第61話 遺伝
驚愕の声が響く──
その叫びは、静寂を切り裂く鐘の音のように
玄関の空気を震わせた。
「お父様っ!?……え、えっ!?
時也さんの──〝娘さん〟なの!?」
レイチェルは目を見開き
息を詰めたまま時也を凝視する。
彼女の中で言葉が音として弾けるよりも早く
理解が追いつかぬまま
心だけが空回りしていた。
時也は、その反応に一瞬だけ瞬きをした。
まるで、遠い記憶を掘り起こされたかのような
微かな驚きが表情を掠める。
「あぁ……そうでしたね。
レイチェルさんは、初めてでしたか」
穏やかに口元を綻ばせながら
時也は静かな声音で言った。
その微笑みの奥には、深い慈しみと──
わずかな〝痛み〟が同居しているようだった。
彼はそっと双子に視線を向ける。
「ほら、お前たち……レイチェルさんです。
ご挨拶なさい?」
「「初めまして、レイチェルさん」」
二人の声が澄んだ鐘の音のように重なり合った。
音程も間も、完璧に揃っている。
その響きが空気を震わせ
レイチェルは思わず息を呑んだ。
白い着物の少女が一歩前に出て
金糸のような髪を揺らしながら明るく笑った。
「私は、エリスです!」
その笑みは陽だまりのように温かく
柔らかい光を周囲に散らしていた。
対して、黒の着物を纏った少女は
深く一礼し、静謐な声で名乗る。
「ルナリアと申します。
以後、お見知り置きを」
その声音にはわずかな冷気が宿り
まるで冬の朝の息のように透き通っていた。
礼儀と気品を兼ね備えた二人のその仕草は
幼い少女とは思えぬ落ち着きを帯びていた。
「あっ、はいっ!はじめまして!
レイチェルです──って、ふわぁ……」
言葉の先が霞む。
レイチェルは自分の声を置き去りにしたまま
ただ双子の姿に見惚れていた。
(か……可愛いーーーっ!!)
心の中で叫んだその感嘆は
もはや理性を越えた、純粋な衝撃だった。
エリスの金髪は陽の光を受けて柔らかく波打ち
微笑むたびに周囲の空気までも明るく照らす。
その人懐こい表情には
どこか時也を思わせる温かな気配が漂っていた。
一方
ルナリアの黒褐色の髪は夜の静寂を思わせ
整った横顔はアリアを彷彿とさせる。
深紅と鳶色の左右異色の瞳がわずかに揺れ
見る者の心を吸い込むような深みを宿していた。
その静謐はまるで氷面のようで
言葉を挟むことすらためらわせた。
「こ、こんな可愛い娘さんがいたなんてっ!」
抑えきれぬ感情が弾け
レイチェルは思わず二人を勢いよく抱きしめた。
「時也さん!
なんで教えてくれなかったんですかぁ!!」
がばっと双子を腕の中に包み込む。
だが、その直後──
「ひゃ……っ!?つ、冷たっ!!」
反射的にレイチェルは双子を離した。
両の手を見下ろすと
指先が淡く赤くなり、微かに痺れている。
まるで、氷雪に触れたかのようだった──
「……すみません。
僕も、言いそびれていまして」
時也の声が静かに落ちた。
柔らかく微笑むものの──その瞳は翳を帯びる。
「レイチェルさん。
……先ずは、暖かい服を着てくるのを
おすすめします」
穏やかな口調の裏に
どこか張り詰めたものが潜んでいた。
時也が促すと、双子は静かに頷き、歩き出す。
エリスは相変わらず朗らかな笑みを浮かべ
その歩調は軽やかで。
ルナリアは黙したまま
足音ひとつ立てずに後に続く。
「可愛い双子ちゃんですね!」
レイチェルは、時也の背を追いながら言った。
声は明るく振る舞おうとしているが
どこか歯が鳴るような震えを含んでいた。
「ふふ!時也さんの遺伝かしら!
