「静かに席が増えていく」
黒鴉城ネヴァーグレイヴの朝は、たいてい静かだ。
だが、その静けさにはいくつか種類がある。
何も起きていない朝の静けさ。
何かを待っている朝の静けさ。
そして、これから確実に面倒なことが増えると全員が分かっているのに、誰も騒がずに準備だけ進めている朝の静けさ。
今朝の城は、最後のだった。
廊下を行き交う者の足音が少ない。
少ないのに、どこかしらで誰かが動いている気配は消えない。
扉の開閉は慎重で、報告は簡潔で、視線だけが妙に早い。
こういう時は大抵、ろくでもない。
小会議室の机へ並んだ地図と記録板を前に、クロウは静かに座っていた。
見た目だけなら落ち着いたものだ。
黒を基調とした王装。
高い背。
金灰色の瞳。
そのまま絵にすれば、いかにも“動かぬ王が情勢を見下ろしている”場面に見えるだろう。
実際の中身は、もう少し率直だった。
(来るよな)
(そりゃ来る)
(門が立って、固定して、しかも黒翼庭が一番近いなら、全員来るに決まってる)
(分かってた。分かってたが、分かってたのと本当に来るのは別なんだよな)
大事な違いである。
白霜外界に門が立った。
しかもただの影ではなく、半壊しながらなお輪郭を保つ中継遺構として。
それを知って、各国が何もしないはずがない。
帝国は席を求める。
魔導王国は観測を外さない。
商盟は順番と情報の値を上げる。
連邦は遅れてでも意味を問いに来る。
問題は、全員がそれぞれ違う理屈で動くことだ。
同じ理屈で揉めるならまだ落としどころもある。
だが、違う理屈が同じ門前へ集まると、面倒はだいたい大きくなる。
(門の前で国家単位の腹の探り合いとか、本当にやめてくれ)
(頼むから誰も余計な正義とか誇りとか短期利益とかを発揮しないでほしい)
(いや、するんだろうな)
(知ってる)
知っているから気が重い。
しかも今回の厄介さは、単に“各国が集まる”ことだけではない。
集まる場所が、普通の会談場でも、国境地帯でも、神殿でも戦場でもない。
白霜外界の中、眠りの気配に触れ続ける王権の門前なのだ。
少し空気を間違えれば、国同士の不和より先に門そのものが嫌がる。
そういう種類の場であることを、いまこの城の人間はもう全員理解していた。
だから騒がない。
騒がず、静かに準備している。
それが余計に重かった。
扉が静かに開き、ヴェルミリアが入ってきた。
今日も今日とて、涼しい顔で記録板を三枚抱えている。
見るからに、整理が終わっている人の顔だった。
こちらはまだ少し“嫌だな”の段階にいるのに、この人はもう“では並べますね”の顔をしている。
頼もしい。
頼もしいが、置いていかれてる感じが少しある。
「おはようございます、陛下」
「ああ」
クロウは短く返した。
「揃ったか」
「はい」
ヴェルミリアは机の向かいへ立ち、記録板を順に並べる。
「各国動向、門前観測線、外部流通、いずれも更新済みです」
「言え」
「はい」
最初の板には、北方禁域周辺の概略図が置かれていた。
黒鴉城。
補助宮。
白霜外界。
門前固定点。
そして、その周辺へ薄く引かれた観測線の印。
「まず帝国です」
ヴェルミリアが言う。
「前線の圧を増しております。ただし、いまだ白霜外界へ正面から踏み込む様子はありません」
「レオンハルトか」
「おそらく」
その返事には確信に近いものがあった。
クロウは小さく頷く。
あの皇子なら、門の前で無理を通す局面ではないと理解していても不思議ではない。
少なくとも、白霜外界相手に“とりあえず突っ込め”をやるほど軽い男ではない。
それは助かる。
助かるが、助かるからといって安心していい相手でもない。
レオンハルトの厄介さは、無理をしないところにある。
無理をしないまま、自分の席だけは確保しに来る。
焦らず、だが引かず、こちらが譲ればその分だけ前へ出る。
そういう相手は、乱暴な敵よりよほど扱いが難しい。
「目的は」
「正式な関与でしょう」
ヴェルミリアは即答した。
「黒翼庭だけに門前の主導を既成事実化させないことが優先かと」
「…だろうな」
それは帝国として自然だ。
門が世界地図を変えうる案件なら、その門前で無席というわけにはいかない。
奪りたいわけではない。
だが、見ているだけでもいられない。
面倒だ。
