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紅蓮の嚮後 〜桜の鎮魂歌〜  作者: 佐倉井 鱓
彷徨う紅

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第92話 懇願と呪い

時也が倒れてから──

いくつもの朝が巡り、夜が降りた。


窓の外では相変わらず

世界は素知らぬ顔を続けている。


だが、この薄闇に沈んだ寝室だけは

時間から切り離された〝墓標の中〟のように

わずかな呼吸音と、灯りの落ちた心音だけが

触れれば千切れそうな予感だけを仄めかして

底の方で燻り続けていた。


日を追うごとに

時也の体力は少しずつ削がれていった。


他人であれば気づきもしないほど緩慢な変化が

アリアの眼には

一瞬毎に肉を削り、骨を蝕む処刑のように映る。


薄暗い寝室の中、時也は布団に伏したまま

もう、起き上がることすら叶わなかった。


かつて逞しかった肩は窶れ

抱きしめてくれた腕は折れそうなほどに細く

胸板は皮膚の下で骨がそのまま線を描いている。


肋骨のひとつひとつまで

数えられそうな程に削がれた身体は

もはや布団の皺の方が豊かに見えるほどだった。


青白い額にはいつまでも乾かぬ冷や汗が張り付き

唇は血の気を失ってひび割れ

喉の奥から漏れ出る呼吸音は

風前の灯に纏わりつく風の擦れる音に似ている。


その一度一度が

灯火の残りを削り取るたびに鳴る

世界の終わりの微かな合図のように聞こえて

恐ろしくてたまらなかった。


アリアは、枕元に静かに腰を下ろす。


白い指先が、そっと頬へ伸び

触れた瞬間──指がわずかに震えた。


そこにあったのは

かつて何度も熱を持って自分の名を呼び

幾度も自分を抱きしめた男の頬では、もうない。


長い冬を越えてなお陽を知らぬ石のように

乾ききった冷たさが指先に絡みつく。


時也の閉じられていた瞼が、かすかに震えた。


長い夢の底から引き上げられるように

鳶色の瞳がゆっくりと開いていく。


かつて、誰よりも人の心を見通し

誰よりも妻の痛みに寄り添っていた──瞳。


今そこに宿っているのは

消え残った火種のような光が僅かに揺れるのみで

それすらも⋯⋯

次の瞬間に失われる予感を孕んでいた。


「……私の……所為、だ……」


掠れた囁きは、言葉というより

擦り切れた祈りの残骸のようだった。


「すまない……すまない……時也……」


その声は、謝罪と呼ぶにはあまりに遅く

懺悔と呼ぶには

あまりに、己を赦さぬ響きを持っていた。


アリアは、自分がどれほど震えているのかさえ

自覚できないまま

ようやく絞り出せた言葉を

みっともなく繰り返すことしかできなかった。


その声を聞き、時也の口元がかすかに揺れる。


笑みと呼ぶには儚すぎる──

それでも確かに、彼はアリアを安心させる形を

選び取ろうとしていた。


「……アリアさん……」


その名を呼ぶだけで

ひとつ分の命を削っているような

喉を切り裂くように漏れた声が

まだ消えきらない温度を帯びて耳朶を撫でる。


震える手が、空を搔くように彷徨いながら

アリアの頬へ触れようと伸ばされた指先は

途中で重力に引かれるように力を失い

布団の上へ小さく崩れ落ちる。


その無様な軌道さえ

彼がまだ生きてここにいる証として

痛いほど眩しかった。


それでもなお、彼は残った力のすべてを

ただ一つの想いに注ごうとする。


その優しさがアリアの胸を容赦なく裂いた。


長い年月を費やして塗り固めてきた心の仮面に

音もなく亀裂が走る。


世界を焼き尽くした炎よりも──

この男の笑顔一つの方が痛い。


気づけばアリアは、堪えきれずに

痩せた身体に縋るように身を屈めていた。


痩せた胸に額を押し当て

骨ばった身体を砕けてしまわぬよう抱き締める。


「……私を……置いて逝くなど……

赦さない……」


それは、祈りでも懇願でもなく──

〝愛という名を借りた呪詛〟だった。


震えを帯びた低い声が

痩せ細った胸の骨へと染み込み

まだ消えきらぬ心音のひとつひとつに

絡みついていく。


その骨ばった感触が刃のように鋭く

アリア自身の胸の内側を切り裂いていく。


駄目だ──これ以上、此奴(こいつ)から奪う心算(つもり)か。


声にならぬ叫びが、喉の奥で燻る。


(しかし⋯⋯身勝手だと⋯⋯

お前に怨まれようと⋯⋯私は──)


