう。しかし、その後の軽やかな動きは重力を無視したものです。まるであの王龍のように。また推測される密度、表面の光沢から考えて、構成物質は金属、と考えてよいかと思います」
「金属!? では、あれはロボットなのですか!?」
「分かりません。しかしロボットにしては動きが滑らかで生物的すぎました。あれほどの動きを造り出す技術は今の人類にはない……もしかすると生命体に近いモノかも……」
「金属生命体……だというのですか!? そんなものがいったい、この地球のどこに潜んでいたというのです?!」
「ネット上……と考えて良いのではないかな? 羽田司令どの……」
突然かけられた背後からの声に、羽田も加賀谷も飛び上がった。
振り向くと、そこには薄汚れた白衣にサンダル履きという、見慣れた姿の鍵倉博士が立っていた。鍵倉博士は齢七十を越え、すでに科学顧問の任は辞していたが、IDは残され、特別顧問としてMCMOへの出入りは許されていたのだ。
「鍵倉特別顧問……おいでになったのですか」
「この状況で、自宅でのんびりなどしていられんよ。あの戦女神の姿は、アプリ上の天使、ティギエルとやらと酷似している。まったく無関係、と考える方がおかしいだろう?」
「鍵倉博士……ご無沙汰しております。お言葉を返すようですが、ネット上の天使が実体を持って現れることなどあり得るものでしょうか?」
「それも可能性としては排除できない、とは思っているがね。私は逆ではないかと考えているのだよ」
「逆!?」
「もともと、あのような生命体がどこかに存在する。そして、それらが我々人類の作った通信環境上に巣を作り、それを利用してこの地上に顕現した……」
「そんなバカな。何者かがネット上の天使を模して、作りあげたロボットだという考えの方がむしろ……」
「加賀谷君。その説には無理がある。まず第一に、あのような性能のロボットを作るだけの技術を、いまだ人類は持ち得ていない。滑らかで自然な動きのことだけではない。あれほど華奢な姿形でGと互角の戦闘を行うタフネス。そして、Gを撃退するほどの高エネルギー……それがどれほど不可能か、今ここで議論してみるかね?」
「いえ、それは……」
たしかに、鍵倉博士の言うことに間違いはない。
二十年前の戦い以降、科学技術は格段に進歩したとはいえ、博士が言ったようなことを実現できる技術は、いまだ地上に存在していなかった。
「もう一つの理由は、言うまでもないだろう。あの天使はどうやって現れ、どこに消えたのだ? その答えを、我々人類の誰一人として持っていない。場合によっては、質量保存の法則すら覆しかねない現象だ」
「たしかに……」
加賀谷は言葉に詰まった。
考えたくないことではあった。あり得ない、と言いたい気持ちは山々だ。だが、あらゆる証拠が鍵倉教授の言葉が正しいと示していた。つまり、あれは人類によるものではない。
腕組みをして考え込んでいた羽田が、ふと顔を上げた。
「あの天使……我々人類の味方なのでしょうか?」
「取り逃がしたとはいえ、あの天使が現れなければ、Gはあのまま東京を蹂躙していたでしょう。そうなれば被害はあの程度では済まなかった。味方かどうかは分かりませんが、敵でないことは確かなのではないでしょうか?」
加賀谷はすぐに答えたが、鍵倉特別顧問は難しい顔で腕組みをした。
「いや。そう考えるのは早計だな。天使の存在理由や行動目的が明確になるまでは、未確認と位置づけるのが正しいだろう――」
その時、緊急警報が鳴り響いた。
「MCMOニューヨークから通信です!! 天使出現!! そして巨獣との戦闘の後、やはり消滅したそうです!!」
「同様の通信が、ドイツ、フランス、中国、ロシアからも入っています!! どうやら、同時刻に各国で巨獣が出現していた模様!! ニューヨークの記録映像出ます!!」
メインモニターに映し出されたのは、ニューヨークのマンハッタン。そのビル街をまるで木々のように使ってジャンプする緑色の影だった。時折被膜を広げて滑空し、窓に首を突っ込んで人間を貪っている。
「バシリスク……っ!? なんで!?」
「一匹じゃないな……少なくとも四、五匹はいる」
