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巨獣黙示録 G  作者: はくたく
第2章 海底ラボ・シートピア
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2-11 ワイバーン


 数分前。

 紀久子達が発進した直後、明はこっそりワイバーンを着装していた。

 ほとんどの者がモニターに集中していたし、物珍しそうに研究室内を見て回る素人の明に注目する者は誰もいなかった。全員の目を盗むのは、簡単だったのだ。

 シーサーペントの操縦を買って出た紀久子の気持ちは分かる。だが、いざという時に何も出来ずに手をこまねいていたくはなかった。


(いつでも出られるようにしておく。もし何事もなかったとしても、俺が叱られるだけだ……)


 着装は、意外に簡単だった。

 前面がパックリと開いた状態だった強化作業服は、両足を突っ込むとそれを感知して勝手に明の全身を優しく包み込んだ。そのまま起動電源も入ってくれたのは、使用法を知らない明にとって幸運だった。


(……どうやって操作するんだ?)


 自動車すら運転したことのない明は少しとまどったが、指先を少し曲げてみるとそこにスイッチがあることが分かった。中指を曲げた時に立ち上がったモニターは、カーソルが明の視線と連動して移動し、瞬きで確定できる。そのうちうまいことに、使用法のレクチャープログラムが立ち上がった。モニターにはワイバーンの構造、推進システムの操作法、武器の使い方などが次々と紹介されていく。

 明は、するすると頭に入ってくることに、自分でも驚きながら操作法を吸収していった。


(電化製品やパソコンの使用法はなかなか覚えられなかったけど……集中すると、覚えられるモンだな)


 G細胞がすべての能力を活性化させていることは聞いていたが、まさか思考力や記憶力までも増しているとは、明も気づかなかった。

 基本的に着装者の動きと連動して、マニピュレータや歩行脚が動く。ジェット推進、歩行、近距離攻撃、遠距離攻撃の各モードに変更するのは、左手小指の操作による。

 その他の操作は、視線連動型のカーソルをサブモニター上で操ることで事足りた。

 しかし、明は問題にも気づいた。深海作業用のサラマンダーと違って、ワイバーンは本来、空中戦用の機体なのだ。主翼を展開しなければ海中でも活動できるが、背面にあるジェット推進装置の噴射可能時間は、フルパワーでたった四十五秒間という短さである。それどころか、そもそも本体のバッテリーも三十分間しか保たない。

 全体に高出力である反面、運用可能時間が短いのだ。所詮は試作機といったところである。

 だがカインが未調整であると言っていた割には、通信ケーブルが未接続である以外には、特に運用上問題は見受けられなかった。酸素も充分すぎるほど充填されている。偶然にも、明の体型がワイバーンのスタンダードサイズにぴったりだったのも僥倖であった。

 ただしPLN弾はもちろん、その他の弾薬、武器は一切装備されていない。使用可能なのはショックアンカーという本体付属の電気銛だけである。


(このショックアンカーを使うと………え!? 運用時間が5分間削られるって!?……つ……使えねぇ………)


 いわば、深海を進む棺桶である。しかし他に使用可能な機体はない。そうでなくとも、今更ここから出るわけにもいかない。明はなんとか何事もなく、紀久子達が任務を終えることを祈った。


『うわぁ!! なんだコレ!?』


 その時、東宮の大声が聞こえた。


『ウミヘビ? いや、ウナギか?』


 八幡の声も聞こえる。


 通信ケーブルは未接続でも、起動状態にあれば外部情報は収集できる。幸いにも正面のモニターを拡大することで、皆が何に驚いているかは知ることが出来た。


(うっ……なんだこの怪物は……)


 明は思わず出しかけた声を、あわてて呑み込んだ。モニターには、細長い深海魚のような形態に変化したシュラインが、凍り付いた肉塊から這い出てくる様子が映し出されていた。


『何かあったんですか⁉』


 紀久子の声が通信機から聞こえた。


(松尾さん、まだシーサーペントの中にいるのか。早く第一ブロックの中に避難すればいいのに……)


