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巨獣黙示録 G  作者: はくたく
第15章 命のかたち
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15ー4 天使のアプリ

「咲良!! またそんなものばっかりいじって!! 宿題は!? それと、問題集の今日の分は済んだんやろうね!?」


 思わず甲高くなってしまったその声に、ソファの向こうの背中が跳ねた。

 紀久子は腰に手を当て、玄関先に仁王立ちしている。

 おずおずと振り向いた娘の手には、先日買い与えたばかりのスマートデバイスがしっかりと握られていた。

 自制の効かない年頃なのだ。

 こんなもの中学生には早すぎる、そう思っていたのだが、クラスで持っていないのが娘一人となってしまっては、与えないわけにもいかなかった。


「お……お母さん!? 早いじゃない……いつ帰ってきたの!?」


「たった今。なんやのその顔? 早く帰って来たらあかんかった!?」


 紀久子は少しムッとした表情で、日用品でいっぱいになったトートバッグを、テーブルの上に置いた。


「私が帰ってきたのも気付かへんほど熱中していたんやったら……宿題やってあるはず無いね?」


「う゛……ごめんなさい」


「ええよべつに。どうやって過ごしたって、あなたの人生なんやから。でも、やるべきことをちゃんと出来ないような人間に選べる将来は、限られてくるよ。勉強せんつもりやったら、その覚悟だけはしておくんやね」


 いつも家を空けっぱなしの自分にこんなこと、言えた義理ではない、裡でそう思いながら、さっさと食材を冷蔵庫に片付け、今夜の料理に使う材料だけをキッチンに並べていく。

 自宅で夕食を作るのは、じつに五日ぶりだ。公的機関の責任者などやらされていると、とても家事などやっていられない。

 娘の世話の大半は、ヘルパーさんに任せっきり。

 学校行事にも出たことがないし、娘の友人の顔もほとんど知らない。


「……田島さん、もう帰ったの?」


「うん…………六時頃……かな」


 ヘルパー契約は、夕方三時から七時まで。今日は夕食の準備はないとはいえ、他にやることはいくらでもあるはずだ。

 田島というあの若いヘルパーは、最近、手を抜き気味だ。自分のことはさておき、娘が不自由するようなら、派遣所に言って変えてもらわなくてはなるまい。そう思いながら床に目を落とすと、一枚の紙切れが落ちていた。


「……なんやのこれ? 学校からのお知らせ……授業参観? 二十五日って……明日やないの!? なんで言わんの?」


「あっ……ダメ!!」


 咲良は、紙切れをひったくると、くしゃくしゃと丸め、気まずそうな顔でそっぽを向いた。


「どういうつもり? 返しなさい」


「イヤ!!」


「明日なら、ちょうど時間がとれるかも知れへんよ!! 見せなさい!!」


「来る気でしょ!! だからイヤなの!! お母さん…………友達に見られたくないんだ………、…」


 紀久子ははっとした。

 そうだ。自分の若い見た目のことを、すっかり忘れていた。

 四十五歳になった今も、紀久子の外見は二十代前半にしか見えないのだ。

 王龍に融合し、Gの力で個体として再構成されたことが原因と考えられている。細胞が完全に一から作り直されたことで、その時点で細胞寿命がリセットされてしまったのだと。

 つまり、今の紀久子の肉体年齢は二十歳、ということになるのか。

 年相応の見た目でないことは、むろん良いことも悪いこともあったが、一番厄介だったのは、娘の学校関係であった。

 幼稚園でも、小学校でも、男性教諭やパパ連中から色目を使われ、妬みからの陰口もあって何度もイヤな思いをした。


「絶対来ないでよ!? 約束だからね!?」


 咲良はそう言って、自分の部屋へ駆け込んでいった。

 紀久子は、深いため息をついてキッチンの椅子に腰掛ける。あの時、巨獣となって戦ったことを後悔などしていない。いや、他に選択肢など無かったと思う。Gを……明を助け、まどかとともに戦い、自分なりの正義を貫いたつもりだ。

