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賢者の遺産と、6人の見知らぬ相続者  作者: 水乃ろか


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第5話 計画



 夜は、まだ続いていた。


 塔の窓から見える空は、深い藍色のままだ。

 月が中天を過ぎて、少しだけ西に傾いている。

 夜明けまでは、まだ時間がある。


「次は……」グレイ爺の幻像が言った。「フィン、お前だ」


 貴族フィン・アーヴィングは腕を組んだまま、しばらく黙っていた。

 全員が彼を見ていた。


 昨日から一番感じが悪いと思われていた男が、ここへ来てどんな話をするのか――正直なところ、全員が少し気になっていた。


「……」フィンは長い沈黙の後、口を開いた。「俺が死にかけたのは、六年前だ」


「六年前、何があったんですか?」薬師エナが訊いた。


 貴族フィンは答えなかった。代わりにグレイ爺の幻像を見た。


「……言わなければ、ならないのか」


「言いたくないなら、言わなくていい」老人は言った。「術が発動したことは事実だ。それだけが分かれば十分だ」


「しかし」貴族フィンは静かに言った。「言わないと――なんとなく、後味が悪い」


 全員がわずかに驚いた。

 昨夜から一貫して取っつきにくい態度だった男が、そういうことを言ったことに。


「六年前……」フィンはゆっくりと話し始めた。「俺はアーヴィング家の三男だ。長男と次男がいる。貴族の家で三男というのは――要するに、余りだ」


「余り?」薬師エナが顔をしかめた。


「跡継ぎは長男。補佐は次男。三男は場合によっては他家に養子に出るか、修道院に入るか、あるいは何でもない存在になる。俺の家では特に――父親が三男には無関心だった」


「それは……」薬師エナが言いかけて、止まった。


「同情はいらん」貴族フィンは淡々と言った。「そういうものだ、貴族の家とは。ただ六年前の俺は、それが理解できなかった。もっと言えば――認めたくなかった」


 彼は少し間を置いた。


「俺は屋敷を出た。家族に黙って、一人で。行く当てもなく、ただ腹が立って出た。そのまま三日間、野原や山地をうろついて――具合が悪くなった」


「食べ物は?」薬師エナが訊いた。


「持っていなかった」


「じゃあ、水は?」


「最初の一日は飲んだ。その後は見つからなかった」


「三日間も……?」薬師エナは絶句した。


「貴族の坊ちゃんは、生き延びる術など知らないのでな」貴族フィンは自嘲気味に言った。「そして三日目に倒れた。目が覚めたら、塔の前にいた」


「わしが言ったことを覚えているか?」グレイ爺が訊いた。


「ああ……まず最初に、水を飲ませてくれたよな」貴族フィンは言った。「次に飯を食わせてくれた。そして一言、こう言った」


「何と言ったんだ?」吟遊詩人ルークが訊いた。


「『お前はどこの子だ』と」


 全員が静かに聞いていた。


「アーヴィング家の三男だと言ったら――爺は特に何も言わなかった。ただうなずいて、寝ろと言った。翌朝、食糧を持たされて帰り道を教えてくれた。出がけに一言だけ言われた」


「何と言われたんだ?」


 貴族フィンはわずかに目を伏せた。


「『家に帰れ。帰って、自分の場所を作れ』と」


 フィンの言葉に、沈黙が訪れる。


「……それだけか?」元騎士マルクが言った。


「ああ、それだけだ」貴族フィンは言った。「俺は意味が分からなかった。三男に場所を作れる余地など、あの家にはない。しかし――帰った。帰って、六年間、いろいろやった。商会と交渉して、家に新しい収入源を作った。それが父親に認められて、今は家の外交担当をやっている」


「おお! それは凄いじゃないですか!」薬師エナが言った。


「凄くはない」貴族フィンは言った。「ただ、やるべきことをやっただけだ。爺に言われた通り、自分の場所を作った――それだけだ」


「フィンよ」グレイ爺の幻像が言った。「お前は今、どうだ」


「……悪くはない」貴族フィンは短く言った。


「それを聞けて、良かった」


 フィンは老人の幻像を見た。


「俺はお前のことを、いい人間だとは思っていない」貴族フィンは言った。「他人の命を勝手に引き留めて、勝手に助けて、生き方まで指示して――傲慢だと思う」


「そうかもしれないな」グレイ爺は言った。


「しかし」貴族フィンは続けた。「まあ――感謝している」


 それきり、フィンは押し黙った。


 全員が少し、温かい気持ちになった。




「では」グレイ爺は言った。「カト、お前だ」


 老婆はのんびりとお茶を飲んでいた。


 元騎士マルクは以前から気になっていた。

 老婆カトは他の五人と少し違う。

 

 他の五人は全員、グレイ爺に助けられた――つまり死にかけた経験がある、ということになっている。

 しかし老婆カトはどうだろうか?


