14-11 旅立ち
少年シュラインは、フローラと共にクェルクスの壁に融け、溢れだした海生生物たちも、どこへともなく流れ去った。
再び時が凍り付いた世界。
小林は、ガーゴイロサウルスのハッチを開け、長いタラップを地上へと降りた。
耳元では完全に回復した無線が、やかましくわめき立てている。
MCMO、日本政府、自衛隊、在日米軍、そして国連総本部。どの組織もまともに機能していない上に情報が錯綜しているらしく、どれ一つとして現場の状況を正確に伝えている通信はない。だが、それがむしろ、小林の心を落ち着かせた。
(そりゃあそうさ。何が起きたか、なんて見ていたオレにも分からねえんだ。モニターの前にいただけの連中になんか、理解できるわけがねえ……)
瓦礫の林を歩き出した時、同じように地上に降り立ったアスカの姿を発見して、小林は驚いた。
「新堂少尉…………勝手に持ち場を離れるなって、怒られると思ってたぜ……」
「今となっちゃもう、そんなことどうでもいいさ。あたしにも、任務より大切な仲間がいるってことだよ。みんな、そうなんじゃない?」
「なるほど……な」
見回すと、着陸したステュクスの背から広藤と珠夢が、機動兵器・バハムートのコクピットからはマイカを抱えたオットーが、やはり地面に降り立ったところだ。
いずもは、負傷して横たわるサンとカイの救護をしているらしく、姿が見えない。
「明は……松尾さんや五代少尉は、どこへ行っちまったんだろうな?」
小林の問いに、アスカは目を閉じて頭を振った。
「あたしに聞かれたって、何も答えられないよ……ただ、あの時、まどかも松尾さんも、Gの中にいたんだ。だったら……G本体か、この――――」
そう言って、目の前にそびえる巨大な球状の塊を見上げる。
王龍の鱗と同じ白銀に輝くそれは、最後にGが分離した王龍の翼が変形したものだ。近づいてみると、まるで生きているかのように、ゆっくりと脈動しているのが分かる。
「――――ボールみたいなものの中……くらいしか探しようがないね……」
“正解です。新堂少尉……”
突然話しかけられ、アスカは目を見張った。小林も驚いた顔で周囲を見回している。
「明ッ!? おまえ……」
銀色に輝く球状の塊の向こうから姿を顕したのは、まぎれもなく伏見明だった。明はゆっくりとした歩調で小林達の前に来ると、軽く頭を下げた。
“どうもありがとうございました……皆さんの力がなければ、僕は立ち上がれなかった”
「無事だったのかよ!! よかった!! で? 松尾さんは? 五代少尉は? シュラインや東宮はどうしたんだ?」
“シュラインと東宮さんは、クェルクスと完全に同化したようです。この先も植物体として、生き続けていくのではないでしょうか……それと、この翼の中には、松尾さんだけじゃなく、過去、王龍に取り込まれた人々もいます。救護してあげてください……”
「じゃあ、まどかは? まどかはどうしたってんだい?」
不安そうな目を向けたアスカの前に、まどかがひょいと顔を見せた。
“アスカさん、心配かけてごめん。あたしはここにいるよ”
明の後ろに隠れていたのだろうか。いたずらっぽく微笑むまどかは、あの銀色のパイロットスーツに身を包み、ちゃんと両脚で立っている。
「まどか……よかった……歩けるようになったんだね?」
アスカは思わず涙ぐんだ。
「小林さぁん!! あ!? 明さんもまどかさんもいる!! みんなぁ!! 早く来てぇ!!」
こちらを見つけた珠夢が、ほっとしたような声を上げるのが聞こえる。一団の先頭に立って歩いて来るのはオットーだ。
その後方には、ようやく立ち上がったサンとカイが、掌にいずもを乗せて近づいてくるのも見える。
全員が集合するのを待って、オットーが口を開いた。
「……これでようやく終わったってわけだな。復興が大変だろうな、この町……いや、この国か」
世界に誇る大都市・東京は、ほとんど瓦礫の山と化している。
いつの間にか登り始めた朝日があたりを白々と照らし始めると、その惨状はさらにくっきりと浮かび上がってきた。
“…………ライヒ隊長は?”