 おそらく操縦を任されている責任感からなのだろうが、紀久子が怪物と化したシュラインと同じ海中にいるかと思うと気が気ではない。だが、こうなった時のために、ここにこうして待機していたのだ。

 自分の身のことは考えなかった。紀久子を失う、いやシュラインに奪われるかも知れない恐怖。

 後頭部を引っ張られるような恐怖の感触が、明の勇気を奮い立たせた。明は大きく深呼吸すると、ワイバーンの発進システムの解除に取りかかった。

 もともと外部ハッチは、東宮の座っているコントロールパネルで操作する設定のようだ。勝手に発進するには、緊急脱出装置を作動させる必要がある。


(緊急脱出システム起動。電子ロック解除……これでいつでも行けるはずだ……)


“………ぇるかね?諸君”


 発進準備が整ったまさにその時。いきなりシュラインの声が明の耳に響いた。


「うわ!? なんだ貴様!?」


 耳元で話しかけられたと錯覚した明は、思わず大きな声を出してしまった。

 外部スピーカが低レベルでONになっていたため、その声は室内にも響いた。電子変換された独特の音声。だが、明に注目する者は誰もいない。


「な……なんだこれは!?」


「シュラインか!? どこにいる!?」


 シュラインの声が聞こえたのは、明一人ではなかった。部屋中の人間すべてが同時にざわざわと騒ぎ出し、それが明の声を掻き消したのだ。

 明は、ワイバーンの中で声の正体を知った。生体電磁波による直接通信。シュラインの異常な進化と能力には慄然とするしかない。


“聞こえるかね? 諸君。これでチェックメイトだ。僕は深海に適応した。君たちにはもう打つ手がない”


(打つ手がない。だと? 何でそんなことをわざわざ言う必要がある?)


 明はまず、そこから疑った。

 外からは八幡の声が聞こえる。八幡の言う通り、シュラインの武器が生体電磁波であるなら……


(…………なんで、電磁波が海中を通って来られるんだ?)


“正解だ。八幡教授、もしかすると君ならこれが何を意味するか分かるかな?”


(つまり、どこかに……このブロックのどこかにヤツの一部が接触しているってワケか)


 それを見つけて引き剥がさない限り、シュラインの声からは逃れられない。いや、シュライン本体が侵入してくるのも時間の問題だろう。そうなれば誰も助からない。


“エクセレント!! さすがシートピアを代表する権威だ。わざわざ細胞を植え付けなくとも、君たちを操ることなど造作もないということだ。だが、自意識があると苦しいぞ? 全員、あきらめて僕の一部となることをお勧めするよ”


 勝ち誇ったようなシュラインの声が響く。


(ふん、どうもこいつは、ハッタリと嘘で人の心を惑わせるのが得意なようだな)


 モニターで室内を見ると誰もが驚き、絶望の表情を見せている。


『違います』


 しかしその時、通信機から紀久子の声が響いた。


『コイツの口車に乗ってはダメです!! そんなことが出来るなら、どうしていきなり私たちを操らないんですか? きっと……声を聞かせるくらいが限界なんです』


(さすが松尾さんだ。ヤツの言葉の矛盾点にあっさり気づくなんて。電磁波のことに気づかないのは、潜水艇にまで声が届いてしまっているからだろうけど……)


 だが感心している場合ではなかった。


“生意気な小娘が。邪魔を……するな!!”


 紀久子の悲鳴が響き渡る。

 シュラインの怒りの電磁波は、明の脳にまでも強い刺激を与えてきた。G細胞の影響で電磁波への感受性が高まっていたためであるが、明はその事には気づいていない。


「ぐ……」


 明は小さく呻いた。これほどの出力があるとは……紀久子の精神にダメージを及ぼすには、充分過ぎると思えた。


(松尾さん!!)


