第21話 丘の迷信と紅い宝
森の奥
闇に沈む樹海の向こうに
一本のバカでかい桜の木がある。
そこに──例の〝女〟がいる。
漸く最後の一人から、搾り取った情報だった。
俺は、既に勝ったも同然の気分だった。
長かった狩人狩りも、もう終わりだ。
俺は直ぐにでも〝宝〟を手に入れられる。
─不老不死の血─
─奇跡の涙─
どちらも、俺のものになる。
血なんざ、絞り取ればいくらでも出る。
涙だって、女なら少し殴れば直ぐに流すだろう。
そう思った俺は
浮かれながら森の奥へと向かった。
⸻
森の奥へと足を踏み入れると、空気が変わった。
街の喧騒から切り離された静寂。
夜の闇に沈む木々は、どこか異質で──
まるで〝生きている〟ように、ざわめいている。
風が吹き抜ける度に、枝葉が微かに震え
不気味な囁きを漏らす。
でも、俺は気にしなかった。
これまで何度も
この森で狩人どもを狩ったんだ。
今さらビビる理由なんざ──何処にもねぇ。
森を抜けると、小高い丘が現れた。
その頂には〝桜の大樹〟が立っていた。
夜闇に浮かぶ、その巨大な樹。
月の光を受けて、白く光る花弁が舞う。
その姿はまるで
現実のものじゃないように幻想的で⋯⋯
そして──何処か不気味だった。
「⋯⋯へぇ」
俺は思わず、息を呑んだ。
バカでかいとは聞いていたが
此処までとは思わなかった。
それにしても
こんな近くに〝そんな大物〟がいたなんて
誰も知らなかったのか?
俺だって今までこの街で生きてきたが
そんな話は一度も聞いた事がなかった。
でも、よくよく考えてみれば
街の人間は決して、森に入ろうとしなかった。
ましてや
この丘へ登る事は、徹底的に禁じられていた。
ガキどもは、寝物語に聞かされるらしい。
「呪われたくなければ
なんびとたりとも近付いてはならない」
──と。
俺には
そんな話をしてくれる奴なんざいなかったから
詳しい内容は知らねぇ。
だけど、大雑把に聞いた事くらいはある。
大昔──
この丘へ足を踏み入れた悪ガキどもが
全員相次いで不審な死を遂げた。
噂話程度の、くだらねぇ迷信だ。
そう思っていた。
俺にとっちゃ、そんな噂よりも
目の前の獲物の方がよっぽど大事だった。
「⋯⋯呪い、ねぇ?」
俺は鼻で笑う。
迷信なんざ、信じるつもりはなかった。
だってこの女は──
〝呪われた森〟だからこそ
誰も来ねぇ此処に逃げ込んでるんだろ?
じゃあ
呪いなんてものはねぇって証拠じゃねぇか。
俺は、そう確信していた。
そして、そのまま
何の迷いもなく丘へと足を踏み入れた。
丘の頂上へ向かう途中で、俺はふと足を止めた。
妙だ──
今までの道とは、何かが違う。
踏みしめた土は
ただの獣道とは思えねぇ程、滑らかだった。
それどころか
随分と古くなってはいるが
〝整えられている〟ようにすら感じる。
まるで
誰かの手が、過去に入っていたかのように⋯⋯
俺はゆっくりと周囲を見渡す。
すると、道の両端に整然と並ぶ
〝桜の並木〟が目に入った。
まるで道を示すように
丘の頂上まで一直線に伸びている。
これは⋯⋯自然のものじゃねぇ。
〝植えられた〟ものだ。
つまり⋯⋯この森にも、この丘にも
人が入っていた確たる証だ。
呪いの森?
立ち入ってはならない場所?
はい、迷信だって確定だろ。
俺は鼻で笑った。
そうだよな。
誰も近付かない筈の場所に
こんな〝道〟がある訳がねぇんだから。
結局のところ
ただのガキを脅す為の作り話って事だ。
ほら、こうして
実際に足を踏み入れちまえば答えは明らかだ。
呪いなんざ、ありゃしねぇ。
俺は気楽に鼻歌を口ずさみながら、道を進んだ。
足取りは軽かった。
今日で俺の人生は変わる。
この手で──〝宝〟を手に入れるんだからな。
そして、俺は丘の頂上に辿り着いた──⋯
⸻
目の前に聳えるのは、バカでけぇ桜だった。
目の前に立った瞬間、思わず息を呑んだ。
圧倒される──という感覚を初めて知った。
桜の巨木は、空へ向かって枝を広げていた。
幹は太く
根は丘の土をしっかりと噛み締めている。
その姿は、ただの桜というには──
あまりにも異様だった。
しかも⋯⋯
─春でもねぇのに、満開に咲いてやがる─
枝という枝に咲き誇る白い花が
月光を受けて淡く輝いていた。
花弁が静かに舞う。
夜風に乗って、ふわり、ふわりと。
その光景は、息を呑む程に美しく幻想的だった。
俺は⋯⋯知らなかった。
こんな景色が、この世にあることを。
街の中じゃ、空を見上げる余裕なんて無かった。
ただ食う為に
ただ生きる為に──
地面ばかり見ていた。
だから
こんな美しさがある事すら知らなかった。
⋯⋯綺麗だ。
正直に、そう思った。
けど同時に、背筋に冷たいものが走る。
何かがおかしい。
理屈じゃねぇ。
ただの桜の筈なのに
見てはいけないものを見ているような感覚。
そして──俺は、見つけた。
桜の幹の根元。
其処に〝それ〟は存在していた。
月明かりに照らされ、淡く輝く──紅。
透き通るような、水晶のような結晶。
その中に──
〝女〟が眠っていた。
俺は、一瞬
時間が止まったような錯覚に陥った。
⋯⋯なんだ、これは。
それは、桜なんて霞むほどの美しさだった。
水晶の中に閉じ込められたまま
祈るように胸の前で手を組む〝女〟の姿。
長い金色の髪が
水の中のように揺らめいていた。
まるで、光そのもののように淡く煌めき
流れるように広がっている。
形の整った唇は
触れたら柔らかそうなほど繊細で
肌は透き通るほど白い。
閉じられた瞼の下
そこから⋯⋯〝紅〟が滲んでいた。
俺は、凝視する。
水晶の中は、液体のようだった。
けど、それが何なのか理解するのに
そう時間は掛からなかった。
─こいつは、泣いてやがる─
─結晶の中で、延々と─
俺は、じっとその姿を見つめた。
動かない。
ただ、閉じられた瞼から紅が滲み続ける。
何度も、何度も。
止まる事無く、延々と。
それを見て、俺は──何も思わなかった。
ただ〝巨大な宝石〟を見つけた気分だった。
これを売れば俺はもう一生
苦労なんざしなくて済む。
そう⋯⋯
ただ、それだけを考えていた。