ひどくまっとうな理屈で面倒だ。
「次に魔導王国ですが」
ヴェルミリアが二枚目を開く。
「門を中継遺構として扱い始めています。補助宮記録と白霜外界記録の照合を継続。正式な共同観測、または限定的な記録共有の打診準備に入った可能性が高いです」
「魔導王国らしい」
クロウが言う。
「はい」
「前へは出すぎない。だが外れもしない」
「その通りかと」
魔導王国は、そのあたりがうまい。
無理に主になろうとはしない。
だが、最も正しい証人の席だけは絶対に手放したがらない。
それは厄介だ。
厄介だが、全面的に敵対されるよりはずっとましでもある。
魔導王国は、主導権を奪えぬと知れば、次善として“最も正確に見届ける位置”を欲する。
そして一度その席に座れば、後から出てきたどの国よりも重い証言を積んでくる。
門が開いた時、何が見えたか。
誰がどの順番で近づいたか。
どういう条件で反応したか。
そうした記録を、一番整った形で持ち帰るのはおそらくあの国だ。
つまり今の魔導王国は、敵というより“絶対に見落としてはならない観測者”として門前にいる。
それがまた、違う種類の面倒さを生んでいた。
「商盟は」
クロウが先に問う。
ヴェルミリアが三枚目を示した。
「順番の価値を最大化し始めています」
「…やはりそう来るか」
「はい」
そこは予想通りだった。
門そのもの。
中継遺構。
応答条件。
そういう核心は、商盟にとって“売れるが危険すぎる”領域だ。
だが、その手前にある道、順番、立場、観測席、接触の優先権、このあたりは商盟にとって最高の商材になる。
門の中へ入る権利ではなく、門前に“誰がいつ立てるか”。
それが値札になる。
実にあの国らしい。
そして、そういう国だからこそ見逃せない。
「短期派は」
「表面上は静かです」
「それが一番嫌だな」
思わず出た。
ヴェルミリアはほんの少しだけ目を細めたが、否定はしない。
「同感です」
短期派が大人しい時は、諦めたか、ろくでもない抜け道を探しているかのどちらかだ。
そして今回は、後者の匂いが強い。
実に嫌だ。
商盟の短期利得派は、国家というより“席順の隙間へ指を差し込む人間たち”だ。
正面から席を要求はしない。
その代わり、“誰も見ていない端”で勝手に観測を始めたり、順番の外側で何かを確かめようとしたりする。
強国より始末が悪い場合がある。
強国はまだ、失敗した時の損害を理解している。
だが短期派は、自分一人の抜け駆けがどれほど大きな崩れ方を呼ぶかを想像しない。
そういう意味で、今回もっとも気をつけるべき相手の一つだった。
「連邦は」
クロウが問う。
「まだ遅れています」
ヴェルミリアの答えは簡潔だった。
「ただし、北方案件に対する圧そのものは確実に増しております。遅れている、ではなく、まだ名を定めきれていない、と見るべきでしょう」
それもそうだろう。
連邦は“意味”で動く国だ。
だから意味が定まらないものには、一歩目が遅れる。
だが、その代わり一度意味を置こうとした時の勢いは強い。
そこが怖い。
門を見た瞬間に、“神敵へ至る門”だの、“異端の象徴”だの、“神話の揺らぎ”だの、そういう重い言葉を置きに来る可能性がある。
しかも、そうした言葉は現地の空気より、自国の教義の都合で選ばれる。
門が嫌うのは、そういう種類の押しつけかもしれない。
そこまで思うと、なおさら厄介だった。
(全員来る)
(しかも全員、理由が違う)
(ひどいな)
(本当にひどい)
(どうしてこう、面倒って毎回きれいに全方向から来るんだろうな)
世の中は不思議である。
---
報告が一巡したところで、クロウはしばらく黙って地図を見ていた。
白霜外界。
門前固定点。
各国の観測線。
どれも机の上では整って見える。
だが現地はそうはいかない。
白霜外界は相変わらず白いだろうし、門前は少しでも空気を間違えればまた距離ごと嫌われる可能性が高い。
そういう場所へ、いまから国家単位の思惑が流れ込んでくる。
よくない。
どう考えてもよくない。
机上では線で済む。
だが現地では、その線のひとつひとつが人の立ち位置になり、言葉になり、視線になり、そして空気になる。
王権の門の前では、その空気ひとつで条件が変わりかねない。
だからこそ、ここで曖昧にしてはいけない。