 迷っている場合ではなかった。状況把握すら満足に出来てはいないが、とにかく発進するしかない。ワイバーンの足下の床を開くと、その下1メートルほどの位置にはもう水面が見える。

 本体を固定しているエアダンパーの圧を抜くと、ゆっくりとスーツが降下し始めた。


(何が出来るか分からないけど……松尾さんだけは……助けるんだ。絶対に)


 階下に当たる発進路は五十センチほどの中途半端な深さで海水が侵入してきていた。しかしこの場所は本来、浸水して良い場所ではないはずだ。本来なら床面を移動させてくれるはずのエアシューターも作動していない。仕方なく明は、外部ハッチまでの数メートルを、歩いて移動しようと立ち上がった。

 だが、一歩も歩き出さないうちに足元がふらつき、ワイバーンは通路側面に上部をぶつけて立ち止まってしまった。どうも、このような狭い通路の歩行には向いていないらしい。歩けないことはないが、かなり手間取りそうだ。


(このままじゃ……無駄に時間だけ食っちまう……)


 何とか体勢を立て直し、数歩、無理矢理歩いて、外部ハッチを視界に捉えた時、明は浸水の理由を発見して息を呑んだ。


(こういう…………ことだったのか)


 そこには、シュラインの真っ白な肉塊が侵入してきていた。

 エアロックになっている、ハッチそのものをふさぐように居座っている。カインのサラマンダーが発進した場所をこじ開けられたのであろう。肉塊が無理矢理入り込もうとしたことで、逆に空気の流出を抑える結果になっているのが幸いだったが、隙間からは噴水のように海水が漏れていた。

 こうしている間にも、シュラインはの思考波は脳内に響き続けている。明の行動にはまるで気付いていない。おそらく、紀久子を痛めつけるために意識を集中しているのだろう。

 ワイバーンには通信ケーブルは接続していないため、紀久子の悲鳴は聞こえないが、その苦痛を想像すると、のんびりとはしていられない。


(とにかくコイツを外に放り出すんだ。早くしないと松尾さんがおかしくなっちまう!!)


 シュラインを引きはがせば外部ハッチは開きっぱなしになる可能性があったが、明の下りてきた上層階への隔壁は降りている。研究室内まで浸水することはないはずだ。


(こ……の!!)


 明は、侵入している不定形の突起部分をマニピュレータでひっつかむと、そのまま背部ジェットを全開にした。体全体を押しつけるようにしてジェット推進で肉塊を押すが、びくともしない。狭い通路内は瞬間的に高温になり、赤熱した金属で肉塊が焼け焦げ始めた。

 すると肉塊に塞がれて分かりにくかった外部ハッチの開口部が、肉がちりちりと焦げて縮むことでようやく見えた。無理矢理押し広げられていたため、本来と違う位置に開口していたのだ。


(こっちかよ!!)


 肉塊を掴み直した明は、ジェット推進をもう一度全開にして体当たりした。


『ギャアアアアア!!』


 生体電磁波の悲鳴が明の耳元でうるさいくらいに響く。

 まさかここに誰かが降りてくるとは思っていなかったのか、シュラインはほとんど無抵抗であった。

 圧縮された空気に押され、深海中に飛び出した明は、すぐにモニターをエコーロケーションの全周監視に切り替えた。頭部周囲がすべてモニターに切り替わり、モノクロながらも、深海の風景がかなりのクリアさで目に飛び込んでくる。

 空中戦用のワイバーンであったが、試験的に搭載されていた機能が役立った。


(なるほど……そういうことか)


 周囲を見渡した明は、シュラインの全身を見てようやく納得した。

 シュラインの本体は、平たく丸いぶよぶよした塊状の肉塊である。そこから数本の細長い触手のようなモノが伸びていて、それぞれ犬や猫の上半身、カニの鋏、あるいはサルの手のみなど異様な形状をしている。

 紀久子の乗るシーサーペントに向かおうとしていた触手は、リュウグウノツカイと呼ばれる深海魚に酷似した姿をしていたが、その顔は少年シュラインのものであった。

 明のマニピュレータがつかんでいるのは、ちょうどのその反対側に生えた、長い尻尾状の触手である。


(このまま…………シュラインをラボから引き離すんだ)


