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第四章:天女の咆哮、日常の崩壊

かぐやがおきなおうなの庵に迎えられてから、月日の流れは常世とこよの理を完全に踏み外していた。


「おじいさん……、かぐやがまた、着物を突き破りましたよ」 媼が呆然とした声で、一通の反物を広げた。わずか三日前に新調したばかりの子供服が、まるで成長期の若武者が無理やり袖を通したかのように、肩口から無惨に裂けている。


かぐやの成長は、まさに「竹」そのものであった。 普通の赤子が寝返りを打つ時期に、彼女は立ち上がり、言葉を覚える時期には、すでに庭を駆け回っていた。三ヶ月で三歳児ほどの大きさに、半年が過ぎる頃には、五歳児のような活発さと知恵を備えるようになったのである。


その美しさは、成長と共に神々しさを増していた。髪は夜の帳を切り取ったかのように黒く、肌は内側から真珠のような輝きを放っている。しかし、その内面に宿るエネルギーは、老夫婦の想像を絶するほどに「わんぱく」で、破壊的であった。


「かぐやーっ! そこは竹細工工房じゃ! 遊び場ではないと何度言えばわかる!」


翁の悲鳴が、今日も竹林にこだました。 工房の床には、翁が数日かけて都の公家のために削り上げた、最高級の竹ひごの束が散乱していた。それは「風の匂いの竹」と呼ばれる、極限まで細く、しなやかな素材である。


「だって、おじいさま。この竹、しならせるとピュンッていい音がするんだもん!」


かぐやは、その繊細な竹ひごを束ねて即席の弓を作り、庭の案山子かかしを目掛けて放っていた。一本、また一本と、都で金一封に値する職人の魂が、かぐやの「玩具」として使い物にならなくなっていく。


「わしの……わしの最高の素材が……! 媼、媼! 全てが『遊びの匂い』になってしもうたぞ!」 翁が膝を突き、空を仰いで嘆く。すると媼が、これまた溜息をつきながら現れた。 「おじいさん、贅沢な悩みですよ。……見てください、私が帳場に置いていた大切な取引の帳面を」


媼が差し出した帳面には、墨汁が豪快にぶちまけられ、その上には可愛らしい兎と月の絵が、紙が破れんばかりの筆圧で描かれていた。 「『お月様、遊びに来て』だそうですわ。……都の商人への請求書が、これでは月の使者への招待状になってしまいました」


夫婦の生活は、かぐやという「無垢なる破壊神」によって、完全に支配されていた。 かつては都で「和風モダン」の極致と称えられた工房の生産ラインは停滞し、翁は昼間はかぐやの「かくれんぼ(という名の超高速鬼ごっこ)」に付き合わされ、夜は破壊された素材の片付けに追われる日々。媼もまた、商談の時間はすべてかぐやの新しい着物を縫う時間へと消えていった。


だが、最も被害(?)を被っていたのは、山の守護神である**権太ごんた**であった。


「権太、遅いよ! もっと速く走って!」 「グルォォーン……」


竹林の奥から聞こえてくるのは、猛獣の咆哮ではなく、困惑した巨獣の溜息である。 かぐやは、その驚異的な身体能力で、三メートルを超える権太の背中に軽々と飛び乗り、彼の耳を引っ張って「馬」のように乗り回していた。権太はかつて翁を助け、刺客を散らした誇り高き山の王であったが、かぐやの前では、ただの「大きな毛むくじゃらの乗り物」に成り下がっていた。


かぐやには、本人が意識せずとも、周囲の生き物や自然を強引に惹きつける「気」の奔流があった。彼女が笑えば庭の花が季節外れに咲き誇り、彼女が泣けば(めったにないが)、竹林全体が共鳴して震える。


ある日のこと。 度重なる納品遅延に業を煮やした組合長、**玄馬げんま**が、今度は数人の屈強な供を引き連れて怒鳴り込んできた。


「翁! 返事しなさい! 貴殿の商才はどこへ消えた! 都の貴人たちが、あんたの籠を待ちわびて暴動寸前だぞ!」


玄馬は、立派な庭先で、高価な絹の着物を揺らしながら声を荒らげた。翁は冷や汗をかきながら客間に出向こうとしたが、それより速く、廊下を「ドタドタ」と駆け抜ける影があった。


「あ、変なおじさんだ! 権太、あのおじさんのお腹、太鼓みたいだよ!」


「な……なんだ、この小娘は!?」 玄馬が目を見開いた。そこにいたのは、五歳児とは思えぬ気品と、しかし全身から溢れ出る「いたずらっ子」のオーラを纏ったかぐやであった。


「コラ、かぐや! 玄馬殿に失礼だろう!」 翁が制止しようとした瞬間、かぐやは庭の隅に置かれていた、水がなみなみと入った大きな手桶を、軽々と片手で持ち上げた。 「おじさん、暑そうでしょ? はい、お水あげる!」


「やめ……ひぎゃあああ!」 冷水が、玄馬の顔面に直撃した。それだけではない。かぐやが無意識に放った「気」の衝撃が、水の弾ける勢いを数倍に高めており、玄馬はまるで滝行を強制されたかのように、そのまま庭の砂利の上にひっくり返った。


「あはははは! おじさん、面白い顔!」 かぐやの鈴を転がすような笑い声が、凍りついた空気の中に響き渡る。


「……お、翁。貴殿は……一体、何を育てているのだ」 玄馬は涙目で、濡れ鼠のようになりながら震える声で絞り出した。 「これは……もはや人間の子供ではない。化け物だ、いや……神の怒りか何かか!?」


玄馬は命からがら都へと逃げ帰ったが、翁と媼は確信していた。 このままでは、彼女の力は隠しきれない。かぐやの持つ「天性のエネルギー」は、この狭い山奥の庵に収まりきるものではなくなっていたのだ。


その夜。翁は、久しぶりに鉈を置き、泰然流の教典を手に取った。 「……おばあさん。かぐやのこの力、わしらのような隠居が押さえ込める段階を、とうに過ぎておる」


「ええ。この子は、光そのもの。光を箱の中に閉じ込めれば、いつかその箱が焼き切れてしまいますわ」


二人は、膝の上でようやく眠りについたかぐやの寝顔を見つめた。 寝ている間だけは、静寂そのもの。しかし、その呼吸一つにさえ、大地の気を震わせるほどの密度がある。


「都の寺へ送りましょう」 翁が決断を口にした。 「そこには、わしの古い友である、泰然流の師範代を務めた泰然和尚がおる。あの厳格な男の元で、せめてこの奔放な『気』を制御する術を学ばせねば、この子はいつか、自分自身の力で身を滅ぼしてしまう」


「……あの子がいなくなると、この家は途端に静まり返ってしまいますね」 媼が寂しげに笑った。 「ええ。静かすぎて、耳が痛くなるかもしれん」


しかし、それはかぐやを守るための、そしてこの国を彼女の「咆哮」から守るための、苦渋の選択であった。


翌朝、かぐやは何も知らず、権太の耳を噛んで「遊ぼう!」と叫んでいた。 老夫婦の生活を豊かに、そして極限まで疲弊させた「山での育児」は、こうして唐突に終わりを告げようとしていた。


黄金の竹から現れた天女は、いま、寺という名の「規律」の中へと、その身を投じることになる。それが、彼女を狙う都の「闇」から彼女を隠すための、唯一の手段であるとも信じて。

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