14-9 終わりなき戦い
G=王龍は、ダイナスティスとがっぷり組み合ったまま、荒い息をついていた。
長大な二本の角を左腕で抱え込み、全体重を大地に預けて、ようやく突進を止めることが出来たのだ。
ヘラクレスオオカブトの巨獣・ダイナスティスの角は、その体長にも匹敵するほどの長さであり、その強度はGの膂力を持ってしても折ることは出来ない。擬巨獣でなく一体の昆虫が巨大化した今のダイナスティスは、小さな昆虫の集合体ではないのだ。
その角は中空部分をのぞいて、ほとんどキチン質の固まりだ。
数センチサイズの大型甲虫の持つ、厚さコンマ数ミリにも満たないキチン層ですら、金属をも跳ね返す強度と柔軟性を持つ。
角だけではない。
その全身までも厚さ数十センチのキチン層で覆ったダイナスティスは、生物として最強クラスの鎧を身につけているのと同じと言えた。
しかも、ダイナスティスには超振動という武器がある。
重厚なキチン層を支える強靱な筋肉によって振動させることで、その角は何者をも切り裂き、粉砕し尽くす刃と化す。
二本まとめて根元部分を抱え込むことで何とか押さえ込んでいるが、解放すれば恐ろしい刃と化して襲いかかって来るであろう。
そしてそれも時間の問題だ。
カギ爪を地面に食い込ませ、一歩も引かずに押し込んでくるパワーは、押し返すこともいなすことも出来そうにない。しかも、押し込むだけではなく、何度も上体を反らすようにして、投げ飛ばそうとしてくる。
カブトムシがよくやる戦闘法だが、堅い装甲を持たないG=王龍が投げられれば、地面への激突で深刻なダメージは避けられないだろう。
その上、抱え込んだ大角は既に超振動を始めている。角に触れているG=王龍の表皮は部分的に沸騰し、白い蒸気が立ち上り始めていた。
押し込まれないまでも、投げ飛ばされて体勢を崩せば、すかさず大角が襲いかかってくるに違いなかった。
(だったら……受けて立つのがGの戦闘法だ……でも……そうしたら……)
明は逡巡していた。
打開策は考えついている。だが、常に捨て身の行動を取れた今までとは違って、自分の中には紀久子とまどかがいるのだ。
彼女たちを苦しませるわけにはいかない、痛みを与えたくない。
すべてを失ったと思ったあの瞬間。
バケモノと化した自分にとって、唯一の光であってくれた紀久子。
進む道を示してくれたまどか。
その二人を死なせてしまったと思った時、何もかもが無意味に思えた。こうして、共に戦ってくれているのは奇跡なのだ。
二人だけでも、無事に帰さなくてはならない。それも人間の姿で、だ。
(それだけじゃない……僕自身も……今、死を恐れている……)
捨て身には理由があった。
Gが不死身であることを過信していたわけではない。心のどこかで、『どこで死んでもいい』そう思っていたからだ。
何度も捨てたつもりの命。
そして、完全に捨てたつもりの人間の姿。
だが、今感じているこのあたたかいもの……二人がくれた命の感触は、生きていなくては決して味わえない。それを、自分は惜しんでいる。この生にしがみつきたいと願っている。
“明君!? 見て!!”
紀久子の思念波を感じて周囲を見渡すと、分厚い緑の壁が再び迫ってくるのが見えた。
昆虫型巨獣どもが斃され、最後の切り札、ダイナスティスまでも動きを止められたと悟ったクェルクスが、攻撃を再開したに違いなかった。
蔓や枝葉が次々に伸び、地下からは巨大な根が槍のように飛び出してくる。いったん伸びたものが、触手のように動いたりはしないが、その太さや長さを増して空間を埋め尽くそうとする植物群は、G=王龍の行動を制限し、気体の置換能力で一帯の酸素濃度を希薄にしていく。
紀久子の意識が叫んだ。
“いけない!! このままじゃ、動けないまま酸欠になってしまうよ!! 周囲の植物を焼き払おう!!”
まどかの意識がそれに続ける。
“二人とも、王龍の能力を、あたしに預けて!!”
G=王龍は全身から半透明の触手を放出した。髪の毛のように細く、強靱な、その糸状の触手は、周囲を取り巻く植物の壁にまとわりついた。
“雷撃!! いきます!!”
