14-8 デルモケリス×ビノドゥロサス×ステュクス
“へえ。意外だね。人間の作った機動兵器ってのも、なかなか大したモンじゃないか……君もそう思うだろう?”
シュライン=デルモケリスは、目の前の敵……オオクワガタの姿をした巨獣・ビノドゥロサスに生体電磁波で話しかけた。
チーム・ビーストとサン、カイが、ルカヌス、ミルマラクネの二体に勝利し、小林とアスカの操る機動兵器も、じわじわとバトセラを圧倒しつつある。
シュラインの感想は正直な気持ちでもあった。利便性、合理性の面では機械が勝っても、エネルギー効率、及び生産コストでは圧倒的に生体が上だと思っていたのだ。
“……それにしても愚かだよね人間は。あんなものを作って、その為にどれほど多くの犠牲を払って来たのか……環境への負担、エネルギー収支、効率……これらは評価できるモンじゃない。正直、今でも人類の未来が明るいとは、僕は思っていないんだ”
しかし、返事は返ってこない。
黒く艶やかな装甲を持つオオクワガタの巨獣・ビノドゥロサスは、平たい体を更に低く伏せたまま、隙を窺うように左右に体を振るだけだ。
“でもね。悲観してはいないんだよ。どう願うか、どんなふうに力を使うかで未来が変わるのは、機械も生命体も同じだって、ようやく気付いたのさ。そしたら、誰も悲しまない世界が……そういう未来が見えたんだ。その為に、今の僕にはやれることがある……”
シュラインの生体電磁波は、ビノドゥロサスにだけ向けられた指向性のものだった。
誰にも……小林達にも、チーム・ビーストにも、サン、カイ、いずもにも、ステュクスにも……むろん、王龍と融合したGとその中にいる紀久子にも、その思念波は届いてはいない。
ただ、シュラインはここで思いを吐き出してしまいたかった。
共に戦う彼等には言えないこと。
敵だった彼等。
憎み合っていた彼等。
心も体も、深く深く傷つけてしまった彼等には言えない。それほど厚顔ではない。
だが、それでも言っておきたかったのだ。相手が誰であろうと。なにも残らなくても。
“お前を操るモノは何がしたい? 植物と昆虫による世界征服か? それが人間どもの作る世界より上等だと思うのか? そんなもの、CO2や放射性物質の代わりに、違う老廃物や排出物が増え、蓄積され、いずれお前達にも住みにくくなっていくだけだ。そしてそれをものともしない違う生命が台頭し、そこにまた新しい生態系が築かれる――”
思念波が途切れた。ビノドゥロサスの輪郭が、ふっとぶれたように見え、デルモケリスのいた場所を大牙が薙いだのだ。
デルモケリスは寸前で身を躱した形で尻餅をつき、その勢いのまま一回転して再び立ち上がる。
“――そうやって地球の歴史は紡がれてきた。それは――最終的に何もいない、無機物だけの――世界になるまで――続くのだろうね――生命なんて――そんなものだ”
ビノドゥロサスは、巨大で重厚な体からは想像もつかない速度で、しゃべり続けるシュラインに、連続して大牙を浴びせていく。
空を薙ぎ、金属的な音を立てる大牙は、恐るべき破壊力を秘めているのだろう。かすめただけの廃墟が、轟音を立てて崩れる。
轟音と土煙が巻き起こり、ビノドゥロサスの攻撃が止んだ。
また同じ姿勢に戻った巨大甲虫は、息を整えるかのように腹部を大きく震わせている。
“だけどね。だからこそ、今を生きる命は美しい。無理に誰かが作り替えるべきじゃない。どう変わっていくかは命に任せるべきなのさ。変わっていくのが世界、滅び行くのが種の運命だとしてもね。わかるかい? 人間は愚かだけど、だからこそ生命の営みのサイクルから一歩も出ちゃいないんだ……”
デルモケリスの右腕が一閃し、ビノドゥロサスの左第一歩脚が関節部から消えた。
“それはもしかすると、救いなのかも知れないよね……そんなふうに僕は思う。生命は宇宙を征したりはしないかも知れないけれど、人間は悲しみを背負い続けるかも知れないけれど、それでも、誰も一人じゃない。命は生きて、死んでいくことそのものに意味がある。僕はね……そういう世界を守りたいんだ。今はね……”
言葉が続く間に、さらに二本目、三本目の歩脚も消える。
その時になってようやく、重々しい音を立てて第一歩脚が落ちてきた。すくい上げるような一撃で吹き飛んだ脚は、大きく宙を舞っていたのだ。
“話を聞いてくれてありがとう。正直、君を殺したくはないんだ。ここを通してはくれなさそうだから仕方ないよね。完全に動きは止めさせて貰うよ……”
しかし四本目の脚を狙って繰り出されたデルモケリスの一撃は、右第二歩脚には届かなかった。
シュライン=デルモケリスは予想外の方向からの衝撃をまともに食らって、後方へと弾かれたのだ。
“な……何だ!?”
辛うじて踏みとどまったデルモケリスが、体勢を整えようとした瞬間。
ビノドゥロサスの大牙が胴体をがっしりと挟み込んでいた。
“翅か!!”