まだ小さいのに、しっかりしてますね!」
時也はその言葉に、一瞬歩みを止め
ゆっくりと肩を竦めた。
その仕草に、重たい沈黙が宿る。
「……小さい、ですか。いえ……」
一瞬、彼の声が途切れる。
その笑みは優しいのに、苦味を帯びていた。
その先に続いたのは、吐息のように掠れた声。
「……不死鳥の……嫌がらせですよ」
呟きは、ほとんど風のように小さく
それでも玄関の冷気を震わせるほどの
重みがあった。
レイチェルは、驚きに目を瞬かせる。
彼の背から漂う哀愁と、喜びの混ざった空気。
その羽織の裾がゆるやかに揺れ
まるで見えぬ重荷を背負っているかのように
肩が微かに沈んで見えた。
「……あの、時也さん?」
おずおずと呼びかける声に
時也はゆっくりと振り返り、穏やかに微笑む。
「大丈夫です。
今日は……きっと、穏やかな一日になりますよ」
その笑みは
春の陽だまりのように柔らかかった。
だが、その奥に沈む光は、どこか儚く
燃え尽きる直前の桜の花弁のように
淡く揺れていた。
⸻
リビングには、暖炉の薪が静かに爆ぜていた。
乾いた木片が炎に呑まれ
パチパチと小さく弾けるたび
橙の火の粉が宙を舞い
淡い光の粒となっては消えていく。
けれど、なお空気の底には冷えが残っていた。
薪は十分にくべられているのに
その熱はまるで見えぬ境界に
阻まれるかのように届かず
わずかな肌寒さが室内に漂っていた。
「「お母様!お会いしとうございました!」」
双つの声が、澄みきった鈴の音のように響く。
リビングに漂う火の明かりの中
二人の少女は
まるで儀式のように完璧な礼を取った。
金糸のような髪を揺らし
春風の気配のように、柔らかく微笑むエリス。
黒褐の髪を静かに流し
背筋を正したまま、深く一礼するルナリア。
その所作は
まるで王家の晩餐に臨む貴婦人のようで
一分の隙もない優雅さを宿していた。
ブランケットに包まれたアリアは
ソファに座して、静かにその姿を見つめていた。
深紅の瞳は何処か遠くを彷徨うように虚ろで
何処を視ているのか、誰にもわからない。
それでも──双子の声が響いた瞬間
その長い睫毛が、微かに震えた。
青龍が整えていたのだろう。
アリアを真ん中に、双子は左右に座した。
ルナリアは右に、エリスは左に。
その姿はまるで
玉座を護る二柱の守護のようであった。
(わあ……並ぶと、本当に親子ね。
時也さんとアリアさん
二人の良いところだけが
しっかり遺伝してるみたい……!)
レイチェルは
青龍から受け取ったブランケットを羽織り
母と娘の並ぶ光景を
息を呑むようにして見つめていた。
まるで一枚の宗教画のように──美しい。
「ふふっ」
エリスがくすくすと笑みをこぼす。
その笑顔は、春の陽射しのように温かく綻ぶ。
「お母様ったら──
まだ私たちを、子ども扱いなさるんですか?」
「ご心配には及びません、お母様」
ルナリアは凛とした声で続けた。
姿勢は微動だにせず
静寂そのものを纏っていながら
言葉の奥に誇りが宿る。
「私たちも、もう二百⋯⋯
父様のような陰陽師になれるよう
日々精進しております」
(……にひゃく……?なんの、数字だろ?)
レイチェルは呆然としながら、心の中で呟く。
その眉尻が引き攣るように上がった。
隣にいたソーレンの袖を、そっと引っ張る。
「ねぇねぇ……?」
声を潜めながら、囁く。
「双子ちゃんとアリアさん
会話が成立してるように見えるんだけど⋯⋯?」
「あ?⋯⋯あぁ」
ソーレンは視線を落とさず、ぼそりと答えた。
その声は低く、どこか憂いを含んでいた。
「アイツらも──
時也の〝読心術〟を受け継いでんだよ」
レイチェルの表情が凍る。
(あの……辛い能力を……)
頭を押し潰すような無数の声。
止まらない思考の波。
息が詰まるようなあの苦痛──
時也が抱えていた孤独と苦悩を
幼いこの子たちも抱えているというのか。
胸の奥が、締めつけられるように痛んだ。
「ご心配、ありがとうございます。
レイチェルさん」
唐突に、ルナリアが振り返った。
その左右異色の瞳が
まっすぐにレイチェルを見つめる。
彼女の思考を──確かに読み取っていた。
「……えっ?」
レイチェルが戸惑う間に
エリスが柔らかく微笑を重ねる。
「私たちは、この能力を
とても〝有り難い〟と思っていますよ」
光が差すような笑みだった。
その表情には
間違いなく時也の面影が宿っている。
朗らかで、優しく、人を包み込む微笑み──
「お母様は、私たちに言葉をくださってます。
声は響かずとも、想いは届く──
それが私たちにとっては、宝物なのです」
ルナリアの声が、そっと重なる。
「お母様は⋯⋯優しい方ですから」
ルナリアの声がふっと和らぎ
その頬に、わずかに温もりが差す。
その瞬間だけ、彼女の冷たい気配が解け
淡い春の光のような表情を見せた。
ブランケットに包まれたアリアは
依然として無表情だったが
彼女の瞳の奥に、極めて小さな揺らぎが見えた。
それは──誰の目にも映らぬほど儚い
それでも確かな〝愛の波紋〟だった。
薪が弾ける音が再び響く。
火の粉が一つ、天井へ向かって舞い上がり
静かに消えた。
その残響の中
リビングの空気はゆっくりと
温もりを取り戻していく。
冷気はまだ残っていたが
そこには確かに、母と娘の絆が灯す
穏やかなぬくもりが漂っていた──⋯