紀久子の意識がもう一度叫ぶと、周囲の空間すべてが発光した。
雷鳴にも似た激しい音と衝撃が走り、植物壁は砕け散った。いくら再生力があるといっても、燃え上がり、黒こげになった植物は回復に相応の時間が掛かる。
しかし雷撃を同時に受けたはずのダイナスティスは、それでも表面に焦げ痕すら残さず、押し込んでくる力も衰えてはいない。
“なんてヤツだ……でも……今なら……”
明はG=王龍の持つ、すべての感覚を支配するため、意識の糸を全身に伸ばし始めた。
王龍の能力を使うために、神経中枢から二人の意識はわずかに離れていた。そのまま、少しずつ二人の意識を、腰部にある神経束の方へと押しやっていく。
“!? 明君!? 何をするつもり!? 私達も戦うって言ったよ!?”
“私達を元の場所に戻して!! 一人じゃ無理です!!”
異変に気付いた二人の叫びには答えず、明はGにとって『異物』である彼女たちの意識を、王龍を構成していたヒュドラで包み込み、神経束の中へと運んだ。
(出来……たっ!!)
分離した。
今なら、二人を苦しめないで捨て身の行動を取れる。
次にダイナスティスが角をよじり、反り返ろうとした瞬間、明=G=王龍は、両脚で思い切り大地を蹴った。
投げ飛ばそうとするダイナスティスの力には逆らわない。それどころか、さらに白銀の翼を広げて飛ぶ。
巨体を持ち上げるイオノクラフト効果が、ダイナスティスの前半身を持ち上げた。
だが、後半身の強力なカギ爪は、大地をしっかりとつかまえて離さない。G=王龍の体は大きく弧を描き、受け身もとれないまま、頭から瓦礫の山に叩き付けられていた。
頭部がほぼ完全に瓦礫に埋まり、轟音が聴覚を奪い、砂塵が視界を覆い隠す。
(ぐ……うッ!!)
脳天から脊髄に至るまで、凄まじい衝撃が襲った。骨の折れる鈍い音が響く。おそらく、回復不能と言っていいダメージを受けたに違いない。
顔面からは、体液が飛沫く。中枢に深刻なダメージを負ったせいか、意外にも痛みはほとんど感じなかった。瓦礫に埋もれたまま、意識が遠のいていく。
だが明=Gは、最後に残った感覚をたぐり寄せ、無理矢理自我を現実へと引き戻した。ここで意識を失うわけにはいかないのだ。
この結果は予想していた。G=王龍は、そのままくるりと一回転して立ち上がると、すぐさま振り向いて、砂塵の中に放射熱線を叩き込んだ。
『キシュアアアアアアアッ!!』
発声器官を持たないはずのカブトムシ・ダイナスティスから、悲鳴のような音が発せられる。
(ぐ……あッ!!)
足を一歩踏み出すだけで、激痛が全身を襲った。
体が傾く。手足がうまく動かない。思うように進めないが、今しかチャンスはないのだ。
視界は砂塵に塞がれたままでも、超感覚でダイナスティスの居所は正確に突き止めている。
明は、至近距離からもう一度、放射熱線を発射した。
凄まじい熱風が砂塵を吹き払うと、そこには仰向けになって脚をひくつかせているダイナスティスの姿があった。
狙い通りであった。のけ反った勢いでひっくり返ってしまえば、簡単には起き上がれない。しかも全身にクチクラ層を持つ甲虫といえど、腹側は背中や頭部ほどの厚みは無いのだ。
腹の外皮を焼き切られたダイナスティスは、無防備な姿勢のままだ。
G=王龍の右腕の爪が、パックリと開いた傷口に向かう。
『待て!! ダメだ!!』
ところがその時、通信音声が、Gの電磁波受容体に感知された。
それと同時に、目の前に割って入ったのはライヒ隊長の乗る機動兵器・ハルピュイアだ。
“あっ!?”
一瞬。明、紀久子、まどかの三人の意識が重なった。
飛び散っていくハルピュイアの破片が不思議にゆっくりと見え、その後に来た爆風がG=王龍を後方へ吹き飛ばした。
“ライヒ隊長――――ッ!!”
まどかの意識が叫ぶ。
“何が起きたんだ!?”
“き……傷口から……”
ダイナスティスの腹部に入った大きな傷。
そこから顔を出していたのは、別の昆虫型巨獣の大アゴだった。
どうやってその位置からハルピュイアを撃墜したのかまでは分からない。だが、なんらかの攻撃を受けて四散したのは間違いなかった。
“ライヒ隊長は上空から見ていたんだ。だからヤツの体内に蠢く、もう一体の巨獣に気がついた……”
ずるり。と傷口から抜けだしてきた、茶褐色の昆虫型巨獣は、カブトムシとは似ても似つかない、トゲトゲした姿であった。
『なんだコイツは!? 何なんだよ!?』
オットーが叫んだ。
ダイナスティス以外の昆虫型巨獣をすべて殲滅した彼等は、G=王龍の援護のために、周囲に集まってきていたのだ。
一瞬にして、信頼できる上司を失ったオットーの声は、ほとんど悲鳴に近かった。
“アノトガスター……オニヤンマの幼虫によく似ています!! 気をつけて!! ヤツのアゴは伸びる!!”
