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巨獣黙示録 G  作者: はくたく
第15章 命のかたち
124/184

15-3 過去からのメール

「う゛う゛…………やっちゃったかぁ」


 通信を切った紀久子は、執務室のデスクに突っ伏して、唸り声を上げた。

 モニターが切れると同時に、室内は少しずつ明るくなっていく。壁面のほとんどを占める大きな窓の向こうの景色も、少しずつ透けて見え始めた。

 それまで夜を映したかのようだったガラスが、透明に戻っていく。白く輝き始めた天井は間接光。光ファイバーや、反射素材で屋上から取り込まれた自然光が光源だ。


「でもまあ……ああ言うしかないものね…………」


 呟きながら立ち上がり、透明になった窓から外を眺める。

 眼下に広がるのは、緑。

 熱帯雨林さながらに、はるか地平線まで広がる樹木の海だ。その隙間を縫うように、新たに整備された新首都高速の上を、銀色のきらめきが何台も走っていくのが見える。

 これが日本の首都・東京の今の姿であった。

 植物型巨獣・クェルクスは、シュラインが消えたことで、その侵略的増殖を止めた。だが、植物体そのものは消え去ったわけでも、枯死したわけでもなかった。

 地上五十m内外、地下十m前後の樹木とその根に隙間なく覆われた東京を、そのままの状態で復興しようと言い始めたのは、最前線で戦った紀久子たちだった。

 クェルクスの中には、シュラインが生きている。

 もちろん東宮も、その他、昆虫に襲われバイオマスとされた人々も。であれば、たとえ姿を変えていようとも、死なせることは出来ないと思ったのだ。

 当然、強い反対論もあった。が、クェルクスが二酸化炭素を吸収して成長したおかげで、地球上の温室効果ガスが大幅に減少していることが分かり、大半は黙った。

 クェルクスを焼却処分すれば、また大気中に温室効果ガスを振りまくことになる。期せずして大幅に減少できた二酸化炭素濃度を、わざわざ元に戻すことはない。

 くり抜いた、生きた樹木の中に近代的構造物を建設していくのは、初めての試みであったし、手間も掛かったが、出来てしまえばすこぶる快適であり、利便性も高かった。

 まず、生きた断熱材に囲まれているようなものであるから、夏涼しく、冬暖かいのだ。

 エネルギーコストだけではなく、台風や地震などの災害にも強い。

 ヒートアイランド現象は消え失せ、都市型の集中豪雨は減少したし、地下深くまで張られた根が保水してくれることで、流域の河川の氾濫も無くなった。

 だが、人々がこの根の本当の力を知ったのは、大戦から五年後の直下型地震の時だった。

 推定マグニチュード9、最大震度7の巨大地震にも、巨大樹の都市はびくともせず、倒壊した建造物はひとつもなかったのである。

 問題点と言えば、毎年落とされる大量の葉の処分と、放っておくと道路を突き破ってしまう、新芽や根の処分であったろう。だがそれも、堆肥化や炭化などで利用され始めており、最近ではエネルギー利用もされていた。


「きっと……シュラインとそのお母さん、東宮さんは、この植物の海のどっかにいるんやろうね……でも、明君とまどかさん……そしてGは……」


 ここにはいない。

 紀久子はその言葉を飲み込んだ。そして、遠い目で景色を見渡し、軽くため息をついた。

 もともと、G幹細胞を作り出したことも、公表するつもりはなかったのだ。兵器に使うなどとんでもない。あれは、明たちを取り戻すための……

 その時。

 執務室のドアが叩かれた。


「松尾所長!! 緊急事態です!! この研究所に通じる道路がすべて閉鎖されていると……」


 青い顔で報告したのは、紀久子の秘書であった。


「もう、手を打ってきましたか。分かりました。連絡事項があります。全所員に大会議室へ集まるよう、館内放送を」


 紀久子は、落ち着いた様子で返した。

 思っていたよりも対応が早い。早すぎるといっても良いかも知れない。おそらく、紀久子が要求をはねつけると予想していたに違いなかった。



***    ***    ***



 きっかり一時間後。

 研究所は、MCMOの独立機甲小隊によって包囲されていた。

 十数台の軍用車輌。ダークグリーンの車体から降りたのは、全身黒ずくめの兵士達だった。重装備の兵士達は、すぐに行動を開始した。彼等が所内のすべてを制圧するのに、数分しかかからなかった。

