16-4 光の天使
「一号機、インダラからの信号が途絶えました!!」
「パイロットへのフィードバック・ダメージは!?」
「想定以上の負荷が掛かった模様!! 危険な状態です!!」
MCMO極東本部基地は騒然としていた。
医療チームが、慌ててコントロールルームへ入っていく。遠隔操縦システムのハッチが開けられ、ぐったりとした隊員が運び出された。
男女三人のパイロットは意識を失っているようだが、命に別状は無いらしい。医師の一人がこちらを向いて、ホッとしたような表情をつくり両手で丸を描いた。
「まさか……一撃で……」
羽田司令は、大きくため息をついて頭を振った。
メインモニターには、いまだ爆発の余韻が残る湾岸が映し出されている。
「遠隔操縦になっていなかったら危なかった。犠牲者が出ていたところだ……」
「犠牲者なら出ている!! 見てください!!」
加賀谷の不用意な発言に、羽田は強い口調で反論すると、モニターに平手を叩き付けた。
燃え上がる車の列。
倒壊した建造物。
Gの口から放たれた粒子熱線は、これまでのそれとは比べものにならない強力さであった。その蒼白い炎が触れた瞬間、耐熱コーティングを何重にも施されていたはずのインダラのボディは、まるで紙屑のように引き千切られた。
インダラの中枢である核融合炉を貫いた熱線は、同時に機体の大半を一瞬で蒸発させた。
爆発の炎と衝撃。残ったインダラの機体は破片となって、避難中の人々を襲ったのだ。
少なくとも数百、もしかすると数千の人命が一瞬で失われたかも知れない。
「このままでは、更に犠牲者は増える!! 加賀谷科学顧問!! どうしたらよいのか考えてください!!」
羽田の言葉は、八つ当たりに近かった。
インダラがGに敗北したのは加賀谷のせいではない。だが、なにかとGの肩を持ちたがる加賀谷の態度が、羽田にはどうにも許せなかった。
「イ……インダラの装甲はエクウスタイプの中でも、最強のものと言われています。アレが通用しないとなると、もう我々にGを止める手段は……」
『キュゴオオォォォォォォォンンンンン!!』
加賀谷の言葉を遮るように、モニターの中でGがこれまでで最大級の咆哮を上げた。
*** *** *** ***
巨獣G独特の、腹の底に響く咆哮。
咲良は思わず耳を塞いでしゃがみこんだ。だが、豊川は路上に仁王立ちになったまま、その巨大な影を見据えている。
「そんなとこに突っ立ってないで!! 早く逃げないと!!」
「……逃げる必要はないわ」
突然、後ろから声を掛けられて、咲良は飛び上がるほど驚いた。
「ヨッコ!? もう大丈夫なの!?」
振り返ると、そこにはさっきステージの上で倒れていたはずの、咲良の友人の姿があった。
「言ったでしょ? ティギエル様が助けてくださるって……見てなさい」
ヨッコがふらっと右手を持ち上げた。
そして、炎の照り返しで赤く染まる空を指さす。だが、何も起こる様子はない。
「ティギエルって……アプリの天使でしょ!? そんなの、どこにもいないよ!! ヨッコ!? おかしくなっちゃったの!?」
ヨッコの肩をつかんで揺さぶる咲良を、豊川が引き離した。
「違う!! そうじゃない!! 来るぞ!!」
思わず振り返った咲良の目に、眩しい光が飛び込んできた。
(太陽?)
