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『紅蓮の嚮後 〜桜の鎮魂歌〜』優しさほど深く壊れる、美しき地獄の異能譚   作者: 佐倉井 鱓
記憶を喰らう者

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第141話 美しき脚本家

男の足取りは

まるで壊れた機械のようにぎこちなく

真っ直ぐ立っていることすらできていなかった。


それでもBAR Schwarzのスタッフたちは

丁寧に、しかし容赦なくその腕を取り

両脇から支えるようにして彼を引き摺っていく。


誰も何も言わない。

客たちも見ない。


音楽は途切れることなく流れ続け

グラスの中の氷がカランと音を立てていた。


男は自分がどうなるか

もう考えることもできなかった。


恐怖と苦痛に心を焼かれ

呆けたように口元を開いたまま

ただ、されるがままに店の奥──


決して客の目に触れぬ、裏の扉へと消えていく。


アラインは、それを一瞥もせずに背を向けた。

彼にとっては、それで良い。


あれはもう〝情報〟ではなく

ただの〝ノイズ〟に過ぎない。


カウンターの内側、棚の奥から

漆黒の革で装丁された一冊の手帳を取り出す。


銀の金具をカチリと外し

その中ほどのページを開いた。


そこに、二枚の写真が差し込まれていた。


一枚は、着物を纏った黒褐色の長髪の青年。

柔らかな笑みと、瞳の奥の冷徹さ。


もう一枚は、鋭い眼をした大柄な男。

不機嫌そうな横顔と、夜の獣のような気配。


アラインの指先が

ゆっくりと二枚の写真を抜き取る。


その瞬間、瞳がふわりと細められ

口元にどこか陶酔したような笑みが浮かぶ。


まるで恋人に触れるように

写真の縁をなぞりながら、喉の奥で甘く呟く。


「──ねぇ。

どれだけ、壊せば気が済むの?」


二人の顔を見つめながら

まるで人形に話しかけるようにゆっくりと

言葉を落とし込んでいく。


「こんなにも、可愛くて、危険で⋯⋯

誰にも止められないくせに

ボクの〝舞台〟だけは

ちゃっかり踏み抜いてくるんだね⋯⋯?」


「⋯⋯時也⋯⋯ソーレン⋯⋯」


彼らの姿を想起するたび、身体の芯がざわめく。

壊しても壊れない、あの愉悦。


計画の上で邪魔なはずなのに

否応なく引き寄せられる存在。


「⋯⋯賭場なんて、所詮は遊び。

キミたちが壊したのは

最底辺の〝枝葉〟に過ぎない」


二人の写真を胸元のポケットにしまうと

アラインはそれを布越しに撫でた。


計画は、すでに進んでいる。

賭場など、所詮は資金源の一つ。


喪失しても〝本筋〟は崩れない。


なぜなら──

〝記憶〟という基盤を操れるのは

この世界において、アラインだけだからだ。


金も、構造も、組織も、いくら壊されようとも

記憶を塗り替えてしまえば

全て無かったことにできる。


それが、彼の持つ──狂気の〝神性〟


アラインはカウンターに戻り

何事もなかったかのように

入って来た次の客に向け、静かに笑った。


「⋯⋯いらっしゃい。

今日は、どんな嘘を飲みに来たの?」



「ふふ。〝アレ〟借りれたんだ⋯⋯?

キミみたいな優秀な子には、ご褒美をあげよう。

VIPルーム──使うだろう?」


アラインは

グラスを傾ける女の耳元に囁くように言った。


その声音は絹のように甘く

冷たい色気を含んでいた。


女の頬が紅潮し

グラスを持つ手が小さく震えた。


彼女は頷き、微笑む。


その顔に疑いはなかった──

それが選ばれた者だけに与えられる

報酬だと信じていた。


BAR Schwarzの最奥

選ばれた者しか足を踏み入れられない〝劇場〟


艶やかな深紅のカーテン。

防音処理された静寂の間。

温かなキャンドルライトの下。


空気さえも愛撫するような甘い香が漂っていた。


そのベッドの上、アラインの腕の中で

女は蕩けるような吐息を何度も漏らしていた。


快楽に満たされた瞳で見上げるその先

アラインは髪を掻き上げ

ゆるやかにその額へ口づける。


「ねぇ、キミは⋯⋯ボクに愛を教えられる?」


問いかけは柔らかく

まるで愛を求めるような声音だった。


だがその瞳には、愛も欲もなかった。


あるのはただ〝昂ぶりの出口〟を探すための

道具としての、女への視線。


しばし続く甘美な静寂。


だがアラインの内側では

別の何かが渦巻いていた──


櫻塚 時也。

ソーレン・グラヴィス。


名を呼ばずとも

脳裏に焼きついた彼らの動き、気配、殺気。


この昂ぶりを、何にぶつければ満たされる?


そう思った時

掌の中にあったものが──ちょうどよかった。


アラインの手が、女の細い首へと滑る。

掌を当て、優しく、包むように──

ゆっくり、ゆっくりと締まっていく。


血で床を汚したくなかった。


なにより、手と肌で〝命が尽きる感覚〟を

直接味わいたかった。


女は最初こそ甘く笑っていたが

やがて目が見開かれ

呼吸がうまくできないことに気付く。


爪が肌に食い込み

心臓の鼓動が狂い

肺が求める空気が奪われ

女の目が困惑と恐怖の狭間で揺れる。


やがて、痙攣は静かに──沈みこんでいった。

瞳が虚ろに濁っていく。


「⋯⋯ありがと。ちょっと、スッキリしたよ」


アラインは

命が抜けた身体を丁寧にベッドへ横たえ

その瞼を閉じさせた。


ベッドの端に座りながら、乱れた髪を結い直し

白いシャツの襟元を整える。


鏡を見れば、そこにはいつもの

〝完璧なバーテンダー〟の顔があった。


だがその胸の奥で

まだ熱は完全に冷めていない。


彼は静かに胸元 から二枚の写真──

鳶色の瞳を持つ男と

野生の気配を纏う男

それを抜き取ると、指先で縁を撫でた。


「⋯⋯壊された、って聞いた時。

ほんの少しだけ⋯⋯ね。

ボクも、愉しかったんだよ」


銀のライターの火が、写真を静かに炙る。

燃える紙の香りとともにアラインは目を細めた。


「⋯⋯でも、忘れちゃダメだよ?

舞台はね、役者が壊したつもりでも──

脚本家が書き換えれば何度でもやり直せるんだ」


写真は灰になり

ゆっくりと空気に溶けていった。


アラインは立ち上がり

再びあの静かな扉の先へと向かう。


「さあ──

次は、誰に〝役〟を与えてあげようか」


微笑は美しく

けれど、どこまでも冷たく狂っていた。

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