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第五章:北の離れの邂逅と、失われた記憶

博多城の喧騒から切り離された北西の果て。そこには、潮風に洗われた古い竹林が、まるで意思を持つ壁のように邸宅を囲んでいた。れんに導かれ、竹林の細道を抜けた一行は、そこにあるはずの「屋敷」が忽然と姿を現したことに息を呑んだ。


結界の奥、透明なる住人

「……驚きました。門をくぐるまで、建物の屋根一つ見えなかったわ」 雪野が振り返り、竹林の入り口を確認する。そこにはもう、今通ってきたはずの道すら霞んで見えなくなっていた。


「これが『月白つきしろ様』の成せる業です」 蓮が静かに、敬意を込めて告げる。 「今、城の周囲には道摩の手下たちが潜んでいますが、彼らはこの邸宅のすぐ側を通り過ぎながら、ここに何かがあることさえ気づきません。物理的な目隠しではなく、認識そのものを逸らす強力な巫術です」


蓮が邸宅の重い扉を開くと、香の匂いが一行を包んだ。奥の間には、一人の妙齢の女性が、静かに符を整えていた。


その女性――月白が顔を上げた瞬間、かぐやは金縛りにあったような衝撃を受けた。彼女の肌は透き通るほどに白く、その佇まいは、この世の者とは思えぬほどに静謐せいひつであった。


「……ああ。ついに、たどり着いたのですね」


月白の瞳に、見る間に大粒の涙が溜まり、頬を伝った。彼女は震える手で筆を置き、かぐやを招き寄せた。


「貴女が放つ気……。懐かしくて、胸が締め付けられます。まるで、鏡の中にいる自分を見ているようです。……まずは、お座りなさい。旅の汚れを落とし、温かいものを食べましょう」


夕餉の談話:二人の姉妹と北条の妹

月白の勧めで、一行は囲炉裏を囲んで夕餉を共にすることとなった。月白の手料理はどれも滋味深く、殺伐とした逃避行を続けてきた一行の心を、不思議と解きほぐしていった。


「月白様、将軍から伺いました。貴女には、関東の北条家に嫁いだ妹君がいらっしゃると……」 かぐやが問いかけると、月白は慈しむように目を細めた。


「ええ。私とは正反対の、お転婆で太陽のような子でした。あの子は、その腰にある『月詠の紋』の巾着を、誰よりも大切にしていたわ。……ある夜、あの子が泣きながら私に言ったのです。『お姉様、いつか平和な世が来たら、また都の月を一緒に見ましょうね』と。それが、あの子との最後の別れでした」


「平和な世……。今の都からは想像もつきません」 真澄が苦々しく呟くと、月白は寂しげに微笑んだ。


「そうね。でも、かつての都は本当に美しかったのですよ。今の皇太后様も、あんなに恐ろしい御方ではなかった」


皇太后の素顔:失われた慈しみ

「皇太后様が、優しかったのですか?」 雪野が驚きの声を上げる。彼女にとって皇太后は、自分たちに刺客を放ち続ける「死の象徴」だったからだ。


「ええ。信じられないでしょうけれど。あの方は、側室の子であった私たち姉妹をも、実の娘のように可愛がってくださいました。怪我をした小鳥を見つけては涙を流して手当てをされ、私たちの髪を梳きながら、『あなたたちは宝物よ』と微笑んでくださる……そんな、光のような女性だったのです」


かぐやは箸を止め、月白の言葉に聞き入った。 「なぜ……その方が、変わってしまったのでしょう」


「先帝が崩御されたことが、すべての始まりでした。あの方は、先帝を心から愛しておられた。だからこそ、先帝が遺した『この国』を守らなければならないという強い責任感が、あの方を蝕んでいったのです。……そして、そこへ阿倍御主人が入り込んだ」


月白の声に、微かな震えが混じる。 「阿倍は囁いたのでしょう。『先帝の血を継ぐ異能の者は、いつか世を乱す種になる』と。皇太后様の愛は、いつしか『失うことへの恐怖』に塗り替えられ、その恐怖が、私たちのような異質な力を持つ者への憎悪へと変貌していった……」


結ばれる糸、竹取の出自

夜が更けるにつれ、談話はかぐやの生い立ちへと及んだ。


「かぐや様。貴女が竹取の里で育ったこと、そして和尚様に育てられたこと……それらすべては、決して偶然ではありません」 月白がかぐやの手を優しく握った。


「私の妹が関東へ嫁いだとき、彼女はある『希望』を抱いていました。もし自分に娘が生まれたら、その子だけは後宮の呪いから遠ざけたいと。……貴女の巾着の中には、何が入っていますか?」


かぐやは戸惑いながら、巾着の紐を解いた。中には、竹取の里を出るときに持たされた、古びた光る苔のお守りが入っていた。


「……それは、私が妹に持たせた『月詠の種』。それを持っているということは、貴女があの子の……」


月白は言葉を飲み込み、ただかぐやを強く抱きしめた。その温もりは、母親の記憶がないかぐやにとって、初めて触れる「血の記憶」のようだった。


「今はまだ、清秀将軍も半信半疑でしょう。でも、私はわかります。貴女の魂が奏でる音色は、まぎれもなく私の愛した妹と同じものです」


邸宅の外では、相変わらず道摩の影が蠢き、大陸の魔手が博多を侵食しようとしていた。しかし、この「北の離れ」という小さな結界の中だけで、かぐやは初めて自分の「居場所」を見つけたような気がしていた。


「かぐや様。夜が明けたら、もう一度将軍と話しなさい。貴女が何者であり、何のためにここへ来たのか。……真実は、貴女自身の声で語られなければなりません」


月白の言葉は、かぐやの胸に新しい勇気の火を灯した。自分が何者であるかを知ることへの恐怖は消え、代わりに、この温かな月白や、見ぬ妹――母を護りたいという強い意志が芽生え始めていた。


博多の夜は深く、そして静かに、運命の歯車を加速させていく。

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