 ジェット推進はもう数秒分使ってしまった。節約しなくてはならない。明は予備のスクリュー推進に切り替えると、シュラインを引っ張り始めた。

 さすがに水の抵抗が大きいがワイバーンの出力は驚くほど高いようで、ジェット推進を使用しなくてもなんとかシュラインを引っ張ることはできた。奇妙な形状のシュラインに、遊泳力がほとんど無いせいもあるのだろう。

 だが、シュラインも黙って引きずられ続けてはいない。数本の触手がワイバーンの全身に巻き付き、関節部やスクリューノズルを押さえ込んで移動を封じようとし始めた。速度を殺されたワイバーンはゆっくりと沈降しつつある。このまま稼働時間が切れれば、深海の泥の中で死ぬことになるだろう。


(ダメだ…………このままじゃ……)


 通常推進のスクリューノズルをふさがれてしまえば、あとは背面のジェット噴射装置を使う他にない。


(一気に水深を変えれば……いくらシュラインでもダメージは大きいはずだ)


 ジェット推進で垂直に移動するのだ。

 深海魚を釣り上げたのを見たことがあるが、内圧で浮き袋や目玉が飛び出し勝手に死んでいた。深海適応したシュラインが水圧の変化に対応しきれない可能性は高いと思えた。

 しかしジェット推進はフルチャージでも持続時間がたった四十五秒しかない。先ほど少し使っただけでも消耗したはずで、おそらく使えてあと四十秒弱といったところか。いや、そもそもこのスーツ自体の稼働時間も三十分だけ。もしシュラインの動きを封じるために、ショックアンカーを使えばさらに短くなる。

 そもそも水圧変化のダメージが明自身にどのくらいあるのかすら分からないのだ。稼働時間が短く、命綱もないワイバーンの出力を全開にするということは、地獄への片道切符といえた。


(それでも…………オレがやらなきゃ……)


 思わず見上げた深海の闇は深かった。エコーロケーションモニターでも映し出せるのは、ほんの半径数十メートル。海水以外何もない、この闇の中に向かって、不気味な肉塊と心中するために行くのか。明の心に、初めて怯えの感情が生まれた。

 脳裏に父、伏見伊成の顔が浮かぶ。病死寸前の明のために、すべてを捨ててここに連れてきてくれた。

 そしてシュラインを倒すために自爆した父。結果的にシュラインは倒せなかったが、皆の危機を救ったことに変わりはない。もしここで自分が命惜しさに引けば、父の死は本当の無駄になると思えた。

 助けてくれた父の願いを思えば、自分自身も死ぬわけにはいかないという思いも無論ある。


(いや…………それじゃ逃げだ。オレは死ぬためにやるんじゃない。自分が出来ること、やるべきことを精一杯やるだけだ)


 明は覚悟を決めた。

 絶対に外せない。ショックアンカーの狙いは巻き付いてくる触手ではなく、丸い本体につけた。


(くらえ!!)


 両腕から放った二本のアンカーが肉塊の奥深くまで突き刺さった。

 柔らかい。もう少しで貫通するかと思ったほどだ。充分刺さったのを確認して指先のスイッチをONにすると、すべての触手が真っ直ぐ伸ばされ、その後急に力が抜けた。白く細長い海藻かゴミのように漂う触手は、電撃のショックを引きずってまだ小刻みに震えている。


(今……だ!!)


 明は漂う触手を両手でかき集めるように保持すると、背面のジェット推進装置を全開にした。推進方向は上だ。

 ジェット推進開始と同時にエコーロケーションモニターが消え、暗闇のコクピット内で明を照らすのは機体コンディションを示す緑と赤の発光パネルだけになった。


(このまま、四十秒上昇すれば、計算では約七百メートル行けるはず。いや、シュラインの水抵抗を考えると半分くらいかも知れない……だが、たとえ数百メートルでも、水圧差でかなりのダメージを与えられるはずだ)


 しかし、いったいどれほど進んでいるのだろうか?