 彼等が精鋭であったというのもあるが、それ以上に誰ひとり抵抗することはなかったせいでもある。ガードマンも研究者も、事前に紀久子から言われていた通り、一切手向かうことなく投降した。

 所長室のドアが乱暴に開かれた時も、執務机の横に立つ紀久子は、向けられた銃口に臆する様子もなかった。

 彼等の間を割って進み出てきた、士官らしき黒ずくめが、紀久子に向かい、最敬礼をする。

 化学兵器での応戦でも想定していたのだろうか、顔を隠しているのは防護マスクだ。その下から滑り出したのは、くぐもった女性の声だった。


「松尾所長殿。今時刻をもってこの研究所は、MCMO総本部の管轄となります。これは日本政府も了承してのことです。どうか、穏便に従ってください」


「見ての通り、あなたたちに抵抗するつもりはありません。G幹細胞……あなたたちに扱えると思うなら、どうぞご自由に持っていったらいかがです?」


「……元気そうだね……松尾さん、ひさしぶり」


 女性士官は、黒いマスクを脱ぎ捨てた。

 その下から現れた顔は、二十年分、歳を取った、新堂アスカであった。


「アスカさんも、お変わりなく……本部は、知り合いを寄越せば従うとでも思っているのかしら……」


「さあね……でも、命令には従うしかなくてね。ごめん…………おまえたち!! 席を外しなさい。松尾所長とは、二人だけで話す」


「はっ!!」


 黒ずくめの兵士達がドアから出て行くと、アスカはすまなそうに眉を寄せて言った。


「乱暴なマネをして、ごめんね」


「任務なんやから仕方ないよ。気にせんでもええから……」


 紀久子はそう言うと軽く微笑んで、アスカにソファを勧めた。テーブルの上には、自動で飲み物も現れる。

 こんな状況にいながらも、紀久子は落ち着き払って見えた。


「……旦那さん、亡くなったんだってね。ごめん、知らなかった」


 アスカが、テーブルに目を落として言う。紀久子の表情が僅かに曇った。


「……二年前にね。再生医療の進んだ今なら、たいていの病気は治っちゃうのに、あの人、中国奥地でのフィールドワークに没頭してて、一度も健康診断受けてなかったの。現地でいきなり倒れてそれっきり……」


「そっか……まあ、そういう人、だったかもね……頑固で、熱くて、自分のことはいつも後回しでさ……」


 アスカの脳裏に、守里の面影が蘇った。

 機動兵器アンハングエラに避難者を乗せろと迫ってきた守里の顔。相手が何者でも一歩も退かない強さを持っていた。ガーゴイロサウルスに乗り込み、的確な判断で小林をサポートしたことを考えても、怜悧な判断力と情熱的な行動力を併せ持った男だった。

 たしかに彼ならば、自分の信じる大切なことに没頭するあまり、自身を顧みないくらいのことはするだろう。


「こっちの話……進めていい? G幹細胞の作り方、それと扱い方……教えてもらえないかな?」


 アスカの目が鋭く光った。これは任務なのだ。知り合いであろうと容赦は出来ない、そういう目であった。

 しかし、紀久子は表情を一切変えないまま、そんなアスカをまっすぐに見返した。


「教えるわけ、ないでしょ」


「そうよねー。でも、言って欲しい。そうでないと、あたし、あなたを厳しく取り調べなきゃいけなくなる……やりたくないんだ。知り合いだし」


「ごめん。でも、言えない。これだけは、絶対に譲れないことやから。拷問してもいいよ」


「……G細胞を使った兵器なんて、造らせたくないってあんたの気持ち、分かる気がするよ。でも、あたし自身はね、必要かも知れない……って思ってるんだ」


「必要? どこにも敵がいないのに? 造れば、その牙は必ず人類に向けられると、分かっているのに?」


「違うよ。たぶん……敵はいなくなってなんかない…………」


「それは、機動兵器のパイロットだった頃の……勘?」


「そうかもね。まったく巨獣が出なくなって、もう二十年も経つんだ。ただ人類が機動兵器を放棄するだけで、地球は平和になる……って理屈も、頭では分かってるのに……ね」


 シュライン母子とともにGが消え、シュライン細胞によって操られていた巨獣、及び擬巨獣もすべて消えた。

 擬巨獣を構成していた昆虫や無脊椎動物は、分離後、何事もなかったように元の生活に戻った。首都圏を徘徊していたヴァラヌスやバイポラス、コルディラス型の小型巨獣は、Gと同じように細胞レベルで分解して、遺体すらも残さず、文字どおりこの世から消えた。