まどかの問いにマイカは哀しげに目を伏せ、オットーは黙って頭を振った。
「誰が死んでもおかしくない戦いだった。隊長のおかげで俺達は、生き残れたのかも知れねえな……」
「……そうかもね」
オットーにもたれかかるマイカの頬は、濡れている。
暗く沈んだ空気を吹っ切るように、アスカが大きな声を出した。
「さってと……この銀色の玉から松尾さん達を救出しなくちゃね。どうやったらいいのかしら?」
“あっ!! まだ触れないで。ヒュドラに吸収された人達の肉体を再構成しているんです。少なくとも丸二日はかかるでしょう。役目が終われば自壊しますから”
明に言われて、アスカは伸ばしかけていた手を慌てて引っ込めた。
「へ、へえ。そうなんだ。でも、だったらまどか。なんであんただけ、明君と一緒にいられるんだい?」
“あたしがそう、望んだんです。あの時、明君はGと王龍を分離し、王龍の方へ松尾さんとあたしの意識を押しやった。そして、王龍の細胞組織を使って蘇らせようとした……”
“そうしたつもりでした……でも、まどかさんは、戻ってきてしまっていたんです……”
“明君を一人にしておけなかったから。あなたの……ううん、Gの望むことが、あたしにも見えてしまったからよ……”
その不思議な会話を聞きながら、小林はふいに胸騒ぎを覚えて言った。
「ま……待てよあんたら……どうも話が見えねえ……明? おまえ、ちゃんとGと分離できたんだよ……な?」
その問いに、明は哀しげに首を振った。
“すみません、小林さん……今の僕たちの姿は現実じゃない。Gの生体電磁波能力で、皆さんの脳に投影した……幻影なんです”
「んな……バカな……こんなにハッキリ見えているのに……よ?」
小林は絶句した。
リアルな質感だけではない。足音や衣擦れまで聞こえてきているのだ。これが幻影だなどとは、とても信じられるものではなかった。
だが、言われてみれば二人の足元には影がない。すでに太陽は、周囲を明るく照らし始めているのに、である。
“ご存じでしょう? もう、僕の体細胞はGと完全に同じになっています。分離は二度と出来ない……”
「じゃあ、これからどうするッてんだよ?! Gの姿のまま、ずっと生き続けるってのか!?」
“巨獣は人類にとっては、脅威でしかありません……それに、Gのまま生き続けることは、Gの望むところでは……ない”
絞り出すように呟いた明の傍に立つと、まどかはそっと明の体に手を回した。
慰めるように明の顔を見つめ、そっと頷く。
明は大きくため息をついて、再び話し始めた。
“Gの願いは、普通の生き物としての生をまっとうすること。あたりまえの生き物として、生き、子孫を残し、そして死んでいくことです。でも、一種一個体、そして不死身のGには、それは叶わぬ夢です。だから、この姿を一度、ほどきます”
「ほ……ほどく?」
“はい。生命を維持できる最低レベルの生物体にまで分解するんです。王龍の遺した群体化能力と、向上している生体間親和力を使えば、それが可能です”
「そんなことして、どうしようってんだ?」
“……Gが、細胞レベルで生態系そのものと一体化するんです”
「それがいったい何になるッてんだ? お前がお前でなくなっちまうってだけじゃねえのか? そんなことしなくてもよ! Gの姿のままいてくれりゃいいじゃねえか!! もうGは人類の敵じゃねえ!! こうやって、話だって出来るんだろ?」
明はまた頭を振ると、クェルクスに右腕を差し込んだ姿勢のまま動かないGを見上げた。