だが、明確にしすぎてもまた軋む。
そういう類の調整だった。
「陛下」
ヴェルミリアが静かに呼ぶ。
「何だ」
「ご判断を」
来た。
もちろん来る。
報告だけ並べて終わるわけがない。
各国が動くなら、こちらも“どう対処するか”を決めねばならない。
それは分かる。
分かるのだが、こういう時はだいたい、選択肢のどれも嬉しくない。
締めすぎれば反発が強まる。
開きすぎれば門が崩れる。
帝国を外せば帝国が重くなる。
魔導王国を外せば情報が裏で増える。
商盟を締めれば別ルートで流れる。
連邦を放置すれば後から意味だけ重くなる。
(嫌だな)
(全部嫌だな)
(でも、嫌だ嫌だで止まってると余計に悪化するんだよな)
(知ってる)
そこが一番嫌だ。
クロウは椅子に少し深く腰を預け、それから短く言った。
「勝手に触らせるな」
まずはそこだ。
門はまだ開いていない。
応答も完成していない。
ここで誰かが独断で接触して、白霜外界ごと条件を崩されるのが一番困る。
「ですが」
ヴェルミリアがすぐに問う。
「完全な排除もまた、外部の反発を招きます」
「分かっている」
だから面倒なのだ。
「無意味に刺激もするな」
続ける。
「席を求めるなら座らせろ。だが、門に触れる権利まで与えるな」
それが、今のところ一番ましな線だった。
見学席はある。
だが主導権までは渡さない。
観測は許す。
だが接触は制限する。
かなり普通の危機管理である。
むしろ、それ以外に何かあるのかと思う。
だがヴェルミリアは、それを受けて静かに頭を垂れた。
「承知いたしました」
そして次の言葉がいかにも彼女らしい。
「門前秩序の雛形として整理いたします」
そうなるのか。
いや、そうなるのだろう。
だが、本人の意図はもっとこう、
“事故るな”
くらいのものだった。
(違う)
(いや違わないんだが)
(そういう大層なつもりで言ったわけじゃない)
(普通の危機管理だろ、これ)
(何でこう、言葉にした瞬間に全部“秩序”とか“裁定”とかになるんだ)
誰にも聞けない疑問だった。
「加えて」
ヴェルミリアはさらりと続ける。
「帝国には“正式な立場の承認”を餌に行動を抑えられます。魔導王国には観測席の保証。商盟には順番の明文化。連邦には、少なくとも“門前で名だけを置かせない”形に持ち込めるかと」
早い。
整理が早い。
さっきまでこちらが“面倒だな”と思っていたものを、もう具体的な外交案件へ変換している。
頼もしい。
だが少し怖い。
たぶんこういう人間がいるから、黒翼庭はちゃんと国の顔をし始めているのだろう。
そしてたぶん、自分が嫌でも“王として言った一言”が形になっていくのも、こういう人間がいるからなのだ。
ありがたい。
その分だけ責任が重い。
実に面倒だ。
「…好きにしろ」
クロウは言った。
「ただし、限度は見誤るな」
この言い方も、最近ずいぶん使い慣れてきてしまった。
本当はもっとこう、
“やりすぎると全員面倒になるぞ”
くらいの感覚なのだが、口から出すと自然にこうなる。
ヴェルミリアは深く頷いた。
「はい。門が嫌う線を超えぬよう整えます」
そこまで分かっているなら、もう止める理由もない。
---
そこへ、今度はガルドが入ってきた。
大柄な黒甲冑の騎士は、今日も足音が少ない。
相変わらず、どういう理屈であれほど静かに歩いているのか分からない。
「陛下」
「どうした」
「門前圏の護衛配置案を持参しました」
やはり来た。
みんな本当に早い。
「言え」
「帝国、王国、商盟、連邦。それぞれの代表または観測線を受け入れる場合、黒翼庭直轄圏を三重に分けます」
ガルドは地図へ太い指を置いた。
「第一圏。門前最接近域。黒翼庭のみ」
「第二圏。共同観測許容域。限定人数のみ」
「第三圏。各国観測席。武装制限付き」
分かりやすい。
そして、かなり良い。
少なくとも“誰がどこまで来てよいか”が明確なら、余計な誤解は減る。
減るだけで、消えはしないだろうが。
現場で一番怖いのは、悪意そのものより“自分はここまでなら許されると思った”という思い違いだ。
王権の門の前で、その手の思い違いはたぶん一番高くつく。
だから線は必要だった。
はっきりした、物理的な線が。
「武装制限はどうする」
クロウが問う。
