第96話 迸る灼熱の呪詛
いつしか──
人の歩む速度で
一斉に丘の下から花開いていくその様子に
人々は〝春を呼ぶ者〟が居ると
それがアリアだとは知られていないが
話すようになっていた。
丘へと続く桜並木が一斉に花を開き
まるでアリアを迎え入れるように
彼女の歩みに合わせて彩られていく。
全ての桜並木が満開を迎え
今年も時也の桜が
最後に誇らしげに花を咲かせる。
アリアはフードを深く被り
人々の喧騒を避けながら、丘へと向かっていた。
例年と変わらない春──そう思っていた。
だが、丘の頂上にたどり着いた瞬間──
アリアの全身が凍りつくような感覚に襲われた。
「⋯⋯何だ⋯⋯これ、は⋯⋯?」
桜の根元──
そこには、無残にも荒らされた跡があった。
時也の桜の根本に作った、ひっそりとした塚が
崩れ、土が掘り返され──
草が踏み荒らされている。
アリアは震える手で、崩された土を掻き分けた。
だが、そこにあるべき筈の
時也の亡骸が──どこにも、ない。
塚の跡には
散らばった石や掘り返された土塊だけが残り
遺骨の痕跡すら、見当たらない。
「⋯⋯おのれ⋯⋯」
アリアの中で
今まで殺し続けてきた感情が
烈火の如く燃え上がる。
長い年月
冷たく凍りついた心が一気に解き放たれ
灼熱の怒りが迸る。
「時也を⋯⋯奪ったのか⋯⋯っ!
誰が⋯⋯私の時也を──!」
その声は、まるで濁る呪詛のように響き渡り
桜が風に震える。
アリアの背中から炎の翼が広がり
辺り一帯が不死鳥の力で燃え上がりそうな程の
殺意が膨れ上がる。
その炎の色はいつも以上に濃く
赤黒く──憎悪が滲んでいる。
(⋯⋯時也を⋯⋯私の夫を──
この私から奪ったのは⋯⋯誰だ⋯⋯!)
感情が暴走しそうになるのを必死で抑えながら
アリアは両手を強く握りしめた。
冷静さを取り戻そうとするが
どうしても怒りが抑えきれない。
長い年月を経ても、唯一変わらないもの──
それが、時也への愛だった。
それを踏み躙り、時也の遺体を暴いた者がいる。
アリアはその存在を、決して許さない。
ふと
遠くから聞こえてくる人々の声が耳に届く。
怒りを抑え込むように深く息を吐き出し
瞳に宿る紅い光を抑える。
「⋯⋯罪人を、探し出す⋯⋯」
その低く響く声には
冷徹な決意が込められていた。
何者が
どのような理由で時也を暴いたのか──
答えを知るためには
街へ向かわねばならない。
ここで立ち尽くしているだけでは
時也を取り戻すことはできない。
アリアは一度だけ、荒らされた塚を見つめた。
そのまま振り返りゆっくりと歩き出す。
一歩一歩──怒りを胸に秘めながら。
桜がその背中を見送るように揺れ
花びらが散りながら、アリアの足元に降り注ぐ。
桜の樹冠いっぱいに
今年も花が満開を迎えたというのに──
その根底に
あるべきはずの時也がいないという現実が
アリアの心を抉り続けている。
「⋯⋯奪った罪人よ⋯⋯私の時也を、返せ⋯⋯」
そう誓いを立て
アリアは丘を降り街へと足を向けた。
その背には、微かな紅蓮の光が揺れている。
誰であろうと
何であろうと──
時也を奪った罪人を、許しはしない。
絶対に見つけ出し──裁きを与える。
アリアの足取りは確かで
冷たい怒りがその瞳に宿っていた。
⸻
どれ程、街を彷徨い歩いたろうか。
時也の遺体には
不死の血が、死の間際に流されていた。
その気配を辿り探し回ったが
一向に手掛かりは掴めなかった。
アリアは時也の桜に戻ると
土塊の前で項垂れた。
土を爪が割れる程に──深く握る。
そんなアリアを見下すように
闇夜の中、不死鳥は嗤っていた。
アリアが時也を失ってから
何度も悪夢を見せつけ
幾度と無く彼の死を突きつけても──
