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紅蓮の嚮後 〜桜の鎮魂歌〜  作者: 佐倉井 鱓
手は繋げずとも

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第120話 猫の気まぐれ

不思議な静寂が、結界の内側を包んでいた。


水面のように揺れる壁に囲まれながらも

そこに籠るのは不穏な気配ではなかった。


むしろ

結界の中はどこか陽だまりのように暖かく

風に揺れる葉擦れの音が

外から微かに響いていた。


青龍は膝の上に丸くなった猫の

柔らかな毛並みに指を滑らせながら

ふぅ、と息を吐く。


「不思議な猫だが⋯⋯

まぁ、たまにはこんな時間も良かろう」


幼子の姿の青龍にとって

その柔らかな温もりは

ほんの僅かな慰めのようでもあった。


だが、その油断の下にあるのは

明確な警戒心と計算された判断力。


(結界術を使う猫⋯⋯

必ずや時也様には、お見せせねばなるまいな)


(今は、機嫌を損ねて逃げぬよう⋯⋯

好きにさせておくのが得策か)


そんな思考を巡らせながら

猫の背を優しく撫でていたその時──


「⋯⋯玄関傍のあれ──なんだろ?」


「⋯⋯俺が行く。

お前は下がってろ。

ハンターの罠かもしれねぇからな」


ぼんやりと、しかし確かに

聞き慣れた二つの声が

風のように結界内に届いた。


青龍はゆっくりと視線を上げる。


水面のように揺れる壁の向こう──

一人の男の影が近付いてきた。


そして、次の瞬間。


ゆらりと揺れる結界越しに

ソーレンのぶっきらぼうな顔が現れた。


「は?何やってんだ、おめぇ⋯⋯

クソ警戒したろうが」


眉を顰めて結界を覗き込みながら

ソーレンは一歩踏み出しかけたが、足を止める。


結界に阻まれるように

その輪郭は微かに滲んで見えた。


「私とて──

好きでこのような状況下にある訳では無い」


膝に乗った猫を撫でながら

青龍は顔だけをソーレンへ向けた。


目元に僅かな苛立ちを滲ませながらも

口調は変わらず威厳に満ちていた。


「時也様を呼んできてくれんか?

その方が、話が早い」


ソーレンはしばし唖然としたように

青龍と猫を見比べたが──

やがて呆れたように溜め息を吐き、踵を返す。


「やれやれ⋯⋯

朝から面倒ごとばっかりだな」


その背が去っていくと

再び結界内は静寂に包まれた。


青龍は膝上の猫に目を落とし、ぼそりと呟いた。


「⋯⋯さて、お前は何者だ?

我が主を弄ぶような真似⋯⋯

決して、してくれるなよ?」


猫は応えることもなく

ただしっぽをふわりと揺らして

喉を小さく鳴らした。


「可愛い猫ね!

この猫が、こんな事してるの?」


レイチェルが結界越しに膝の上の猫を見て

ぱっと目を輝かせた。


レイチェルの良く通る声に

猫は一瞬だけ目を開けた。


長く柔らかな毛並みに

まるで宝石のように透き通った蒼の瞳。


その神秘的な雰囲気に

彼女の好奇心が一気に弾ける。


「そのようでございます。

故に、時也様に一度見て頂こうと

留めておきました」


青龍は相変わらず膝に猫を乗せたまま

静かに応える。


しかし、レイチェルは呆れ顔で肩を竦めた。


「留めて──っていうより

青龍が留められてるけどね?」


「それを言わんでくだされ⋯⋯」


青龍が、ぐぬぬと小さく唸ったその時

奥の通路から足音が聞こえた。


ソーレンと時也が、並んで姿を現す。


「おやおや、青龍。

猫と戯れて

戻ってこないのかと思ってましたが⋯⋯

妙な事に巻き込まれてますね?」


柔らかな笑みを浮かべながら

時也は結界の外側から青龍と猫を見下ろす。


その隣でソーレンは

やれやれといった表情をしていた。


「掃除の途中で、申し訳ございません」


いつもの口調ながら

青龍の顔には一抹の恥が浮かんでいた。


時也とソーレンが

並んで結界に手を伸ばしてみる。


水面のように柔らかく揺れるが

濡れることも押し返されることもなく──


まるで向こう側が別の世界であるかのように

手は中へ通らなかった。


「⋯⋯ふむ。

少し衝撃を与えてみましょうか」


時也が近くの桜に目を向けると

ひとひら、ふたひらと花弁が風に舞い──

やがて彼の周囲に渦を巻くように集まり出す。


一瞬で鋭い刃となった花弁が

結界に向かって放たれた。


キィン──⋯


水面のように揺れただけで

結界に傷はつかず、空気すら振動しない。


「全員、離れろ──俺がやる。

青龍⋯⋯潰されても、文句言うなよ?」


「ふん。

結界が解ければ直ぐに出れば良いだけの事だ。

構わぬ、やれ」


不敵に返す青龍の言葉に

ソーレンの口角が、僅かに吊り上がる。


時也とレイチェルが

後ろに下がったのを確認すると

ソーレンは腕を振り下ろすように

重力を結界に集中させた。


大気が唸り──地面が軋む。


ゴッ⋯⋯ッ!


結界の外周を囲む石畳が沈み込み、ひび割れ

足元の土が押し潰されて沈下する。


しかし、結界そのものと

その中の空間には──何の変化も無い。


「⋯⋯はぁ。

情けないな、その程度の力とは」


膝の上の猫を撫でながら

青龍がわざとらしく大きな溜め息をついた。


その一言に、ソーレンの眉間がピクリと動く。


「閉じ込められてる奴と

猫如きにバカにされてる気分だわ⋯⋯」


さらに力を込めて、加圧を高めていくソーレン。

地鳴りが激しさを増し、桜の枝が微かに揺れる。


しかし──


結界の内側は

変わらぬ静寂に包まれたままだった。


「⋯⋯ソーレンさん、落ち着いてください。

庭が崩壊します」


時也の落ち着いた声に

ようやくソーレンは舌打ちして腕を下ろした。


「⋯⋯恐らくですが

この結界内は〝異空間〟なのでしょう」


時也が再び、掌を結界に添えながら言った。


「全ての事象が遮断されている──

空間が異なれば、物理的にも

術的にも干渉できないのは道理です」


「私もそのように感じておりました。

私の爪すらも無意味でしょう」


「⋯⋯なら、なんで煽りやがったんだよ。

このクソチビ!」


ソーレンの目が険しくなるのと同時に──

ふわぁ、と欠伸をする音が

結界の中から響いた。


猫だった。


青龍の膝の上で丸まっていた猫が

ようやく眠りから目覚めたのか

背中を反らせて大きく伸びをする。


そして、のそのそと地面に降り

毛繕いを始めた──その瞬間。


パシャン──⋯


結界の壁が

静かに光を纏って波紋のように揺れ──

ゆっくりと、その存在ごと消滅していった。


あまりにも自然に、音もなく。


「⋯⋯え?」


レイチェルがぽつりと呟く。


そこにはもう結界は無く

猫を足元に侍らせた青龍が

ゆっくりと立ち上がる姿があった。


「⋯⋯やれやれ。

ようやく、出してやる気になったようだな」


そう言う青龍の足元に猫が擦り寄り

喉を鳴らしていた。

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