「代表護衛としての最小限のみ」
ガルドは即答する。
「重装、大規模術式、長射程兵装は禁止とすべきかと」
そこも妥当だった。
門前で“何かあった時のために”という理屈で兵装を積み始めたら、たぶん何かが起きる。
だいたいそういうものだ。
「それでいい」
クロウが言う。
ガルドが頷いた。
「御意」
短い。
やはりこの男の返答は助かる。
説明を足しすぎない人間が一人いるだけで、かなり心が楽になる。
もっとも、その分この男は現場で本当にやるべきことしかやらないので、それはそれで別の緊張感があるのだが。
---
続いてセラフィナも現れた。
白銀の髪。
白い翼。
やわらかな微笑み。
そして相変わらず内容は少し怖い。
「陛下」
「どうした」
「影鴉衆より、外部観測線の気配報告です」
「言え」
「現時点で最も危ういのは、帝国でも王国でもなく、商盟短期派の私設観測線です」
やはりか。
クロウは内心で深く頷いた。
こういう時、いちばん嫌なのは“強い国”より“少しだけ賢い馬鹿”だ。
強い国はまだ、壊した時の重さを理解している。
だが短期派は、自分の利益が先に来る。
「押さえられるか」
「可能です」
セラフィナは穏やかに言った。
「ですが、あまり露骨に潰せば商盟本体へ角が立ちます」
「…そうだろうな」
面倒だ。
潰したい。
だが、潰すと別方向に面倒が増える。
最近ずっとその繰り返しである。
「見せしめはするな」
クロウは言う。
「だが、門の前に余計な足跡を増やすな」
本人としては、ごく普通に“門前を荒らすな”である。
だがセラフィナは美しく頭を垂れた。
「承知いたしました。静かに失わせます」
言い方が怖い。
意味としてはありがたいが、言い方が怖い。
(いや、まあ…そうなるよな)
(うん)
(今さらそこを優しく言い換える女でもないか)
少しだけ諦める。
---
最後に、予想通りバルザードも来た。
やって来た瞬間に嫌な予感がするのは、もはや条件反射だ。
「陛下!」
「何だ」
「各国観測席を置くなら、位相干渉緩和用の簡易杭を――」
「最低限にしろ」
反射で先に言った。
バルザードが一瞬きょとんとして、それから嬉しそうに頷く。
「さすが陛下、私が説明する前に本質を!」
違う。
違うのだ。
単に、この男は放っておくと気づいた時にはあちこちへ余計な機材を立てている未来が見えるから、早めに釘を刺しただけである。
「門前を人間側の都合で埋めるな」
クロウは低く言う。
「置くなら、本当に必要なものだけにしろ」
これも本音だった。
ただでさえ白霜外界も門も、こちらが余計なことをすると嫌がる気配がある。
そこへ観測杭だの試作杭だのを何本も突っ込めば、ろくなことにならない。
バルザードは珍しく真面目な顔で頷いた。
「了解いたしました。道具を増やすのではなく、門に嫌われない範囲で“見る”ことを優先します」
通じたならよかった。
よかったのだが、やはり全てが立派な言い換えになる。
(いや、本当にただ“余計なものを置くな”なんだがな…)
だが、そこを今さら細かく直しても仕方がない。
---
こうして四天王が揃うと、小会議室の空気は完全に“門前秩序の骨組みを作る会議”になっていた。
席をどこに置くか。
誰がどこまで近づけるか。
どの観測を許し、どの接触を禁じるか。
門が嫌う線をどこに置くか。
どれも重要だ。
重要なのは分かる。
だが、分かるからといって気が楽になるわけではない。
(いや待て)
(本当に、門の前で各国の席順まで考えることになるのか)
(何だこれ)
(私は目覚めてから何をやってるんだろうな)
(王ってこんなに調整役みたいなことをするものなのか)
(…するのかもしれないな)
少しだけ嫌な納得だった。
剣を抜く王。
裁定を下す王。
終わらせる王。
そういう言葉だけ聞けば、もっとこう一直線な役回りを想像する。
だが実際には、門の前に増え始めた椅子の数を見ながら、誰をどこへ座らせれば事故が起きにくいかを考える。
それもまた王の仕事らしい。
あまり格好はつかない。
だが、おそらく一番必要な仕事でもあった。
ヴェルミリアが最後の確認のため、もう一度だけクロウを見た。
「陛下」
「何だ」
「門前に席を増やす以上、いずれ直接の要求も参ります」
「だろうな」
「その際の基準を、先に一言いただけますか」
