第1話 遺産相続と見知らぬ6人
召喚状、というものを受け取ったのは、人生で初めてのことだった。
マルクは薄汚れた紙切れを、もう三度も読み直していた。
内容は毎回同じ。当然だ。
紙に書いてあることが変わるはずがない。
それでも読み直してしまうのは、書いてある内容が信じられなかったからである。
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グレイ・オールドマン氏の遺産相続に関する召喚状
拝啓、マルク・ベルナール様。
このたび、グレイ・オールドマン氏が先月23日、逝去されました。
つきましては、氏の遺言書に貴殿のお名前が記されていたため、遺産分配の場にご参加いただきたく、ご連絡申し上げます。
日時:霜月の第三週、満月の夜
場所:辺境・灰岩山地、グレイの塔
なお複数人の相続者がいらっしゃるため、遺産の内容については当日まで非公開とさせていただきます。
王都公証人協会 第七支部
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マルクは、深くため息をついた。
「グレイ爺……」
つぶやいてみると、なんだか急に実感が湧いてきた。
あの偏屈な老人が、死んだ。
そういえば、ふと少し前、唐突にグレイ爺の事を思い出したところだった。
グレイ・オールドマン。通称グレイ爺。
伝説の魔法使いとも、賢者とも、ただの変人ともいわれる白髪の老人。
マルクが三十歳のころ、一度だけ縁があった。
しかし、まさか遺産を譲ってもらう事になるとは思ってもいなかった。
そもそも俺に遺産を貰う資格など無いのだから。
遺産を渡したいというのはグレイ爺の意思なのだろうか。
「しかし、俺に何を残してくれたんだ……? あの爺さんは……」
マルクは決心して立ち上がり、荷物をまとめ始めた。
騎士として長年働いてきたが、今は引退して農村で細々と暮らしている。
だから、特に行かない理由はなかった。
それに――もし行かなかったら、後悔するだろうとも思った。
グレイの塔は、思っていたよりずっと古くなっていた。
辺境の荒野にぽつんと建つ、灰色の石造りの塔。
高さはそこそこあるが、壁のあちこちにひびが入っていて蔦に覆われている。
入口の扉は分厚い木製で、大きな鉄の取っ手がついていた。
マルクが馬を下りて扉を見上げていると、後ろから声がした。
「あの……ここってグレイの塔、ですよね?」
振り向くと、若い女が荷物を背負って立っていた。
いや、若く見える、というところだろうか。
二十代前半にも見えるし、三十代にも思える。
くせのある茶色い髪を無造作に束ねて、腰には薬瓶がずらりと並んだベルトをしている。
薬師か、と直感した。
「そうだ」と元騎士マルクは答えた。「……もしかして、お前も召喚状を受け取ったのか?」
手紙に書いてあった、他の遺産相続者か。
「はい! エナ・コーウェルといいます。薬師です」女はにこりと笑った。「あなたは?」
「マルク・ベルナール。元騎士だ」
「元、ですか……?」
「ああ。元、だ」
特に説明する気にもなれなかったので、元騎士マルクはそれだけ言った。
薬師エナはとくに気にした様子もなく、「そうですか!」と明るく相槌を打った。
二人で扉の前に立っていると、今度は別の方向から馬車が近づいてくる音がした。
立派な馬車だった。黒塗りの車体に金の装飾。
御者台には使用人らしき男が座っている。
扉が開くと、中から青年が降りてきた。
年は二十そこそこ。整った顔立ちに、仕立ての良い外套。
貴族の御曹司、とひと目でわかるような出で立ちだ。
青年は元騎士マルクと薬師エナを見て、わずかに眉を上げた。
「……ここ、グレイの塔だよな?」
「ああ、そうだ」
「なるほど……ふんふん」青年は鼻を鳴らした。「俺はフィン・アーヴィングだ。よろしく」
よろしくという言葉の割に、全くよろしくなさそうな顔だった。
元騎士マルクはため息をこらえた。
結局、遺産の相続者が全員が揃ったのは日が傾きかけたころだった。
塔の前に集まったのは、6人。
マルク・ベルナール。元騎士・四十二歳・無口。
エナ・コーウェル。薬師・年齢は秘密らしい・よくしゃべる。
フィン・アーヴィング。貴族の三男・二十二歳・感じが悪い。
カト。老婆・年齢不明・何者かも不明。
ルーク・ハーディ。吟遊詩人・三十一歳・飄々としている。
そして――
「えっと……ここ、グレイの塔で合ってますか?」
最後に現れたのは少年だった。
十四か十五か。
ぼろぼろの外套を着て、大きな目でおずおずと一同を見回している。
手に持っているのは、くしゃくしゃになった召喚状だ。
「うん、合ってるよ」と薬師エナが言った。「あなた、お名前は?」
「イト、です」
「苗字は?」
「……ないです」
それきり少年は黙った。
六人は顔を見合わせた。
元騎士、薬師、貴族の御曹司、素性不明の老婆、吟遊詩人、名前だけの少年。
どう考えても、共通点のない組み合わせだった。
公証人の男――名をベック・ウォルターといった――が扉を開けて、一同を塔の中へ招き入れた。
中は薄暗く、埃っぽかった。
魔法の灯台がいくつか置かれていて、ぼんやりした光が室内を照らしている。
一階は広い円形の部屋で、中央に長テーブルと椅子が六脚用意されていた。
テーブルの上には何もない。