その瞬間だった。

アリアの背中を、稲妻めいた痛みが突き破った。


皮膚の下で

長らく押し殺していた炎が目覚める。


焼けつくような熱が背骨に沿って奔り

細い背中を内側から押し広げていく。


布地が裂け、白い皮膚と肉が裂け

血と炎とが混ざり合う音が

静まり返った寝室に

ひどく不釣り合いな生々しさで響いた。


紅蓮の炎で形作られた双翼が

花弁が開くようにゆっくりと展開する。


焼け焦げた肉の匂いが

布団と薬草と冷えた汗の臭気に塗り重なり

この部屋をひとつの祭壇へ──


〝世界の理〟を捻じ曲げる

歪んだ神事の場へと変えていく。


闇に沈んでいた室内は、炎の揺らぎに照らされて

血のような赤と骨のような白の光と影で

眩く満たされた。


「……アリアさん……やめ……っ」


時也は、声にするより先に彼女の意図に触れる。


読心術は

彼女がこれから何を為そうとしているのかを

容赦なく突きつけた。


反射的に制止の言葉を紡ごうとした瞬間

抉るような咳が、胸を激しく引き攫う。


堰を切ったように血が溢れ

喉奥を裂いて飛沫となり

凭れかかったアリアの肩へと暗い緋を散らした。


「……っ、……ぐぅ……っ」


胸腔の内側で何かが崩れ落ちていく音がする。


吐き出される鮮血は止まらず

まるで彼の命そのものが

呼吸のたびに零れ落ちているかのようだった。


アリアは、その血を受けながらも

顔を一つも動かさない。


腕の中の身体を、そっと布団へ横たえると

乱れた髪を指先で梳きながら

鳶色の瞳だけを見据えて呟いた。


「……お前を⋯⋯失いたくない⋯⋯

すまない──時也⋯⋯」


そこには、祈りも呪いも悔恨も執着も

すべて同じ濃度で溶け合い──

神を宿す身が吐くには

あまりに人間臭い言葉だった。


紅蓮の翼へ指を伸ばし

アリアは一枚の羽根を抜き取る。


それは──

〝炎と死とを凝縮した〟刃のようだった。


アリアは瞼を静かに閉じる。

祈りのためではない。


躊躇という名の最後の逃げ道を自ら潰すために。


次の瞬間

彼女はその刃を迷いなく自らの胸に突き立てた。


「……っ……」


迸る血が白い肌を駆け

着物を深紅に染めていく様は

まるで自らに処刑を執行する祭司のようだった。


眉ひとつ動かさぬまま

握り締めた羽根を、そのまま下へと引き裂く。


筋の繊維が弦のように音を立てて千切れていく。


鮮血が弧を描いて

床に彼岸花のように模様を叩きつけた。


引き裂かれた皮膚の断面が

呼吸に合わせて微かに震える。


紅蓮の光を反射しながら

白い肋骨が檻のように露わになった。


アリアはその骨に指を掛け

躊躇なく、自らの胸郭を押し広げた。


骨を折るときの、嫌悪を呼び起こす鈍い音が

静まり返った寝室をゆっくりと満たしていく。