一瞬そう思った。その光の質は、たしかに太陽のそれとよく似ていたからだ。
だが、そんなはずはない。時刻はもう夜の九時を回ろうとしているのだ。
しかも、近すぎた。
太陽のようなその白い光を発している『もの』は、明らかに雲よりも、いや辺りの高層建築よりも低い位置にあったのだ。
最初はサーチライト程度の大きさに見えた。だが、それは見る間に輝きを増し、視界を白い光で覆い尽くしていく。
空も、海も、地面はもちろん、呆然と立ち尽くす巨獣王や、咲良たち自身の影までも白く塗りつぶしていく光。太陽光と違うのは、それほどまでの光量でありながら、少しも熱くないことであった。
「ああ……ティギエル様……」
感極まったような甘い声。異様な艶っぽさを含んだその声を聞いて、咲良の背が粟立った。
ヨッコのこんな声は初めて聞く。こんな声を出す友人ではなかったはずだ。態度もなにもかも、これではまるで別人としか思えない。
「…………逃げた方がいい」
豊川の呟きに、思わず顔を上げた咲良は息を呑んだ。白い光が形を取り始めていることに気付いたのだ。
もう、先ほどまでのような光の強さはない。
夜空の雲も、漆黒の海も、ようやくその姿を取り戻しつつある。
一点に集中していく光は、まるで物質のような光沢を帯び始めて見えた。水面上にふわりと立つそれは……人の姿をしていた。
「光の……巨人?」
太陽の光そのままのような輝く白金色。全身に同系統の色で流れるような西洋風の鎧を着込み、兜の隙間から美しく長い髪を垂らしたそれは、女性の様な顔立ちをしていた。それも、あり得ないほどに整った美女だ。しかし、その目は閉じているように見える。
その姿は、天使のアプリに出てくる『ティギエル』のデザインと酷似していた。
身長は巨獣王Gよりも二回りほど小さい。つまり身長は約八十メートルくらいということだろうか。
手には両刃の長剣を捧げ持ち、背中には、金色の翼が生えている。物質のように見える本体とは違って、その翼は光そのもののように脈打って見えた。
『ハッ』
エコーのかかったような掛け声と同時に、巨大な光の天使が宙を舞う。
武道の達人のような鮮やかな体捌きで接近すると同時に、振りかぶった剣がGの頭部にヒットした。
しかし、Gの頭は剣を易々と弾いた。その場で微動だにしないまま、Gはやにわに粒子熱線を発射した。
熱線は天使のまとった黄金の装甲で火花を散らし、その余波が周囲に降り注ぐ。
「伏せろ!!」
再び豊川が咲良の体を押し倒す。今度は咲良も自分から、両手で頭を覆ってアスファルトに伏せた。
熱した油に水滴を垂らした様な激しい音が、咲良たちの周囲を包み込む、はね返された重粒子が次々と落ちてきた。
そっと顔を上げた咲良の目に、光の球が車のボンネットを易々と貫き、融け落ちる光景が映った。
「ひいっ!!」
衝撃はほんの数秒間だったが、それでも湾岸一帯を焼き尽くすのには充分だった。
だが、さっきと同じように咲良達の周囲には、何の被害も及んでいない。
彼等の背後にそびえるコンサートホールも、壁面の多少の損傷が見られる程度だ。
「キ……キング!? シーザー!?」
咲良が呟いた。今度はハッキリと見ていたのだ。
衝撃の瞬間。黒茶の大型犬、キングは、その額から伸びた半透明の角を正面にかざし、そこから見えない障壁を作り出した。
はね返される火花や炎から、障壁は半径数十メートルの半球形であると分かる。
茶白の中型犬、シーザーは飛んでくる瓦礫や破片などを、その身を挺して防いでいる。普通の犬ではあり得ない跳躍を繰り返し、ほとんど全ての瓦礫を叩き落としたのだ。
金属やコンクリ片がぶつかるたびに、毛皮とは思えない堅い音を立てて、シーザーの体が震えていた。
「いったい……あなたたちって……」
咲良が呟いた。
これまで、二頭とも普通の犬だとしか思っていなかった。