広藤の思考波が、明達に届く。
次の瞬間、トゲトゲした昆虫巨獣……アノトガスターの正面にいたカイが、何かに跳ね飛ばされたように転がった。
“カイ!! 危ない!! そのまま伏せて!!”
いずもの指示を受け、立ち上がろうとしていたカイが、地に伏せると同時にそのすぐ上をアノトガスターの大アゴが横切っていった。
『速い!?』
攻撃を察知して防御姿勢を取った機動兵器・バハムートもまた、左の飛行翼を損傷した。空中で姿勢を保持できなくなったバハムートは、獣型に戻って瓦礫の山に着地する。
『ちくしょうッ!! あの伸びる牙で隊長をやりやがッたのか!?』
“あの攻撃は速すぎる!! 動かない本体を攻撃するんだ!!”
広藤の思念波を聞いて、サンが跳躍した。その手には鉄骨の槍を握りしめて。
“やった!?”
茶褐色の昆虫型巨獣に鉄骨が突き立てられた、と思った次の瞬間。小柄なサンの体は、空中に持ち上げられていた。激しく空気を叩く音が響き、悲鳴のような甲高いサンの声がそれにかぶさる。
“きゃああ!! サン!! 逃げて!!”
いずもの叫び。
それは巨大なトンボであった。
翼長三百メートル以上はあると思われる透明な翅を広げ、細長い脚が鳥籠のようにサンを包み捕らえている。
巨大トンボは、無造作に数回、サンの首筋に大牙を振るった後、高空から投げ捨てた。
「ホゥッ!!」
負傷して伏せていたカイが、サンの落下位置に駆け寄る。そして、辛うじて空中で抱き留めたものの、二頭はもつれ合うようにして瓦礫に突っ込んだ。
「サン!! カイ!! しっかりして!!」
涙混じりのいずもの声。
サンの胸部装甲に搭乗しているいずもは、間近でサンの肉が抉られる音を聞いていたのだ。
飛翔する巨大トンボの牙は、次の瞬間にはシュライン=デルモケリスの左腕を斬り飛ばしていた。
“ぐ……う……コイツ……なんてパワーだ”
右腕で傷口を押さえてシュラインが呻く。
“アゴが伸びた!? 成虫なのに!? それに……一瞬で成虫に……”
ようやく状況を把握した広藤が、驚きの声を上げた。
地上には、先ほどダイナスティスから出てきたトゲトゲした姿がある。背中に鉄骨を突き立てられたその傷口からは、一滴の体液も流れてはいない。
よく見ると背中に細い裂け目が入り、そこから覗く黒い空洞には、何も無かった。
いまだその姿すら、誰も明確に捉え切れていないが、巨大トンボは、幼虫の姿を脱ぎ去って現れたに違いなかった。
『広藤!! 注意しろ!! コイツに常識は通用しそうにないぜ!!』
小林が鋭い声で警告を発した。
巨大トンボ・アノトガスターが次に狙った獲物は、ステュクスだった。
トンボの飛行能力は蛾のそれを遙かに上回る。速度も旋回能力も高い上に、空中で静止することまで出来るのだ。ベスパに対したと同じように翅を畳み、身をひねったステュクスの横を、疾風となって駆け抜けたアノトガスターの攻撃で、ステュクスは深傷を負って落下した。
銀色の鱗粉が空中に散る。
『くそっ!! 速い!!』
“ステュクス!! そのまま地上に降りるんだ!! その方がむしろ攻撃されない!!”
広藤の指示に従って、ステュクスは瓦礫の間に避難した。
だが、この状態では有効にフェロモンを発することは出来ない。視認できないほど素早い敵を、なんとか出来るかも知れない唯一の方法を封じられてしまった形だ。
『ふざけやがって……マトリョーシカじゃあるまいし、どんだけ斃せば終わるってんだ!?』
小林が怒りの声を上げた。
『言ってる場合じゃねえぜ!! 少なくともコイツは生かしちゃおけない!! ライヒ隊長の弔い合戦だ!!』
オットーは叫ぶが、予測不能の飛行を繰り返すアノトガスターの動きは、ロックオンできない。
次は誰が襲われるのか? その場の全員が、恐怖に支配された時。
蒼白い閃光が巨大トンボの長い尻尾を捉えた。G=王龍から発せられた放射熱線だ。
大きなダメージはなかったようだが、アノトガスターはバランスを崩し、動きに乱れが出る。
“みなさん下がってください!! ここは俺が!!”
