表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅蓮の嚮後 〜桜の鎮魂歌〜  作者: 佐倉井 鱓
遠きあの日

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

72/145

第70話 心構え

「──お嬢様方が

ただの幼子であられた頃の話でございます」


青龍の語る声は

常に遠い彼方へと延びる過去を手繰り寄せるたび

胸の奥で、わずかに震えるているようだった。



「とと、綺麗にできましたわ!」


春の陽に満ちた森の庭で

エリス様が誇らしげに

花冠を掲げて見せてくださった。


小さな掌は蒼い炎のせいで霜がつき

花冠も半ばが凍り付いておりました。


それでも──


「……ありがとうございます。

大変、美しい冠でございますね」


そう申し上げて頭に載せると

エリス様は安堵したように

微笑んでくださいました。


「とと、氷のお城です!」


今度はルナリア様が

青空の下で氷の壁を形作り

得意げに胸を張っておられた。


私がそっと触れた途端

指先は凍りつき

皮膚に微かなひびが走りました。


それでも私は微笑を崩さず

ひとこと申し上げたのです。


「見事なお造りでございますね」


その一言に

ルナリア様もまた嬉しそうに笑ってくださった。



そして──

忘却の彼方に沈めようにも

沈まぬ出来事がございました。


あれは⋯⋯私がお嬢様方を

時也様とアリア様の御許からお連れし

二百年が経とうとした頃のことでございます。


ルナリア様もエリス様も

ご両親譲りの美しさを備えながら

凛として成長されました。


されどそれもまた──

〝不死鳥の呪い〟の一端なのでございましょう。


お姿は幼い少女のままで

時がその先を許しませぬ。


年を重ねることなく

しかし、心だけは痛いほどに大人へ向かわれた。


異能も、完全ではなくとも制御の端緒を見せ

ついには

〝陰陽師の道を歩む〟と決意されるほどに

気高く育たれました。


──まことに、誇らしいお二人でございました。


私は、長き鍛錬の果てに得たその成長を

せめて、一目だけでも──

アリア様にお届けしたいと考えました。


時也様の眠る桜が満開となり

夜気に薄紅の光を揺らしていた頃でございます。


きっと、あの方の深い哀しみを

ほんの少しでも和らげられるのではないかと。


お二人の成長した姿を見せれば

再び巡り会う道が開けるのではないかと──


愚かにも、そう信じておりました。


しかし──

屋敷は影も形もなく消えておりました。


残されていたのはただひとつ

アリア様ご自身を封じた

紅の涙の結晶だけでございました。


時也様を喪われ

我が子を遠ざけられたアリア様の哀しみが

どれほど深いものだったか──

その時、私は痛切に思い知らされました。


その前で、お嬢様方は震えておられた。


「とと……お母様は?」


結晶を前に

ルナリア様の声はか細く震えておりました。


エリス様は涙に顔を濡らしながら

私の袖に縋っておられた。


私はひざまずき、静かに申し上げました。


「御母堂様は……深く〝お眠り〟でございます」


その瞬間、お二人は全てを悟られたようで

小さな身体で嗚咽し続けられました。


両親を喪うというのは

幼き魂には耐え難い傷でございます。


私はただ、その涙を受け止める腕となるほか

ありませんでした。


「……貴女たちは、生きねばなりません」


その言葉は、お二人へ向けたものと同時に──

〝私自身〟への戒めでもございました。



そこからの日々は、まさしく嵐でございました。


落ち着きつつあったお二人の力は

アリア様までもを失った絶望に揺らぎ──

再び暴走を繰り返すようになったのです。


氷嵐が吹き荒れ、蒼い炎が天を焦がし

大地は砕け、空気すら凍りつきました。


「ととっ……!!」


「助けて……とと──っ!」


私は幾度もお嬢様方を抱きかかえ

焼かれ、凍らされ、身を裂かれながらも

耐え続けました。


