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紅蓮の嚮後 〜桜の鎮魂歌〜  作者: 佐倉井 鱓
重力を司りし者

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24/40

第24話 桜の権化

─女みてぇな奴─


それが

アイツを初めて見た時の、俺の第一印象だった。



桜の幹からゆっくりと産まれ出たソイツを

俺は重力操作でふわりと持ち上げ

慎重に引き抜く。


そして、そのまま地面へと降ろした。

足が大地を踏みしめる。


それと同時に

ソイツは初めてこの世界を知るように

ぼんやりと辺りを見渡した後、俺の顔を見た。


「⋯⋯貴方は?

僕は⋯⋯いったい⋯⋯?」


まだ意識が朦朧としているのか

ソイツの鳶色の瞳は微かに揺らいでいた。


黒褐色の長い髪が、静かに風に靡く。

端正な顔立ち。

何処か儚げな雰囲気を纏うその姿。


俺は、じっとソイツを見下ろした。


(なんだ?こいつ⋯⋯女みてぇな顔しやがって)


俺は無意識に歯を食いしばる。

青龍に比べられ続けた相手が──これか?


なんだか、腹が立ってきた。


「はっ!⋯⋯よぉ、麗しいお嬢さん?」


俺は皮肉たっぷりに言った。


「生憎⋯⋯俺には、名が無くてなぁ」


青龍が、小さく息を呑む気配がした。


ソイツは、ぼんやりと俺を見ていた。

何処か、まだ夢の中にいるみたいな表情で。


すると、青龍がずっとこの日の為にと

繕っていた服を手に静かに足元に傅いた。


「⋯⋯時也様、お召し物を」


ソイツ⋯⋯青龍が〝時也〟と呼ぶ男は

青龍が差し出した服を見つめる。


そしてゆっくりと手を伸ばし、袖を通し始めた。


その動きは

身体の感覚を確かめるように慎重だった。


青龍の山吹色の瞳が──静かに俺を射抜く。


「貴様、少しは口を慎め」


と言いたげな視線だったが、俺は気にしねぇ。


服を整えながら

ソイツの瞳が、真っ直ぐに俺を捉えた瞬間──⋯


─微笑みやがった─


まるで、全てを見透かすような微笑みに

僅かに肌が粟立つ。


「⋯⋯名がないのは、不便でしょう。

僕が、名付けても構いませんか?」


俺は、思わず言葉を失った。


〝名が無い〟なんて話──

普通なら嘘だと思うだろ?


皮肉だと思うだろう?


なのに⋯⋯こいつは。

まるで何の疑いも無く、さらっと言いやがった。


「⋯⋯⋯っ」


俺は思わず、無意識に一歩後退る。


─なんなんだ、こいつ─


〝名を持たない〟事が

ずっと当たり前だった俺にとって

コイツの言葉は──あまりにも異質だった。


そんな俺の様子を見た青龍が

静かに頭を下げた。


「時也様。この者の無礼をお許しください」


俺は、はっとして──その男を見た。


時也は穏やかな顔のまま

青龍の言葉に耳を傾けている。


「この者は⋯⋯

魔女の異能を持っておりましたので

この青龍が拾いました」


そう言いながら、青龍は俺をじっと見据えた。

まるで──〝覚悟を決めろ〟と言うように。


「どうか、お名付けください」


俺の名を⋯⋯こいつが?

そんな事、考えた事もなかった。


⋯⋯なのに。


時也は服の襟を整えながら

まだ朧気な顔のまま、考えるように黙っていた。


しかし、漸く頭が冴えてきたのだろうか?

時也の顔に、ハッとした表情が浮かんだ。


「⋯⋯アリアさんっ!」


その声は、切実な響きを持っていた。


「彼女は──どこに!?」


その言葉が発せられた瞬間

俺は、見てしまった。


青龍の顔に

初めて見る〝憂い〟が浮かんだのを⋯⋯。


「アリア様⋯⋯

奥方様は、ずっと其処で──

貴方様をお待ちしておりました」


青龍が視線を向けた方へ

時也もまた、ゆっくりと顔を上げる。


その鳶色の瞳が、微かに揺れた。


俺には

その目の中の感情が何なのかは分からねぇ。


ただ、確かに揺れ動いていた。


それは──

笑うようであり、泣きそうでもあり⋯⋯


何かを押し殺すような

それでいて堪えきれないような

そんな目だった。


時也は

まだ生まれたての小鹿のような足取りで進むと

桜の幹の根元、アリアの結晶に縋りついた。


「アリアさん⋯⋯っ!

あぁ、なんて事⋯⋯

こんな⋯⋯こんな、お姿に⋯⋯っ!」


─僕の所為だ⋯⋯っ!─


その声は

張り裂ける程の悲痛な響きを孕んでいた。


細い指が、結晶の表面をなぞる。


其処に閉じ込められた彼女を

震える手で、どうにか掴もうとするかのように。


届かないと分かっていながら、それでも⋯⋯


時也は

大粒の涙を隠す事もなく、嗚咽混じりに叫んだ。


それは──

〝悲しみが産まれた産声〟のように聞こえたよ。


俺は、それをただじっと見ていた。


⋯⋯俺は、愛なんてものは知らねぇ。


だからこそ、その姿が

どうしようもなく情けなく見えたんだ。


俺は、どれだけ泣いたって喚いたって⋯⋯


差し伸べられる手も、温かな声も

〝野良犬〟の俺には、一度も無かったからな。


「⋯⋯あーあー。見てらんねぇな?」


俺は、冷めた声で呟いた。


拳を握り締めながら

それでも何処か、苛立ちを隠せないまま。


「女みてぇに、びーびー泣きやがってよぉ。

泣いて、変わる事でもあるのかよ?」


俺の言葉が響いた瞬間──

時也の震えていた背中が、ピタリと止まった。


ゆっくりと、俺の方へ振り返る。


(⋯⋯さすがにキレたか?)


一瞬、身構えた。

だが──違った。


俺の目に映った鳶色の瞳に

怒りの色は、無かった。


時也は、ぐしゃぐしゃの涙と鼻水塗れの顔で

俺を暫くの間、言葉も発さずにじっと見つめる。


(何だ、コイツ。

俺を見ながら⋯⋯別の何かを、見てるような?)


やっと視線を外したかと思えば

そのまま静かに、また大粒の涙を流した。


「⋯⋯えぇ。

貴方の⋯⋯仰る通りですね」


涙に濡れたままの声で、時也は言った。


「お見苦しい所をお見せして⋯⋯すみません」


そう言って、時也は地面に膝をついた。


そして──

指を丁寧に並べ、深々と頭を下げた。


俺は、一瞬

何が起こっているのか分からなかった。


⋯⋯何故だ?

普通、此処で謝るか?

俺は、こいつを侮辱したんだぞ?


それなのに

こいつは⋯⋯何で俺に、頭を下げる?


俺は混乱したまま、時也の姿を見下ろした。


やがて、ゆっくりと顔を上げた時也は

寂しそうに、微笑んでいた。


「貴方はもう⋯⋯〝野良犬〟ではありません」


俺は、息を呑んだ。


(今⋯⋯野良犬っつったか?

何で⋯⋯知って⋯⋯っ)


そして、次の言葉が俺の耳に届く──


「先ず、貴方に名を授けましょう 」

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