駆除のために出動している機動兵器は、最も身軽で機動力が高いとされる手長猿タイプのマコラであった。マコラはその機体の数倍も長さのあるオプションアームを器用に操り、立ち並ぶビルをまるでジャングルのように駆け、高出力レーザーで攻撃を掛けている。
正確な射撃になすすべもなく、バシリスクたちは総崩れとなって逃げ始めた。
だが、一際高いビルによじ登ったマコラが、三体目のバシリスクに照準を合わせた瞬間、アームの掛けられていたビルが、不意に動いた。
「何ッ!?」
ビルが動く。あり得ることではない。
だが、羽田には一瞬で理解できた。あれはビルではなかったのだ。もともと、窪んだ形状に作られた、変わった形状のビルに、まるでジグソーパズルをはめ込むようにして、姿を変え、色を変え、質感までも変えて潜んでいたものがいた。
「そうか。バシリスクにはあの能力があった」
「光学擬態によるステルス能力……しかし、マコラは自動制御の無人機です。偏光フィルターも赤外線センサーも搭載していたはず……たとえ人の目は欺けても、機械まで引っ掛かるなんて……」
「むしろ、無人機であるが故に騙されたのだろう。ヤツは色彩だけでなく、体表温度や形状までも周囲に合わせて変化させていた。しかも、巨獣には生体電磁波がある。ニセの情報を流せば、センサーには反応しない」
火力では、バシリスクなど何体向かってこようと敵ではないはずだ。
だが、敵を認識できない状態では、マコラになすすべはなかった。判断を失って立ち尽くすその姿は、ゼンマイの切れたブリキ人形である。
バシリスクの群れは、その姿をまるで切れかけの蛍光灯のように明滅させながら、ビルにぶら下がるマコラへ襲いかかった
あっという間に四肢にあたるアームをもぎ取られ、口から吐き出された酸をかぶって、マコラは地上に叩き付けられた。
「……強い。だが……もしあれが有人機なら……」
羽田は思わず呟いていた。
とっさの判断の出来るパイロットが乗っていれば、ああまで不様にやられることはなかったかも知れない。センサーだけに頼らず、視覚と戦場の勘で戦えば、互角以上の戦闘は可能だったはずだ。羽田はそう思っていた。
人命尊重、そして技術の進歩といえば聞こえはいい。
だが、その結果が戦闘の皮膚感覚を失った自動操縦機だ。しかも巨獣事件が終息した現在、頼れるのは二十年前のデータしかない。
いくら徹底したシミュレーションに基づいている、とはいっても実戦を経験していない人工知能など大した戦力にはならない。それに対してバシリスクの運動能力は、一見しただけでも格段に向上しているように思えた。
おそらく、知能もかなりのものだ。敗北も当然のことかも知れなかった。
「ここからです!! 天使、出現します!!」
オペレータが叫ぶ。
高層ビルの谷間に現れた小さな光は、一瞬で強さを何倍にも増した。カメラの明度調節機能が付いていけず、ハレーションからやがて画面は完全に真っ白になった。
数秒後。ぼんやりと輪郭を取り戻し始めた画面には、宙に浮かぶ巨大な人影が映し出されていた。
「…………マクスェル」
加賀谷がぽつりと呟く。
六人の天使の姿は、多くの人が知っている。アプリを持っておらなくとも、すでにゲームキャラや様々なグッズに使用されていた。むろん、メディアで紹介されてもいる。
銀の髪。真紅の衣に銀の装甲を身につけたその少女の姿は、ネットゲームの管理やダウンロード、試作ゲームのリサーチから国際ゲーム大会への出場手続きなど、ゲームに関するあらゆることを管理してくれるアプリ上の天使と同じであった。
『ハッ!!』
エコーがかかったような声が響き、巨大な少女は宙を舞った。
あの黄金の戦女神と同じ、重力を無視した身のこなしである。だが、違うのはその速度だった。地を蹴ったかと思った次の瞬間には、もう高空に影がある。
真紅の衣に風を受け、銀の装甲を陽光に煌めかせて、宙に仁王立ちになったマクスェルの手には、いつの間にか片刃の剣が握られていた。
高層ビルにへばりついていたバシリスクの一頭の首が、ずるりと落ちる。
すれ違い様に切り落としていったに違いない。少女の口元に笑みがこぼれる。その表情を見た羽田の背に、何故か悪寒が走った。
(どういうことだ……あの天使は、たしかに町を守ってくれているように見える。なのに何だこのイヤな気分は?)