 ただ、メンガタスズメの巨獣・ステュクスは消えはしなかった。戦いの後、深い眠りについたのだ。生命反応はあるものの、二十年経った今も目覚めていない。

 ニホンザルの巨獣・サンとカイも、その姿のままMCMOの管理下に置かれていた。

 地上に残った巨獣は、人類の脅威とはなり得ない、この三体だけだったのだ。


「でも、評議会はそうは思ってへんのやろうね……聞いてるよ? サイバネティクスG構想……人間同士戦うためのサイボーグ巨獣兵器……でも、G幹細胞はそんなことのために造ったんやないよ……」


 そう言って寂しげな目で窓を見た紀久子に、アスカはずっと抱いていた疑問をぶつけた。


「そう。それが一番聞きたかったんだよ……松尾さん、あんたは何のために、G幹細胞なんてもの、造っちまったのさ?」


「…………あれは、器をつくるための素材として造ったの。Gにならなかった獣型爬虫類を再現すれば……そうすれば……」


「Gにならなかった? GはGなんじゃないのかい?」


「みんな、忘れてるんだよ。Gは不死身の怪物なんかじゃない。もともとは、三畳紀後期に普通に生きていた獣型爬虫類の一個体に過ぎなかったんだってこと」


「何を言ってるんだい? 事実、Gは近代兵器の直撃すら効かない体と、巨獣を叩きつぶすほどのパワーを……」


「それは、細胞内共生生物……メタボルバキアが、自分の宿主を生き残らせるために、数千万年かけて改造した結果なの。もともとのGの遺伝子そのものは、普通の生物と同じはず。だから、G幹細胞からメタボルバキアの影響と思われる部分を取り除いていき、普通の生物として再現するのが、私の最終目標……」


「まさか……そうやってGが普通の生物に戻って蘇れば、明君たちが帰ってくるって、そう信じてるのかい?」


 紀久子は軽く頭を振って、苦笑した。


「ううん……普通に考えれば無理。でも、明君たちがGの七千万年の思いにつきあって、存在自体を消してしまうなんておかしいよ。それを、なんとかしたかったの。もし明君たちの意識がどこかに生きているなら…………」


「松尾さんは明君のためにも、G幹細胞、使わせたく……ないんだね」


「うん……明君は、どこかでたぶん、私達を見ていてくれる……だから、彼に恥ずかしくない人類社会にしたいの…………Gを戦争の道具にするなんて……許せないよ」


 紀久子の目が、鋭くアスカを見つめる。底深い意思と覚悟の光がそこにはあった。


「明君……あんたのこと、好きだったから……ね」


 だが、その言葉に、紀久子は大きくかぶりを振って答えた。


「ううん。彼はまどかさんと一緒に行ったんやもん。きっと、まどかさんを愛していたの。私には何も言ってくれへんかったし……女として好き、っていうより、やっぱりただの友達だったんやと思う」


「そうかな。ただの友達を、あんなに必死で助けたりはしないと思うよ。それに、まどかは押しかけ女房みたいなもんさ。巨獣になってまで追ってきてくれた女を、邪険にするわけにはいかなかったってだけさ……たぶんね」


 紀久子は、もう一度強く否定するように頭を振ると、懐から携帯電話を取り出した。

 博物館にでも飾ってありそうなモデル。もう十年以上前に作られなくなったはずの、その折りたたみ式の携帯を、アスカは目を丸くして見つめた。


「松尾さん、あんた変わってるね。今時、スマートデバイスじゃないんだ?」


「うん……じつはあのあとでね。明君からメール、届いてたの……でも、そこにも私が好きやなんて、一行も書いてへんかった」


「へえ、知らなかった……そんなの、あいつ、いつ書いてたんだろうね?」


「Gと最後の融合をする前だろう……って。臨時本部のアドレスから発信されてるし……小林さんや加賀谷さんたち宛にも、それぞれメールしてあったらしいよ」


 携帯を操作しながら、紀久子は少し寂しそうに笑った。

 