 試作機のワイバーンには、高速推進中の周辺データを表示する機能がない。

 何もないはずの海中で衝突の心配はないとしても、進んでいるのか止まっているのかも分からない状況に、明は焦りを感じ始めた。その時、ふいに背部の推進装置が停止し、急激な水の抵抗で機体の停止を感じた。

 バックパックの水素燃料が切れたのだ。


(へっ……ざまあみやがれ)


 明はエコーロケーションモニターを復活させ、触手をふりほどいた。シュラインはまるで水中を漂う布団かなにかのように、ぐったりと力なく漂っている。

 やはり、水圧差によって、かなりのダメージを与えることができたようだ。

 水圧計のメーターを見ると、水深は1400メートルくらいである。なんとか、600メートルほどは上昇できたらしい。ほっとすると同時に、胸に痛みが襲ってきた。呼吸がしづらい。耳からの痛みが頭痛に変わり始めている。潜水病の症状が出始めているのだ。だが、明にとって死は覚悟の上だった。


(とりあえず……オレはここまでだな……)


 スーツの稼働時間は、もうあと二十分ほどしかない。それまで自分が保つかどうかも分からないが、高速移動のできない今、ここからではどうあがいても研究所へも水面へも戻れないのだ。

 どちらへ行っても間に合わないなら……


(松尾さんのいる、海底へ向かおう)


 通常推進はバッテリーを食う。だが、それでも自然沈降よりはスピードは稼げるはずだ。


(結局、松尾さんへは、思いも、言葉も伝えられなかったけど…………守れたんだ。よしとするか……)


 明に出来るのは、このままゆっくりと沈んでいくことだけだった。

 ぐったりしたシュラインは、体内に発生した気泡のせいで、明とは逆に少しずつ浮き上がっていく。


(ざまあみやがれ。松尾さんを苦しめたりするからだ)


 エコーロケーションモニターを回復させた明は、なんとなく、シュラインの姿を目で追っていた。


(え? なんだ、アレ??)


 明は訝った。

 すでに相対距離は百メートル近くあるため、エコーロケーションモニターでも感知しにくいが、シュラインの影に何か巨大な影が近づいていくように見えたのだ。

 明はあわてて倍率を上げ、もう一度シュラインを観察した。


(あれは……イカ? …………ダイオウイカか!?)


 距離はかなりあったが、特徴的な動きと形状は、ダイオウイカに間違いない。

 もちろん生きた実物を見るのは初めてだったが、ネット動画でダイオウイカの捕食シーンなら見たことがあった。

 細長く紡錘形になったイカが、まるで矢でも放つように、素早く触腕をのばして獲物を捕らえる。モニターに映る巨大イカは、まさにその体勢に入っているように見えた。


(ま……まずい!!)


 明の背中に戦慄が走った。

 力なく漂うシュラインは疲弊しきっているはずだが、もし何か他の生物と接触すれば、個体ごとを乗っ取ることで復活できる。

 おそらくシュラインは、水中の手ぬぐいのようにぐったりした風情を装いながら、自分を捕食してくれる大型生物を誘う臭いを発し続けていたに違いない。


(しかし本当にダイオウイカ…なのか?……初めて見たけど……大き過ぎるんじゃないか!?)


 肉塊と化したシュライン本体の直径が十メートルほどだとすると、見えている巨大イカの影は長い足を抜かしても、その数倍はある。少なく見積もっても五十メートル以上はあるように見えた。

 明は知らなかったが、この巨大イカは巨獣化したダイオウイカであった。

 十五年前の巨獣大戦時、海上で撃破され深海に沈んできた巨獣の死体を偶然捕食し、細胞内共生生物・メタボルバキアをも体内に取り込んだ。そして、人知れず巨大化していたのだ。


(しかし……もう、打つ手がない…………)


 もはやワイバーンには稼働時間も十五分ほどしか残されていない。そうでなくとも水圧差にやられた明のダメージは大きかった。その潜水病も、G細胞の影響により既に回復し始めていることに、明は気付いていなかったが、今は動ける状態ではない。

