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紅蓮の嚮後 〜桜の鎮魂歌〜  作者: 佐倉井 鱓
桜の時

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第39話 政治の駒

──陰陽師と政治は

切っても切り離せぬものだった。


古来より

陰陽師は星の巡りを読み

龍脈を操り、天変地異や国の盛衰までも

占う存在とされてきた。


その言葉ひとつが──国の未来を変える。


権力者にとって彼らは頼りでありながら

同時に恐怖の対象でもあった。


櫻塚時也は、それを理解していた。


理解した上で──

自ら進んで〝政治の駒〟となることを選んだ。


理由はただひとつ。

妹──雪音を守るために。


彼女をただの座敷牢に閉じ込めておけば

いずれ、本当に厄災が起きた時

双子を生かしたからだと葬られる。


それを避けるためには

自分自身が

必要不可欠な存在にならねばならない。


そうすれば、雪音は直ぐには殺されずに済む。


だから時也は選んだ。

己を政治に捧げることを。


櫻塚家の嫡子だからではない。

陰陽師だからでもない。


──雪音を生かすため。


そのために

少年は人の心を食い尽くす道を歩き出した。



十歳の時也は

すでに(みかど)の側近として朝廷に仕えていた。


陰陽頭(おんみょうがしら)──

陰陽師の最高峰とされる地位に就いた

歴代最年少の少年。


それは前代未聞のことであり

宮中は驚愕と畏怖に包まれた。


だが当の本人にとっては

そんな称号など、心底どうでもよかった。


雪音を守るための〝楯〟でしかないのだから。


その瞳に光はなかった。

ただ淡々と人の心を読み、欺瞞を暴き続ける。


「──この訴えは、虚偽にございます」


「この勅願(ちょくがん)の裏には、私利私欲がございます」


「この者の胸奥は

〝権を得たい〟としか響いておりませぬ」


冷ややかに、的確に

彼は真実を露わにしていく。


人々は驚嘆した。


帝は〝欺瞞を看破する少年〟と称え

彼の言葉を絶対視した。


だが──


時也の耳に届くのは

感謝でも信頼でもなかった。


彼に向けられる心の声は

〝読まれる恐怖〟と〝憎しみ〟ばかりだった。


──化け物。

──心を覗く怪異。


口では讃え、胸の奥では畏れ、忌む。

時也はそれをすべて聞いてしまう。


その日々の中で

彼の心は静かに削られていった──⋯



雪音は、それに耐えられなかった。


朝廷から戻った時也と会うたびに

兄の顔からは生気が失われていく。


声は穏やかでも

そこに感情の温度はなかった。


兄が見ているのは〝真実〟ではなく

暴かれることへの怯えと憎悪ばかり。


彼は、もう戻れない場所にいる。


〝そうならなければ生きられない〟と

知ってしまったから。


〝そうしなければ自分を守れない〟と

分かってしまったから。


だから──雪音は決断した。


その夜──

座敷牢の中、灯明の揺れる光の下で

雪音は小さな箱を抱えていた。


彼女の顔は

十歳の少女には似つかわしくないほど硬く

決意の色を帯びていた。


「琴……頼みがあります」


牢に付き従う乳母──琴が振り向く。

雪音は両手で、ひとつの箱を差し出した。


「これを、お父様にお渡しください」


琴は、ふと違和感を覚えた。


その箱は、軽い。

だが手にした瞬間、背筋に冷たいものが走った。


「……雪音様?」


問いかける声は自然と震える。

漠然とした不安が胸を締めつける。


渡してはいけない──直感がそう告げていた。


だが雪音は

鳶色の瞳で真っ直ぐに琴を見据えた。


「……中を覗いたら」


その声は

少女のものとは思えぬほど冷ややかだった。


「私には──解りますからね?」


視線には幼さを超えた威圧が宿っていた。

琴は思わず息を呑む。


箱の重さはほとんどない。


それなのに

胸にのしかかる重みは計り知れなかった。


(……これは、渡してはならないのでは)


琴の心は揺れた。


だが雪音の瞳を見れば

その迷いは押し潰された。


あの瞳は決意を宿していた。

ただの駄々や我儘ではない。


何かを成し遂げようとする──決意。


──それを無下にはできない。


琴は箱を抱きしめるように持ち

牢の廊下へと足を踏み出した。


一歩進むごとに、不安が渦を巻く。


取り返しのつかないことが起きるのではないか。

未来が大きく変わってしまうのではないか。


それでも。


振り返り見た雪音の瞳は

無言で〝進め〟と告げていた。


彼女は、兄を守るために選んだのだ。



静まり返った廊下に、琴の足音だけが響く。


その響きはやがて

彼女の胸を苛む鼓動と同調した。


(雪音様……私は……)