 そういう意味で、娘はもちろん、誰に対しても胸を張って自分の行動を誇れる。

 だが、娘の気持ちもよく分かる。

 周囲からいわれのない悪意を向け続けられるのは、どんなにつらいだろう。

 せめて、守里が生きていてくれたら……そう思う。仕事で外国を飛び回ってばかりで、自宅にほとんど寄りつかない夫だったが、要所、要所では、きちんと自分と娘を支えてくれた。

 その時。

 庭の方から、鼻を鳴らす声が聞こえた。シーザーとキングだ。犬たちにまだ餌をやっていないことを思い出して、紀久子は立ち上がった。

 東宮が遣わした小バシリスクと小コルディラス、二体の小型巨獣は嵐のような戦闘の中、襲い来る昆虫群から、守里をその能力で守り、戦ってくれたのだという。

 Gが明の意思で霧散した時、G細胞由来の巨獣はすべて消えたが、この二体だけは完全に消えたりはせず、守里の目の前で二頭の子犬になった。

 その白茶と黒茶の雑種犬は、その日から紀久子たちの家族として飼われることになったのだ。

 元巨獣であるから、むろん普通でない部分もあった。見た目も様子もまったく普通の犬なのだが、二十年も経った今でもまるで年を取ったようには見えないのだ。

 仕事柄、彼等の遺伝子パターンを解析してみようかと思ったこともあったが、結局やめておいた。

 彼等は家族だ。実験動物にしてしまうことは、できない。そう思ったからだ。


「ん?」


 犬小屋から戻ると、室内に煌びやかな電子音が流れている。

 テーブルの下をのぞくと、軽い振動とともに咲良のスマートデバイスが鳴っていた。どうやら、先ほどのやりとりで取り落としたまま、部屋にこもってしまったようだ。


「こんなものでも……会話のきっかけくらいにはなるかな…………」


 紀久子は拾い上げると、娘の部屋をノックした。


「咲良……開けなさい……あなたのコレ、何か鳴ってるわよ?」


 途端にばたばたと音がしてドアが開き、にゅっと突き出た手が、紀久子の手からスマートデバイスをひったくった。


「み……見た?」


 うつむき加減のままこちらを見上げる咲良の顔は、真っ赤だ。


「見ちゃいないけど……その態度はないんやないかな?」


「…………ごめんなさい」


「まあいいわ。ごはん、もうすぐ出来るから、いい加減出てらっしゃい」


 そう言って踵を返そうとした時、咲良が大きな声を上げた。


「ああっ!! やった!! おかあさん!! 見てこれ!! とうとうカザミ君のメルアド、ゲットだよ!!」


「何? 何? どういうこと?」


「この新型アプリ、すごいんだよ!! 知り合いの知り合い同士で紹介していって、相手に承認されると、その人のアドレス、もらえちゃうの!!」


「んー。それって、似たようなサービス、前からあるじゃない?」


「ぜんぜん違うの。このアプリだと、直接お話ししたり出来るようになるんだよ?」


「ふうん……」


 そういったサービスも以前からあったような気がしたが、紀久子はそれ以上何も言わなかった。以前とは桁違いに個人情報が厳しく管理されるようになったこの世の中で、あこがれの人のメルアドを手に入れられる、というだけでも、娘にとっては素晴らしい出来事なのだろう。


(そうか、個人情報……こっちのまで、だだ漏れになるようなアプリなんじゃないでしょうね……)


 ふと、気になって聞いてみる。


「咲良……そのアプリって、いつから使ってるの? なんて名前のアプリ?」


「ん? 昨日からだよ。エンジェルブリーダー……六人の天使から一人選んで育てるゲームなんだよ。育てていくと、だんだん飼い主の言うことを聞いて色んなことをしてくれるようになるの」


