第3話 幻像
光の中に立つグレイ・オールドマンを、六人は黙って見つめていた。
幻像だ、と元騎士マルクはすぐに分かった。
実体はない。光を透かして向こう側が見える。
しかし輪郭は鮮明で、表情もはっきりと分かる。
皺だらけの顔。白い眉毛。
くたびれた外套の襟を立てて、両手を背中で組んでいる。
生前と変わらない――元騎士マルクがかつて見た、あの老人の立ち姿だ。
「……グレイ爺?」薬師エナが小さな声で言った。
幻像がゆっくりと動いた。
首を動かして、六人を一人ずつ見回す。
「久しぶりだな」
声まで出た。
少し掠れた、しかし芯のある老人の声。
「うわあっ!?」薬師エナが半歩後ずさった。「しゃべった!? まさか幽霊!?」
「いや、幽霊じゃない」元騎士マルクは言った。「魔法の残像だ。生前に術をかけておいたんだろう」
「ああ、そうだ」グレイ爺の幻像が答えた。「正確には、声と記憶を封じ込めた術だ。六人全員が指輪をはめた時にだけ、現れるように設定しておいたのだ」
「……手が込んでますねぇ」吟遊詩人ルークが感心したように言った。
「いや、そうでもない。この程度の術なら初歩だ」老人は少しつまらなそうに言った。「ただし、わしが話せる時間は一晩だけだ。夜明けになれば消える。だから、急ごう」
グレイ爺は六人を再び見回した。
「まず――来てくれてありがとう。お前たちが来ると信じていたが、信じながらも不安だった。遺産もないのに来い、は無理を言いすぎたかと思っていたのでな」
「ええ、無理を言いすぎですよ」元騎士マルクは静かに言った。
「すまなかった」老人は素直に謝った。「しかし、どうしても六人でなければならなかった。理由は後で話す。まず――わしが隠していた人のことを、話さなければならない」
老人の声に、全員が耳を傾けた。
「今から……二十年ほど前だ」グレイ爺は話し始めた。「わしは、ある女と知り合った」
「ほほう」吟遊詩人ルークが、口の端を上げてニヤリと笑った。
「……色気のある話ではないぞ」老人は即座にルークを一瞥した。「彼女は――魔法使いだった。わしより若い。腕は良かったが、不遇でな。当時の魔法使い協会と、ひどく揉めていた」
「魔法使い協会と?」貴族フィンが眉を上げた。「なぜ、魔法使い協会と揉めることが?」
「彼女が、禁じられた術を研究していたからだ」
その言葉に、全員がわずかに緊張した。
「禁じられた術、というのは?」元騎士マルクが言った。「それはまさか――」
「死者を蘇らせる術、ではない」グレイ爺は首を振った。「しかし、近い話ではある。彼女が研究していたのは――命を引き留める術だ」
グレイ爺の言葉に、皆が沈黙する。
「ええっと、引き留める?」薬師エナが訊いた。「それは、どういうこと?」
「病や怪我で死にかけている人間の命を、死ななかった事にする――という術だ。要は、命の延命だな」
「そんな術が……」貴族フィンが低く言った。「本当に可能なんですか?」
「彼女は可能だと言った。しかしその術を完成させるには、長い年月の研究が必要だった。そして魔法使い協会は、その研究を『生命倫理に反する』として禁じた。彼女は協会を追われ、逃げた。そしてわしは――」
グレイ爺は少し間を置いた。
「彼女をかくまったのだ」
「かくまった……」元騎士マルクが繰り返した。「……この塔に?」
「そうだ。二十年ほど、この塔に隠した。世間には彼女が死んだことにして、偽の墓まで作った。協会も、数年後には追うのをやめた。そして彼女は――この塔で研究を続けた」
「今も?」薬師エナが身を乗り出した。「もしかして、その人は今も――」
グレイ爺は首を振った。
「彼女も死んだ。わしより随分と早くな。だから研究は――完成しなかった」
重い沈黙が落ちた。
「では」元騎士マルクは静かに言った。「その話を、なぜ俺たちに?」
「彼女には子供がいたんだ」
グレイ爺の言葉に、全員が固まった。
「子供……?」貴族フィンが低く言った。
「この塔で生まれた子供だ。俺が取り上げた。父親は――協会の追手に殺された。子供が生まれたのは、十五年ほど前のことだ」
グレイ爺の視線が、ゆっくりと動いた。
全員の後ろに立っていた、一番背の低い人間に向かって。
老人の目が、少年イトに向かって止まった。
少年イトは――最初から、分かっていたかのような顔をしていた。