「なんだか……あいつらしいね」


 紀久子の表情は、暗い。無理に作った笑顔だと、誰にでも分かる。

 二十年も経っていて、女にこんな顔をさせるメールなんて、どうして明はそんなものを残していったのか。アスカは少なからず憤りを感じていた。

 はっきり好きだと言えば良かったのだ。それが出来ないなら、何も残さない方がよほど親切だ。


「そんなに……素っ気ないメールなのかい?」


「うん……プライベートなメールやけど、もう時効だと思うから、見せてあげる。ホラ」


 紀久子は、アスカに携帯を手渡した。


「ありがと……あんたこれ、ずっと?」


 アスカは驚いた表情で聞く。旧型の携帯のままなのは、メールを消したくなかったからに違いない。

 紀久子は哀しげに目を伏せ、頷いた。


“松尾さん

 ぼくみたいなヤツに、いろいろ親切にしてくれて、本当にありがとう。

 くるしい時に、親身になってくれたこと、決して忘れません。一人っ子だったから

 はじめて会った時から、姉さんのように思っていました。

 あの時のこと、とても良い思い出です。

 なんだか、ぼくはもう人間の姿には戻れないみたいです。

 たまには、ぼくのことも思い出してください。それと、雨野さんにサンとカイ

 をシュラインの支配から解き放つ方法を聞かれました。でも、今はどうしようもない。

 あくまで推測ですが、シュラインの意思を変えられれば、元に戻れるかも知れない。

 いくらシュラインでも、元は一個の人格のはず。なんとかしてみます。

 しかし、たぶん生物汚染は完全には消せない。松尾さん達、研究者が協力し合っ

 て、彼等を元の、普通のニホンザルに戻してあげてください。今は無理でも

 いつかは出来るようになるはずです。

 まつおさん、高千穂さんとどうかお幸せになってください。ご心配ばかりかけて

 すみませんでした“


「ね? 私、きっと振られたんだよ。でも、コレを見たとき、やっと気付いたの。私、きっと明君のこと、好きやったんやと思う……」


「まあ……あそこまでされりゃあね…………おキクさん?」


 何か言いかけたアスカは驚いた表情になると、画面を見つめたまま、紀久子に問いかけた。


「はい?」


「これ……よく読んだ?」


「うん。何度も」


「なん……って言っていいのか……わかんないんだけど……さ」


「なに?」


「あいつ……ちゃんと告白してるじゃない」


「え? だって……そんなこと、ひとことも……」


「あたしがひねくれ者だからかねえ……真面目なあんたが気付かないのも、分かる気がするけど……」


「どういうこと? ハッキリ教えて!!」


「だからさ。もう一度読んでみなよ……ただし……タテに」


「タテ?」


「印のある改行ごとの、頭文字だけ、読んでごらん」


「ぼ……く、は、あ、な、た、を、あ、……」


 それ以上は言葉にならず、紀久子は携帯を胸に抱き締めた。

 偶然。であろうはずがない。その部分だけ平仮名で書かれた自分の名が、その可能性を否定している。

 小さな携帯の画面。長い文は改行位置がズレるせいもあって、今までまったく気づけなかった。


「……バカ……こんなのって……」


 伏せた顔の下からようやく絞り出したその声は、涙で震えていた。


「バカ……だよねえ。アイツも、あんたもさ」


 アスカの声も濡れている。


「あたしも?」


 紀久子が、少し口を尖らせて顔を上げた。バカなのは、悪いのは明だけだ、そう思ってしまっているのだろう。

 アスカは、涙をいっぱいに湛えたその目を、優しく見つめ返した。


「あんたも、あの時、素直になれなかった。だから……こうなっちまった。そうじゃないの?」


「そう……そうかも……ね」


 紀久子はまた顔を伏せた。そして、そのまま眼鏡を外して目頭を拭き、もう一度アスカに向き直る。


「アスカさん……人間同士争うためじゃなければ、何のために、サイボーグ兵器が必要だ、って思うの?」


「あたしは…………怖いんだ」


「怖い?」


「『G』の力が無い今、もし、今度何かが攻めてきたら、私達は……」


「何かそんな脅威が、近づいているって証拠……ううん、兆候でもあるの?」


「なにもないよ。これ以上、うまくも言えない。だから、さっきも言ったように、これはあたしの勘でしかない。でも、人類は……地球は『G』の力を手放しちゃいけないって、そう感じるんだ。」


「G幹細胞とその技術……お渡しするのには、条件があります」


「渡して……くれるのかい?」


「私を、サイボーグ兵器の開発チームに加えてください。あなたの言うこと、少しだけ分かる気がします。でも、もしあなたの言うような人類の脅威が現れなければ、Gは、また悪魔になる。だから、悪しき目的に使われないよう、私が傍で監視します」


「……上に……掛け合ってみるよ」


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