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紅蓮の嚮後 〜桜の鎮魂歌〜  作者: 佐倉井 鱓
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第33話 その苛立ちは本物

冷たい風が、喫茶桜の裏庭を抜けていった。


散り落ちた桜の花弁が渦を巻くように舞い上がり

伐られた幹の間を彷徨いながら

淡い光を反射する。


空気は張り詰めていた。


誰かの息遣いさえ

桜の残香に紛れて消えるほどに──⋯


ソーレンは伐採された幹のひとつに片足を乗せ

斧の柄に手を預けたまま

口の端に煙草を咥えた。


灰をひとつ、ぽとりと落とし

薄笑いを浮かべながら言った。


「お前の能力がどれ程のもんか

確かめとく必要があるだろ?

──後は、純粋に……興味本位だ。」


煙草の先が、夕闇の中で微かに赤く灯る。


その明滅が、彼の琥珀の瞳に宿る好奇心と

抑えきれぬ衝動を交互に照らした。


レイチェルはその視線を受け、思わず息を呑む。

彼の目の奥に見えたのは、ただの探求ではない。


もっと鋭く、もっと危うい──

破壊と挑発の匂いを孕んだ何かだった。


それでも、足元の木々が告げている。


この場所に潜んでいたのは

人ではなく、脅威だった。


アリアの血を狙う〝ハンター〟たち。


この裏庭は

静けさの裏で──戦場の名残を抱えている。


喫茶桜で働くということは

〝ただの店員ではいられない〟ということだ。


「でもよ。

目の前に俺がもう一人いるってのは……

なんかアレだな?」


ソーレンは煙を吐き出し、口角を上げた。


その笑みは軽いようでいて

試す者の鋭さを帯びていた。


「時也になってみろよ。

アイツとは何度も手合わせしてるからな。

もし異能がコピーできるなら

その程度も測れる」


レイチェルは一瞬だけ目を伏せ

静かに息を吸い込む。


「……わかったわ。

時也さんになればいいのね?」


目を閉じると、世界が遠のいた。


自分の思考が静かに薄れ

代わりに──別の鼓動が流れ込んでくる。


櫻塚 時也の声、思考、体温。

彼の理性の形、彼の呼吸の間合い。


それらが、ゆっくりと自分の中へ溶けていく。


やがて〝自分〟という輪郭が淡く滲み

別の人格がその内側から花開くように広がった。


──目を開いたとき。

レイチェルの瞳は、鳶色に変わっていた。


黒髪は黒褐に染まり、肩の線は広がり

その立ち姿は、どこまでも凛としていた。


藍の着物が風に揺れ

袖口から覗く指先は綺麗に揃えられ

指揮者のように静謐で美しい。


そこに立つ気配は、確かに〝櫻塚時也〟だった。


「おお……」


ソーレンは煙草を咥え直し、低く笑う。


「──マジで、腹立つ顔になったじゃねぇか」


その笑いには、わずかな苛立ちと

抑えきれぬ警戒が滲んでいた。


彼の前にいるのは〝レイチェル〟のはずなのに

その目は、穏やかで、どこまでも冷静。


誰かの心を読み解くような

静かな光を宿している。


それはまるで、本物の時也そのものだった。


「では──始めましょうか。ソーレンさん。」


凛とした声が響く。

優しさと威厳が交錯した声音。


わずかな呼吸の間合いの取り方すら──

完璧に時也のもの。


ソーレンの目が細められる。


「……ほう。思ったより完璧じゃねぇか」


「ええ。

貴方が鍛錬を怠っていないか──

見極めさせていただきますね」


微笑んだ顔は柔らかく、それでいて揺るがない。

その佇まいが、ソーレンの奥底に何かを刺した。


(……こりゃ、少しマズいな)