「ゲーム? 通信型のアプリじゃないの?」


「このアプリ自体はエンジェルなんだよ。エンジェルが既存のアプリやサイトを使って色んなことをしてくれるの。分かんない? 見た目若くてもオバサンだもんね~」


「こら。人をバカにするモンじゃありません」


「ごめん……そうだね。お母さんが見た目若いのは、お母さんのせいじゃ、ないもん。さっきのことも……謝るよ。あの……もし、もう怒ってないなら……」


「怒ってたって、授業参観には行くよ? 親としての義務だもの……そうそう、お母さんね。職場、変わるかも知れない」


「所長、やめるの? 引っ越し、する?」


「引っ越しはしなくていいと思う。たぶん。何をやるかは機密事項で言えないんだけど……」


「機密かあ……いつもそうなんだね……でも、あたしは信じてる。お母さんの仕事は、いつも世界の役に立つ仕事だったもんね」


 その言葉は、これまでにないほど深く紀久子の胸に刺さった。

 今度の仕事はこれまでとは違う。「サイバネティクスG」の開発……すなわち、兵器開発なのだ。もし、それが悪用されるようなことがあれば……自分は娘に顔向けできない。


「どうしたの? お母さん? 顔、青くない?」


「あ……ううん。何でもない。そうそう、ごはんの準備しなくちゃ」


 紀久子は慌ててキッチンへと向かった。

 食事をしながら咲良は、その最新のゲームアプリ『エンジェルブリーダー』について、喜々として説明してくれた。

 最初に六人の天使から一人を選び、その卵をダウンロードすることでゲームは始まるのだという。

 卵から生まれた天使は、種類によってそれぞれ要求する食事や運動などの種類が違い、それをユーザーが与えて育てる。そして、成長度合いによって少しずつ頭が良くなり、端末内にあるデータやアプリなどの管理をしてくれるようになるのだ。


 咲良がダウンロードしていたのはゼリエル。

 要求は、最低一時間おきに話しかけること。SNSソーシャルネットワークサービスに特化した能力を持ち、通常のSNS使用では出来ないこともやってくれる。

 すなわちそれが、見も知らぬ有名人と個人的につなげてくれることであったらしい。さらに、咲良の普段の言動から、メッセージ内容や魅力的なメールの文案まで作成してくれるのだという。

 そして、他社のSNSとも有機的につなげ、情報に無駄がないよう管理してくれる。

 さらに成長すれば、昔の知り合いだけでなく、気の合いそうな人や趣味の同じ人間、好みの異性、有名人などを常に検索して紹介してくれる。もちろん、その相手はすべてゼリエルを育てている人間、という条件付きのようだが。

 この他、動画や画像収集、情報整理機能に特化したティギエル。

 キーワード、アイテム検索に特化したガイエル。

 スケジュール管理やマップ情報、ナヴィゲーションに特化したダイニエル。

 株式や投資など、マネーゲームに特化したコスモエル。

 ネットゲームに特化したマクスェルがいる。

 なるほど、たしかに単なる育成ゲームではなく、天使が召使いのように働いてくれるのは面白い。だが正直言って、紀久子にはどれも大した機能には思えなかった。どのサービスも、どこかで見たことがあるような気がしたし、その割には要求してくる条件がハードすぎる。

 一定時間ごとに話しかけろとか、餌をやれとかいう程度は、大昔に流行った小型ゲーム機にもあったが、成長していくにしたがって次第にエスカレートしてくるらしいのだ。

 エンジェルブリーダーをやっていない相手に、紹介メールを送ることや、家電製品、自家用車などと接続することまで要求してくるようになるのだという。


「咲良……あなたの個人情報、開示してないでしょうね?」


 紀久子は、一番気に掛かっていたことを聞いた。有名人のメルアドなどというのは、おそらく、せいぜいファンクラブに入れば入手できる程度の、公開された情報なのだろう。だが、それを得るために、A・Iがこちらの情報を売り渡しているのではないか。


「もう……お母さんは何も知らないんだから。今はね、個人情報は何重にもプロテクトされているし、そもそもこのデバイスだって、登録しているのは実名じゃなくてアバターのアカウントだもん。もし、漏れてたって心配ないよ」


「そう? そうだといいけど…………」


 娘の勢いに押し切られながらも、紀久子は何故か不安な気持ちが消えなかった。



***    ***    ***    ***    ***



 紀久子がつくばに新設された、サイバネティクスGの研究施設に通うようになってから、数ヶ月が経過した。

 その間に、便利なアプリ、エンジェルブリーダーは、瞬く間に世の中に浸透していた。

 人工知能(A・I)が、恋愛、ビジネス、学業など人生の様々な局面で自発的にアドバイスしてくれ、それが占い以上に的確なのである。だが、それも当然で、相手もまたエンジェルをブリードしていて、エンジェル同士はネット上でつながっているのだ。