「わたしは」老婆カトはゆっくりと話し始めた。「別に死にかけたわけじゃないよ」


 全員が「やっぱり」という顔をした。


「カトさんは」薬師エナが言った。「じゃあ、なんで呼ばれたんですか?」


「わたしはね」老婆は言った。「グレイに頼まれた側なんだよ」


「頼まれた?」


「この計画を――皆を集めて、一夜を過ごさせて、グレイの話を聞かせる――この計画を、グレイと一緒に考えたのはわたしなんだ」


 全員が固まった。


「えっ……?」薬師エナが言った。「じゃあカトさんは、最初から全部知って――」


「知ってたよ」老婆カトは、にこにこした。「木箱の中身も、幻像の術も、みんなね」


「最初から言ってくれれば……」元騎士マルクが言った。


「最初から言ったら、面白くないじゃないの」老婆はあっさり言った。


「面白いかどうかの問題じゃないでしょう」


「まあまあ」老婆カトは手を振った。「わたしはね、グレイの最後の数年間、この塔に一緒にいたんだよ。グレイが弱ってきたころから、一緒に住んでた」


「……五十年来の知り合い、と言っていましたよね」吟遊詩人ルークが言った。


「そうだよ。長い付き合いだ。グレイが若いころから知ってる。あの子が魔法使いになると言い出したときも、フェリをかくまうと言い出したときも――全部聞いてた」


「なぜ、一緒に住もうと思ったんです?」貴族フィンが訊いた。


「一人じゃ心配だったからね」老婆カトは言った。「グレイは晩年、ずっとイトのことを気にしてた。会いに行けなくて、ぐずぐずしてた。いつか会いに行く、いつか手紙を書く、って言いながら――結局行けなくて、書けなくて。そのまま死んだ」


「さっき、バカだ、って言いましたよね」少年イトが静かに言った。


「そうだよ」老婆カトは少年を見た。「バカだよ、グレイは。頭はいいんだけど、肝心なところで動けない。昔からそういう子だった」


「子……」貴族フィンが口の中で繰り返した。


「わたしから見たら子供だって言ったじゃないか」老婆カトは、にこにこした。「まあね。だからわたしが、代わりに動いた。グレイが死んだあと、公証人に頼んで5人に召喚状を出した。木箱は生前にグレイが用意してたものを預かってた。あとは皆が来てくれて、計画通りだった」


「計画通り、か」元騎士マルクが言った。「全部、仕組んでいたという事か」


「グレイの遺志を、わたしが実行しただけだよ」老婆カトは言った。「グレイはね、死ぬ前にわたしに言ったんだ。『救われた命たちに、ちゃんと伝えてほしい。お前たちが生きていることが、フェリの術が無駄じゃなかった証明だという事を』とね」


 全員が静かに聞いていた。


「だから」老婆は続けた。「皆に来てもらった。グレイが伝えたかったことを伝えて、イトに母親のことを話して――それで終わりだよ」


「え、これで終わり?」薬師エナが訊いた。


「終わりだよ」老婆カトはあっさり言った。「あとは皆が好きにすればいいさ」


「好きに、と言っても、なぁ……」元騎士マルクが言った。「術の影響を受けている、とグレイ爺は言っていたな。それはまだ、続いているのか?」


「続いてるよ」老婆カトは言った。「一度発動した者は、まだ術がかかってる。ただ――この術はね、一度使うと弱まる。同じ人間に二度は使えない。だから皆はもう一度死にかけたとしても、術には救ってもらえないからね。それに、この辺りの術もすでに効果が無くなっている」


「それは……」薬師エナが複雑な顔をした。「じゃあ、この辺りで死にかけたら、もうダメってこと?」


「ああ、そうさね。もともと、永遠には続かない術だよ。実際に、グレイも死んだろ? それにフェリも分かってた。あの子も、この術を完璧だとは言ってなかった。ただ――無いよりは、ましだと思って作ったって言ってたからね」


 老婆カトは立ち上がり、グレイ爺の幻像に向かった。


「グレイや」老婆は穏やかに言った。「ちゃんと伝えたよ」


 老人の幻像が、カトを見た。


「……ありがとう、カト」グレイ爺は静かに言った。「今まで本当に迷惑をかけた」


「五十年以上も迷惑かけ続けてきたのだから、今さらだよ」老婆カトは、にこにこした。「でも、付き合えて良かったと思ってるよ」


「……わしもそう思っている」


「じゃあ、それで十分だね」




 残ったのは、少年イトだった。

 少年は最初から、静かに全員の話を聞いていた。


 グレイ爺の幻像が、少年イトを見た。


「イトよ」老人は言った。「お前の事は、よく知っている」


「……僕の事、知ってるんですか?」


「ああ。孤児院の記録を、ずっと追っていた。遠くから――直接会いに行く勇気はなかったが」


「……ひどいです」少年イトはつぶやいた。しかし声は柔らかかった。


「そうだな……」グレイ爺は言った。「フェリの術を使った事で、再び協会から監視されていた事もあってな……だから、お前を孤児院に出すしか手段が無かった。それに、わしにはお前のことを気にかける資格があったかどうかも分からない。しかし――お前の母親が最後にわしに言ったことを、ずっと覚えていた」


「……何と言ったんですか?」少年イトは訊いた。


「『あの子のことを、よろしくお願いします』と」


 少年はしばらく黙った。


「……お母さんは」少年イトは静かに言った。「どんな人でしたか?」


 老人の幻像が、少し柔らかい顔になった。


「頑固で、意地っ張りで、笑うと目が細くなって――お前に、そっくりだった」


 少年イトは下を向いた。


「そっか」少年はつぶやいた。「そっか……」もう一度、そう呟いた。


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