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配下からの信頼が重すぎる  作者: きなこもち
第8章

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「真実を守る側」

 


 真実は、知っただけでは価値にならない。


 いや、正確に言えば価値にはなる。

 ただし、その価値がいつも良い形で使われるとは限らない。

 むしろ大きすぎる真実ほど、人はそれを理解しようとする前に、力へ変えたがる。


 どう使えるか。

 どこへ差し込めるか。

 誰より早く握れば何を動かせるか。


 そう考え始めた瞬間、真実はもうただの事実ではなくなる。

 武器になる。

 取引材料になる。

 時には国そのものの立ち位置を変える刃にすらなる。


 魔導王国エルグレイスにとって、その誘惑は他国よりずっと近い。


 知ることは力だ。

 記録は武器になる。

 理解は支配の入口にもなる。


 それを誰よりよく知っている国だからこそ、七柱の真実が持つ危うさもまた、誰より早く見えていた。


 ---


 中央記録院の最奥は、今日も封鎖されたままだった。


 応答記録。

 白王視認。

 終王・静王対話。

 七柱構造断片。


 重い札が並ぶ封鎖区域の前を、リセリアはもう何度目か分からないくらい往復していた。


 もちろん、暇だからではない。

 落ち着かないからだ。


 記録院は静かだった。

 いつも通り、紙の擦れる音と、遠くで結晶板が切り替わる微かな振動しか聞こえない。

 それなのに今日は、その静けさそのものがひどく落ち着かなかった。


 王国の中枢にある静けさは、本来なら心を整えるためのものだ。

 思考を乱さず、記録を濁らせず、結論を急がせないための静けさ。


 だが今のリセリアにとって、それはむしろ逆だった。

 静かだからこそ、頭の中で考えが止まらない。

 考えが止まらないから、余計に落ち着かない。


(知ってる)

(分かってる)

(いま広げたら駄目だ)

(駄目なのは、本当に分かってる)

(でも、こんな真実を閉じ込めるのも、それはそれでひどくない?)

(ひどいけど、正しいんだろうな)

(…嫌な二択だな)