ビノドゥロサスが前翅を開いていたのだ。あの一瞬に、難攻不落の装甲でもあるその前翅を開き、デルモケリスの頭部を叩いたのだ。
そして、よろめいた隙に後ろ羽根を羽ばたかせ、低空飛行で間を詰めた。最強の牙に挟み込まれたデルモケリスにはもう逃げ場はなかった。
ビノドゥロサスの大牙は、ダイナスティスの大角がそうであるように、ゆっくりと超震動を始めた。これまで、速度を優先するために止めていたに違いなかった。
その振動が一定に達すれば、そこに挟まれているデルモケリスの胴体は真っ二つとなるだろう。いくら海生生物の寄り集まった群体巨獣といえども、意識が依拠している核となったオサガメが死ねばシュラインもまた死ぬ。
“これでどうだ!!”
デルモケリスの口から放たれた球電が、ビノドゥロサスの頭部を包み込んだ。至近距離で炸裂するエネルギーが、黒光りする表皮を灼く。だが、分厚いケラチン質の装甲は、焼けも崩れもしなかった。
“す……素晴らしい強度だね……これは、生命が到達できる限界の強度かも知れないな”
そう呟くと、シュラインは目を閉じた。
敗北も、死も、苦痛ではない。運命であり、贖罪であり、旅立ちであると理解できた。
ここで自分が死んでも、彼等は必ず勝利し、未来へ向かうだろう。そして、きっと心に掛けてくれる。忘れないでいてくれる。今はそれが確信できる。自分は一人ではなかったのだと。
(こんな死は……ぜいたくすぎるかな。生きろよ。おまえたち……)
脳裏にふと、泣きながら叫んでいた紀久子の顔が浮かぶ。
(僕のためには泣いてくれないよね……ひどいことばかりして、すまなかった……)
超振動する大牙がデルモケリスの甲羅に食い込み始めたその時。
“逃げろシュライン!!”
その思考波は、広藤のものだった。
ベスパを斃したステュクスが、上空へと戻ってきたのだ。デルモケリスの危機を察して、渾身のフェロモンを発していた。
濃厚なフェロモンは、一瞬でビノドゥロサスの動きを止めた。ステュクスがそのまま体当たりすると、超振動をやめ、力の抜けた大牙からあっさりとデルモケリスは離れた。
“……すまない”
立ち上がって、呆然と呟く。
シュラインは戸惑っていた。
何故助けた? とは聞かない。聞けない。
その返事がわかりきっていたからだ。その返事を聞けば、自分の罪を更に重く、背負わされてしまう気がしたからだ。
“どうしたんです? あなたらしくもない。昆虫の弱点は胸部神経節です。そこを叩かないと!!”
“そう……そうだったな。そこまで気付かなかったよ”
これまで人間を、命を利用し、踏みにじり、世界を相手に戦ってきた自分が、目の前の一体の巨獣を殺したくなかったのだとは言えなかった。
だが、殺す気で戦っても、勝てる相手かどうかは分からない。球電をも跳ね返す黒い装甲には、他のどんな攻撃も通じそうもないのだ。
“……オオクワガタは頭部と胸部の接合部を、装甲で完全に覆っている。どうやっても狙えないんじゃないかな?”
“いや、狙うなら後方からです。昆虫の後進を考えていない外骨格は、重なり方が一定です。前方からは死角が無くても、後方からなら隙間が狙える!! 僕たちが引き付ける!! あなたがとどめを刺してください!!”
それは、信頼がなければ出ない言葉。
ついさっきまで敵だった自分を、ここまで信じ切ることが出来る……それが人間という生き物なのだ。
シュライン自身もまた、自分を捨てた母を最後まで信じて、あの場所に踏みとどまったのではなかったか。
自分は一体何をやっていたのか。あの群体巨獣の汚泥に呑み込まれた時に、捨ててしまった人の心を、今、もう一度ここに届けてもらった。そんな気がした。
死ぬのは厭わない。だが、指一本でも動く限りは彼等の力となろう。そう思った。
“球電を最大パワーで発射する。君達は、すぐに上空へ逃げろよ!!”
球電をそのまま放っても通じないことはわかっている。
シュラインはデルモケリスを構成する生物群の中から、発射可能な硬度と強度の充分な海生生物を探した。
腹甲を構成している小型のカニ達が、その攻撃には適していた。
小さな歩脚の運動を、波のように集めていく。たわんだ小さな脚に溜められた、弾力と剛性。それは中心にいる、たった一体のカニを高速で発射するための力だ。
”行けぇッ!!”
ビノドゥロサスの胸部の隙間を狙って発射された、小さなカニの速度は音速を超えていた。
一瞬。
ビノドゥロサスの動きが止まる。
胸部の合わせ目。隙間とも言えないようなそこから、糸のように細く、白い体液が噴き出した。
“君の命は無駄にはしない。そして僕もすぐに行く。先に輪廻の彼方で待っていてくれ……そのときは、共に……”
発射された球電の電気エネルギーは、落雷にも似た稲妻を放出しつつ、噴き出した体液を伝ってビノドゥロサスの中に吸収された。
硬直したままの黒い体は、微動だにしないまま、まるで積み木のようにバラバラに崩れ落ちた。
周囲に真っ白な煙が立ちこめ、肉の焼けるイヤな臭いが充満する。内部組織をすべて焼き尽くされた巨大オオクワガタの、それが最後の姿だった。