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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第5章

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「 返事の条件」

 


 その夜、黒鴉城ネヴァーグレイヴの小会議室には、いつもより少しだけ重い沈黙が落ちていた。


 疲れているからではない。

 むしろ逆だった。


 ようやく次へ進むための輪郭が見えたせいで、誰もが軽々しく口を開きにくくなっている。


 白霜外界の門前に秩序は置かれた。

 争わない。

 勝手に触らない。

 順番を守る。

 門が先。


 その結果、門前は少しずつ“場所”になった。

 魔導王国も帝国も、一定の線の内側でならそこへ立てることが分かった。

 人間側が静かに振る舞えば、白霜外界もまた、少しだけそれに応じる。


 だが、それでも応答は完成しない。


 門は立った。

 門前秩序もできた。

 こちら側の条件もかなり揃った。

 それなのに、最後の一歩だけがどうしても埋まらない。


 なら足りないのは何か。


 最後の鍵。

 場の意味。

 向こう側が返しやすい条件。


 言葉にして並べるだけなら簡単だ。

 だが、その中身はひどく重い。


 クロウは机の上に広げられた記録を見ながら、内心でかなり率直に思っていた。


(結局、そこか)

(知でも武でもなく)

(誰が立つかだけでもなく)

(門前が“何の場であるか”を揃えろ、という話になってきた)

(面倒だな)

(本当に面倒だな)