また来た。
“基準を一言”。
この一言が、そのままあとで大層なものになるのだろう。
もう分かっている。
分かっているからこそ、変なことは言えない。
クロウは少しだけ目を閉じ、それから言った。
「門の前では、門が先だ」
これが一番だった。
「国でもなく、面子でもなく、順番でもなく、まず門だ」
自分でも、かなりまともなことを言ったと思う。
というか普通のことだ。
門が相手だ。
なら、まず門が嫌うかどうかを優先するべきだ。
そこへ国家の理屈や誇りを持ち込むのは、順番が逆である。
だが、四天王にとってはその一言が十分以上だったらしい。
ヴェルミリアは静かに膝を折るように頭を垂れた。
「承知いたしました」
ガルドも低く言う。
「門前判断の最上位基準とします」
セラフィナは微笑む。
「門に嫌われぬ者だけが、門前に立つ資格を持つのですね」
バルザードは片眼鏡を押さえた。
「すばらしい。観測の優先順位まで一気に定まりました」
違う。
いや、違わないのだが。
そこまで重い顔をして言ったつもりはない。
(普通だろ)
(かなり普通に、“門が一番大事”と言っただけなんだが)
(何でそんなに全部すぐ完成するんだ)
だが、そのおかげで回っている部分もある。
そこは否定できない。
「好きにしろ」
クロウは言った。
「ただし、門前で余計なことをするな」
それだけは最後まで変わらない。
四天王は一斉に頭を下げた。
「「「「御意」」」」
仰々しい。
今日もちゃんと重い。
だが、門が立った以上、もうそういう重さごと抱えて進むしかないのだろう。
---
四人が退出したあと、小会議室はひとまず静かになった。
机の上には地図。
白霜外界。
門前固定点。
各国観測線。
増え始めた席。
まだ現地には何も置かれていない。
それでも、もう見える。
帝国の席。
王国の席。
商盟の席。
連邦の席。
そして、それを全部見下ろすような黒翼庭の席。
門は開いていない。
だが門前は、もう立派に政治の場所になり始めていた。
誰がどこに立つか。
誰がいつ見るか。
誰が先に名を置くか。
それだけで、後から来る意味が変わってしまう。
まだ門の向こうから返事はない。
それなのに、こちら側だけでこれだけの席が生まれる。
門というものは、本当に面倒な構造物だ。
「…面倒だな」
今度は少しはっきり口に出した。
誰もいないので、少しだけ素直になる。
「でも、ここで線を引かないともっと面倒なんだよな」
それもまた本音だった。
何もしなければ、誰かが勝手に動く。
勝手に動けば、門が嫌がる。
門が嫌がれば、たぶん全員が遠ざけられる。
そうなれば、今までで積み上げてきたものが全部無駄になる。
それだけは、避けたい。
だから線を引く。
引きたくて引くのではない。
引かないともっとひどくなるから引く。
それだけだ。
それだけなのだが、外から見れば多分、全然それだけには見えないのだろう。
クロウは机の上の門前図を見つめた。
黒い門。
白い外界。
そして、その前に増え始めたまだ見えぬ席。
世界はもう、門の前に座ろうとしている。
なら次に必要なのは、席順ではなく、まず“ここで争うな”と言うことだろう。
かなり普通の話だと思う。
だが、そういう普通の話ほど、なぜかこの世界では重く響く。
「…帰りたい」
小さく呟いてから、クロウは自分で少しだけ眉を寄せた。
いや、まだ会議の途中ですらない。
帰るも何もない。
だが気持ちとしてはかなりそうだった。
門の向こうからの応答を待つ。
その前に門前の秩序を作る。
各国の席を捌く。
短期派を静かに失わせる。
連邦には名を先走らせない。
冷静に並べると、どれもこれも気の休まらない話ばかりだ。
その気持ちのまま、彼はまた地図へ視線を戻す。
面倒はこれから本番だ。
そしてそれを分かっている自分が、もう少し嫌だった。
だが同時に、それを分かっているからこそ、ここで逃げずに線を引くしかないことも分かっていた。
門は立った。
応答はまだない。
世界は集まり始めた。
なら、少なくとも門前だけは崩さない。
その程度の決意なら、もうとっくに固まっていたのかもしれない。
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