少年の体は、かすかに震えていた。
「イトよ」グレイ爺は静かに言った。「お前の母親の名は、フェリという」
しばらく、誰も何も言えなかった。
少年イトは立っていた。ただ立っていた。
グレイ爺の幻像を見ながら、何か言おうとして、しかし言葉が出てこないのか、口だけが小さく動いていた。
「フェリ……」少年はようやく、その名前を繰り返した。
「……そうだ」
「僕の……お母さんの……名前……」
「ああ、そうだ」
「……知らなかった。孤児院では、お母さんのことは分からないって言われてた。何も記録がないって言われてて……」
「記録は、わしが消したのだ」グレイ爺は言った。「お前を守るために。協会の連中が、ある事が起きてフェリの子供を探しているかもしれなかったからな。しかし――本当はお前に、いつか話すつもりだった。わしが生きているうちに」
「どうして……」少年イトの声が震えた。「生きてるうちに来てくれなかったんですか?」
老人の幻像が、少しだけ――本当に少しだけ、顔を歪めた。
「すまなかった」グレイ爺は言った。「怖かったのだ。わしは……」
「怖かった……?」
「お前に会って、何を言えばいいか分からなかった。フェリのことを、どう伝えればいいか。守り続けたいと思ったのに、結局なにも出来なかった。わしはただの老いぼれだ。何も言う資格がないと思い続けて――気づいたら、わしも死ぬ側になっていた」
沈黙が訪れた。
「……バカだねぇ」老婆カトが言った。
全員が、カトを見た。
「本当に、バカだねぇ」老婆カトはもう一度言った。今度は少し、声が強くなっていた。
少年イトはしばらく黙っていたが、グレイ爺の方を向いた。
「……来てくれれば良かったじゃないですか。言えることだけ、言えば良かったじゃないですか。僕、別に――完璧な話なんか求めてないし。ただ、知りたかっただけだし……!」
グレイ爺の幻像は何も言わなかった。
ただ、静かに少年イトを見ていた。
「まあ」吟遊詩人ルークが穏やかな声で言った。「死んだ人間に怒っても、良い返事はないですよ、イト」
「分かってます」イトは言った。少し泣きそうな声で。「分かってるけど――」
少年は拳を握った。
「どうして……どうして僕を一人にしたんですか?」
「……すまん。協会に、お前の存在が気取られている可能性があってな」
しばらくの沈黙の後、薬師エナがそっと少年イトの隣に座った。
何も言わずに、ただ横に座った。
貴族フィンは腕を組んで壁に寄りかかり、目をそらしていた。
元騎士マルクは立ったまま、木箱の方を見ていた。
吟遊詩人ルークは静かにグラスを手の中で回していた。
老婆カトだけが、グレイ爺の幻像を見ていた。
「グレイや」老婆は静かに言った。「この子に伝えたいことは、それだけじゃないだろう?」
幻像が老婆カトを見た。
「……そうだな」
「ちゃんと言いなさい。時間は一晩しかないんだから」
「……分かった」老人は一つ息をついた。「イト。お前の母、フェリの研究は――実は、術を発動できるくらいに完成していた」
全員が顔を上げた。
「完成して……いた?」元騎士マルクが言った。「しかし今、完成しなかったと――」
「ああ、少し複雑でな」グレイ爺は言った。「すまない。話の順序があったんだ。術の発動は出来るが、未完成だとも思う」
「え……それはどういう意味で?」貴族フィンが低い声で言った。
老人は答えた。
「フェリの術は、おおよそは完成した。そして一度だけ、使う事になった。フェリの死んだ後にだ。彼女の遺言でもあった。フェリが亡くなった後、この術を使って欲しいと。しかし――使った結果が、わしには理解できなかった。だから、その結果を――お前たちに見せたかった」
「俺たちに?」元騎士マルクが眉をひそめた。「なぜ俺たちが、その術の結果を見る必要が――」
「お前たちは」グレイ爺は静かに言った。「それぞれ、術の影響を受けている人間だ。お前たち自身は気づいていないようだが」
全員が固まった。
薬師エナが、ゆっくりと立ち上がった。
「……術の影響を受けている?」
「そうだ。六人全員が。だからこそ、六人でなければならなかった」
老人の幻像が、全員を見回した。
「一人ずつ、話していこう。お前たちがわしと出会ったとき、何が起きたか――わしは覚えている。本当のことを、話さなければならない」