 しばらくして、シュラインのフワフワした影が、まるでストローで吸い込んだかのように巨大ダイオウイカの影に吸い込まれた。

 獲物を呑み込んだ巨大イカは満足したのか、しばらくの間はその場でたゆたうようにしていた。

 だが、すぐに苦しげに体を伸縮させ始めた。そして、長い触手を自分自身に巻き付けるようにして動きを止めた。

 自分の触手でがんじがらめになったまま、見つめる明の方へとゆっくりと沈降して来る。それはまるで体内の何かから逃れるため、自分自身の体を引きちぎろうとしているように見えた。


(くっ……融合が始まったか)


 シュラインの細胞が、巨大ダイオウイカの細胞と戦っているに違いなかった。だが、それもほんの数十秒でおさまり、今度は触腕を広げたり縮めたりし始める。


(まさか、もう乗っ取ったってのか!? 早すぎる!!)


 シュラインは巨大イカの体内にはいると、すぐに中枢の乗っ取りにかかったのだ。

 体細胞の全てをシュラインの細胞に感染させ、遠隔であやつるには時間が掛かる。しかし、自分自身が寄生虫のように入り込み比較的小さなイカの脳を乗っ取ってしまえば、神経系を使って全身を操ることが可能になる。

 こうして短時間で完全に巨大イカを乗っ取ったシュラインは、まずは、自分をこんな目に遭わせた憎むべき人型兵器・ワイバーンに狙いを定めた。


(くそっ、水深はまだ千五百……ラボまではあと、五百メートルもあるのか……)


 しかし、たとえなんとかラボに戻れたとしても、巨大イカと化したシュラインを引き連れては行けない。紀久子達を、これ以上危険な目に遭わせるわけにはいかなかった。

 明は沈降を中止し、やって来る巨大イカ=シュラインに向かって上昇し始めた。


(どうせ逃げられないなら…………一矢報いてやる!!)


 シュラインは父の仇でもある。

 それにそんなつもりはなかったとはいえ、巨大イカと接触させ、巨大化させてしまった責任は取らなくてはいけない。

 とはいえ、五十メートルを超える巨大イカに対して、明に残された武器はショックアンカーのみ。

 それも、あと五分ほどで使用不能になる。

 それ以外では直接格闘するしかないが、これだけのサイズの差があっては敵いそうもない。

 だが、明は諦めるつもりはなかった。


(イカの頭部は足の上……目の間だ。そこにショックアンカーで電撃を加えられるなら……)


 勝機があるとは言えなかったが、それしか方法はないのも事実だった。

 巨大イカは足を揃えて流線型に体を変化させた。獲物を狙う体勢だ。縮めた触腕の射程がどの程度あるかは分からなかったが、これではショックアンカーの射程には入らないのは確かだ。

 もう少し近づくべきか。それとも今の位置を維持して攻撃を躱すべきか。

 明は一瞬迷った。だが次の瞬間には、平たい触腕の先端が一瞬にして伸び、ワイバーンの胴回りに巻き付いていた。


(く……くそ…………)


 触腕はワイバーンの機体を完全に包み込んだ。モニターの視界をすべてふさがれたのだ。

 両手両足もほとんど動かせない。鋭いトゲのある吸盤のついた触腕が一瞬にしてまとわりつき、捕らえた獲物を引き寄せ始めたのだ。

 水中を引きずられている間にもゆっくりと、しかも脈打つように段階的に全身が締め上げられていく。

 スーツ内の明にはまだ影響はなかったが、構造材のきしむ音は内部に響き続けている。深海中ではわずかの変形から、水圧に負けて一気に圧壊するおそれがある。

 一刻も早く脱出しなくてはならないはずだったが、明はじっと動かず、されるがままにしていた。


(…………まだだ。まだ、そのタイミングじゃない)