しかし、加賀谷や鍵倉は驚きと賞賛の表情で画面を見つめている。天使を疑う様子は見当たらない。
そして、見る間にバシリスクは数を減らしていった。一頭目と同じように首を切り落とされるもの、手から放たれた光弾で黒焦げになるもの、戦いは圧倒的であった。
その一方的な虐殺ともいえる戦闘から、羽田は思わず目をそらした。
(そうか……戦闘に笑顔……あの天使は殺戮を楽しんでいる……)
それは、羽田にとっては禁忌であった。互角以上の戦闘ならまだしも、相手を蹂躙しつつ笑みを漏らすなど、あってはならないことだと考えていたのだ。
天使はロボットのようにも見える。だから人間を模したその表情は、笑顔が張り付いたままで変わらないだけかも知れない。だが、ならば何故、あのように愛くるしい少女の姿をしているのであろうか。
マクスェルは、バシリスクを殲滅すると、やはりティギエルと同じように光を放って姿を消した。
天使はこの他、北京、モスクワ、パリ、ベルリンにも現れていた。どの都市にも、巨獣が突然現れ、暴れ出した。そして出動した最新の機動兵器は敗北。天使はその後に現れ、巨獣たちを退治、あるいは撃退してくれていた。
全ての記録映像を見た後、羽田は大きくため息をついて言った。
「鍵倉博士…………本当に天使は……彼女らは人類の味方なのでしょうか……」
羽田は『彼女ら』と言った。
そう。アプリの天使たちは、すべて女性の姿をしていたのだ。
黄金の戦女神、ティギエル。
真紅の衣に銀の軽鎧のマクスェル。
黒マント姿で、マスコットの丸い生き物を操るダイニエル。
白いドレス様の衣装に身を包み、小型の武器を幾つも隠し持つコスモエル。
ぴったりとした蒼いレオタードを身につけ、巨大な火器を背負ったガイエル。
そして、緑の長い髪をなびかせ、白い薄布を身にまとって風を操るゼリエル。
それぞれに特徴のある天使達は、もともと若い、あるいは幼い女性の姿を模してデザインされていた。
それもすべて若者を中心とした人間の勝手な好み。単にウケを狙った創造物、そうとしか考えてこなかったのだ。
だが、それまで奇異にも思わなかったが、どうしてどれも元々戦う前提の姿なのであろうか。
羽田の問いに、鍵倉は怪訝そうな顔で振り向いた。
「味方かどうか……か。各地で最新の機動兵器が為す術もなくやられたのだぞ? もし、天使が現れなければ、我々人類は巨獣に抗する手段を持たなかった。聞くまでもないことと思うがね?」
「では、あの天使達に、人類を救うことで一体なんのメリットがあるのでしょうか?」
「わからん。今のところはな……だが、姿どおりあれらが天使という存在だとするならば……」
その時。オペレータの一人が素っ頓狂な声を上げた。
「ほへえッ!? 何を言ってるんです!?」
緊張感の張り詰めた司令室に似合わないその珍妙な叫びに、加賀谷は苦虫を噛みつぶした表情で言った。
「どうした!? ふざけているのか!? 警戒中だぞ!!」
「し……失礼しました!! それがその……出動した救助部隊からなんですが……被災地の市民は、全員……無事だと……」
「何だって!?」