一歩進み出たG=王龍の体からは、あの透明な触手が蜘蛛の巣のように周囲に張り巡らされていた。
触手は、ヒュドラの体の一部だ。感覚器官ともいえるそれを張り巡らせ、触れた瞬間を見切って、放射熱線を発射したに違いなかった。
蜘蛛の巣に絡んだようにアノトガスターの動きが鈍くなる。そこに向かって歩を進めるG=王龍。
再び巨獣同士の、一対一の死闘が始まろうとしたその時。
《待……て……》
“この思念波は……東宮さん!?”
気付いたのは、明ただ一人だった。
思念波は生体電磁波ではなかったのだ。おそらく、クェルクスの能力を使用しているのだろう微かなその声は、超音波を使っていた。
だが、たとえGの能力であっても、巨大トンボ・アノトガスターの動きを捉えようとして感覚を研ぎ澄ませている時でなければ、気づけなかったかも知れない。
《そのままじゃ……いくら戦っても……終わらない……でも……あと一息なんだ……誰か力を……貸してくれ……》
“どうすればいいんです!? 東宮さん!?”
《クェルクスの中に……女がいる……そいつを助け出す……たのむ……俺一人じゃ……》
“女性!? その人を助け出せば、戦いは終わるんですね!? 今……行きます!!”
だが、東宮の思念波が明を制止した。
《ダメだ!! 紀久子を連れてくるな!! 生きて帰れる保証は……ないんだ……》
急に力強くなった思念波からも、東宮がどれほど紀久子を大切に思っているかが伝わってくる。明は胸が熱くなった。
“大丈夫!! 俺一人で行きます!!”
《…………すまない》
明は透明な触手を解除すると、アノトガスターには目もくれずに増殖を再開したクェルクスの壁へと歩を進め始めた。
“どうしたの!? 何を言ってるの!?”
“明君!?”
紀久子とまどかが訝しげな声を上げる。
一つの体内にいながら、中枢から押しやられてしまった彼女には、Gの超感覚が捉えた東宮の声は聞こえていないようだ。
“すみません、松尾さん、まどかさん……ここで……お別れです”
腰部神経束は、Gにとって第二の脳とも言える場所だ。
ここで二人の肉体を再構成し、分離する。もともと二人の肉体は消え去ったわけではないのだ。
アンブロシアによって生体機能を自在にコントロールする術を身につけた今、それは明にとっては容易い作業だった。
『新堂少尉!! どうなってんだ、ありゃあ……Gの羽根が縮んでいくぜ!?』
小林の通信に答えたのは、広藤の思念波だった。
“ステュクスが、生体電磁波の発振中枢が二つに分かれていくのを感じています!! もしかすると、明さんは、また二体に分離するつもりなんじゃあ……”
『バカ野郎!! そんなことしたら、パワーダウンしやしねえのか!? 今の状況で弱くなって、あんなバケモノに勝てるってのか!?』
小林が言うまでもなく、それは誰もが分かっていた。
再び自由を取り戻し、禍々しい牙をむき出しにして飛び回り始めたアノトガスターは、今度は確実にG=王龍の喉笛を狙っている。
透明の羽根を激しく振動させて巨大トンボが通過するたびに、緑色の体液と真っ赤な血が周囲に飛び散る。Gは両腕で顔面を守りつつも、怯む様子はまるでない。
『おい……分離っていうか……翼が取れちまったぞ!?』
急速に縮み、折りたたまれたG=王龍の翼は、輝く二つの球体となって背中から外れ、ゆっくりと地上へ降りた。
Gの体表面から黒銀の鱗は消え、いまや元のGとほとんど同じ姿に戻っている。アノトガスターは確実に攻撃をするためか、それともGの動きを止めたいのか、背部にしがみついた。そうなってようやく小林達は、アノトガスターの姿をハッキリと視認できた。
黒と黄色の縞模様の体は、思ったより細く華奢に見える。透明の翅も脆そうであり、小型機銃の一射でボロボロに出来そうだ。
絶好のチャンスとはいえしかし、Gにしがみついた状態では攻撃できない。アノトガスターの細く脆い体を突き抜け、容易にGにダメージを与えてしまうであろう事が予想できたからだ。
それを知ってか知らずか、アノトガスターはGの体表を動こうとせず、何度も大牙を打ち込んでいる。
『くそッ!! 離れやがれ!!』
小回りのきくバハムートで、オットーがかすめるように飛んで威嚇するが、アノトガスターはGから離れる様子はない。
こうした作業を最も得意とするサンとカイは、最初の攻撃で大きく負傷して動けずにいた。
大牙がなんども食い込んだ首筋からは、緑色の体液と血液が混ざったものが噴き出し、足元がふらつく。それでも、Gは歩みを止めない。
“東宮さん……今……行きます!!”
大きく振りかぶったGの右腕が、緑の壁に突き刺さった。