 学者としては、最悪に近い状況だった。


 見た。

 触れた。

 構造まで少し返ってきた。

 それなのに、いま最も正しい行動が**広げないこと**になる。


 それは王国の人間にとって、かなり苦い。


 知ったなら記すべきだ。

 記したなら整理すべきだ。

 整理したなら、必要な者へ渡すべきだ。


 少なくとも、今までのリセリアはそう信じてきた。

 知識は閉じるためではなく、届かせるためにあると。

 真実は封じるより、正しく広げる方が誠実だと。


 けれど、今回ばかりはその信念そのものが揺れていた。


「落ち着きませんね」


 後ろから声がして、リセリアは振り返った。


 オルフェンだった。

 いつの間にそこにいたのか分からないくらい、静かな足取りだ。

 この人はいつもそうだ。

 気づいた時にはすでにそこにいて、しかも大抵、こちらの考えが少し進んだところに立っている。


「ええ」


 リセリアは素直に認めた。


「だって、あまりにも大きいじゃないですか」


「はい」


「七柱は災厄じゃなかったかもしれない。終王も白き王も、世界を壊すための王じゃない。むしろ逆だった」


「ええ」


「それを知ったのに、黙るんですよね、私たち」


 その問いに、オルフェンはすぐには答えなかった。


 彼もまた、まったく同じ葛藤を抱えているのだろう。

 ただ、リセリアより顔に出にくいだけで。


「黙る、というと少し違います」


 やがて彼は静かに言った。


「では何ですか」


「渡し方を選ぶのです」


 リセリアは少しだけ息を止めた。


 黙るのではない。

 渡し方を選ぶ。


 たしかに、その方が王国らしい言い方だった。


 知を殺すのではない。

 知を雑に流さない。

 知識の価値を信じているからこそ、どの手へ渡るべきかを選ぶ。


 それは臆病とも違う。

 むしろ逆だ。

 知識が持つ力を理解している者にしかできない慎重さだ。


 ---


 同じ頃、王宮中枢では小規模な合議が開かれていた。


 筆頭賢者オルフェン。

 宮廷魔導師リセリア。

 封印学教授ザイード。

 それに王国の政務官が二名。


 議題は一つ。

 七柱の真実を、どこまで、誰へ、どう扱うか。


 王国は王国だ。

 だからこそ、真実の扱いを間違えた時の被害も具体的に想像できる。


 単に「危ないから伏せる」ではない。

 誰がどう誤読し、どの派閥がどの理屈で利用し、どの程度の時間で王国内外へ広がり、何が壊れるかまで想像できてしまう。

 その想像力こそが、この国の強さであり、苦しさでもあった。


「まず確認を」


 政務官の一人が言う。


「現在、事実としてどこまで確定しているのですか」


 オルフェンが答えた。


「白き王は実在し、終王と対話を交わした」


「七柱の構造は、従来の災厄説では説明しきれない」


「少なくとも終王と白王については、それぞれ世界の歪みを引き受ける王権と見た方が自然です」


「つまり」


 政務官が慎重に言葉を選ぶ。


「“災厄王”という歴史認識は、重大な修正を要する」


「はい」


 そこまでは、もう揺らがない。


 では、その次だ。


「公開は」


 もう一人の政務官が問う。


 リセリアは思わず口を開きかけた。

 全部、と言いたかったわけではない。

 だが、せめて王国内の知識層には、と言いそうになった。


 その前に、ザイードが低く言った。


「時期尚早ですな」


 老人の声は乾いているが、判断は迷っていない。


「理由を」


「利用されるからです」


 一切の遠回しがなかった。


「急進派は必ず“七柱の真実”を神話学として受け取らぬ」


「力学として受け取る」


「どう接続し、どう模倣し、どう奪えるかを考え始める」


 それは、王国の悪癖でもあった。


 知れば扱いたくなる。

 扱えそうなら試したくなる。

 試せば先へ進めると思ってしまう。


 だからこそ、この国は強い。

 だが同時に、その癖がいまは最も危ない。


「では記録院としては」


 政務官が問う。


 オルフェンは静かに答えた。


「第一種封鎖を継続します」


「閲覧は最少数。複写禁止。口頭共有も制限」


「対外的には“北方案件・王権構造再整理中”までに留めます」


 かなり厳しい。

 だが、必要だろう。


「王国らしくありませんな」


 政務官が言うと、ザイードが小さく鼻で笑った。


「逆です」


「こういう時にこそ、王国らしさが出る」


「知っていても、渡さぬ方が正しいことを知っているのです」


 リセリアはそのやり取りを聞きながら、胸の中で少しだけ整理がついていくのを感じていた。


 公開しない。

 それは後ろ向きに見える。

 だが本質は逆だ。


 いま王国がやっているのは、真実を閉じることではない。

 真実が雑に武器へ変わるのを防ぐことだ。


 知りたい国だからこそ、ここで守る側に回らなければならない。


 ---


 会議のあと、リセリアは記録院の窓辺に立っていた。


 曇った空の向こうに、白霜外界そのものは見えない。

 だが、あそこへ立った日々の感覚はまだ身体に残っている。


 白。

 座。

 ルシエル。

 そして七柱の真実。


「納得がいきませんか」


 隣に来たオルフェンが問う。


「半分くらいは」


 リセリアは正直に答えた。


「半分は、まだ“もっと見せるべきでは”と思っています」


「ええ」


「だって、本当なんです」


「はい」