「皆さんがお揃いになりましたので、遺言書の読み上げを行います」
公証人ベックは鞄から封筒を取り出し、厳かな顔で開封した。
全員が固唾を飲んで見守る中、男は遺言書を広げた。
そして、公証人ベックはまず、口に出さずに遺言書を読んだ。
公証人ベックは眉間に皺を寄せて、もう一度、口に出さずに遺言書を読んだ。
それから顔を上げ、困惑した表情で一同を見回した。
「……えっと」
「何と書いてあったんだ?」と元騎士マルクが促した。
「はい。その……遺産として皆さんに残されたものなのですが」
公証人ベックはもう一度遺言書を確認し、眼鏡を拭き、もう一度確認した。
「『なにもない』と……」
その言葉に、皆が沈黙する。
「……は?」と、貴族フィンが言った。
「遺産は、何もない。グレイ・オールドマン氏の財産は特にない、と書いてあります」
また、沈黙が広がる。
「じゃあ」薬師エナがおそるおそる手を挙げた。「わたしたち、なんで呼ばれたんですか?」
公証人ベックはもう一度、遺言書に目を落とした。
「それについても書いてありまして」
「お! なんて書いてあるんです?」
「『六人で一晩過ごせ。それがお前たちへの遺産だ』……と」
夜が更けた。
全員でテーブルを囲み、とりあえず持ち寄った食料で夕食をとった。
貴族フィンが持ってきたワインが思いのほかいい銘柄で、それだけが場を和ませた。
「まったく……詐欺じゃないのか、この召喚状は」貴族フィンがグラスを傾けながら言った。
「詐欺じゃないですよ、たぶん」薬師エナが答えた。「だって公証人も来てたんですし」
「お前……少し楽観的すぎないか?」
「でも、ここまで来ちゃったんだから、なんか意味あると思いたいじゃないですか」
元騎士マルクは黙ってワインを飲んだ。腹は立っていた。
辺境まで三日かけて来て、遺産は「一晩過ごせ」とはどういうことだ。
しかし――グレイ爺らしいといえば、らしかった。
「まあ」ルークが吟遊詩人らしい飄々とした口調で言った。「せっかくだし、話でもしましょうよ。みなさん、グレイ爺とはどんな縁があったんです?」
「私から話すことは何もない」貴族フィンが即座に言った。
「あるから呼ばれたんでしょ」薬師エナが突っ込んだ。
カトと呼ばれた老婆は、ずっとにこにこしながら何も言わない。
少年イトは下を向いて、ワインの代わりに水を飲んでいる。
吟遊詩人ルークは「じゃあ私から」と口を開いた。
「五年前、旅の途中で道に迷って。あの爺さんの塔に転がり込んだんですよ。三日ほど置いてもらって、飯も食わせてもらって。出ていくときに『お前は詩人に向いているから続けろ』って言われました。それだけです」
「お前は……それだけで遺産をもらえると思ったのか?」貴族フィンが呆れた顔をした。
「思ってなかったですよ。だから驚いてるんです」
元騎士マルクは少し考えてから、口を開いた。
「俺は……まあ、昔、世話になった。それだけだ」
「それだけって、どんな?」薬師エナが食いついた。
「どんなも何も。世話になった」
「もう少し詳しく教えて!」
「……断る」
薬師エナは、むーっとした顔をした。
それから全員の視線が、自然と少年――イトに集まった。
少年イトは顔を上げ、全員の顔を見回した。
それから、ぽつりと言った。
「僕は……グレイ爺のことを、知らないです」
その言葉に、全員が固まった。
「グレイ爺を知らないのに、なんで呼ばれたんだ?」元騎士マルクが言った。
「会ったこともないし、話したこともないです。なんで僕が呼ばれたのか、全然わからないんです」
少年の目は正直だった。嘘をついている様子は、まるでなかった。
しばらくの間、沈黙が落ちた。
吟遊詩人ルークが、ゆっくりとグラスを置いた。
「だとすると、それはおかしいですね」
「おかしいだろ、普通に」貴族フィンが言った。
「遺言書に名前が書いてある、ということは」元騎士マルクが腕を組んだ。「グレイ爺はお前のことを知っていた、ということだよな」
少年イトは静かに首を振った。
「だとしたら――」
少年はテーブルに置かれた自分の手を見つめた。
「なんで僕のことを知ってたんですか? 僕、孤児院育ちで親の顔も知らないんですけど」
その夜遅く。
元騎士マルクは眠れずに、塔の一階をうろついていた。
ふと、テーブルの端に何かが置いてあることに気づいた。
夕食のときには、なかったものだ。
近づいてみると、それは小さな木箱だった。
蓋の上に、一枚の紙が乗っている。
元騎士マルクは紙を手に取った。
そこには、たった一行だけ書いてある。
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『六人全員が揃ったら、開けなさい』
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元騎士マルクは、もう一度箱を見た。
それから全員を叩き起こすべきか、一人で開けるべきか、少しだけ悩んだ。
結局、皆を叩き起こすことにした。
グレイ爺の遺言に「六人で」とあったからというのもあるが――もう一つ、理由があった。
木箱の蓋の隅に、小さく刻まれた文字があったのだ。
元騎士マルクには読めない古い言語だ。しかし見覚えがあった。
あれは――『禁術の封印文字』。
魔法使いが、開けてはいけないものに刻む、あの文字だ。




