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巨獣黙示録 G  作者: はくたく
第12章 七千万年の孤独
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12-3 羽化

「待ってよ!! ホント、どうしちゃったのよ!? 広藤君!?」


 瓦礫の隙間を縫って駆けていく広藤に、珠夢は必死で追いすがっていた。


「さっきも言ったろ!? すぐ車に戻るんだ珠夢ちゃん!! お兄さんと一緒に、小林さんの後を追え!!」


 乗ってきた軍用四駆からは、すでに五百m近く離れているだろう。

 突然、ステュクスの蛹のある千葉球場へ行くと言って車から飛び降りた広藤。後部座席には縛り上げたベン=シャンモンがいるため、加賀谷は車から離れられなかったのだ。

 必ず連れ帰れとの、兄の命令。だが、もし広藤が言うことを聞かなければ、車に戻るよりは一緒について行こうと、珠夢は最初から心に決めていた。

 だが、思った以上に足元は危うく、行く手を小さな瓦礫に阻まれてなかなか進めなかった。広藤との距離は離れるばかり。叫び合う声はもう、ようやく聞き取れる程度である。

 すでに百mは離されてしまっていると思われた。

 だが、珠夢は追いかけることをやめなかった。ここで広藤を見失ったら、二度と会えない、そんな気がしたのだ。


「アルテミスが死んだって……ホントなの!? 私には何も聞こえなかったよ!? 広藤君にだけ、どうしてそれが分かるの!? それに、だからって、どうしてステュクスのところへ行かなくちゃダメなの!?」


「どうして分かったのか、僕にもよく分からない!! でも、アルテミスの声が聞こえたんだ!! 後を頼むって!! ステュクスを目覚めさせろって!! これは僕の仕事なんだ!! だから!! 早く戻れ!!」


「ステュクスはまだ蛹なんでしょ!? あなた一人で行ったからって羽化させられるの!? それに、もしかするともう、別の巨獣に壊されちゃってるかも知れないよ!!」


「いいから戻れ!! 大丈夫!! ステュクスは僕の飼っていた幼虫なんだから!! この辺にはおそらくまだ、小型巨獣が隠れて――――」


 広藤の言葉が終わらないうちに、瓦礫の一部がぐにゃり、と動いた。

 二人のちょうど中間あたり、崩れかけたビルの壁に見えたそれは、四方から手足を伸ばし、一体の小型巨獣に姿を変えていた。

 擬態を解き、本来の体色である原色の緑に姿を変えたそれは、脚の八本ある異形のバシリスクであった。小型といえど十数mはあるその巨体が、八本の足を滑るように動かして瓦礫の上を音もなく移動した。巨獣に気付いて立ちすくんだ珠夢の目の前に至るのに、わずか数秒。

 その様子を広藤も見ていた。


「きゃあああああ!! きゃああああ!! きゃああああああああああ!!」


 悲鳴が止まらない。逃げようにも、足に力が入らない。恐怖に見開いた目を閉じることも、異形のバシリスクから逸らすことも出来ない。

 急激に数を増やしたが故の歪みか、バシリスクの異形は脚だけではなかった。

 一抱えほどもある異様に大きな、そう、頭部の割には不釣り合いに大きなその目は、額にももう一つ。すなわち三つあった。

 表情を映さない異形の目が、珠夢を見つめ、軽く舌なめずりをした。


「こっちだ!! こっちを狙えバケモノ!! 珠夢ちゃんッ!! 逃げるんだッ!! 珠夢ちゃんッッッ!!」

 

