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紅蓮の嚮後 〜桜の鎮魂歌〜  作者: 佐倉井 鱓
寄りし影

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第57話 不吉なる星

夜の帳は

しんしんと降り積もる雪のように世界を包み込み

喫茶桜の外はひときわ深い静寂に沈んでいた。


空は黒き天鵞絨(ベルベット)の幕を広げ

星々はその深淵に刺し込まれた宝石のごとく

冴え冴えと輝いている。


息を吸えば、冷気が胸の奥にまで染み渡り

肌を撫でる夜風は細く鋭い刃のようだった。


裏庭に敷かれた石畳の上

時也はひとり、星明かりの下に佇んでいた。


手には、数本の桜の枝。


彼にとってそれは単なる木の一部ではなく

己の霊力を宿し

また増幅し、具現化させるための触媒であり

彼の戦いや術にも不可欠だった。


冷気に晒されてもなお

その枝先はかすかに温もりを帯び

彼の霊力に呼応して

微かな脈動を繰り返している。


「今宵は、よく澄んでおりますね……

星を詠むには、最も相応しい夜です」


低く穏やかな声が

石畳と夜気に吸い込まれるように広がった。


頭上の星空は

静寂の帳に銀の刺繍を施すがごとく

無数の光の点で縫い合わされていた。


彼の瞳は

その繊細な刺繍の綻びを見逃さなかった。


北天に連なる星々──


その秩序はほんのわずかに乱れ

ひとつの星が、脆く震えるように

光を明滅させていた。


小さく、淡く

それでいて確かに存在する光。


その揺らぎは

見慣れた星座の調和を乱す

ひとつの異質な兆しだった。


「……光の道筋が──歪んでいる?」


時也の眉が、僅かに寄る。


桜の枝を地に突き立てると

両の手を静かに合わせ、指を組んだ。


掌の隙間から零れ落ちる霊力は

白き息のように淡く、石畳の上に揺らめく。


彼の声音は祈りにも似て

しかし確かに術式を紡ぐための言葉となって

夜に解き放たれた。


「闇より生まれ、闇を渡りし星々よ──

その真形を示せ」


その詠唱に応じるように

突き立てた桜の枝が細かく震え

先端に白光が芽吹く。


時也は指先を掲げ

天の星座をなぞるように動かした。


光を帯びた指が宙を裂き

星と星を結ぶ線となる。


瞬く間に夜空に描かれたのは

天が自ら描き出すはずの軌跡──


だが、そこには不自然な捻れがあった。


一つの星の線は、他と異なり

重力に引かれるかのように

下方へと沈み込んでいく。


その姿は、星が堕ちていくかのようであった。


「……運命が、誰かに捻じ曲げられている……」


息を呑む声が、彼の喉から洩れた。


桜の枝が彼の掌に震えを伝え

その震えはそのまま

瞳に宿る憂色へと変わっていく。


彼は目を閉じ、さらに深く術を紡いだ。


「虚ろなる光よ──真なる道を示せ」


その宣誓と共に

彼の霊力は花弁の姿をとり

夜空へと舞い上がった。


淡き桜の花弁は風に乗り

星の軌跡に沿って滑るように進んでゆく。


やがて

捻れた線の先に、花弁は形を結んだ。


それは──人影だった。


影は輪郭こそ不明瞭でありながら

確かに〝そこに在る〟という

強烈な存在感を放っていた。


星に紛れ込んだ人の気配──

否、人を超えた〝何か〟。


「……これは……記憶を喰らう者……」


時也の瞳が、かすかに細められた。


脳裏に浮かぶのは

浴室で見せたソーレンの微かな違和感。


彼が野良犬のように街を彷徨っていた頃に

感じ取ったという不可解な気配。


あれと同じものが、今──

夜空の星々に痕跡を残しているのかもしれない。


桜の枝を静かに引き抜くと

地に描かれていた光の道筋は溶けるように消え

再び夜空は純然たる闇と星の世界へと戻った。


風が吹き抜け、冷気が彼の黒褐色の髪を揺らす。


「星々は道を示している。

しかし、その道が導く先は──厄介な闇ですね」


言葉は冷静でありながら

声色には警戒が滲んでいた。


夜空の静寂を背に、彼はふと瞼を伏せる。


心の奥底で、亡き妹の名を呼んだ。


「……雪音。

兄に、どうか……力を貸してください」


夜は沈黙で応えた。

星は揺らめき、花弁はすでに消え去っている。


だが時也の胸には、冷たい風とは裏腹に

確かな緊張と決意が燃えていた。


星の歪みが告げるものは、遠き兆しではない。

すでに迫りつつある影の前触れ。


夜の帳に隠されしその気配を

彼の心は確かに察していた。


その眼差しは、もはや星だけでなく

運命そのものを射抜こうとしていた──

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