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紅蓮の嚮後 〜桜の鎮魂歌〜  作者: 佐倉井 鱓
蒼の戯れ

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118/197

第116話 男の意地

胸にこびりついた違和感は

まるで冷たい雨のように

時也の心にじわじわと染み込んでいた。


だが、それでも日々の営みは待ってはくれない。


翌日の喫茶桜は

いつもと変わらず静かに時を刻んでいた。


陽だまりに照らされた木製の床はぬくもりを帯び

店内には仄かに

コーヒーと焼き菓子の香りが満ちている。


時也はホールの隅

棚の前でひとり立ち尽くしていた。


その視線の先には、背の高い食器棚の上段。


手を伸ばしてもどうしても届かない場所に

調理で使うシロップの予備の瓶が収められている


「⋯⋯困りましたね」


ぽつりと呟き、棚の脇に目をやる。


だが、そこにあるはずの脚立は──

先日壊れて、処分してしまったのだった。


時也が困った顔で上を見上げていると

奥のキッチン側からソーレンがふらりと現れた。


「⋯⋯何、見上げてんだ時也?」


いつものぶっきらぼうな声に

時也は困った笑顔で振り返った。


「ああ、ソーレンさん。

実は上にある瓶を取りたいのですが──

生憎、脚立が壊れてまして

どうしようかと⋯⋯」


ソーレンも時也と同じように棚の上を見上げ

ふぅと、ため息をひとつ吐いた。


そのこめかみに貼られた

大きな絆創膏が、やけに目立っていた。


(⋯⋯バナナの皮で滑って転んだって⋯⋯

レイチェルさんが言ってましたね)


一瞬、思い出し笑いがこみ上げるが

表には出さずに、そっと目線を逸らす。


「肩車したら──届くんじゃねぇか?」


ソーレンが呟くように言い

無造作にぐっと屈む。


「でも、僕は着物なので⋯⋯

あ、僕が下になりましょう」


「はぁ?お前、俺を持ち上げられんのかよ?」


その物言いに、時也の眉がぴくりと跳ねる。

口元は笑っているが明らかに機嫌を損ねていた。


「平気ですよ。これでも⋯⋯僕も男ですし」


言い終えるや否や、時也は静かに屈んで構えた。


ソーレンが半信半疑で彼の肩に乗ると

ふらつきながらもしっかりと支えられる。


「おお!やるな!」


しかし、その直後──


「⋯⋯だけどお前、身体薄いな?

筋トレしてんのか?

俺のケツがずり落ちそうだぜ」


瞬間──

時也はその場で、グイッと反動を付けて

ソーレンを床に叩き落とした。


「貴方のおしりが!大きいんですよ!!」


ドン、と尻もちをついたソーレンは

衝撃に「ぐぇっ!」と、短く呻くと

尻を摩りながら目を丸くする。


「いってぇ⋯⋯!」


ちょうど通りかかったレイチェルが

カウンターの向こうから

くすくすと笑いながら声を上げた。


「ソーレンの重力操作で取れば良かったのに!」


その言葉に、二人はピタリと動きを止め──

顔を見合わせて同時に赤面した。


「⋯⋯あっ」


「⋯⋯マジでな」


渋々とソーレンが手を翳すと

すんなり瓶が棚から浮かび

すとんと彼の手に落ちた。


何とも言えぬ空気のまま瓶を時也に渡してから

二人はそそくさと、その場を立ち去ろうとする。


「時也さんも、植物操作で取れたんじゃない?」


レイチェルの追加の一言が

背後から追い打ちのように飛んでくる。


「⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯」


それを聞いたソーレンは

さすがに我慢しきれずに吹き出して笑い出した。


「くっ⋯⋯⋯あっははははは!!

バカだろ、俺ら!」


そしてそれにつられ

時也もふっと笑って肩の力を抜く。


「きっと⋯⋯疲れていたんですね。

皆で甘い物でも食べましょうか?」


静かにそう提案すると、誰も反対しなかった。

午後をまわり、ちょうど今は客もいない。


ドアの看板をCLOSEに返すと時也は厨房へと歩み

やがて閉店後の店内には

パンケーキの甘い香りが漂った。


ふわふわの生地に、しみ込む蜂蜜。


テーブルに並んだ五皿のパンケーキには

それぞれ違うフルーツが添えられている。


時也はアリアの皿のパンケーキを

丁寧に切り分けていた。


白磁の肌に映える淡い色合いのデザートを前に

アリアは無言のまま見つめている。


けれどその瞳は──

どこまでも穏やかで、あたたかかった。


外では風が揺れて

裏庭の桜の枝がさらさらと音を立てていた。


喫茶桜には、穏やかな午後の時間が流れている。


そして

時也の胸を覆っていた煤のような違和感も

今だけは、ほんの少し──

柔らかく薄れていくような気がしていた。


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