「歴史が間違っていたなら、正すべきでしょう?」


 その問いに、オルフェンはすぐには答えなかった。


 答えは単純ではない。

 単純でないからこそ、いま王国は揺れているのだ。


「正すべきです」


 やがて、彼は言った。


「ただし、“今この瞬間に、全部を、誰にでも”ではありません」


「…それが嫌なんです」


「分かります」


「本当なのに、順番を選ぶのが」


「ですが」


 オルフェンは少しだけ視線を細めた。


「真実そのものは、人を選びません」


「だからこそ、人の方が渡し方を選ばねばならない」


 その言葉は、学者としては苦い。

 だが王国の知としては、きっと正しい。


 リセリアは窓の外を見たまま、小さく息を吐いた。


「私たち、前は“記録された神話”を読んでいたんですよね」


「ええ」


「でも今は、“現在の真実”を持ってしまった」


「はい」


「…重いですね」


「とても」


 短い答えだった。

 けれど、その一言にいまの王国の全部が入っていた。


 ---


 午後、記録院の内部で小さな騒ぎが起きた。


 といっても大声が上がったわけではない。

 王国の騒ぎはだいたいもっと静かだ。


 封鎖区画の近くで、急進研究派の若手魔導師が記録借覧の仮申請を出してきたのだ。

 表向きは“北方位相変動に関する比較研究”。

 だが、タイミングが良すぎる。


 リセリアがその申請板を見た時、思わず顔が引きつった。


「早い…」


「ええ」


 オルフェンも冷静なまま、少しだけ声が硬い。


「嗅ぎつけています」


 中身はまだ知らないだろう。

 だが何か大きなものが封鎖されたこと、それが北方案件と関係していること、そのくらいはもう読まれている。


「どうします」


「却下です」


 即答だった。


「理由は」


「第一種封鎖案件につき、です」


「それだけで?」


「十分です」


 実務的には、その通りだ。

 だがリセリアは、そこで少しだけ別の不安も覚えた。


「筆頭賢者」


「何です」


「これ、却下すればするほど、逆に中で何かあるって分かりませんか」


 オルフェンはほんの少しだけ沈黙した。

 その沈黙が、質問の鋭さを認めた証拠でもある。


「ええ」


「分かります」


「なら」


「それでも却下します」


 強い返答だった。


「気づかれることと、渡すことは別です」


「気づかれ始めるのは、もう避けにくい。ですが、だからといって中身まで渡す理由にはなりません」


 その線引きは、いかにもオルフェンらしかった。


 全部を隠せるとは思っていない。

 だが、隠せないからといって雑に渡すつもりもない。


 守る。

 その意志が、今の王国を支えている。


 ---


 夕刻、王国から黒翼庭へ短い通達が送られた。


 **七柱構造断片および白王接見関連記録は、第一種封鎖を継続。急進派への流出防止を優先。王国は公開より保全を選択する**


 その通達を見たクロウは、小会議室で少しだけ目を細めた。


「…選んだな」


 ヴェルミリアが頷く。


「はい」


「王国は“真実を知る側”ではなく、“真実を守る側”へ寄りました」


「らしくないようで、らしいな」


「ええ」


 学者の国だからこそ、知の危険も分かる。

 そこが王国の強さでもあり、面倒なところでもある。


「助かる」


 クロウが言う。


「かなりな」


 七柱の真実が、もし王国から雑に漏れれば厄介どころの話ではない。

 研究しようとする者、再現しようとする者、支配構造へ組み込もうとする者が必ず出る。


 だから王国が保全を選んだことは、かなり大きい。


「ですが」


 ヴェルミリアが言う。


「王国が守ると決めたということは、逆にそれだけ狙われるということでもあります」


「だろうな」


 そこへも繋がる。


 帝国が席を守ると決めれば、その席を揺らそうとする者が出る。

 王国が真実を守ると決めれば、その真実を奪おうとする者が出る。


 世界の選別は、そういう形で具体になっていく。


「面倒だな」


 やはり口から出る。


 ヴェルミリアは静かに一礼した。


「はい」


「ですが、陛下」


「何だ」


「ここで王国が公開を選ばなかったのは、大きいかと」


「分かってる」


 クロウは短く返した。


 分かっている。

 だから本音で助かるとも思う。


 王国が知を守る側へ回った。

 それは世界が割れ始める中にあって、確かにこちら側へ寄る大きな一歩だった。


 ---


 夜。

 中央記録院の封鎖区画を離れる前に、リセリアはもう一度だけ振り返った。


 封印札。

 閉じた扉。

 そこに眠る記録。


 学者としては、どうしても少しだけ後ろ髪を引かれる。

 全部読みたい。

 全部書きたい。

 全部理解したい。


 だが、その衝動のまま動いていい段階では、もうない。


「…守るんですね」


 小さく呟く。


 返事はない。

 だが、いまの王国にはその言葉がよく似合っていた。


 真実を知る国は多くない。

 だが、真実を知った上でそれを守る国は、もっと少ない。


 王国は、真実を守る側に回った。


 その苦く重い選択が、世界の裂け目をまた一つ具体にしていた。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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