涙を堪えながら

琴は歩みを止めなかった。


何が起ころうとも

雪音の意志を裏切ることはできない。


──たとえ、その先に待つのが破滅であっても。


琴は箱を抱き締め、なおも歩き続け

やがて彼女の影は、広間へと消えていった。


雪音の決意が──

その夜、確かに運命を動かそうとしていた。



静寂に沈んだ広間──


屋敷を包み込む漆黒の夜は

まるで世界の全てを呑み込んだかのように

ひどく濃かった。


障子越しに映る紙灯籠の灯は

揺らめく淡い炎を吐き出し

床の間に長い影を落としている。


その揺らぎが

まるで未来を暗示するかのように不吉に見えた。


広間の中央に座するは、櫻塚家の現当主──

双子の父。


彼の手の中には、一通の文が握られていた。


薄紙に綴られた細やかな筆跡は

異様なまでに正確で整っている。


そして、その内容は

彼の背筋を氷で撫で上げるかのごとき

戦慄をもたらした。



《時は、秋の終わり。

月の満ち欠け半ばにして、風の強き夜。

刻は亥の刻。


父上が北廊を巡り

龍脈の祠を一人で視察されるその時。


廊下の影に忍ぶ者あり。

名は清原雅道。


かつて父上に仕えし従者なれど

蔑まれ、(ろく)を奪われし恨みを抱く者。


彼は刃を衣に忍ばせ、廊下の灯を消し

闇にまぎれて襲いかかる。


背を穿つ刃は深く、返り血に紅を浴び

父上はその場に崩れ落ちる。


動機はただひとつ。

己が家を潰された恨み。


そして、櫻塚の名を血で穢さんとする渇望。


その夜、血が白砂を染める。

その夜、櫻塚家は大きく揺らぐ。


避ける術はひとつのみ。

その刻、北廊に近付かれぬこと。


さもなくば、父上は必ず刃に倒れる》



その文を読み進めるほどに

父の手は小刻みに震えていった。


書かれているのは未来の情景。


まだ起きてもいない

暗殺の日時、手口、犯人の名、動機──

すべてが詳細に記されていた。


まるで

すでに誰かがその場を見てきたかのように。


「……馬鹿な」


掠れた声が、広間に落ちた。


だが否定の響きよりも

むしろ現実を受け入れてしまう恐怖の方が

濃かった。


父はふと、箱の外側に記された名に目を留めた。


──雪音。


座敷牢に閉じ込められ

外の世界を知るはずのない娘の名。


それがどうして、こんな文を書けるのか。


どうして──

未来を見たかのような内容を記せるのか。


その問いは、一瞬にして答えに辿り着く。


(……あの娘は、未来を知るのか)


胸の奥に冷たいものが這い上がる。


だが、それは恐怖と同時に

抑えがたい欲望でもあった。


今までは時也という駒を使い

心を読む異能で政治を操らせていた。


だがここにもうひとつ──

新たな駒が現れたのだ。


未来を視る──異能。


「……ふむ」


父は唸るように呟き、もう一度文を見下ろした。


そのわずかな沈黙が

広間にひれ伏す琴には

異様なほど長く感じられた。


琴の胸は、今にも張り裂けそうだった。

文を渡す時から、不安は消えなかった。


(やはり、これを渡しては──

いけなかったのでは⋯⋯っ?)


だが、雪音は言ったのだ。


──中を覗いたら、分かりますからね?


その言葉に、琴は抗えなかった。

あの少女の瞳は真剣で、決意を帯びていた。


だから従った。

だが、今になって胸の奥で後悔が渦を巻く。


(雪音様は⋯⋯何をお考えなのですか⋯⋯?)


時也の知らぬところで

雪音の力が漏れてしまった。


未来を視るという秘密が。


それは、双子がずっと隠し続けてきたもの。


それを父に知られてしまった今──

彼女は時也と同じく

〝利用価値のある存在〟として扱われるだろう。


─時也だけが全てを背負う必要はない─

と。


─私にも兄と同じように価値がある─

と。


─だから、この手を取れ─

と。


兄の苦しみを、半分受け持つ為に。

それが、雪音の決断だった──



父は文を畳み、ゆるりと息を吐いた。


その眼差しは冷徹で

しかしどこか、狂喜に似た光が潜んでいた。


「……面白い」


それは、娘を褒めた言葉ではない。

新たな駒を得たことへの歓喜の声だった。


紙灯籠の炎がまた揺れた。

血の匂いはまだ──無い。


だが未来には

確かに流れるはずの血が記されている。


雪音は──その未来すら見据え

自らの手を差し出したのだ。


幼い双子の運命は

またひとつ、重い鎖に繋がれていった──⋯

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