14-3 東宮照晃
“なんて……圧力なんだ”
クェルクスの中心となる、明治神宮から数キロ地点。
一気にそこまで進撃したシュライン=デルモケリスは、そこから一歩も動けなくなっていた。
“超音波か……”
予定外の事態だった。
はじめは、何故自分が動けなくなったのか、シュライン自身にも理解できなかった。
風圧でも、温度でも、光でも、臭いでも、まして生体電磁波でもない、その正体不明の圧力が、人間の可聴域を遙かに超えた周波数の、超・超音波とでも呼べるようなシロモノによるものだと分かるまで、十数分を要してしまった。
自分の持つすべての感覚をひとつひとつ洗い直し、ようやく何が起きているのか理解できたのである。
その間に、雷球でいったん目的地近くまで焼き尽くしたはずの緑の壁や茎葉は、恐るべき速度で再生しつつあった。
植物型巨獣・クェルクスから発せられていたその超音波は、異常なほどの高出力でもあった。しかも通信の妨害となっている電波ノイズは、この超音波によって強制的に振動させられた金属や鉱物などから発せられている、極超短波であるようなのだ。
その極超短波が更に他の機器と共鳴して、関東圏全域にわたるノイズを発している。それほどのエネルギーを持つ強力な超音波を、シュラインもこれまで知覚したことはなかった。
そして、超音波であるが故に、シュラインですらここに来るまでこのことに気付かなかったのだ。東宮を経由してクェルクスを支配下に置いていた時にも、この現象はあったはずだ。
低周波であれば、様々な物体をもすり抜けて遠方まで届く。超音波であっても、水中でならかなり遠くまで届かせることができる。だが、空気中ではあっという間に減衰してしまうのだ。
つまり、超音波そのものはどんな超感覚を持っていようとも、数キロも離れれば聞き取れないのである。
『どうしたんだシュライン!? まさか、ここまで来て貴様の罠だったってオチじゃねえだろうな!?』
ノイズ混じりのオットーの通信が、電磁波となってシュラインの脳に届く。
可聴域を超える超音波は、人間にとっては無いも同然だ。ゆえに、後方を固めている機動兵器群には、シュラインがここで足を止めた理由が理解できていないのだ。だが、中心部から噴き出してくる超音波の圧力は、それを感知できる者にとっては、感覚を麻痺させ、中枢神経を切り刻むような苦痛を発生させている。
しかも厄介なのは、超音波の周波数が変動していることだ。
あらゆる生物の細胞を取り込んだシュラインにとって、ある周波数の超音波を感じないよう、感覚を遮断するくらいのことは容易い。だが、この超音波はまるで嵐のように、その周波数を変えて襲ってくるため、それが出来ないのだ。
こんな悲鳴のような超音波は、迷惑なだけのシロモノでしかない。
“東宮……何をしている。早く来い!!”
シュラインは生体電磁波で叫んだ。だが、生体電磁波も電波の一種。この強力なノイズの嵐の中にあっては、目の前の機動兵器と会話するので精一杯である。
超音波の嵐で一歩も進めない中、唯一可能な遠距離攻撃、雷球をクェルクス中枢へ向けて発射してはいるが、湧き出してくる擬巨獣の群れを何とか食い止めるだけで精一杯であった。
(…………ここまでか……後は……)
後方で奮戦してる人間達を見る。その周りを固める、昆虫装甲を纏った二体の巨獣も。
肩を並べ、あるいは背中を預けて共に戦うとは、なんと気持ちの良いことだろう。ほんのさっきまで、彼等を支配しようと考えていたことが自分にも信じられないほどであった。
シュラインの脳裏を、二体の巨獣・Gと王龍の姿が過ぎる。
本来、異常な回復力を持つGとはいえ、あの怪我は酷かった。ここまで稼げた時間で、それがどこまで回復したかは分からない。それどころかまともに考えれば、あのまま死ぬ公算の方が高いはずだ。
それでも、Gは。
Gならば、決して死なない。死ぬはずがない。そして伏見明と紀久子ならば、必ずここまで来る。そう思えた。
(僕も焼きが回ったモンだな。まさか、あれほど嫌悪した連中に、後を託す気になるとは……)
覚悟を決め、虫の雲に覆われた黒い空を見上げた時。
その空がいきなり二つに割れた。空気を叩く激しい音と共に、シュラインの視界に、飛び込んできたのは、待ちわびた黒い影。
“やっと来たのか。東宮。遅いぞ!!”
シュラインの苛立ったような生体電磁波に、東宮が答える。
“遅れてすみません、シュライン様。ブルー・バンガードに立ち寄って、彼等を連れてきたのです”
“彼等だって!?”
