第五章:西征の進軍と、背反する義
博多が紅蓮の炎に包まれている頃、京の都から西へ向かって、地響きのような軍靴の音が鳴り響いていた。源頼真率いる「禁軍」二万。帝より直々に下された「平家追討」の勅命を帯びたその軍勢は、中国地方の山陽道を、さながら巨大な龍のように博多へ向けて進軍していた。
山陽道の進撃:源頼真の眼
馬上に跨る源頼真の表情は、進軍が進むにつれて険しさを増していた。彼は単に兵を進めているわけではなかった。行く先々の宿場、村々、そして各地を治める豪族たちに対し、綿密な隠密放った上で、平清秀に関する情報を収集させていたのである。
しかし、集まってくる報告は、都で耳にしていた「逆賊・平清秀」の姿とは大きくかけ離れていた。
「頼真様、備前の豪族よりの報告です。平将軍は交易によって得た富を、惜しみなく街道の整備や治水に投じているとのこと。民の暮らしはここ数年で劇的に良くなっており、誰もが平家を『救世の主』と崇めております」
「……あちらの商人も同じことを言っていたな。平家が大陸との窓口を広げたおかげで、かつてない活気が西国に満ちていると」
頼真は低く唸った。もし平清秀が本気で国家転覆を企んでいるのだとすれば、この「民心の掌握」こそが最大の外堀埋めである。民や商人の圧倒的な支持を得ている平家を討つことは、たとえ勅命であっても、西国全体を敵に回すことになりかねない。源頼真は、戦う前から敵の陣地が揺るぎないものであることを痛感していた。
矛盾する忠義:清秀の虚像と実像
さらに、頼真を困惑させたのは、平清秀の「帝への想い」に関する情報だった。 密偵たちが持ち帰る話によれば、清秀は日々、先帝より賜った宸筆を宝物のように扱い、現在の帝の御健康を祈る儀式を欠かさぬという。
(国家転覆を狙う野心家が、これほどまでに帝への純粋な忠誠を説くものだろうか……?)
頼真の心に、小さな疑念が芽生える。平清秀が大陸と通じているのは事実だろう。しかし、それは「国を売る」ためなのか、それとも「国を強くする」ためなのか。都の阿倍御主人が語った悪辣な陰謀と、この地で聞く清秀の徳。どちらが真実なのか、その境界線が霞んでいく。
しかし、軍を止めることはできない。頼真は進軍の最中、先んじて博多の平清秀へ一通の密書を送った。
「帝の勅により、不穏の噂を正すべく西へ向かう。真実を語る用意があるならば、剣を収めて余を迎えよ」
そして数日後、軍が安芸に入ったところで、清秀からの返信が届いた。そこには、ただ簡潔にこう記されていた。
「身に覚えなき無実無根の流言。源将軍の御来訪を、博多にて丁重に、万全の準備を整えてお待ち申し上げる」
幕僚会議:揺れる源氏の意志
その夜。本陣に置かれた天幕の中、頼真は主要な幕僚たちを集め、深夜に及ぶ軍議を開いた。机の上には、中国地方から九州へと続く地図が広げられている。
「平清秀は『丁重に迎える』と言ってきた。……皆はどう見る」
頼真の問いに、最初に口を開いたのは、歴戦の老将・景時であった。 「罠に決まっております。博多まで引き入れ、我らが疲れ切ったところを一気に叩くつもりでしょう。あるいは、大陸の奇妙な火薬や呪術を用いるつもりかもしれません」
「しかし、景時殿。もし清秀が本当に無実だとしたらどうする」 若き軍師、義元が反論した。 「我々が力ずくで博多を攻め落とせば、それは正義の軍ではなく、ただの略奪者です。西国の民は激怒し、源氏の治世は数百年続かぬ不毛の地となりましょう。今の清秀には、それだけの信望があるのです」
幕僚たちの議論は紛糾した。
「右大臣(阿倍)の命によれば、清秀は大陸の刺客を放ち、都を混乱させているという。先代の側室の血を狙っているという話も聞く」 「だが、その証拠を我々は一度でも見たか? 都の噂ばかりを信じて、目の前の民の声を無視して良いのか!」
頼真は、議論を黙って聞きながら、胸の中でかぐやの存在を思い出していた。 竹取の里から旅立ち、博多で消息を絶った彼女。清秀の側にいたはずの彼女が、今どこで、何をしているのか。
「……阿倍殿の言葉は、帝の意志そのものではない」 頼真が重い口を開くと、天幕の中は静まり返った。 「帝は『真偽を確かめよ』と仰った。……我々が博多に足を踏み入れたとき、清秀がどのような顔で我々を迎えるか。それがすべてだ。だが、もし彼が剣を抜かず、平伏して非を否定したとき……我々はその首を撥ねることができるだろうか」
「将軍、それは……」
「余は、源氏の誇りにかけて、不義の戦はしたくない。だが、勅命という鎖が、余の首を絞めていることも事実だ」
天幕の灯りが風に揺れる。 二万の軍勢の命運、そしてこの国の未来は、博多の門が開かれた瞬間の、頼真の「眼」に委ねられることとなった。
軍は翌朝、再び歩みを始める。 その先にあるのが、和解の宴か、それともこの世の終わりを告げる凄惨な戦場か。 源頼真は、決断を下せぬまま、馬を西へと走らせるしかなかった。