拳を握る指先に力がこもる。


たかが、擬態──

これほどまで〝完全〟とは想定していなかった。


もしこの姿で

時也の異能や術式まで再現できるのなら──

試すつもりだった自分が

逆に〝試される側〟かもしれない。


だが、その緊張の底で

ソーレンは妙な高揚を覚えていた。


抑えきれない興奮と

どこか嬉しさに似た苛立ちが

胸の奥でせめぎ合う。


彼は煙草を投げ捨て、足で火を踏み消した。

薄紅の風が吹き、花弁がふたりの間を舞う。


──そして、二人の影が静かに向き合う。


夕暮れの光が琥珀と鳶の瞳を照らし

裏庭に張り詰めた空気が

ひとつの戦いの始まりを告げていた。


「──よし、行くか」


低く呟いた声に、琥珀の瞳が鋭く光を宿した。


それは獲物を狙う狼のそれに似て

冷たい空気を一瞬で研ぎ澄ます。


裏庭が静寂に、沈む。


だが、その静けさは

嵐の前に訪れる不気味な静寂だった。


張り詰めた空気が

肌を刺すほどに緊迫している。


「その前に、ソーレンさん。

結界を張らせてください。

貴方の無鉄砲な攻撃で

お店が壊れるのは避けたいですから」


時也の姿をしたレイチェルが

袖口から一枚の護符を取り出した。


指先が軽く翻る。


その瞬間、薄紫の光が護符の表面に浮かび

生き物のように揺らめきながら

空間へと解き放たれた。


淡い輝きが庭の石畳を這い

壁を舐めるように伝う。


やがて光は形を成し、静かな結界が展開された。

空気の密度が変わり、風さえも沈黙する。


「あー……

そんな、人をおちょくってるとこまで

コピーしてんのかよ」


ソーレンは煙を吐き出しながら

呆れたように言った。


しかしその口元には

険しい笑みが浮かんでいる。


「おちょくってなど……

本当のことを申し上げただけですよ」


穏やかに笑むその姿は

まるで本物の時也そのもの。


柔らかな表情、呼吸の間、視線の動き──

どれもが完璧に再現されている。


彼がそこに立っていることに

何の違和も感じさせなかった。


ソーレンの額に、かすかな怒気が滲む。


分かっている。

目の前のそれは〝レイチェル〟だ。


だが、あまりに精緻な擬態が

理性よりも先に本能を刺激した。


──苛立ちが、血の底で沸き立つ。


「なぁ……レイチェル?

痛みは異能の解除後も残るのか?」


「はい。ですが⋯⋯手加減は不要かと」


時也の姿のレイチェルが、穏やかに微笑んだ。

その笑顔が、さらにソーレンの癇に障る。


「……あぁ、そうかよ。

なら、後でアリアに治療を頼んでやるよ!!」


怒声と共に、ソーレンが地を蹴り上げた。

大気が裂け、音が歪む。


「──六根清浄……急急如律令」


レイチェルは両手を前に掲げ、印を結んだ。


その瞬間、指先から薄紫の光が溢れ

瞬く間に結界が再び展開される。


「チッ……!」


重力を纏ったソーレンの拳が振り下ろされる。

鉛の塊のような一撃が、結界に叩きつけられた。


轟音が響き、結界が波紋のように震える。

だが、光の壁は──耐えた。


「クソッ……!」


さらに力を込める。

結界の表面に亀裂が僅かに走り、紫の光が滲む。


空気が震え、桜の花弁がひとひら舞った。


「……っらぁ!!」


怒号と共に拳が振り下ろされる。

次の瞬間、結界は粉砕された。


砕け散る紫光が、花弁のように宙を舞い

夜気に溶けて消える。


ソーレンの拳が時也の顔面を狙う。

だが、空を切った。


「──くっ!」


その拳は合気の動きでいなされ

巨躯は流れるように宙へと弾かれた。


風が渦を巻き、重力が唸る。


ソーレンは空中で体勢を立て直し

重力の壁を蹴って反転した。


逞しく、長い脚が空を裂く。


「……っらよッ!」


しかし、その動きすら読まれていた。


「やれやれ……」


時也の姿をしたレイチェルが軽く手を振ると

地面が蠢き、無数の桜の枝が一斉に伸びる。


枝はまるで意志を持つかのように

ソーレンの脚を蛇のごときしなやかさで狙う。


「チッ……!

時也の植物操作も、読心術も──

しっかりコピーしてやがる!」


ソーレンは咄嗟に飛び上がるが

背後から伸びた枝がさらに迫り、逃げ場を塞ぐ。


「読心術で読めても……

逃げ切れねぇ距離の力で、捻り潰してやるよ!」


歯を食いしばり、空間を歪ませる。


重圧が辺りを包み

風が軋むように悲鳴を上げた。


その、瞬間だった。


「──がっ!?クソッ!」


背後から無数の蔓が襲いかかり

ソーレンの逞しい身体を拘束した。


重力の壁を展開する直前

枝が身体を縛り上げる。


ライダースの革が軋み

筋肉が締め上げられ、喉が呻いた。


「まったく……

お二人とも、戯れが過ぎますよ?」


静寂を裂く声が響いた。


「──!?」


振り向いた先に、本物の櫻塚時也が立っていた。


淡い光に包まれたその姿は

穏やかな笑みを湛えながらも

瞳の奥には鋭い刃のような光を宿していた。


微笑の裏で、何を思っているのか。

その表情は読めない。


二人の〝時也〟が並び立つ光景は

あまりに精巧で、あまりに不気味だった。


まるで

どちらが本物かを問われれば

誰もが迷う程に同じ空気を纏っていた──


風が止まり、花弁が静止する。

時間までもが息を潜めたように。

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