言われてみて初めて気付く。上空を旋回するヘリは二機あった。そのうち一機はアンハングエラ、東宮が乗ると言っていたアスカの戦闘ヘリだが、もう一機はどうやら、自衛隊の輸送ヘリであるらしい。
シュラインの思念波に答えるように、自衛隊の輸送用ヘリから通信が発せられた。
『シュライン。聞こえるか!? MCMO極東支部、戦略司令の樋潟だ。ここに、八幡教授とウィリアム教授、鍵倉博士もいる』
“君達を呼んだ覚えはないよ。どういうつもりだい!?”
『こちらも呼ばれた覚えはない。職務上は貴様を逮捕しなくてはならんところなんだ。今は共通の敵がいるから、大目に見てやっているだけだということを忘れるな』
“ふふん。僕だって、本来なら君達すべてを取り込む予定だったんだ。紀久子がいなければ、ここにこうしてなどいない”
『貴様の罪を裁くのは後回しだ。今は、この事態を収めなくてはならない』
“なにか名案があるとでもいうのかい?”
『シュライン。クェルクス中枢から発せられている超音波を、お前も感じているだろう?その意味を、すでに解読しているか?』
“意味? 意味だと!?”
シュラインの戸惑ったような思考波に対し、八幡が樋潟に変わって通信を発した。
『この超音波は、一定のリズムで不規則に発せられている。どうやら何か情報を発しているようなんだ。だが、共鳴による電波ノイズが多すぎて、接近しないと大元の波形をキャッチできない。そんな時に、アンハングエラと偶然通信がつながったのでね。ここまで護衛してもらったのさ』
“この超音波の嵐に何か意味があったとして、その意味を解読してどうする気だ?”
『会話が成立すれば、戦いは避けられるだろう?』
“お人好しの上に欲張りだなお前らは。巨獣どもを味方に付けただけでは飽きたらず、まさか、こんな植物まで説得する気か?”
『我々の出来る限りのことをやってみようというだけだ。科学者としての探求心もあるしな。すでに音声サンプルは取り終えた。急いで解析するが、東宮君と君の作戦は予定通り続けてくれたまえ』
“では、行きます”
八幡の通信が終わるか終わらないうちに、東宮の覚悟を決めた様子の生体電磁波が響いた。
“この場所以外の地域は、クェルクスの侵略がどんどん進んでいます。もう時間がない……”
東宮の乗るアンハングエラには、衛星からのマップ情報が刻一刻と送られ続けていた。そのマップ上、赤で示されたクェルクスの侵蝕範囲は、すでに首都圏をほぼ塗りつぶしていた。シュライン=デルモケリスの立つこの場所は、クェルクス側と互角のせめぎ合いをしているように見えて、その実、彼等は巨大な一個の生物体と化した首都圏の異物に過ぎなかった。半径数キロの狭い空間を残し、首都圏は樹高数十mの森に飲み込まれようとしていたのだ。
熱風荒れ狂う戦場の中。アンハングエラをなんとか操って、素人の東宮がクェルクスの狭い壁の上に着陸させられたのは、僥倖としか言えなかった。
雷球で焼き払われたその部分は、緑色を回復しながら、次々に増殖を繰り返している真っ最中だ。成長中ということは木化していない。つまり、東宮が干渉できる余地がある、ということであった。
『すごい……たった一人であんな出力を……』
東宮から強い生体電磁波が発散されているのが、同じくシュライン細胞に冒されているいずもには、ハッキリと感じられる。
それを恐れてか、巨大な擬巨獣も東宮には手を出せないでいる。
東宮自身もまた、自分の心境の変化と、それに伴う著しいパワーアップに驚いていた。
心が羽のように軽い。紀久子を得ることに執着し、明や守里を落とし入れようと、暗い情熱を燃やしていた頃と比べて、なんと自分は自由なのか。
紀久子への思いが消えたわけでは、決してない。いや、自身を犠牲にしてまでシュラインに単身立ち向かい、更には巨獣の姿になってまで自身の正義を貫こうとしている紀久子の姿に、むしろその思いは高まっていた。
(だったら、俺も俺の信じる正義を貫いてやる……そうでなくては……)
心に強く念じ、掌を見る。
生体電磁波の出力が、更に増大していくのが分かる。そして、それと同時にこれまで気付かなかった自分の能力、つまり細胞を操って他者と融合し、それを制御する力を、まるで手足を動かすように、簡単に意識できていた。
掌に浸み出すように現れた、半透明の異種細胞。これならば植物組織をも侵蝕し、細胞レベルで情報伝達系に割り込むことで、クェルクスを操ることもできる。できるはずだ。
(今、コイツを止めてやる。紀久子。見ていてくれ……)
東宮は両手の平を、緑の壁の最も若々しい部分、ツヤのある新芽に叩き付けた。
クェルクスの植物組織は大きく脈打つと、まるで何か巨大な動物の顎のようにバックリと口を開けた。東宮は決然とその中に足を踏み入れ、自ら飲み込まれて姿を消した。