アリアはいつしか
それに動じなくなっていた。
不死鳥は、その変化に苛立ちを覚えながらも
静かに待ち続けていた。
絶望を喰らう為には、強大な愛が必要だからだ。
《⋯⋯だが、愚かな女だ》
不死鳥は、再び嗤う。
いくら感情を殺し続けたとしても
愛する者を侮辱されれば
アリアは必ず感情を爆発させる。
その人間らしさを
あの高貴で冷徹な魔女が露わにした瞬間こそが
最も甘美な絶望だ。
《⋯⋯良い⋯⋯良いぞ⋯⋯
その怒りの炎を⋯⋯もっと燃やすが良い》
不死鳥は
アリアの心の中に、響き渡るように囁いた。
幾度も何度も
時也の死を見せつけても無反応だったアリアが
こうも簡単に感情を顕にしたことが
滑稽でならなかった。
《罪人を目前にした時──
どれ程、怒り狂うだろうか》
感情を一度大きく起伏させたなら
すぐには抑え込めない。
それは人間であろうと、魔女であろうと同じ。
そして、一度燃え上がった激情は
やがて──絶望へと変わる。
アリアの心が、再び絶望で染め上がる日を
ひたすら待ち続けていた。
「⋯⋯っ、ぐぅ⋯ぅ⋯⋯っ」
アリアの背中が熱を帯び
突然に炎の両翼が広がった。
灼熱の痛みが背を突き抜け
まるで背中の皮膚が裂かれたかのような
感覚が襲う。
鋭い痛みに耐えながら
アリアは両手で地面を掴み、唇を噛みしめた。
(⋯⋯不死鳥の⋯⋯干渉か──!)
幾つもの羽根が燃え上がり
翼から散り散りに飛び立つ。
炎の羽根は
まるで意思を持つかのように空中を舞い
各地へと散らばっていく。
その一枚一枚が
獲物の匂いを嗅ぎ分ける猟犬のように
罪人の居場所を探しているかのようだった。
「⋯⋯使える物は⋯⋯なんだって⋯⋯
遣ってやる──っ!」
アリアは歯を食いしばり
背中の痛みを押し殺しながら立ち上がった。
不死鳥が自分を利用しようとしている事には
気付いている。
だが──その思惑すら、利用してやる。
怒りを抱えたまま
アリアは翼を大きく広げ、高く飛翔した。
夜空に向かって一気に舞い上がり
上空で静止すると
散らばった炎の羽根の行方を目で追う。
その一枚一枚が示す先──
罪人の居場所を確信すると
アリアの瞳が紅く輝き
狂気じみた笑みが漏れた。
「⋯⋯見つけた⋯見つけた⋯見つけた⋯⋯
⋯⋯愚かな⋯⋯罪人ども──!」
静かな声が、狂気を孕んでいた。
怒りを必死に抑えつけていた自分が
崩れ去っていく。
その胸の内に煮え滾る憎悪と
時也を奪われた痛みが混ざり合い
身体中を駆け巡っている。
羽根が示す先は、街の外れ──
不死鳥の囁きが耳元に響く。
《怒れ、魔女よ⋯⋯もっと怒り狂え!
その憎しみが⋯⋯我を歓喜させる⋯⋯》
「⋯⋯煩い⋯⋯!」
アリアは苛立ちを露わにし
空中で翼を振り下ろした。
そのまま一直線に街へと急降下し
炎の光を引き連れながら、暗闇を裂いていく。
地上が近付くにつれ
夜の街並みがはっきりと見えてくる。
人々が賑わう中
アリアの背中から散った羽根が
ある家屋の屋根に突き刺さっているのが見えた。
そこが
時也の遺体を暴いた──罪人たちの居所だ。
アリアはぎりりと歯を食いしばり、瞳を細めた。
「⋯⋯私の夫を⋯⋯返せ⋯⋯っ!」
その呪詛のような言葉が
夜風に乗って街中に響き渡る。
空を裂くような紅蓮の光が、一際強く輝いた。
アリアは怒りの炎を背負いながら
獲物を狩る女王の如く、街へと突入していった。
不死鳥は──嗤う。
《さあ、怒り狂うがいい⋯⋯
その狂気と憎悪が
再び絶望を呼び戻すのだから》
燃え上がる怒りを歓喜し
不死鳥はその結末を待ち望んでいた。
アリアが全てを失い
狂気に染まる、その瞬間を──
〝絶望に沈む、その刹那を〟──⋯