 充分にダイオウイカの本体に引き寄せられるまで待つのだ。

 どれほど巨大でも、柔らかい体のイカではワイバーンの装甲は簡単には破壊できない。もし確実に殺したいなら、口吻を使うはずだ。

 軟体動物であるイカやタコも口吻だけは固くとがっていて、エビや貝などの獲物の殻を噛み砕くことが出来る。狙うのはその口吻が開いた一瞬だ。

 ショックアンカーは二つの極の間に高圧電流が走る。一発を口の中に。もう一発を目に当てて電流を流せば、脳で中枢神経を操っているシュラインに、大ダメージを与えられるはずだ。

 身動きも出来ないまま引き寄せられ、強化作業服の軋む音を聞きながら、明は不思議と落ち着いていた。既に捨てた命なのだ怖いことなど何もない。


(…………タイミングの……勝負だ)


 イカの触腕は、他の腕と違って先端以外には吸盤がない。

 食事の際には捕獲した獲物をもう一度他の腕でつかみ直す。その時なら、触腕の拘束が一瞬ゆるむ。

 周囲が全く見えない状況で、構造材の軋み音が消えた一瞬を、明は見逃さなかった。

 両手を思い切り振り払うと、ゆるんだ触腕が動き、僅かだが視界が確保できた。


(食らえッ!!)


 明は、左腕のショックアンカーを十本の脚のすき間から見える、丸く巨大な目に向かって発射した。

 うまく命中したのは運もあったのだろう。

 距離は十メートルもなかったが、アンカーの射程としてはギリギリだった。一抱えもありそうな目は標的としては大きかったが、触腕で振り回される明自身が常に動いていた。

 一歩間違えば、外していたかも知れない。だが、一本撃ち込めればこちらのものだ。

 あとはこちらを破壊するために開いた口吻内に、右腕のショックアンカーをたたき込むだけだ。

 しかし目への命中はよほど神経を刺激したのだろう。巨大イカは漏斗と呼ばれる出水口から勢いよく水を吹き出して一気に海底へ向かって泳ぎ始めた。

 すさまじい勢いの水流と水圧に弄ばれながら、明は触腕にしがみついた。

 振り落とされるわけにはいかない。このまま触腕に右アンカーを突き刺し、電流を流す方法もあるが、それでは致命傷を与えることのできる可能性は低いからだ。可能な限り中枢神経にダメージを与えたかった。しかし、スーツの稼働可能時間は刻々と減っていく。


(あと……数秒でコイツがおとなしくならなかったら……もう、触腕に突き刺すしかない)


 そう覚悟を決めた時、突然、巨大イカの動きがストップした。

 いよいよ明を口吻の方へ運び始める。


(い……今……だっ!!)


 明は自分を引き寄せ、噛みつこうと開いた口吻の中に自ら右腕を差し込んだ。そしてショックアンカーの発射と同時に着弾を待たずに電流を全開にした。

 明の作戦は成功した。

 巨大イカ=シュラインは再び高圧電流を受けて麻痺状態となったのだ。


 ただひとつ明にとって誤算だったのは、完全な麻痺状態となる前に巨大イカの口吻が閉じたことだった。


「いやあっ!!」


 エコーロケーションモニターを見ていた紀久子が悲鳴を上げた。

 巨大イカによって、ワイバーンはいつの間にか研究所のすぐ近くまで運ばれてきていたのだ。

 シーサーペントから第三ブロックへ戻った紀久子は、外周モニターを総動員して明を捜していた。巨大なダイオウイカが、紀久子の視界に突然現れたのはその最中だったのだ。

 そして見た。そのダイオウイカの触手に巻かれて運ばれてきたワイバーンを。

 ショックアンカーを放つ姿を。

 そしてその直後、右腕を食いちぎられて、あえなくバラバラになる瞬間を…………。

 八幡も、いずもも、ウィリアム教授も、東宮も……そして紀久子も、全員がその光景を見ていた。


(し……しまっ……)


 そう思った時には、明は強引に引き抜かれたワイバーンの右腕部分ごと海中に引きずり出されていた。


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