 だが、逃げ場がないこともまた分かっている。


 補助宮。

 白霜外界。

 黒い門。

 門前秩序。


 その全部を積み重ねて、ここまで来たのだ。

 ここで「やっぱり難しいからやめよう」が通るわけもない。


 だから、考えるしかない。


 ---


 ヴェルミリアが静かに記録板を整えた。


 机の上に並ぶ板は、どれも無駄がなく、見やすく整理されている。

 だが、整理されているからといって内容まで軽くなるわけではない。

 むしろ、こういう話ほど整理されると逃げ場がなくなる。


「本日の観測を総合すると」


「言え」


「門前秩序は、門に嫌われない条件としてほぼ確立しました」


「ああ」


「ですが、それはあくまで“壊さない条件”です」


 そこはもう、この場の全員の認識が一致している。


 壊さない。

 崩さない。

 遠ざけられない。


 そのための条件なら、かなり見えてきた。

 どこまで近づくか。

 どういう態度で立つか。

 何をしてはいけないか。

 そこはだいぶ揃った。


 だが“繋ぐ”はまだ別だ。


「応答へ至るには」


 ヴェルミリアが続ける。


「場の意味をもう一段進める必要があるかと」


「迎える場、か」


 クロウが低く言う。


「はい」


 彼女は頷いた。


「少なくとも、ただ静かにしているだけでは足りません。ですが急ぎすぎれば壊れる」


 その匙加減が難しい。


 かなり難しい。

 むしろ、そこが全部だろう。


 バルザードが口を挟んだ。


「技術的にできることは、ここから先は減ります」


「減るのか」


「はい!」


 元気に言う内容ではない。


「もちろん補助計測や位相固定の補助は可能ですが、応答そのものを“引きずり出す”ような手段はむしろ逆効果かと」


「だろうな」


 そこはクロウも同感だった。


 門がこれだけ接近態度や場の空気を見るなら、こちら側の技術で無理に押し広げるのはたぶん最悪だ。

 押した瞬間、白ごと閉じる。

 その未来がかなりはっきり想像できる。


 だから、やれることは減る。

 そして、減ったぶんだけ“何が本当に必要か”の重さが増していく。


 リセリアも、今日は黒翼庭の小会議へ招かれている。

 第二圏観測の結果整理役として、オルフェンとともに席についていた。


「王国側でも同じ見解です」


 彼女は落ち着いた声で言う。


「いま必要なのは、認証や解除より“意味の一致”に近いものかと」


 意味の一致。


 それもまた、分かりやすくて面倒な言葉だった。


「何と何の一致だ」


 クロウが問う。


 リセリアは少しだけ考え、それから答える。


「こちら側が門前をどう定義しているか、と」




「向こう側が、何のための門だと見ているか、です」


 それは、たしかに核心だった。


 こちらが門前を“観測場”だと思っていても、向こうが“迎え入れる場”を求めているなら噛み合わない。

 こちらが“裁定の場”だと置けば、向こうは“まだ違う”と沈黙を続けるかもしれない。

 こちらが“呼びかけの場”を作ったつもりでも、向こうが“返ってきても壊れない場”を必要としているなら、やはり届かない。


 なら、最後に必要なのは“正しい意味で門前を成立させること”になる。


 かなり厄介だ。

 そして嫌なくらい筋が通っている。


 ---


 オルフェンがそこで静かに補足した。


「補助宮は終王側の理屈で成立しておりました」


「はい」


「ゆえに、主認証が通ればあとは段階の問題でした」


「今回は違う」


 クロウが言う。


「はい」


 オルフェンは頷く。


「今回は眠りの側です。しかも、まだ向こう側は全面的には返していない」


「だから」


 ザイードが低く続ける。


「こちらが一方的に“開ける”のではなく、向こうが“返してよい”と思う条件を満たさねばならぬ」


 その通りだった。


 終王の裁定だけでは足りない。

 門前秩序だけでも足りない。

 知でも武でも足りない。


 向こう側が、応答してよいと思う何かが必要だ。


 そして、そういう“何か”はたぶん技術ではなく、もっと場の在り方に近い。


 クロウは記録板の上に指を置いたまま、ほんの少しだけ視線を落とした。


(面倒だな)

(つまり、最後は私がどう立つか、に寄ってくるんだろうな)

(知ってる)

(知ってるが、知っているのと嬉しいのは別だ)


 そこが一番つらい。


 ---


 しばらく沈黙が落ちたあと、意外にも最初にそれを言葉にしたのはリュミエラだった。


 連邦は本来、この会議へ正式には深く入る位置ではない。

 だが“意味の感知”という点において、門前で無視できない存在になりつつある。

 アシュレイとともに、今日は例外的に席が与えられていた。


 リュミエラは少しだけためらい、それから静かに言う。


「迎える、という言葉に」


 全員の視線が向く。


「少しだけ、近い感じがあります」


 小さな声だった。

 だが、この部屋では誰も軽く扱わない。


「どういう意味だ」


 クロウが問うと、彼女は胸へ手を当てて答えた。


「門そのものは、起こしたがっていないように感じます」


「ああ」


 それはすでに見えている。


 門は、向こうをこちらへ無理やり引きずり出したがってはいない。

 むしろ、そういう乱暴さは嫌っている。


「でも、閉じて留めたいわけでもない」


「…続けろ」


「向こう側にいるものが、返してよいと判断できる位置を、こちらで保っている」


 そこでリュミエラは少しだけ目を伏せた。


「だから、“呼ぶ”より“受け取る”の方が近い気がするんです」


 部屋の空気がまた変わる。


 受け取る。


 それは迎えるに近い。

 だが、迎えるよりもさらに受動的で、静かだ。


 こちらから強く呼ばない。

 引き寄せない。

 起こしに行かない。

 ただ、“返ってきても壊れない位置”を保つ。


 それなら、いままで見えてきた門前秩序とも噛み合う。


「…なるほど」


 ヴェルミリアが低く言った。


「迎え入れるというより、返ってきたものを崩さず受け取る場、ですか」


 リュミエラは小さく頷く。


「はい。たぶん」


 その“たぶん”は弱さではなかった。

 この案件では、それくらいの曖昧さの方がむしろ正しい。

 決めつけず、だが逃げない。

 その距離感こそ、いま必要なのだ。


 アシュレイも腕を組みながら言う。


「だから門も、“こっちへ来い”みたいな反応は一度もしなかったのか」


「ええ」


 オルフェンが頷く。


「立つことは許す。だが開きはしない。そこは一貫しています」


 つまり。


「返事を奪うな、か」


 クロウがぽつりと言う。


 それは今まで自分の中にあった感覚でもあった。


 急ぐな。

 無理に引っ張るな。

 返事を奪うな。


 それがようやく、門前全体の理屈として繋がってきた。


 ---


 だが、そこで問題がさらに一つ重くなる。


「返事を奪わずに、返しやすい場を作る」


 クロウは記録板を見ながら言う。


「なら、その場を誰が定義する」


 かなり大きい問いだった。


 門前秩序は、結果としてクロウの言葉が核になって成立した。

 門もそれを嫌わなかった。

 なら次の“返事を受け取る場”も、おそらくは同じだ。


 同じだから困る。


(つまりまた私か)

(知ってた)

(でも、知ってるのと本当にそうなるのは違うんだよな)

(“受け取る場を作れ”って何だ)

(どうしろというんだ)


