表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅蓮の嚮後 〜桜の鎮魂歌〜  作者: 佐倉井 鱓
遠きあの日

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

71/145

第69話 とと

静寂の室内に──息を呑む気配だけが落ちた。


レイチェルとソーレンの微かな呼吸が

張りつめた空気の中で震え

そこへ、青龍がそっと

ペットボトルを傾ける音が紛れ込む。


幼い喉が、ごくり──と鳴った。


そのわずかな動きは、言葉以上に沈痛で

彼は瞼を閉じることで

胸奥に渦巻くものを静かに押し沈めた。


「時也さん、アリアさん……

青龍も、双子ちゃん達も……苦しかったよね」


かすれるレイチェルの声が

張り詰めた空気に触れた瞬間

頬に滲んだ涙が光の筋となりかけ

彼女は慌てて手の甲でそれを拭った。


「改めて聞くと……クソがつくほどムカつくな。

不死鳥って奴はよ」


ソーレンの低い唸りは

押し殺した怒りの底から滲み上がる

獣の息吹のようで

膝の上で握りしめた拳には血が集まり

白く浮いた骨ばった節が震えていた。


「ほんとよ!

不死鳥をぶん殴らなきゃ気が済まないわっ!」


レイチェルが拳を振り上げたその姿は

弱さを押し隠した小さな戦士のようで

ソーレンは半ば呆れ

半ば感心したように息を漏らす。


「……お前、ここに来てから逞しくなったな」


涙ぐんだまま笑ったレイチェルが

鼻先をすんと鳴らして笑った。


「褒め言葉として受け取っておくわね!」


静かに場を見渡した青龍が

伏し目がちに言葉を紡ぐ。


「⋯⋯左様でございますね」


その声は、静謐にして鋭い決意を孕んでいた。


「私も同じ気持ちです。

不死鳥の首──

今度こそ(くび)り落としてやりましょう」


その声音は

幼子の姿に隠れた龍の本性が

一瞬だけ地を覗かせたかのようだった。


「ね、ね!

双子ちゃんとの暮らしは──どうだったの?」


レイチェルの問いかけに、青龍はふっと目を細め

過ぎ去った日々をそっと胸に手繰り寄せるように

また瞼を閉じた。


双子との暮らしは──

静寂の底に張りつめた、嵐のような日々だった。


記憶の奥から、青龍の胸中に

淡い光と冷たい影が交互に立ち上がる。



双子と共に暮らした日々──

彼らは人里を避け

風さえも息を潜めるような静寂の中で

身を寄せあって生きていた。


宿命の異能を制御する。


双子は青龍の導きに従って

陰陽術の修行に身を投じた。


陰陽術であれば

宿る絶対零度と氷の炎を

制御できるかもしれない──


青龍はそう信じた。


そして、亡き父、時也の面影を追い求めるように

双子はひたむきに術を磨いた。


「制御を……完璧にすれば」


「また……お母様と暮らせる──っ」


その願いだけが

辛辣な修行へと彼女たちを駆り立たせる

灯火だった。


不死鳥の呪いは

その小さな身体の骨の髄にまで染み込み

いつ暴れ出すか知れない刃そのもの。


けれど、制御さえ叶えば──

もう二度と引き離されずに済む。


幼い祈りと決意に、青龍は寄り添い続けた。


蒼き炎が荒れ狂う日も

凍てつく冷気が大気を裂く日も──


青龍は、決して離れなかった。


「お嬢様方……

必ず、必ずや制御できるようになります」


その言葉の裏側には、血を吐くような覚悟と

誰よりも深い愛惜が沈んでいた。



ある日──


双子は静かな森の奥で

迷い込んだらしい幼い子供と出会った。


「……大丈夫?」


ルナリアがそっと問いかけると

涙で濡れた睫毛の奥から

子供はくしゃくしゃの顔を上げ

小さく、こくりと頷いた。


「おうち……どこ……?」


途切れ途切れの声は震え

森の冷気と恐怖がまだその身を締めつけていた。


エリスとルナリアは一瞬だけ互いを見つめ

迷いながらも、その子の手をそっと握った。


冷気が漏れれば、容易く凍らせてしまう。

息を詰め、必死で押し込めながら──


森を抜けるまで

子供は二人の手を離すことを知らず

拭っても溢れてくる涙で頬を濡らし続けた。


やがて林間の開けた場所へ辿り着くと

遠くにひとりの男が

焦燥の色を湛えて探し回る姿が見えた。


「おーいっ!」


その声が風を裂いた瞬間──

子供の表情にぱっと光が満ちた。


「──ととっ!!」


弾かれたように駆け出し

その小さな体は男の腕へ飛び込んだ。


その身体を、宝物のように抱きしめ返す男の腕。


「とと……とと──っ!」


溢れ続ける涙は、恐怖がほどけた証のように

父の胸元を濡らしていった。


双子はその光景を、ただ黙って見つめていた。


父に駆け寄る子供の姿は

彼女たちが決して手に入れられずにいた

光そのものだった。


「……お父様には……もう……逢えない」


ぽつりと落としたルナリアの声は

森の静けさに吸い込まれていった。


「……でも……」


エリスがそっと息を吸い、続ける。


「青龍は……ずっと私たちを護ってくれたし……

育ててくれた……」


その言葉に、ルナリアはゆっくり頷いた。


「なら──」


「──そう呼んで、良いよね?」


二人の鳶色と深紅の左右異色の瞳が

鏡写しのように見つめあい

迷いを超えた静かな決意で満たされていった。



夕暮れの帳が降り始めた頃

青龍は僅かにも疲弊を見せずに帰宅した。


「ただいま戻りました」


静かに扉を開くと

そこには、待ち受ける双子の姿があった。


「……お帰りなさい──と、とと⋯⋯っ!」


「……とと!お帰りなさい──」


その一言で、青龍の足は止まった。

振り返るように瞬き、思わず眉を上げる。


「……え?今⋯⋯なん、と⋯⋯?」


小さなその手が、僅かに震える。


彼は、自分が聞き違いをしたのかと疑い

双子を凝視した。


「……とと!」


エリスが、今度は躊躇いなく言い直す。


「青龍は……ととは──

お父様が亡くなってからも

ずっと私たちを護って、育てて……

導いてくれました」


ルナリアも小さな声で、だが真っ直ぐに続けた。


「だから……その……

そう、呼んでみたかったのです!」


青龍は目を見開いたまま、言葉を失っていた。


返すべき言葉はいくつも浮かぶのに

喉にかかった思いが音にならない。


「……とと?」


その呼び名をもう一度向けられた瞬間

青龍はようやく──

ほんの小さな笑みを口元に宿す。


困惑と照れと

それでも隠しきれない誇らしさが滲んだ

幼子の外観には似つかわしくないほど

感情深い笑みが、そこにあった。


「……ふふ……まったく……」


泣き笑いのように頭を小さく振り、肩を竦める。


「……お嬢様方……こんな、私を……

その、ように⋯⋯呼んでくださるとは……」


「とと……」


「……うん。やっぱり青龍は、ととよ!」


双子が揃って笑った。


その微笑みは、かつて彼が見守り続けた

時也とアリアの面影と静かに重なり──

胸の奥で温かく灯り続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