押し広げられた白い檻の奥──


血に濡れた闇の中心で

炎の反射を受けて妖しく光るそれは

本来、人が守り、慈しみ

最後の瞬間まで手放すまいとするべき

〝命〟の中枢。


だが、アリアにとっては──

死を許されぬ者へと与えられた、永劫の鎖。


この世界が彼女に押しつけた

〝終わらない罰〟そのものだった。


アリアは、その心臓を掴む。


掌には、生温かい重さと

規則正しい鼓動が伝わってくる。


無表情のまま

躊躇うことなく一気に引き抜いた。


ぶちり、と

心臓と身体を繋ぐ束が引き千切れる音が響く。


「……こうまでしても、私は死ねん。

本当に死すべきは……私と彼奴なのに──」


唇が、わずかに歪む。


笑みとも、嗤いともつかぬその線は

長い年月をかけて堆積した絶望の重みに耐えかね

軋んでいるかのようだった。


死は、彼女を選ばない。

選ばないどころか、徹底して拒み続ける。


開かれた胸腔の底では

既に新たな心臓(呪縛)が芽吹き始めていた。


肉が盛り上がり、骨が閉じ

裂けた皮膚が再び寄り合っていく。


何事もなかったかのように

元の形へと再生していく様を

アリアは──

遠くから眺める他人のような目で見ていた。


掌の中の心臓は

なお律儀に未練がましく収縮を繰り返している。


その鮮やかな紅は、もはや祝福の色ではない。


今の彼女にとってそれは

ただの〝呪いの塊〟だった。


アリアは心臓から、時也へと視線を落とす。


微かに開いた瞳は

すでになんの輪郭も捉えてはいない⋯⋯


胸の上下は、消えかけた灯を守ろうとする

最後の風のように弱々しい。


今にも、その風すら止まってしまいそうだった。


ここで終わらせることが──

本当は世界にとっての〝慈悲〟なのだろう。


それを理解していながら

アリアは決して

その選択肢を取ることができない。


彼女は静かに決意を固める。

掌に乗せた心臓へ顔を寄せ、白い歯を沈めた。


初めの一噛みで、心臓の硬い表皮が裂け

濃厚な血が口内へ押し寄せた。


不死鳥の力を宿した濃厚な血が舌の上で膨れ

鉄臭さが鼻を刺し、喉を焦がす。


それは、何百年も彼女の中で燃え続けてきた

呪詛そのものの味だった。


ゆっくりと

しかし確実に筋繊維を噛み千切り、咀嚼する。


アリアは、血の味を抱えたまま

時也の唇へと顔を寄せた。


乾ききった唇に触れた瞬間

その脆さに胸の奥が締め上げられる。


朽ちかけた花弁に指先を触れたような

今にも崩れてしまいそうな感触だった。


彼女はそれでも口づけを深め

噛み砕いた心臓の肉片と血を

一滴さえ零さぬように口移しで流し込んでいく。


温かな鮮血と肉片が

彼の口内から喉へと細い川となって落ちていく。


(……例え、怨まれても……)