「君は妙だと思わないのか?」


 生命科学研究所。デスクに座った広藤は、部下の豊川にしかめ面を向けた。


「なにがッスか?」


 豊川は、なにやら夢中で自分のエンジェルと会話しているようだ。

 休憩時間であるから、そのことはいい。だが、広藤にはどうも引っ掛かることがあった。


「そいつ……えらく頭が良すぎるんだよ。デバイスの容量を超えてないか?」


「ハァ? そんなん、クラウドシステム使ってるだけっしょ?」


「いや……それにしても演算が速すぎる。どんな内容を問い合わせても、表示速度に変化が無いしな……どうもあんまり通信してないんじゃないか、ってフシがある」


「主任、変なコト気にすんスねえ……便利に使えれば、そんなん、どうでもいいじゃないッスか」


 豊川の言葉は多かれ少なかれ、人々に共通の認識だったかも知れない。

 これまでも便利なソフトやシステムが、どうしてそうなのか、まで考えて使っていた人間がどれほどいただろうか。

 だが、おかしな点は他にもある。


「豊川君……そのアプリ、なんて会社のソフトか、知ってるか?」


「え? そんなの考えたこと無かったッスけど……あ、表紙画像に書いてある。株式会社メヴィエル? コレじゃないッスか?」


 そう。普及度合いの割に、このアプリを作った会社の存在が希薄なのだ。

 TVCMすら打たないで、どうやってここまで普及させたかも謎だが、そもそもこれほどの技術を持つ会社が、それまで全くの無名だったというのが不思議だ。しかも、経営者どころか、会社の所在地すら、秘密事項とやらで明かされていないのだ。

 その不気味さから、広藤はすでに二ヶ月ほど前にエンジェルブリーダーを消去していた。


「ん……もう休憩時間も終わるぞ? 仕事に戻れ」


「なんか……松尾所長が居なくなってから、どうも士気が上がんないんスよねえ……俺も、行きたかったなあ、MCMOの特別研究所……」


「松尾所長は、異動したわけでも辞任したわけでもない。たしかにここしばらく顔をお見せにならないが、そのうち帰ってこられるさ。つまらんアプリなんぞ見てないで、仕事に掛かれ」


 そう言うと、豊川は驚くほど強い口調で広藤に言い返した。


「主任、俺、エンジェル様に導かれて出会った女と、マジ恋に落ちそうなんスよ。あんまし、エンジェル様のこと、悪く言わないでくださいよ?」


 こちらを見つめる豊川の目は、何か妙に据わって見える。


「豊川……おまえ、どうかしたか?」


「ど……どうもしないッスよ。すんません、なんか生意気な口きいちゃって……」


 頭を掻きながら部署に戻っていく豊川の背中を、何か不思議なものでも見るように、広藤は眺めた。



 たしかに、人々は自分のエンジェルに頼りきりになり始めていた。

 朝起きて、エンジェルに一日の予定を聞く。自分はその言葉に従って行動すればいいだけだ。

 考える必要はまったくない。エンジェルは、まるでその日一日起こることが完全に予知できているかのように答えてくれるのだ。

 中には、いくつものスマートデバイスを持ち、それぞれ種類の違う天使を育てている者までいた。

 どの天使も、要求は成長につれてどんどんエスカレートしていくが、その見返りは充分にある。

 無理をして購入した不動産が、翌日には数倍で売れた者や、数百万円もするコンピュータを購入させられたが、エンジェルがそれを使って、複雑な株価予測ソフトを作り上げ、大儲けした者も現れた。

 もちろん対応を抑え気味にしておけば、エンジェルはあまり育たず、要求がエスカレートすることもない。

 だが、人生の成功やビッグチャンスをモノに出来るかも知れないのだ。多くの人がエンジェルの言いなりになり、自分で判断しなくなっていった。



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