呼吸を奪う冷気が肺を凍らせ

皮膚が裂け、肉が剥がれようとも──

決して

お嬢様方を離すことはございませんでした。


けれど、その涙の中で叫ばれる言葉は

いつも同じでございました。


「とと……ごめんなさい……」

「ごめんなさい……っ」


あれは幼い魂が必死に生きようとする

叫びにすぎません。


私は首を横に振り、ただ申し上げるのです。


「謝ることではございません。

貴女方は──

ただ、幸せになるために在られるのです」


私はそう告げ続けました。


夜になれば、お二人は私の袖を握り

左右に寄り添って眠りにつかれました。


右にエリス様、左にルナリア様──

それはまるで

時也様とアリア様の腕の中にいた頃の

面影そのものでございました。


ある夜、ふと目を覚ますと

私の胸元にはふたつの温もりがありました。


エリス様は腕にしがみつき

ルナリア様は胸元に額を埋めて眠っておられた。


私は、そっと二人の髪を撫でました。


その感触は

二百年前と何も変わらず柔らかで──

守り抜くべき命そのものでございました。


お嬢様方のためならば──

何度でも、幾千の痛みでさえ耐え抜いてみせる。


そう誓い続けた、二百年でございました。



「ととぉ〜っ……!

ああ、青龍が居てくれて本当に良かったわね……

双子ちゃん──っ!」


レイチェルの声は涙に滲み

鼻声に掠れて震えた。


堪えきれずしゃくり上げるたび

目尻に溜まった涙が一筋──

ぽたりと膝の上に落ちる。


「うっ……ぐすっ……」


たまらず両手で顔を覆う。


しかし感情の奔流は

細い指の隙間を易々とすり抜けていく。


こみ上げる涙はとどまることを知らず

ついにレイチェルは大きく息を吸い込み

ハンカチを引き抜くと、勢いよく鼻をかんだ。


「ぷひぃっ……ぶふっ……!」


あまりにも豪快な音が

静まり返った室内に間の抜けたように響き渡る。


「おいおい……」


ソーレンが苦笑まじりに低く洩らしたが

レイチェルは構わず、なおも涙声のまま叫んだ。


「だってぇ……!

青龍、すっごく苦しかったのに……

双子ちゃん達のために、ずっと頑張って──!

その子たちが〝とと〟って……っ!

もう……もう、最高に良い話じゃないのっ!」


言葉の端々が震えて、うまく音にならない。


「……ほんとな……」


穏やかな重さを帯びたソーレンの声が落ちる。

その琥珀の瞳に涙は浮かんでいない。


それでも

遥かを見るような柔らかな光が宿っていた。


「お前は、すげぇ奴だよ……」


ぽつりと告げられたその言葉に

青龍はわずかに目を見開き

ソーレンを仰ぎ見た。


「……貴様に称賛されるとは、思わなかったな」


照れ隠しのように視線を逸らす。


その声音は

いつもの厳格さを少しだけ脱ぎ捨て

どこか柔らかく滲んでいた。


レイチェルはそっと目を伏せ

今しがた青龍が語った一つひとつの言葉を

胸の内で反芻させる。


時也の死──

その後に続いた、青龍の孤独な二百年。


想像しただけで

胸の奥がきゅうと締め付けられた。


「…………」


ようやく落ち着きかけていた涙の余韻が

再び喉元までせり上がってくる。


青龍が語った二百年は

言葉にすれば

ほんの数分に収まる出来事にすぎない。


けれど、その奥底に沈む想いの深さは

到底量り知れるものではなかった。


考えるだけで気が遠くなる。


喫茶 桜で働くようになってから

時也やアリア、そして青龍の過去を

断片的に聞く機会はあった。


だが、青龍自身にも

これほどの苦難があったとは──

そこまで思いが及んでいなかった。


「……二百年、も……」


レイチェルが掠れた声で呟く。

青龍は、その言葉にわずかに目を細めた。


「ですが──」


彼の視線は

膝の上で組んだ小さな掌へと落ちる。


「私が真に〝とと〟と呼ばれる

資格があるのかは──未だに、分かりません」


「──はぁ?なに言ってんのよ!!」


涙の名残を含んだ声のまま

レイチェルが勢いよく立ち上がった。


「青龍はねっ!