アリアは息を忘れたまま

永遠にも近いほど長い口づけを続けた。


それは救いではない。


世界の理を歪めてでも

〝死〟という慈悲を奪い去り

自らと同じ檻へと引き摺り込むための

酷く静かな〝懇願〟であり──


美しき〝呪い〟そのものだった。


時也は、喉の奥で裂けるような音を立てて

反射的に嚥下した。


途端に

喉の管をこじ開けて降りていく異物感に

肺の底を抉るような咳が迸る。


細かく震える睫毛が乱れ

眉間に深い皺が刻まれた。


吐き出したいのに

吐き出す力すら残っていない。


アリアは時也から一度も視線を逸らさぬまま

掌に残った心臓へと唇へ運んだ。


咀嚼し、次の瞬間には

再び、口移しで時也へと押し込む。


弱った喉には、あまりに重い塊だった。


喉を通るたび、細い身体はびくりと跳ね

痙攣に似た震えが肋骨の奥で暴れる。


不死の血は、確かに体内に流れ込んでいた。

それでも、死は、一向に退く気配を見せない。


三度目の欠片を含んだ時だった。


「⋯⋯アリアさん⋯⋯もう⋯いい、です⋯⋯」


掠れた囁きが

ほとんど空気に溶けかけた音で零れた。


アリアの指先が、そこでようやく止まる。


腕の中の時也は

血で汚れた唇にかすかな笑みを浮かべていた。


笑みと呼ぶには

あまりに力無く──あまりに細い。


潤んだ鳶色の瞳が

焼け焦げたような光でアリアを見上げる。


「無駄⋯⋯です。

不死鳥は⋯⋯僕を不死に、する気も⋯⋯

ましてや、生かす気も⋯⋯無いのでしょう」


アリアの背に広がった炎の翼が

音もなく揺らめく。


その炎の内側、時也には〝影〟が見えていた。

死の間際の目だけが、鮮明にそれを捉える。


炎の中心で嗤う──濃く、黒く、禍々しい気配。

深淵の底のような、不死鳥の影だった。


生命の神と呼ばれるはずの存在は

今や、焼け爛れた祝福を纏ったまま

人のように口端を吊り上げ

時也を見下ろしている。


助ける気配も、慈しむ響きもなく

ただ、終わりを愉しむ観客のように。


時也は、ほんの微かに笑った。


己に向けられた死の冷たさを悟り

それでも恐れず、アリアを見つめながら。


「⋯⋯僕は⋯⋯貴女と出逢えて

共に過ごした時間が⋯⋯

この人生で、一番⋯⋯幸せ、でしたよ。

だから⋯⋯もう、ご自分を⋯⋯

傷付けないで、ください⋯⋯」


言葉はひとつひとつ、途切れそうな息に乗って

アリアの胸の奥に沈んでいく。


〝幸せだった〟


それが、真実の言葉なのかどうか──

アリアには、確かめる術がない。


胸の内側で、ひどく冷たいものと

どうしようもない熱が、軋り合う。


時也の震える指先が

アリアの胸元へそっと伸びた。


肌の下で脈打つ、新しい心臓に触れた瞬間

微かな鼓動が指先を打つ。


それは、何度引き裂かれても再生する神話の核。


その鼓動に、時也は安堵するように

いや──名残惜しそうに目を細める。


「もう一度⋯⋯接吻、を⋯⋯」


それは願いというより

最後の儀式を求める声に近かった。


アリアは一瞬だけ、答えを失う。


不老不死を齎すはずの血が

病を癒すことすら赦さない。


不死鳥は祝福を拒み

不死に引き上げることもせず、ただ厄を落とす。


世界を覆うほどの炎を持ちながら

目の前のたったひとりすら──救えない。


神話は、彼女にとって

ただの呪いでしかなかった。


本当に──

時也は、それでも〝幸せ〟だったのか。


その問いが胸の内で膨れ上がり、喉元まで迫る。


アリアは、その声を噛み砕くように飲み込み

心の底へ沈めた。


この男の瞳に、自分の絶望だけは映さない。


それが、もはや神でも魔女でもない──

ただひとりの〝女〟としての最後の矜恃だった。


アリアは、力の抜けきった身体を抱き起こす。


軽い。

あまりにも軽い。


かつて戦場でも倒れずに立ち続けた男の重みは

今や、腕の中でいつ砕けてもおかしくない

〝重さのない重み〟へと変わっていた。


胸元へ引き寄せ、冷えた頬に自分の頬を重ねる。


骨ばった背中越しに伝わる鼓動は

