13-3 ネモ
(…………ここは?)
紀久子は、蒼く透明な光に包まれて、目を覚ました。
不思議なことに、どこにも痛みはない。
だが、たしかに自分は死んだはずだ。コクピットを破壊され、数十mを落下したのだ。上から降り注いできた、G-REXの装甲が自分を直撃したことも覚えている。あれで助かるはずがない。
(私……死んだはず…………ここが死の世界?)
“いいえ。あなたはまだ生きています”
喋ったつもりはないのだが、紀久子の思考に、何者かの答えが返ってきた。
それは、やわらかく優しい声。いや、声ではない。そういう意識の波動とでも呼べるようなものだった。
女性の声とも子供の声とも付かない。どこから聞こえているのかすら、紀久子には分からなかった。
(じゃあ……ここは? いったい……)
何故か口は動かず、声は出せない。
紀久子は、また思考で同じ質問を繰り返した。
“私達は『ネモ』と呼ばれる存在です”
(ネモ? 私達?)
“そう。私達は一人ではありません。もとが何だったのか、もう自分達にも分からないけれど……”
(ネモって……もしかして、鬼王の……?)
その名は知っている。たしか、鬼王の生体制御システムの名として聞いたことがあった。
“はい。あなたたちがそう呼ぶものの、有機ユニットとして、私達は維持されてきました。そうでなくては、何者にもなれない。そういう存在……でも、あなた達が来てくれたおかげで、私達はようやく元の姿に戻れそうです……”
(あなた達……って、私以外にも、だれかいるの?)
“はい。まだ目覚めてはいませんが……”
蒼く透明な光の中に、遠く、うっすらと影が浮かび、それが凝るように次第に人の形へと変化していく。それは、パイロットスーツ姿の一人の女性だった。
(まどかさんッ!? まどかさんまでどうしてここに……!? しっかりして!!)
自分が死んでも、まどかが明を支えてくれる。
そう信じていただけに、紀久子のショックは大きかった。
何の足がかりもない空間だが、意識すると移動することが出来るようだ。傍に寄って抱き寄せると、まどかは意識を取り戻したのか、目を開けた。
(……紀久子さん? そうか……あたし、死んだんだ……)
まどかの思考も、紀久子に伝わる。
どうやらここでは、すべてが思考で伝わる世界のようであった。
(ちがうの!! 私達は鬼王の……ヒュドラに取り込まれたのよ!! でも、私達はまだ死んでない!! 意識を強く持って!!)
(もうだめ……体が動かないもの……私達は……死ぬの?)
“このままなら、そうなるでしょう。
あなた達がそう望むなら、もうじきヒュドラに取り込まれたあなた達の肉体は拡散し、群体の一部へと変わっていきます。そうしてあなた達の意識が消え失せれば、あとには何も……残らない“
(……元の姿に戻る……って言ったよね? それは、鬼王の本来の姿に?)
“そうです”
(私は……あんな力をふるうようなモノには……二度となりたくない)
紀久子は身を震わせた。どんなものかは分からないが、それが禍々しい存在であろう事は予想できたからだ。
脳裏に、ダイナスティスとして破壊の限りを尽くした、新宿での出来事が思い起こされる。人を傷つけ、町を破壊し、心まで蝕まれていく恐怖。あんな思いをするくらいなら……
“では、おとなしくヒュドラに取り込まれますか? それもいいでしょう。私達は、生きる意志のない魂は必要としません。
そうすればあなたは無に還るだけです。これまでヒュドラに取り込まれた、多くの意識がそうだったように…………“
(ダメよ!!)
紀久子の腕の中でまどかが叫んだ。
(あたしはどうなってもいい!! 覚悟して死んだんだもの!! でも!! でも!! 紀久子さん、あなたは生きなきゃダメ!! どんな姿になっても!! だって……どんな姿になっても、あなたを愛し、信じ、守ってくれた人が……今、苦しんでいるのよ!? 聞こえないの? あの叫びが!!)
(まどかさん……)
そう言われて紀久子は初めて気付いた。
ここでは周囲の声が聞こえる。遠くからかすかに聞こえてくるあれは、Gの咆哮。
(なんて……なんて声なの……)
紀久子は思わず耳を塞ぎたくなった。それは、魂を引き裂かれるような叫びだったのだ。
そして感じた。
Gは……明は力尽きかけている。敵が何者かまでは分からないが、強大すぎるのだ。それなのに、まるで自分を痛めつけるかのように戦い続けているG。
もう、時間がない。
(明君が……Gが……苦しんでます……今も。その苦しみはあたし達のせい。彼の苦しみを止められるのは、あたし達だけなんです……)
“同じです…………私達の知る人も……同じように苦しんでいます……苦しみを感じるのです”
(同じように? それは誰なの!? どういうこと!?)
“分かりません。遠い…………遠い記憶の彼方で、私達が忘れてしまった大切な人……”
(ネモ。あなたたちはここから抜け出せないの? 抜け出して、その人の元へ行けないの? いっしょに、帰れないの?)
だが、紀久子の言葉に帰ってきたのは、哀しみの意識だった。
“私達はもう、ヒュドラの一部なのです。ヒュドラ無しには生体機能を維持できない。でも、それはあなた達も同じ事……”
(ダメよ……私はいい。でも紀久子さんは帰らなきゃ!! だって……そうしなくちゃ、あの人は……Gは……)
“G?……今、破壊の限りを尽くしている、荒れ狂う、あの巨大な獣のことですか?”
(獣じゃない!! 心は人間なの!! 彼は……明君は、いつも苦しんできた。
でも、彼は自分がどんな姿になっても一生懸命戦ってくれた……彼を…………助けたいの!!)
(私も……助けたい)
まどかの叫びを聞いて、ようやく紀久子にも分かった。
あの恐怖を、自分が自分でなくなっていく恐怖を、明はずっと感じながら、それでも紀久子のために、みんなのために戦い続けてきてくれたのだ。怖いからといって、逃げ出すことなど許されない、いや、紀久子自身が許さない。
”それが、あなた達の意志なら……ネモの意識をあなたに預けましょう”
(鬼王とかって巨獣になるの? でも……鬼核はもう壊れたんじゃ……)
”鬼王ではありません。元の姿に戻るだけです。機械を介さない、真の姿に……”
視界がぼやけ、どこまでも蒼かった周囲が白く輝き、次第に霞み始めた。
”一つの命として、三つの意志として、私たちとともに戦いましょう……ほら、彼も支えてくれています……”
二人が振り向くと、巨大な白い翼が二人を抱きしめるように柔らかく包み込んできた。
(……ガルスガルス……あなたも一緒に戦ってくれるの?)
まどかの問いに、優しく、力強い雄叫びが返ってきた。ガルスガルスの意志もまた、共にある。
(行こう、まどかさん。私たち、まだ、死ねない!!)
いつの間にか周囲は、黄金の光に満ちていた。
その空間に、紀久子とまどか、そしてガルスガルスの意志が拡散し、すべてに意識と感覚が接続していく。
もう、紀久子の心に恐れはなかった。