第二章:籠の秘密と将軍邸での対面
翁と媼との劇的な再会を果たし、「月夜見の籠」を託されたかぐや一行は、将軍・源頼真の供と共に、都の中心地へと向かった。
馬車の中で、かぐやは肌身離さず籠を抱きしめていた。竹細工全体から発せられる微かな「気」は、月輪寺で和尚の修行で扱ってきた、単なる自然のエネルギーとは明らかに性質が異なっていた。
月夜見の籠:術具としての秘密
かぐやと藤原雪野は、この籠が持つ特別な能力を検証するため、馬車の中で簡素な試験を行った。石上真澄と橘華は、道中の警護と外部からの視線を警戒し、四方の窓を見張っていた。
「雪野、この籠、ただの竹ではないね。触れているだけで、私の体の中の気の巡りが、普段の座禅の時よりもずっと速いよ」
かぐやは籠を手に持ちながら、両手を開いた。通常、彼女が「気」を感じる際は、体内の経絡を通るエネルギーに集中する必要があった。しかし、この籠は、触れた者の周囲に**「調和した気の結界」**を自動的に作り出し、その流れを極限まで純粋化させる力を持っていた。
雪野は、自身が持つ膨大な古文書の知識と照らし合わせながら、籠の編み方や竹の種類を注意深く観察した。
「すごい。これは、翁殿が選んだ竹自体が、特別な『霊力』を帯びたものだ。編み方も、ただの籠ではない。『結界術』の古代の図形が、無意識に編み込まれている。かぐや姫、試しに籠を少し離して、そこに**『淀んだ気』**を流してみて」
かぐやは、意図的に自身の体から、修行で浄化されたはずの、微かな**「煩悩や雑念の気」**を抽出し、籠に向かって放った。
籠は、その淀んだ気流を瞬時に吸い込み、内部で浄化し、無害で澄んだ「光の気」へと変換して周囲に放出した。
「信じられない。これは、気の浄化装置だ。まるで、この籠が『光の心臓』のように働いている」雪野は驚愕した。
かぐやの医術は、滞った気を解放し、治癒力を高めるものであった。しかし、将軍の妹・千代の病が「悪意による毒」であるならば、毒の根源を特定し、浄化する必要がある。
「この籠があれば、千代様の体内の『悪意の毒』を一時的に抽出し、浄化できるかもしれない。これが、和尚様が教えてくださった**極意の『実践』**の鍵になるんだ!」
かぐやは、籠が持つ「術具」としての特別な性能を確認し、希望に満ちた表情で都の将軍邸へと馬車を進めた。
将軍邸:病と権力の重圧
将軍・源頼真の邸宅は、都の中心地、政治の中枢に位置していた。その威容は、月輪寺の静謐さとは正反対の、権力と重圧の空気に満ちていた。
邸内は、将軍の妹の病のため、重苦しい静寂に包まれていた。警護の武士たちは一様に顔色が悪く、公家や医者の慌ただしい出入りだけが、事態の深刻さを物語っていた。
頼真は、かぐやたちを丁重に奥の千代の病室へと案内した。彼の背中は、妹の命、そして自らの権力の未来という、二つの重荷に押し潰されそうに見えた。
「かぐや殿。妹は、もうほとんど意識がない。だが、あなた方が来てくれたことで、わずかだが脈が安定した。どうか、最後の望みを……」
真澄は、警護の配置や屋敷内の気配を鋭く観察していた。 「将軍様。妹君の病は、ただの病ではないかもしれません。この屋敷には、外部から侵入した**『悪意の気』**が薄く漂っています。警戒を怠らないでください」
真澄の指摘に、頼真の顔が硬直した。彼は、千代の病が政敵による呪詛や毒の類かもしれないという疑念を、すでに抱いていたのだ。
千代との対面:今際の際の光
千代が横たわる病室は、香炉の香りが漂う中で、わずかな光しか入らないよう閉じられていた。彼女の肌は青白く、呼吸は細く途切れがちだった。
かぐやは、病床の千代に近づいた。その瞬間、かぐやの並外れた「気」の感知能力が、千代の体内に渦巻く、冷たく淀んだ**「殺意の気」**を捉えた。それは、単なる病気や毒ではなく、誰かの強い憎悪や怨念が、千代の生命エネルギーに直接干渉している状態であった。
かぐやは、横に控える雪野に小さく頷いた。雪野は、懐から取り出した特製の薬草を千代の口元に運ぶ準備をする。
かぐやは静かに千代の細い手を取り、自身の体温と、修行で培った清浄な気をゆっくりと流し込んだ。
千代の瞼が微かに動き、ゆっくりと開かれた。その目は、かぐやの光を受けて、一瞬だけ生気を取り戻したように見えた。
「あ、なた……誰……?」 千代の言葉は極めてゆっくりで、途切れ途切れであったが、確かにかぐやに語りかけた。
「わたくしは、かぐやと申します。将軍様の願いで、あなた様の病を癒しに参りました。どうか、ご安心ください」
かぐやは、千代の手を握ったまま、翁から預かった「月夜見の籠」を、千代の枕元に静かに置いた。
籠から発せられる純粋で穏やかな「気」が、病室の重苦しい空気を打ち消し、千代の体内に流れ込み始めた。籠の光に触れた千代の表情が、わずかに緩んだ。
「竹……籠……。綺麗……」
千代の言葉は、かぐやの医術が始まる前の、魂の救済となった。千代は、この籠の「気」の力で一時的に安定したように見えたが、彼女の命の炎が今にも消えそうであることは、かぐやの目にも明らかであった。
「千代様、もう少し、わたくしの問いに答えていただけますか? 貴女の苦しみの根源を知るためです」
かぐやは、極意に至るための最初で最大の試練に、静かに立ち向かおうとしていた。




