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第五章:将軍の切なる願いと竹細工の伝手

月輪寺の静寂は、八年間の平和の結界が破られたかのように、突如として乱された。


重厚な鎧の擦れる音、多数の供を引き連れた馬の蹄の音、そして、山門を一気に駆け上がる武者たちの息遣い。都の守護を担う将軍、**源頼真みなもとのよりざね**の来訪である。


頼真は、この山奥の古刹に似つかわしくない、苦悩と疲労を滲ませた表情をしていた。彼は泰然和尚たいぜんおしょうとは旧知の仲であったが、この日の訪問は、都の政務や武芸の報告ではない。


客間で対面した泰然和尚に、頼真は深々と頭を下げた。その姿は、都の武の頂点に立つ者とは思えないほど、憔悴しきっていた。


「和尚……無理を承知で参った。我が妹、千代が……不治の病に伏せっておる。都の名だたる医者も薬師も、すでに匙を投げた」


頼真が語る病状は深刻だった。千代の病は、高熱と衰弱を繰り返すだけでなく、全身の経絡が凍りついたかのように気の流れが滞り、彼女の命の光を徐々に食い潰しているという。


「病は、体内の気の流れが乱れることによって起きる。だが、妹の症状は尋常ではない。まるで、体の内側から、冷たい『殺意』によって支配されているかのようなのだ」


頼真の言葉に、隣で控えていたかぐやの学友たちが顔を見合わせた。特に藤原雪野ふじわら ゆきのは、顔色を変えた。彼が古の医術書で学んだ、**「人の悪意によって仕込まれた毒」**の症状に酷似していたからだ。


頼真は、最後の望みを絞り出すように、さらに続けた。


「死を目前にした妹が、最後に願ったのは、かつて都で一世を風靡した『竹取の翁』の傑作、**『月夜見のつくよみのかご』**をその目に焼き付けて逝きたい、ということだった」


「あの籠には、魂を癒す力があると聞く。だが、翁殿は八年前から制作を止めてしまわれた。和尚、どうか翁殿との仲を取り持ってくれまいか」


将軍の妹が求める竹細工。それは、かぐやが八年前に大騒動を起こし、翁の家から「追放」される原因となった、翁と媼の魂の作品であった。


頼真が事情を話し終えると、泰然和尚は静かに、客間の隅で茶を淹れていたかぐやをちらりと見た。


かぐやは、その名を聞いた瞬間に、胸が締め付けられるような痛みを感じた。 (八年間、連絡一つ取っていない。私は、二人の生活を壊した張本人……。今さら『お願い』など、できるはずがない)


かぐやは眉を下げて不安を訴えた。八年間の修行で身につけた知識や技はあっても、家族との関係における負い目は、彼女の心を最も重く縛る鎖であった。


だが、華、雪野、真澄の三人が、かぐやを支えた。


「行くべきだ、かぐや姫。我々が学んだ力は、命を救うためにある。竹細工は、貴女の祖父母の魂だ。魂の力が、病を癒すこともある」と石上真澄。彼の言葉は、武士としての実践的な倫理に裏打ちされていた。


「その力を、貴女の学んだ知識と合わせて、他人の命のために使う。それこそが、お二人が貴女に望んだことではないでしょうか。翁殿と媼殿は、必ず貴女を許してくださいます」と橘華。彼女の言葉は、かぐやの負い目を解き放つ優しさに満ちていた。


そして、雪野が最悪の可能性を静かに囁いた。 「将軍の妹君の病は、ただの病ではないかもしれない。もし、それが悪意による毒だとしたら、かぐや姫の点穴と僕の知識が、それを打ち破る唯一の希望だ」


かぐやは、自分が学んだ知識と、祖父母の職人としての魂が、今、一つの命を救うために必要とされていることに気づいた。そして、それは和尚が語った「極意に至るための、真の実践の場」でもある。


頼真は、泰然和尚から「竹取の翁の孫娘」がここにいることを告げられ、驚きと希望に満ちた表情でかぐやを見た。


「かぐや殿。どうか、どうか妹の願いを……。もし命を救ってくださるならば、都の将軍として、貴女の願いは何でも叶えよう」


かぐやは、将軍の切実な願いを受け、立ち上がった。その瞳には、かつてのわんぱくさではなく、泰然和尚の指導によって培われた、覚悟の光が宿っていた。


「将軍様。お話、お受けいたします。わたくしが、翁のもとへ参りましょう」


かぐやは、八年間の修行の成果を、都という試練の場に持ち出すことを決意した。


「ただし、条件がございます。わたくしの友、雪野、華、真澄も、この旅に同行させていただきます。彼らの持つ知識と力も、必ずや妹君のお力になれると確信しております」


泰然和尚は、かぐやの決断に静かに頷いた。この娘は、もはや寺の指導を必要としない。都という激しい奔流の中でこそ、彼女の「光」は真価を発揮するのだ。


こうして、かぐやは三人の学友と共に、八年ぶりに都へ戻ることを決意した。それは、将軍の伝手を利用した**「極意への旅」であり、「祖父母との和解」であり、そして都の闇を暴く「戦いの旅」**の始まりでもあった。

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