 広藤は叫びながら、珠夢の元へと走る。

 自分のポケットやバッグをまさぐり武器を探すが、銃も何も持っていない。戦力を分散させるわけにいかないと考え、何も持ってこなかったのだ。

 目に付いた鉄筋を拾い上げるが、数十センチの短さで、何の役にも立ちそうもない。

 巨大な目を持つ小型巨獣は、小首を傾げるような動作をすると、立ちすくむ珠夢を斜めに睨んだ。それが爬虫類独特の捕食姿勢であることを、広藤は知っていた。


「やめろォォォオオオオ!!」


 このままでは、数瞬の後に珠夢の姿は消え去るだろう。あの不気味な小型巨獣の口の中へ。

 珠夢の笑顔が走馬燈のように浮かび、広藤の中で何かが弾けた。



***    ***    ***    ***



 繭の中のステュクスは、すでに目覚めていた。

 ともに巨獣化したアルテミスの死。超高空で散華したその生命の波動が、ステュクスの意識を呼び覚ましたのだ。

 すでに変態は完了し、羽化はいつでも良かった。

 本来のメンガタスズメは、季節の温度変化や日照時間で生活サイクルを回す。だが巨獣化し、季節感を失ったステュクスには、その生活サイクルは失われていた。

 ゆえに、そのきっかけだけを待っていたからだ。

 そして今、自分たちの意識の代弁者たる珠夢の危機が、緊急信号となってステュクスの行動を促した。

 千葉ドーム球場のフェンス際。外野席の上に作られた巨大な蛹。

 その真っ黒な蛹の頭部にあたる外殻が、いきなり弾け飛んだ。そこからするりと抜け出すように姿を現した巨大蛾は、暗い灰白色を基調とした体色に、腹部には鮮やかな山吹色の縞模様が入り、胸部には髑髏どくろそっくりの白い紋様があった。

 櫛のような触覚が広げられ、深い黒色の複眼と共に周囲の電磁波、臭い、可視光線を捉える。

 ステュクスは、珠夢と広藤の生体電磁波を受信した。

 急いで駆けつけなくてはならない。だが、いくら巨獣化していても、羽化後数秒で翅は伸びない。仮に伸ばせたとしても乾かないままでは飛行は出来ない。

 旧称・鱗翅目……現在、チョウ目と呼ばれている昆虫の仲間の羽化には、種類にもよるが本来二、三時間を必要とするのだ。

 脱皮直後のしわくちゃに畳まれたはね。その翅の中を通る翅脈に、体内に蓄積されている体液を循環させ、伸ばし広げていく。そしてそれが完全に乾くことによって、初めて飛翔が可能となる。

 アンブロシアの効果によって巨獣化していても、遺伝子的には「クロメンガタスズメ」という蛾の仲間に過ぎないステュクスも、本来羽化にはその程度の時間が必要であった。


 珠夢たちまでの距離は約1km。

 すでに歩行は可能だ。地を這って間に合う距離ではないとはいえ、ステュクスは地表を進み始めた。

 忌避フェロモンも発生させた。届きさえすれば、一瞬でバシリスクを行動不能に出来る濃度だ。だが、風は弱い。届くまでに時間が掛かりすぎる。

 何も出来ない。何も届かない場所で、今まさに命を奪われようとしている珠夢。

 彼女は他の人間とは違う。

 力強く、優しい意識の波動を持ち、指示を与えてくれる彼女は、自分にとってかけがえのない個体なのだ。ステュクスの意識が焦りで満ちた。

 その時。

 広藤の感情の波が、いかづちとなってステュクスの神経細胞を叩いた。

 巫女でもなく、シュライン細胞にも巨獣細胞にも冒されていない、普通人である広藤から発せられたその波は、本来か細く、弱いはずだ。だが、大切な者を守りたい、その思いはステュクスの意識と共鳴し、強く揺さぶった。