頼りなく、時おり跳ねては、間を空ける。


唇を近付け、ほんの刹那、瞼を閉じ

アリアは、時也の唇に自らの唇を押し当てた。


それはもう、愛を伝えるための口づけではない。


失われていくものへ

どうしても手を離せないまま縋りつく

悪足掻きに近い接吻だった。


乾いた唇がひび割れ、微かな血の味が混ざる。

擦れ合うたび、傷が深くなっていく。


それでも、離せなかった。


触れた瞬間にわかる⋯⋯


時也の生命は

もうこちら側の世界に──半分も残っていない。


それでも時也は、かすかに目を細め

その口づけを受け入れた。


まるで、自分が死にゆくことよりも

最後にアリアを安心させることの方が

大切だと言わんばかりに。


アリアの頬に触れる指先は氷よりも冷えていた。


(⋯⋯お前を失いたくない──時也)


声にならない叫びを、アリアは喉の奥で噛み砕き

血の味と一緒に飲み込む。


もう一度、唇を重ねる。


その瞬間、ほんのわずかに

時也の呼吸が温度を取り戻したように錯覚する。


死が、最後のいたずらで見せる

一瞬の偽りの温もり。


それが幻だと知りながらも

アリアは腕を緩めない。


すでに崩れかけた器を

砕け散るその時まで抱き締めることだけが

自分に残された唯一の祈りだった。


──そして、時は過ぎた。


外の空が幾度か白み、また暗くなり

その繰り返しが何度あったのか。


数えることを、アリアは早い段階でやめていた。


窓の外には月も星もなく、街の灯りさえ届かぬ

底なしの闇が広がっている。


夜気は凍りついたまま動かず

世界そのものが

呼吸を止めているかのようだった。


最後の瞬間まで

アリアは時也を腕の中に抱いていた。


浅く、細い呼吸が、胸元でかすかに上下する。


鼓動は、もう数えるにはあまりに疎らで

指先で触れても

そこに在るのかどうか判然としない。


やがて──呼吸の音が、ふっと消えた。


胸の動きが止まり、鼓動が途切れ

その途絶が二度と繋がらないのだと理解するまで

しばらく時間がかかった。


安らかな寝顔だった。


眠るように閉じられた瞼。

かすかな笑みを宿した唇。


その顔には、苦痛の痕跡すら残っていない。


静かで、穏やかで──

あまりにも、終わりに相応しい顔だった。


だからこそ、その安らぎは

残された者にとって

容赦なく突きつけられた判決でもあった。


その瞬間

アリアの顔から、全ての表情が消えた。


深紅の瞳の奥で揺れていた光も

怒りも、悲嘆も、祈りも、悔恨も──

一つ残らず、綺麗に消え失せた。


切り離された感情は、戻る場所を失い

そのまま虚空へと散っていく。


夜明けが近付き

薄く青い光が窓から差し込み始める。


壁も床も、血の跡すらも

すべてが淡く白んでいく。


それでも、アリアは動かない。


腕の中の躯は、もう人の温度を持たない。


体温を分け与えるようと抱き締めるほどに

その冷たさは増し

ゆっくりとアリアの肌に移ってくる。


どれだけ呼びかけても、声は返らない。


名を呼べば呼ぶほど

その名がこの世から遠のいていくだけだと知り

やがてアリアは、言葉を発することすらやめた。


声は、もういらない。


言葉も、涙も、祈りも──

何ひとつ世界を変えはしなかった。


不死鳥は黙したまま

深淵の奥から世界を見下ろしている。


ひとりだけが不死であるという事実は

祝福ではなく、裁きだった。


腕の中の男は、神話からこぼれ落ちたまま

二度と戻ってこない。


アリアは、ただ抱き締め続ける。


それしか、もうできない。


夜と朝の境目に取り残されながら

彼女は、既に終わってしまった世界の欠片を

凍りついた腕の中で抱きしめていた。


もう、二度と──


どれほど願っても

この腕の中で鳶色の瞳を開けることは、ない。


どこか遠くから──

龍の遠吠えのような

悲哀が滲む声が聞こえた気がした⋯⋯

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