“シュラインはクェルクスの能力を使って、凶暴化、巨大化した昆虫群を鎮めていっています。どんどん、昆虫群の気配が消えていくのが分かる……そうしてこの世界から、シュライン細胞をすべて無くすつもりなのでしょう。でも、それだけじゃ、今回の事件のすべての影響を消し去ることは出来ません……環境や生態系の激変は地球規模……放置すれば、滅びる種も一種や二種ではないはずです”
「そんなもん、どうしようもないことじゃねえか。お前がやったことじゃねえ。Gがやったことでもねえ。おまえもGも、いわば被害者なんだぞ!? ワケの分からないうちに融合して戦わされて……やっと……やっと終わったんだぞ!? そんなの放っといて、帰って来いよ!!」
“Gは特別な存在です。自身に悪意も何もなくとも、存在し続けるだけで、またきっと、争いの火種になる……それに、生態系のあらゆる場所にまぎれこんでいる、巨獣因子やシュライン細胞、メタボルバキアによる形質操作の痕跡も、きっと良くない結果を招きます”
「だからって……どうして……それをお前達がやらなきゃいけねえんだ?」
“そうしなくては、安心してみんなが暮らせないからです”
「それ、ウソだよ」
それまで黙っていた珠夢が、強い目で明を睨んだ。
「みんな……? みんなじゃない、松尾さんでしょ? いつも明さんは、あの人の幸せだけ願っていた……だから……っ」
“もちろん松尾さんのことは大切です。でも、ここにいる皆さんや、樋潟司令を始めとするMCMOの方々……共に戦い、苦しんでくれた人達……その人達の幸せを守りたいんです。みんな、こんな僕に生きろと言ってくれた。それにようやくわかったんです。Gと僕はひとつの生命だって。だから、願いを叶える方法があるなら、希望を捨てちゃいけない”
小林は怒声を張り上げた。
「希望……だってのか!? そんな単細胞生物だかなんだかになることが……? 死んじまうようなもんだろうが!!」
“Gは、生態系の中に行くことで、地球そのものになるんです。死ぬわけじゃありません”
「まどか!? あんたは戻ってくるんだ!! あんたは……Gじゃない!! 人間として生きるんだよ!!」
“いいの。アスカさん、あたしは明さんを放っとけない。でも、Gが明さんと同じなら、あたしはGを放っとけないってことでしょ? 何も出来ないかも知れないけど、傍で支えてあげたいの……ずっと……”
まどかの目は、真っ直ぐにアスカを見ていた。
その横顔を見つめる明の表情は穏やかで、その瞳は限りなく優しい。
“そんなに悲しまないでください。大丈夫、きっとまた会えますよ……そろそろ時間です。もう、行きますね。皆さんによろしくお伝えください”
二人は、深く頭を下げた。
そして互いに肩を抱き合うと、足元からゆっくりと透明になっていく。
その姿が消えた後には、最初から何もいなかった事を示すかのように、小さな瓦礫の山があるだけだった。
『ゴヒュォオオオッ』
地鳴りにも似た呼吸音が響く。
驚いて顔を上げた小林達の見ている前で、凍り付いたようになっていたGが、右腕をゆっくりと壁から引き抜き、こちらへ向き直った。
「Gが……」
「なんて表情してやがんだい……」
「ああ、まるで……遠足に行く子供みたいだぜ」
居合わせた者達ははっきりと見た。
誰も信じないかも知れないが……巨獣王は、たしかに微笑んで見えた。
「あ……海風……」
広藤が振り向いた。
柔らかな風が、微かに海の匂いを運んできたのだ。
その声に、皆が朝日に目をやった瞬間。Gの巨体は風に溶けた。
あれほどの質量、あの強靱な皮膚や骨が、どうしてそうなったのかは分からない。ただ、それら巨獣王の欠片は、花びらのようにひらひらと風に舞い、地に落ちる前に空へ消えた。
「わかったよ明……また、会おう……」
アルテミスとの別れと同じ言葉を呟いて、小林はそっと目尻を指で拭った。