第36話 運命の双子
──三年の歳月は
幼子にとっては永遠にも等しく
また一瞬にも過ぎ去る。
櫻塚家の双子──
時也と雪音は、やがて三歳を迎えていた。
雪音が暮らす場所は
未だ変わらぬ地下の座敷牢。
分厚い土壁と石畳に囲まれ
日の光は差し込まぬ。
僅かに吊るされた灯明の炎が影を揺らしながら
薄暗い空気を照らすばかりであった。
その牢の中
二人は向かい合い
小さな手毬を投げ合っていた。
この閉ざされた世界で許された遊具は
ただそれ一つ。
しかし、幼き二人にとって
それは唯一無二の宝であり
ささやかな喜びであった。
「んっ──」
雪音が小さな両手を使い
不格好ながらも精一杯に毬を放る。
時也は笑みを浮かべ
よろめきながらもそれを受け取り
また雪音へと投げ返す。
そのたびに
狭き牢の空気に幼子らしい笑い声が弾け
沈鬱な場所にひとときの明るさが宿った。
その光景を
隅で控えた青龍が静かに見つめていた。
銀白の髪は灯明に淡く照らされ
山吹色の瞳は、双子の動きを余さず捉える。
その時、青龍の視線を引いたのは
雪音の所作であった。
時也が手毬を受けた瞬間
雪音は既に次の動きに入っている。
その手は迷いなく、軌道の先を捉える。
三歳の幼子が
偶然でかような正確さを見せることなど
あるまい。
「……ほう」
青龍の口から、低い声が漏れた。
興味と違和感、その両方を孕んだ声音である。
彼は試みに
手毬を拾い上げると、床へと強く投げつけた。
毬は、ぽん、と軽やかな音を立て
壁にぶつかり、思わぬ方向へと跳ね返る。
だが──
雪音は反射の前に既に手を動かしていた。
まるで、毬が跳ね返る方向を
〝わかっている〟かのように、迷わぬ動き。
小さな手は寸分違わず、跳ねる毬を掴み取った。
「これは……」
青龍の眉が僅かに寄せられる。
ただの偶然、などでは説明できぬ。
彼は、さらに何度も試した。
左右、斜め、予測不能の角度から。
だが雪音は常に寸刻早く動き
すべての軌道を先取りする。
それは〝予測〟などではない。
まるで──
〝未来を知っている〟かのようであった。
一方で、時也は違っていた。
跳ね返る毬には全く反応できず
必死で跳ねる毬を目で追うも
掴み損ねることもしばしば。
だがしかし──
時也は青龍が投げる〝前に〟
既に動き出していた。
どこへ向かって投げようとしているかを
まるで〝聞こえている〟かのように。
(……時也様も、雪音様も……)
青龍の胸に
確信に似た思いが芽生え始める。
この双子には
凡ならざる力が宿っている──
そう思った、その時だった。
毬を追っていた時也が、不意に動きを止めた。
そして、じっと青龍を見上げる。
(……時也様?)
青龍は思わず胸中で名を呼んだ。
だが次の瞬間──
「……なぁに? せいりゅう」
時也が、幼い声でそう答えた。
青龍の全身に、冷たい違和が走った。
胸奥で響かせた己の思考に
人の子が応じるなど有り得ぬ。
だが、確かに今
時也は自分の〝心の声〟に返答した。
(まさか……この子は──)
息を呑む青龍の胸を、戦慄が貫いた。
試すように、青龍は心の中で言葉を紡いだ。
(……時也様、雪音様。
私に手毬を取っていただけますでしょうか?)
声には出さない。
誰にも聞こえぬ、ただの思念にすぎない。
だが──
時也は、当然のように立ち上がった。
まだ頼りない足取りでふらりと揺れながらも
転がる毬へと迷いなく進む。
小さな手でそれを拾い上げ
青龍のもとへと持ち帰った。
その顔に驚きも得意もない。
ただ〝求められたから応じた〟という
自然な振る舞いであった。
「……っ!」
青龍の喉が震え、無意識に息を呑む。
ありえぬ、と自ら否定した現実が
目の前で立ち現れていた。
──この子は、心を読める。
「てて様に……言うの、だめ」
幼い声が、青龍の耳朶を打った。
振り向けば、そこに雪音が立っていた。
小さな手で青龍の袖をぎゅっと掴み
その大きな鳶色の瞳で訴えてくる。
「てて様に、言うの……だめ」
たどたどしい言葉で、それでも必死に繰り返す。
青龍は息を呑む。
彼が「父に告げるか」と思ったのは
ほんの一瞬前のこと。
それを察し、止めに入ったとしか思えなかった。
(……やはり、お二方とも!)
青龍の胸に、確信が走る。
時也には〝人の心を読む力〟が──
雪音には〝未来を見通す力〟が──
双子は生まれながらに
この世の理を外れた存在。
掟が言う〝災厄〟は
まさしく彼らを指していたのかもしれない。
だが──
青龍の目に映る二人は
ただ小さく、か弱く、無垢でしかなかった。
どうして──災厄、などと呼べようか。
「……存じております、雪音様。
お二方のことは、決して口外は致しませぬ」
青龍は低く、しかし揺るぎない声音で告げた。
雪音は青龍を見上げ
その視線をじっと受け止める。
やがて小さく瞬きをし、時也へと視線を向けた。
時也は静かに、こくりと頷く。
その一連のやり取りに
青龍はさらに確信を深める。
二人は言葉ではなく──心で通じ合っている。
たとえ三歳の幼子であっても
互いの力を無意識に支え合い
生きる術を学びつつある。
──これは偶然ではない。
──これはきっと、運命である。
座敷牢の灯明が小さく揺れ、影を壁に踊らせる。
その影の中、双子は並び立ち
青龍は静かに彼らを見つめ続けた。
まだ幼き命でありながら
彼らは既に〝力〟を持ち
〝宿命〟に縛られ始めている。
その運命が、祝福か──呪詛か。
答えはまだ、誰にも分からなかった。
ただ一つ確かなのは──
この双子の存在が、櫻塚家の未来を
いや、この世界そのものを
大きく揺るがす因果の中心にあるということ。
そして青龍は、その始まりを
今、まさに目の当たりにしていたのであった。