 かなり率直に困る。


 その困り方を見透かしたように、ヴェルミリアが静かに言った。


「陛下」


「何だ」


「おそらく、その条件は陛下ご自身に寄ります」


 やはりそう言う。


 分かっていたが、はっきり言われるとやはり嫌だ。


「根拠は」


 一応聞く。


「補助宮も、白霜外界も、門前秩序も」


 ヴェルミリアは整理するように言う。


「すべて陛下の“どう立つか”で、周囲の理屈が定まっています」


「…大げさだな」


「いいえ」


 即答だった。


「少なくとも、各国も門も、そう見ています」


 痛いほど正しい。


 クロウ本人の気持ちがどうであれ、外から見ればそうなのだろう。


 自分が“ここで争うな”と言えば秩序になる。

 “門が先だ”と言えば最上位基準になる。

 “急ぐな”と言えば、意味を作り急ぐなという裁定になる。


 そういう役割に、もうなってしまっている。


 だから最後に必要なのが“受け取る場の定義”なら、それもまた自分がやるしかない。


(面倒だな)

(本当に面倒だな)

(だが、やるしかないんだろうな)

(分かってる)

(逃げたところで、たぶんもっと面倒になるだけだ)


 そこも、悲しいほどよく分かる。


 ---


 夜が更ける頃、小会議はようやく終わりに近づいた。


 結論そのものは、まだ出ていない。

 だが、次へ進むために何を探るべきかは見えた。


 門前秩序は壊さないための条件。

 最後に必要なのは、返事を奪わず、返ってくるものを崩さず受け取れる場の意味。

 その定義の中心に立つのは、おそらくクロウ自身。


 重い。

 非常に重い。


「…よく分かった」


 クロウは静かに言った。


「つまり、まだ門前だ」


 それは以前にも口にした整理だった。

 だが、いまは意味が一段深い。


 門の前に立てる。

 席もある。

 秩序もある。

 それでも、まだ“受け取る場”にはなっていない。


 だから、まだ門前なのだ。


「はい」


 ヴェルミリアが答える。


「ですが、次に何を変えるべきかは見えました」


「急ぐな」


 クロウは言う。


「返事を奪うな」


 その言葉に、部屋の全員が静かに頷く。


 これはもう、単なる慎重論ではない。

 最後の鍵へ近づくための前提そのものになり始めていた。


 リセリアは結晶板を抱え直し、オルフェンは目を閉じて小さく息を吐く。

 レオンハルトは黙って腕を組み、アシュレイは真っ直ぐにその言葉を受け止める。

 リュミエラは胸へ手を当てたまま、少しだけ安堵と不安の中間みたいな顔をしていた。


 返事を奪うな。


 それは、向こう側に本当に“返す主体”があることを前提にした言葉でもある。


 つまりこの部屋の誰もが、もうそこを疑っていない。


 ---


 会議が終わり、人が引いていったあと。

 小会議室にはクロウだけが残っていた。


 机の上には記録板。

 白霜外界。

 黒い門。

 門前秩序。

 最後の鍵。

 受け取る場。

 返事を奪うな。


 並べると、全部ちゃんと繋がっている。

 それがまた嫌だった。


(理屈としてはきれいなんだよな)

(きれいだから困る)

(これでどこか一つでも雑なら、まだ“分からない”で逃げられるんだが)

(きれいにつながると、やることが見えてしまう)


 その“やること”が、自分の立ち位置に寄ってくるのもまた嫌だ。


 窓の外は曇っている。

 北は見えない。

 だが、見えないままでも門の向こう側が以前よりずっと現実的になっているのは分かる。


「…次は」


 小さく呟く。


「本当に、返事を聞くことになるのか」


 その言葉は、誰に向けたものでもない。

 ただ、自分の中で次の段階を認めるための言葉だった。


 そして、その問いに対して今夜はまだ返事がない。


 ない。

 だが、それでいいのだろうとも思う。


 返事を奪うな。

 そう自分で言ったばかりなのだから。


 なら、次は“返ってきてもいい場”を作る番だ。


 ひどく面倒だ。

 だが、目を逸らしたくはない。


 結局いつも、そこへ戻る。

 戻るから、ここまで来てしまったのだろう。


 クロウは記録板へ手を置き、静かに息を吐いた。


「…面倒だな」


 今度のそれは、ただ嫌だというだけではなかった。


 逃げられないと知っている面倒。

 そして、たぶん自分で受けに行くしかない面倒。


 その両方が混じった、かなり正直な独り言だった。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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引き続きよろしくお願いいたします。

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