 街を廃墟と化し、多くの人間を捕食したであろう異形のバシリスクへの怒り。

 それを産み出したシュラインへの怒り。

 無力な自分自身への怒り。

 そして、彼にとってももっとも大切な人……珠夢を助けたいという強い願いだった。

 珠夢を中心として、拡大した広藤の意識とステュクスの意識が同期シンクロしていく。

 ズレていた波長が重なる感覚。その次の瞬間、ステュクスの中に広藤が、広藤の中にステュクスがいた。


「おおおおおおおおお!!」


 雄叫びを発して、広藤が走る。

 本来スポーツは得意ではない。だが、ステュクスの強い意識が、広藤の身体能力を限界まで高めていた。

 体を弓のように反らせ、手にした鉄筋棒をその反動で思い切り投げる。

 棒は数十mの距離を真っ直ぐ飛んで、珠夢を咥えようと口を開けたバシリスクの右目を直撃した。


「シャアアアアッ!!」


 目のあたりを掻き毟り、怒りの声を上げるバシリスク。

 数秒が稼げた。

 だが、珠夢はへたり込んだまま動けない。バシリスクの怒りは、悲鳴をやめない珠夢へと向かった。苦し紛れに持ち上げた前脚が、珠夢の上へと振り下ろされていく。


「やめろォォオオオオオ!!」


 叫ぶ広藤には、自分の目で見た視界と、ステュクスからの視界が同時に重なって見えている。近い広藤は圧倒的に無力。ステュクスは届かない。


(届かない……のか? 本当に?……いや!! 届く!!)


 広藤とステュクス、シンクロした二つの意識が、自分たちの身体機能に出来るすべてのことを一瞬で走査し、そして一つの結論に到達した。

 撃つ。

 狙うは一点。鱗も骨もない、巨大な真ん中の目玉。


「いけえええええええ!!」


 広藤の叫びと共に、ステュクスの頭部から何かが発射された。



『ギュゲ……』


 袋に詰まった汚物が押し潰されたような声が、珠夢の頭上から降ってきた。

 それと同時に、周囲に半透明の粘つく液体が降り注ぐ。


「ぼ……棒?」


 珠夢は呆然と呟いた。

 たしかに棒であった。直径数十センチと思しき、真っ直ぐな焦げ茶色の棒。その棒が、バシリスクの額を刺し貫いていたのだ。


『キシャアアアアア!!』


 バシリスクがのたうちながら、「棒」に引きずられて珠夢から遠ざかっていく。

恐怖に凍り付いていた珠夢の体から力が抜けた。

 膝を折って倒れかかる珠夢を、駆け寄ってきた広藤がしっかりと抱き止める。


「広藤君……? な……どうなったの?」


「ステュクスだよ。ふんを伸ばしたんだ」


「ふん??」


「口のことさ。あそこまで伸ばせるとは、思わなかったけれどね……」


「よく……わかんないよ……」


「ああ、ゴメン。スズメガの仲間にはね。口が長く伸びる種類がいるんだ。自分の体長の数倍くらいまで、ね。エビガラスズメが有名なんだけど」


「よくわかんない……!!」


「だから、スズメガってのはステュクスの――」


「そんなこと聞いてない!! 助けてくれたのはステュクスなの? 広藤君なの? って聞いてるの!!」


「僕が指示して、ステュクスが……だから、両方、かなって……え?」


 いきなり、広藤の唇を、珠夢が塞いだ。

 初めてのキスに目を丸くして、じたばたしていた広藤だったが、そのうち珠夢の体にしっかりと腕を回して抱き締めた。


「ありがと……」


「うん……いや……その……」


 真っ赤な顔で見つめ合う二人の上に、翅を震わせながら巨大な影が近づいてきた。

 まだ翅の伸びきっていないステュクスだ。長く伸びていた口吻は、バネのように丸まって口のあたりに収まったようで、影も見えない。

 少し離れた廃墟の壁には、先ほどのバシリスクが叩き付けられていた。体液が飛び散り、奇怪な立体壁画と化した異形の爬虫類は、二度と動き出す気配はなかった。


「聞こえる?」


「ああ……僕たちを祝福してくれている」


「行こう……って言ってる。強力な敵が近づいているって」


「でも、ステュクスはまだ翅が……」


「ううん。大丈夫、って」


 珠夢に言われて振り仰ぐと、くしゃくしゃに畳まれていたはずの翅は、驚くほどの早さで広がり、スズメガ特有の三角形へと固まっていく。

 黒灰色の体毛も見る見るうちに乾き、腹の黄色い模様が更に鮮やかに浮き出て来た。


「乗ろう。ステュクスは僕たちと共に戦うことを願っている」


「うん……でも、絶対に――――」


「ああ……絶対に生きて帰ってくるんだ」


 二人はもう一度、お互いを強く抱き締め、唇を重ねあった。


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