双子ちゃん達のために命懸けで向き合って

育ててくれたんでしょう?

誰が何と言おうと──

立派な〝とと〟じゃないの!!」


「……しかし……」


青龍は言葉を濁す。


「……私は、あのお二人を……

時也様とアリア様から

引き裂いてしまったのです……」


搾り出すようなその声は

どこまでも苦く沈んでいた。


胸の奥に沈殿した鉛のような後悔が

今なお彼を締め付け

心を押し潰しているかのように。


「もし……もっと良い方法があったのなら──」


膝の上で握り締められた小さな手が

震えを帯びてわずかに強くなる。


「お嬢様達が

御両親から引き裂かれることは……

なかったのかもしれません」


「……青龍」


レイチェルは静かに腰を下ろし

青龍の隣へそっと身を寄せた。


「でも、双子ちゃんは──

青龍がいてくれたから

こうして元気に育ったのよ?」


「…………」


青龍は何も答えない。

沈黙だけが、自身の自責を物語っていた。


「青龍がどんなに自分を責めても

双子ちゃん達は絶対にそうは思わないよ」


そっと伸ばされた手が

青龍の肩にそっと触れる。


「だって……〝とと〟って呼んだんでしょう?」


「……そうですね……」


青龍は小さく瞼を閉じ、ぽつりと呟いた。


その声音には、ほんのわずかではあるが

柔らかな色が戻っていた。


「時也様が……ご無事であったならば──

もっと良かったのですが……」


「うん……でもね……」


レイチェルは、涙の跡を残したまま微笑む。


「きっと時也さん、今も喜んでるよ」


「…………」


「双子ちゃんが

青龍のことを信じてくれてること。

きっと一番安心してるはずだもん」


「……時也様が……」


青龍の声が、わずかに震えた。


「……そう、でしょうか」


「そうだよ!」


レイチェルは、今度は晴れやかに笑ってみせる。


「時也さん、青龍のこと大好きじゃない!

そんなの、青龍が一番よく分かってるでしょ?」


「──ふふ……」


青龍の口元が、かすかに緩んだ。


「確かに……時也様は……

そういうお方でしたね」


その声音は、遠い日々を懐かしむように

やわらかく、静かに揺れていた。


「──は!

胸を張ってりゃいーんじゃねぇの?

お前らしくもねぇ」


ソーレンが立ち上がり

腕を組んだまま青龍を見下ろす。


「双子は、時也の子であり──

〝お前の子〟でもある。

ととで当然なんだよ」


「…………」


青龍は、ゆっくりと目を閉じた。


「……私らしくない──か」


短い一言であったが

その響きはどこか晴れやかで──

長く胸に滞っていた靄が

僅かにほどけたようでもあった。


「青龍!ねぇ、もっと話してよっ!」


弾む声でレイチェルが身を乗り出す。


目尻にはまだ涙の名残が光っているが

その表情はすでに前を向いていた。


「不死鳥をぶん殴る為にも

異能を持ってる人に

ひとりでも多く擬態できた方が良いし──

聞いておけば

こっちも心構えができるしねっ!」


レイチェルは

空に向かって何度も拳を突き上げる。


「時也の記憶見て

この間ベソかいてたとは思えねぇな?」


ソーレンのぼやきに

レイチェルは気まずそうに頬を膨らませた。


「予備知識無しは

本っ当に心に悪いってことが

よ〜く分かったからね!!」


「左様でございますか⋯⋯ならば」


青龍は静かにまぶたを伏せ

再び遠い過去へと視線を馳せるように

ゆるやかに瞼を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