咲良が生まれる前から高千穂家にいた、という事くらいしか知らないのだ。紀久子も守里も、それらしいことは一度も言わなかった。
「そんなことより気をつけろ。決着が付くぞ」
豊川に言われて見上げると、ちょうど黄金の天使が前に踏み出すところであった。
腕の装甲で粒子熱線を跳ね返した姿勢のまま、Gの懐へと飛び込んだのだ。
それまで、たしかに地上に立っていたと見えたのだが、背中の翼が輝きを増すと同時に、天使はまるで重力から解き放たれたかの様に空中を滑ったのだ。
天使の拳が、Gを捉えた。
連打。リニアキャノンすら跳ね返すGが、数歩後退る。天使は滑らかな動きで右のハイキックを放ち、そのまま一回転して後ろ蹴りをGの腹に叩き込んだ。
もんどり打って倒れるG。その前に立つ黄金の天使は、Gを糾弾するかのように人差し指を突きつける。
それと同時に、周囲にふわりと浮き上がる紡錘形のもの。
長くたなびいた天使の髪から飛び出したそれは、天使の装甲と同じ色、材質に見えた。
数は四~五個。羽根のない戦闘機によく似たそれには、輪郭に沿って流れるような構造があり、戦闘機のコクピットに当たる部分には、水晶のように透明な部分があった。
天使がその両手を振り上げると、水晶に蛍光色の光が走り、三角形の物体が動き始める。
その物体はジェット噴射も何もしていないにも関わらず滑らかに空を移動し、Gを取り囲む位置に滞空した瞬間、目映い光を発した。
高出力のレーザーとよく似た光線は、目や口、腕の付け根など、柔らかそうな部分に命中し、Gは全身に開けられた穴から煙を吹き出してのたうった。
紡錘形のものは空中を回転しながらGを追い、苦痛に転げるところへ更に追い打ちを掛けていく。
それでも、さすがの生命力である。Gは死にはしなかった。倒れた姿勢のまま体を引きずり、そのまま海へと転げ落ちたのだ。
天使は慌てた様子で空を滑り、Gの消えた場所に立った。
ここ二十年でかなり改善されたとはいえ、東京湾の透明度は高くない。本気で逃げにかかったGを肉眼で捕捉するのは不可能であった。
「クソッ!! 正義ヅラしやがって、あたり構わず戦いやがる……」
豊川が獣のような唸り声を上げた。
紡錘形のものから放たれた光条は、Gの表皮を貫いただけではなかったのだ。周囲の建造物や車にも命中し、それらを一瞬で溶かし、沸騰させた。中にいた人間が無事だったとはとても思えない。
湾岸を見渡す限り、炎と煙が覆っていた。遠くから緊急車両のサイレンがひっきりなしに聞こえてくる。
天使はその惨状を見回すように、その場でぐるりと体を回転させた。
「あの天使………泣いてる……?」
咲良が呟いた。仮面の様な印象を与える、その瞑ったままの目から、天使は銀色の涙を流していたのだ。
次の瞬間。天使は、現れた時と同じような光を放ちはじめた。
その圧力までも感じるほどの強い光は、周囲のすべてを覆い尽くした。そして、ふたたび光が治まった後には、巨大な天使の姿は跡形もなく消滅していたのであった。
咲良はその場にへたりこんだ。
「キング!! シーザー!! 頼めるか!?」
ふいに叫んだ豊川の前に、二頭はおとなしく座って背を向けた。
「乗れ」
豊川は咲良に促すと、呆けたような表情で立つヨッコを抱えて黒茶のキングの背に跨った。
「どうすんの!?」
「炎と煙が迫ってきてる。ここにいちゃダメだ。移動しよう」
「そりゃわかるけどさ!! いくらなんでも犬に人間が乗れるわけ……」
言いかけた咲良は、言葉を飲み込んだ。
軽々と立ち上がったキング。その背に乗る豊川の足は、地面についていない。いつの間にか二頭の体が大きくなっていることに、ようやく気付いたのだ。
「今は驚いているヒマも、気味悪がってるヒマもねえ。コイツらは君んちの犬なんだろ? とにかく信じて、乗れ」
豊川達を乗せた二頭は、地を蹴って都心部へ向けて走り出した。